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=== クラブ ===
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==== バルセロナ ====
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[[FCバルセロナ]]の[[カンテラ]]で育つ。ここで[[リオネル・メッシ]]や[[ジェラール・ピケ]]らと共にプレーした。2003年の[[2003 FIFA U-17世界選手権|U-17世界選手権]]にU-17スペイン代表の一員として出場し準優勝を果たす。自身も5ゴールを挙げて得点王となると共に、大会最優秀選手に選出された。FCバルセロナでも才能は認められていたものの、トップチームには[[ャビ]]や[[イニエスタ]]などの同ポジションの選手がいたため、大会後間もなく才能に惚れ込んだ[[アーセン・ヴェンゲル]]率いる[[アーセナルFC|アーセナル]]がスペイン、イングランドの労働法の隙間やFCバルセロナの会長選という期間を狙って移籍金なしで獲得した。その後、裁判所からFCバルセロナへの85万7000ユーロの支払い命令が下った。
[[FCバルセロナ]]の[[カンテラ]]で育つ。ここで[[リオネル・メッシ]]や[[ジェラール・ピケ]]らと共にプレーした。2003年の[[2003 FIFA U-17世界選手権|U-17世界選手権]]にU-17スペイン代表の一員として出場し準優勝を果たす。自身も5ゴールを挙げて得点王となると共に、大会最優秀選手に選出された。FCバルセロナでも才能は認められていたものの、トップチームには[[ャビ・エルナンデス]]や[[イニエスタ]]などの同ポジションの選手がいたため、大会後間もなく才能に惚れ込んだ[[アーセン・ヴェンゲル]]率いる[[アーセナルFC|アーセナル]]がスペイン、イングランドの労働法の隙間やFCバルセロナの会長選という期間を狙って移籍金なしで獲得した。その後、裁判所からFCバルセロナへの85万7000ユーロの支払い命令が下った。


==== アーセナル ====
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=== 代表 ===
=== 代表 ===
2006年3月1日に[[バリャドリッド|バリャドリード]]で行われた[[サッカーコートジボワール代表|コートジボワール]]戦で[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]デビュー。1アシストを記録した。代表デビュー以降、[[リオネル・メッシ]](2005年の[[FIFAワールドユース選手権]]準々決勝で対戦)と同い年の[[ティーンエイジャー]]という話題性も手伝って、「超新星」などと称して[[マスメディア]]に取り上げられ、[[2006 FIFAワールドカップ|2006年ワールドカップドイツ大会]]にも出場を果たした。また、[[UEFA EURO 2008|EURO2008]]でのスペイン代表では10番を背負い、その中盤は[[ャビ]]、[[アンドレス・イニエスタ]]、[[ダビド・シルバ]]らと共に「クアトロ・フゴーネス(4人の創造者たち)」と称された。
2006年3月1日に[[バリャドリッド|バリャドリード]]で行われた[[サッカーコートジボワール代表|コートジボワール]]戦で[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]デビュー。1アシストを記録した。代表デビュー以降、[[リオネル・メッシ]](2005年の[[FIFAワールドユース選手権]]準々決勝で対戦)と同い年の[[ティーンエイジャー]]という話題性も手伝って、「超新星」などと称して[[マスメディア]]に取り上げられ、[[2006 FIFAワールドカップ|2006年ワールドカップドイツ大会]]にも出場を果たした。また、[[UEFA EURO 2008|EURO2008]]でのスペイン代表では10番を背負い、その中盤は[[ャビ・エルナンデス]]、[[アンドレス・イニエスタ]]、[[ダビド・シルバ]]らと共に「クアトロ・フゴーネス(4人の創造者たち)」と称された。


