「マレーシアの漫画」の版間の差分
Dušan Kreheľ (bot) (会話 | 投稿記録) More used with only one reference definition: 1 new reference and 1 new reference call. |
Deer hunter (会話 | 投稿記録) 瑣末な情報を整理 |
||
(6人の利用者による、間の65版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{Pathnav|漫画|frame=1}} |
{{Pathnav|漫画|frame=1}} |
||
本項では'''マレーシアの漫画'''(マレーシアのまんが、{{lang-ms|komik, kartun, cergam{{Efn2|"cergam" は "cerita gambar"{{翻訳|物語+絵}}の略{{sfn|Karna|2014|p=6}}。}}}}{{sfn|Karna|2014|p=6}})について述べる。[[マレー語]]の[[漫画]]は1930年代に新聞紙上の一コマ[[風刺漫画]]([[カートゥーン]])として始まった。[[第二次世界大戦]]と植民地からの[[マラヤ連邦#歴史|独立]] (1957) を経た後はコマ漫画([[コミックストリップ]])が新聞漫画の主流になり、国産の漫画が発展した。1970年代末からは風刺漫画を誌面の中心とするユーモア雑誌が隆盛した{{sfn|Muliyadi|1997|p=43}}。一般の新聞雑誌ではない[[ストーリー漫画]]の出版物は1950年代から存在していたが、1980年代ごろから社会的な認知を受け始め、1990年代以降に国外の漫画の影響を受けて大きく発展した。それまでマレーシア漫画は主に[[アメリカン・コミックス|米国コミック]]を手本にしてきたが{{sfn|Junid|Yamato|2019|p=82}}、近年には世界的な潮流に従って[[日本の漫画|日本]]の影響が強まった{{sfn|Lent|2015|loc=No.166/342}}。 |
|||
'''マレーシアの漫画'''は、[[マレーシア]]で制作される[[漫画]]である。マレーシア社会が有している多言語文化を背景に、[[マレー語]]、[[中国語]]、[[英語]]と多言語で作品が発表されている。また他国に比較して、[[幼年漫画|児童漫画]]及び[[少女漫画]]の比重が極めて高い点も特徴である。 |
|||
マレーシアは主に[[マレー人]]と[[中国人]]、次いで[[インド人]]などからなる多文化国家であり、植民地時代から現在まで地政学的に複雑な状況に置かれてきた{{sfn|Lent|2015|p=153}}。民族間の調和はマレーシアの国是であり{{sfn|Radzi|Ibrahim|Gani|Bahari|2022|p=1789}}、政府は1969年に起きた[[5月13日事件|人種暴動]]の再発を防ぐために国民的アイデンティティを醸成する文化政策を積極的に行ってきた{{sfn|スラヤ|2019|pp=46-47}}。伝統的な漫画作品の多くは多様な民族からなる寛容な社会というマレーシア像を描いてきたが{{sfn|Kamal|Haw|Bakhir|2017|p=295}}、混合文化としてのマレーシアのアイデンティティはいまだに形成の途中であり、漫画文化も同様に発展途上だと述べる論者もいる{{sfn|顔|2011|p=1}}。それぞれの民族集団は自分たちの言語で漫画の出版を行っており{{sfn|Lent|2015|p=153}}、元々大きくない漫画の市場はさらに細分化されていた。それが障害となってマレーシア漫画は日本や米国に見られるような固有の表現形式を発達させることができなかったという見方もある{{sfn|Nasir