EURO2008本大会グループステージ1戦目の[[サッカーロシア代表|ロシア]]戦で、代表初ゴール。シャビや[[マルコス・セナ]]の控えとして臨んだ大会であったが、スーパーサブとして活躍。準々決勝の[[サッカーイタリア代表|イタリア]]戦のPK戦では5人目のキッカーを務め、「15歳の時からまともにPKを蹴ったことがない(本人談)」にも関わらず、イタリアのGK[[ジャンルイジ・ブッフォン]]の動きを読み、落ち着いて沈め、スペインの勝利を決めた。準決勝のロシア戦では、[[セルヒオ・ラモス]]からのグラウンダーのパスを、柔らかいタッチでふわりと浮かせ、前方へ走り込む[[ダニエル・グイサ]]の胸にピタリと合わせ、ゴールを演出。さらに、左サイドに空いたスペースでイニエスタからのパスを受けると、相手守備陣が戻り切れていないゴール前に走り込むシルバへ低い弾道の正確なセンタリングを送り、これをシルバが落ち着いてゴール左隅に決めた。これら2アシストを含む4アシスト(大会最多)を記録するなど、スペインの優勝に貢献した。
EURO2008本大会グループステージ1戦目の[[サッカーロシア代表|ロシア]]戦で、代表初ゴール。シャビや[[マルコス・セナ]]の控えとして臨んだ大会であったが、スーパーサブとして活躍。準々決勝の[[サッカーイタリア代表|イタリア]]戦のPK戦では5人目のキッカーを務め、「15歳の時からまともにPKを蹴ったことがない(本人談)」にも関わらず、イタリアのGK[[ジャンルイジ・ブッフォン]]の動きを読み、落ち着いて沈め、スペインの勝利を決めた。準決勝のロシア戦では、[[セルヒオ・ラモス]]からのグラウンダーのパスを、柔らかいタッチでふわりと浮かせ、前方へ走り込む[[ダニエル・グイサ]]の胸にピタリと合わせ、ゴールを演出。さらに、左サイドに空いたスペースでイニエスタからのパスを受けると、相手守備陣が戻り切れていないゴール前に走り込むシルバへ低い弾道の正確なセンタリングを送り、これをシルバが落ち着いてゴール左隅に決めた。これら2アシストを含む4アシスト(大会最多)を記録するなど、スペインの優勝に貢献した。
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*[[マイケル・ジャクソン]]のファンである<ref>footballista 2009/5/27号</ref>。
*[[マイケル・ジャクソン]]のファンである<ref>footballista 2009/5/27号</ref>。
* 利き足は右足だが、[[利き手]]は[[左利き|左手]]である。
* 利き足は右足だが、[[利き手]]は[[左利き|左手]]である。
* [[カルレス・プジョル]]やバルセロナのカンテラで同期だった[[ジェラール・ピケ]]とは仲がいい。また、[[ャビ]]は彼を「未来型フットボーラーのプロトタイプ」と表現している。
* [[カルレス・プジョル]]やバルセロナのカンテラで同期だった[[ジェラール・ピケ]]とは仲がいい。また、[[ャビ・エルナンデス]]は彼を「未来型フットボーラーのプロトタイプ」と表現している。
* ユニホームに「セスク」ではなく「ファブレガス」とネームを入れた理由について、{{要出典範囲|プレミアリーグでは姓を入れる規定があったことを挙げている。|date=2011年11月}}また、スペイン代表では当初の「セスク」から「ファブレガス」に変更した後、チームは[[ユーロ2008]]、[[2010 FIFAワールドカップ]]を制覇している。このことから本人は「本当はセスクの名でユニホームを作りたかったけど、ファブレガスの方が運を運んでくれるのなら、この名前でより多くのタイトルを獲得したい」と語っている。
* ユニホームに「セスク」ではなく「ファブレガス」とネームを入れた理由について、{{要出典範囲|プレミアリーグでは姓を入れる規定があったことを挙げている。|date=2011年11月}}また、スペイン代表では当初の「セスク」から「ファブレガス」に変更した後、チームは[[ユーロ2008]]、[[2010 FIFAワールドカップ]]を制覇している。このことから本人は「本当はセスクの名でユニホームを作りたかったけど、ファブレガスの方が運を運んでくれるのなら、この名前でより多くのタイトルを獲得したい」と語っている。
* 2013年4月10日に行われた[[UEFAチャンピオンズリーグ 2012-13 決勝トーナメント|UEFAチャンピオンズリーグ]]準々決勝の[[パリ・サンジェルマンFC]]との試合中に、第一子となる女児が生まれた<ref>{{cite web |url=http://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20130411/103988.html |title=セスク、PSG戦中に長女誕生で二重の喜び…バルサは今季7人目の子供 |publisher=サッカーキング |date=2013-4-11 |accessdate=2013-4-12}}</ref>。
* 2013年4月10日に行われた[[UEFAチャンピオンズリーグ 2012-13 決勝トーナメント|UEFAチャンピオンズリーグ]]準々決勝の[[パリ・サンジェルマンFC]]との試合中に、第一子となる女児が生まれた<ref>{{cite web |url=http://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20130411/103988.html |title=セスク、PSG戦中に長女誕生で二重の喜び…バルサは今季7人目の子供 |publisher=サッカーキング |date=2013-4-11 |accessdate=2013-4-12}}</ref>。

2021年12月16日 (木) 20:55時点における版

セスク・ファブレガス
チェルシーでのセスク (2015年)
名前
本名 フランセスク・ファブレガス・ソレール
Francesc Fàbregas Soler
愛称 セスク、エル・アルキテクト
ラテン文字 CESC Fabregas
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1987-05-04) 1987年5月4日(37歳)
出身地 アレニズ・ダ・マール英語版
身長 180cm[1]
体重 75kg[1]
選手情報
在籍チーム モナコの旗 ASモナコ
ポジション MF (CMF) / FW(ST)
背番号 4
利き足 右足
ユース
1995-1997 スペインの旗 マタロー英語版
1997-2003 スペインの旗 バルセロナ
2003 イングランドの旗 アーセナル
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2011 イングランドの旗 アーセナル 212 (35)
2011-2014 スペインの旗 バルセロナ 96 (28)
2014-2019 イングランドの旗 チェルシー 138 (15)
2019- モナコの旗 モナコ 52 (3)
代表歴2
2002-2003 スペインの旗 スペイン U-16 8 (0)
2003-2004 スペインの旗 スペイン U-17 14 (7)
2005 スペインの旗 スペイン U-20 5 (0)
2004-2005 スペインの旗 スペイン U-21 12 (8)
2006- スペインの旗 スペイン 110 (15)
2004- カタルーニャ州の旗 カタルーニャ 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2021年7月11日現在。
2. 2016年6月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

セスク・ファブレガス (Cesc Fàbregas) ことフランセスク・ファブレガス・ソレール(Francesc Fàbregas Soler, 1987年5月4日 - )は、スペイン王国カタルーニャ州アレニズ・ダ・マールカタルーニャ語版出身のサッカー選手ASモナコ所属。ポジションはミッドフィールダーフォワード。愛称は「セスク (Cesc) 」。

経歴

クラブ

バルセロナ

FCバルセロナカンテラで育つ。ここでリオネル・メッシジェラール・ピケらと共にプレーした。2003年のU-17世界選手権にU-17スペイン代表の一員として出場し準優勝を果たす。自身も5ゴールを挙げて得点王となると共に、大会最優秀選手に選出された。FCバルセロナでも才能は認められていたものの、トップチームにはチャビ・エルナンデスイニエスタなどの同ポジションの選手がいたため、大会後間もなく才能に惚れ込んだアーセン・ヴェンゲル率いるアーセナルがスペイン、イングランドの労働法の隙間やFCバルセロナの会長選という期間を狙って移籍金なしで獲得した。その後、裁判所からFCバルセロナへの85万7000ユーロの支払い命令が下った。

アーセナル

アーセナルでキャプテンとしてプレーするセスク

パトリック・ヴィエラの放出に伴いチームの舵取りを委ねられた2005-06シーズンには、シーズン当初は経験不足を感じさせるプレーも多かったものの、シーズンが深まるにつれて調子を上げ、それにつれチームも波に乗っていった。UEFAチャンピオンズリーグユヴェントス戦ではゲームを支配し、自ら先制点を奪う活躍を見せてチームの勝利を演出。前任者ヴィエラの眼前でその穴を埋めたことを示してみせた。

2006-2007シーズンより、ヴィエラが背負っていた背番号4番を受け継ぐことになった。シーズンオフより移籍の噂が絶えなかったが、新たにアーセナルと8年契約を結んだ。また2007年1月に発表された「2006年UEFA.comユーザーが選ぶベストイレブン」に、唯一10代で選ばれた。また、同シーズンはプレミアリーグでアシストランキング1位となった。

2008年11月29日のFCディナモ・キエフ戦からはウィリアム・ギャラスに代わってキャプテンを任されている。アーセナルではトニー・アダムスに次ぐクラブ史上2番目の若さとなるキャプテン就任となった。

バルセロナ

2011年8月15日、ユース時代に所属していたFCバルセロナへ5年契約で移籍。移籍金は最大3900万ユーロ(約43億円)といわれる。背番号はアーセナル時代から愛着のある4番。開幕から、本来のポジションとは違うセンターフォワードを任されながらも、3試合連続ゴール。しかし、10月初めの練習中に負傷。3週間の離脱を余儀なくされた[2]。しかし、復帰後も離脱前と変わらない活躍を見せる。12月10日のレアル・マドリードとのクラシコでは、素早いカウンターからダニエウ・アウベスのピンポイントクロスをダイビングヘッドで押し込み、試合を決定づける3点目を決めた。12月18日に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ決勝でも混戦の中からこぼれ球を押しこみ3点目をマークしている。この時、カメラに向かって指を7本立てるパフォーマンスを披露し、準決勝のアル・サッド戦で左足脛骨を骨折し戦線離脱したチームメイトのダビド・ビジャ(背番号7)にゴールを捧げた。

チェルシー

2014年、QPR戦でのセスク(右側はカール・ヘンリー)

2014年6月13日に古巣アーセナルのライバルであるチェルシーFCへの移籍が発表された。背番号はアーセナル、バルセロナ時代に続き4番となった。開幕戦からボランチとしてレギュラーに定着すると、ともにリーグ最多の18アシスト、2236本のパス成功を記録[3]。移籍初年度からプレミアリーグの優勝を飾った。 2016年12月31日のストーク戦にてプレミアリーグでの100アシストを達成した[4]。2017年2月4日には古巣のアーセナル相手に得点した一方、セレブレーションは控えた。25日のスウォンジー戦でプレミアリーグ300試合出場を達成、またこの時点で、プレミアリーグでのアシスト数102回で歴代リーグ2位タイに並んだ(もう一人はフランク・ランパード)[5]

モナコ

2019年1月11日、ASモナコに2022年6月までの3年半契約で移籍[6]。2月2日のトゥールーズFC戦にて移籍後リーグ戦初ゴールを決めている。

代表

2006年3月1日にバリャドリードで行われたコートジボワール戦でスペイン代表デビュー。1アシストを記録した。代表デビュー以降、リオネル・メッシ(2005年のFIFAワールドユース選手権準々決勝で対戦)と同い年のティーンエイジャーという話題性も手伝って、「超新星」などと称してマスメディアに取り上げられ、2006年ワールドカップドイツ大会にも出場を果たした。また、EURO2008でのスペイン代表では10番を背負い、その中盤はチャビ・エルナンデスアンドレス・イニエスタダビド・シルバらと共に「クアトロ・フゴーネス(4人の創造者たち)」と称された。

EURO2008本大会グループステージ1戦目のロシア戦で、代表初ゴール。シャビやマルコス・セナの控えとして臨んだ大会であったが、スーパーサブとして活躍。準々決勝のイタリア戦のPK戦では5人目のキッカーを務め、「15歳の時からまともにPKを蹴ったことがない(本人談)」にも関わらず、イタリアのGKジャンルイジ・ブッフォンの動きを読み、落ち着いて沈め、スペインの勝利を決めた。準決勝のロシア戦では、セルヒオ・ラモスからのグラウンダーのパスを、柔らかいタッチでふわりと浮かせ、前方へ走り込むダニエル・グイサの胸にピタリと合わせ、ゴールを演出。さらに、左サイドに空いたスペースでイニエスタからのパスを受けると、相手守備陣が戻り切れていないゴール前に走り込むシルバへ低い弾道の正確なセンタリングを送り、これをシルバが落ち着いてゴール左隅に決めた。これら2アシストを含む4アシスト(大会最多)を記録するなど、スペインの優勝に貢献した。

2010年のワールドカップでもスーパーサブとして臨み、主に膠着状態を打破するために途中出場した。決勝戦のオランダ戦では80分から投入され、延長後半のイニエスタの決勝点をアシストするなど活躍した。

2014 FIFAワールドカップでは、グループリーグ第1戦、消化試合となった第3戦にそれぞれ途中出場したのみとなり、チームもグループリーグ敗退という結果に終わった[7]

2015年10月12日のUEFA EURO 2016予選ウクライナ戦で代表通算100試合出場を達成した[8]

エピソード

バルセロナ入団セレモニーでのセスク
  • マイケル・ジャクソンのファンである[9]
  • 利き足は右足だが、利き手左手である。
  • カルレス・プジョルやバルセロナのカンテラで同期だったジェラール・ピケとは仲がいい。また、チャビ・エルナンデスは彼を「未来型フットボーラーのプロトタイプ」と表現している。
  • ユニホームに「セスク」ではなく「ファブレガス」とネームを入れた理由について、プレミアリーグでは姓を入れる規定があったことを挙げている。[要出典]また、スペイン代表では当初の「セスク」から「ファブレガス」に変更した後、チームはユーロ20082010 FIFAワールドカップを制覇している。このことから本人は「本当はセスクの名でユニホームを作りたかったけど、ファブレガスの方が運を運んでくれるのなら、この名前でより多くのタイトルを獲得したい」と語っている。
  • 2013年4月10日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ準々決勝のパリ・サンジェルマンFCとの試合中に、第一子となる女児が生まれた[10]
  • 2014年9月23日に実母が第三子となる女児を出産、セスクにとって27歳年下の妹が誕生した[11]
  • スペイン代表ではこれまで試合中に4回PKを蹴っているが、4回全てで失敗している[8]。4度のPK失敗は14回中5回失敗したダビド・ビジャに次ぎ、スペイン代表史上2番目の記録である。ただし先述のEURO 2008の準々決勝イタリア戦、EURO 2012の準決勝ポルトガル戦でのPK戦ではそれぞれ成功させている。
  • 2017年5月、ESPN世界で最も有名なアスリート100人を発表し、54位に選出された。サッカー選手としては21位[12]
  • 2020年11月、カタルーニャのラジオ番組のインタビューで、チェルシー時代の監督ジョゼ・モウリーニョを絶賛する一方で、バルセロナ時代の監督ジョゼップ・グアルディオラとは 「上手くいっていなかった」 ことを明かした[13]

個人成績

2018-2019シーズン1月時点
シーズン クラブ 背番号 リーグ カップ戦 リーグカップ戦 UEFA シーズン合計
試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール
2003-04 アーセナル 57 0 0 3 1 0 0 0 0 3 1
2004-05 15 33 2 0 0 0 0 0 0 33 2
2005-06 35 3 2 1 0 0 13 1 50 5
2006-07 4 38 2 6 0 0 0 10 2 54 4
2007-08 32 7 3 0 0 0 10 6 45 13
2008-09 22 3 0 0 0 0 10 0 32 3
2009-10 27 15 1 0 0 0 8 4 36 19
2010-11 25 3 3 2 3 1 5 3 36 9
プレミアリーグ通算 212 35 18 4 3 1 56 16 289 56
2011-12 FCバルセロナ 4 28 9 8 3 - - 10 2 46 14
2012-13 32 11 7 2 - - 8 1 47 14
2013-14 36 8 8 4 - - 9 1 53 13
リーガ・エスパニョーラ通算 96 28 23 9 - - 27 4 146 41
2014-15 チェルシーFC 4 34 3 1 0 4 0 8 2 47 5
2015-16 37 5 4 0 1 0 7 1 49 6
2016-17 28 5 6 0 2 2 - - 36 7
2017-18 32 2 4 0 4 0 8 1 48 3
2018-19 6 0 1 0 3 1 5 0 15 1
プレミアリーグ通算 138 15 16 0 14 3 27 4 195 22
通算 446 78 57 13 17 4 110 24 630 119

代表歴

出場大会

試合数

国際Aマッチ 105試合 15得点(2006年- )


スペイン代表国際Aマッチ
出場得点
2006 14 0
2007 8 0
2008 15 1
2009 10 4
2010 10 1
2011 4 2
2012 13 3
2013 11 2
2014 8 0
2015 8 1
2016 4 1
通算 105 15

ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1. 2008年6月10日 オーストリアの旗インスブルックティヴォリ・シュターディオン ロシアの旗 ロシア 4–1 4–1 UEFA EURO 2008
2. 2009年6月14日 南アフリカ共和国の旗ルステンブルクロイヤル・バフォケン・スタジアム ニュージーランドの旗 ニュージーランド 4–0 5–0 FIFAコンフェデレーションズカップ2009
3. 2009年9月9日 スペインの旗メリダエスタディオ・ロマノ エストニアの旗 エストニア 1–0 3–0 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
4. 2009年10月10日 アルメニアの旗エレバンハンラペタカン・スタディウム アルメニアの旗 アルメニア 0–1 1–2 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
5. 2009年11月18日 オーストリアの旗ウィーンエルンスト・ハッペル・シュターディオン オーストリアの旗 オーストリア 1–1 1–5 親善試合
6. 2010年6月8日 スペインの旗ムルシアエスタディオ・ヌエバ・コンドミーナ ポーランドの旗 ポーランド 4–0 6–0 親善試合
7. 2011年9月2日 スイスの旗ザンクト・ガレンAFGアレナ チリの旗 チリ 2–2 3–2 親善試合
8. 3–2
9. 2012年6月10日 ポーランドの旗グダニスクPGEアリーナ・グダニスク イタリアの旗 イタリア 1–1 1–1 UEFA EURO 2012
10. 2012年6月14日 ポーランドの旗グダニスクPGEアリーナ・グダニスク アイルランドの旗 アイルランド 4–0 4–0 UEFA EURO 2012
11. 2012年8月15日 プエルトリコの旗バヤモンエスタディオ・フアン・ラモン・ローブリエル プエルトリコの旗 プエルトリコ 0–2 1–2 親善試合
12. 2013年2月6日 カタールの旗ドーハハリーファ国際スタジアム ウルグアイの旗 ウルグアイ 1–0 3–1 親善試合
13. 2013年6月8日 アメリカ合衆国の旗マイアミサンライフ・スタジアム ハイチの旗 ハイチ 2–0 2–1 親善試合
14. 2015年6月11日 スペインの旗レオンエスタディオ・ムニシパル・レイノ・デ・レオン コスタリカの旗 コスタリカ 2–1 2–1 親善試合
15. 2016年6月1日 オーストリアの旗ザルツブルクレッドブル・アレーナ 大韓民国の旗 韓国 2–0 6–1 親善試合

タイトル

クラブ

スペインでのEURO2008優勝パレードの様子。
アーセナルFC
FCバルセロナ
チェルシーFC

代表

スペイン代表

個人

脚注

  1. ^ a b Fitxa Web Oficial de Cesc Fàbregas
  2. ^ http://www.asahi.com/sports/fb/world/goal/GOC201110010087.html
  3. ^ 今季プレミアでアシスト王のセスク、パス成功本数も断トツでトップに”. サッカーキング (2015年5月27日). 2015年6月1日閲覧。
  4. ^ Willian double sinks brave Stoke and extends Chelsea run to 13 straight wins”. theguardian.com (2016年12月31日). 2017年4月16日閲覧。
  5. ^ All-time Premier League Player Stats”. premierleague.com. 2017年4月16日閲覧。
  6. ^ Cesc Fabregas à l’AS Monaco”. AS Monaco Site Officiel. 2019年1月12日閲覧。
  7. ^ https://news.yahoo.co.jp/articles/d3e5c7871a4540ae969f3f7de6878244073a926d?page=3
  8. ^ a b スペイン代表100試合出場のセスク、通算4本のPKを全て失敗する”. サッカーキング (2015年10月13日). 2015年10月13日閲覧。
  9. ^ footballista 2009/5/27号
  10. ^ セスク、PSG戦中に長女誕生で二重の喜び…バルサは今季7人目の子供”. サッカーキング (2013年4月11日). 2013年4月12日閲覧。
  11. ^ スペイン代表のセスクに「27歳差」の妹が誕生…母親が第三子を出産”. サッカーキング (2014年9月25日). 2014年9月25日閲覧。
  12. ^ ESPN World Fame 100 ESPN.com 2017年6月10日閲覧。
  13. ^ セスク、モウリーニョ&ペップの名将コンビとの“対照的”な関係を告白 「友人の1人」「何もない」”. フットボールゾーン (2020年11月20日). 2020年11月20日閲覧。

関連項目

外部リンク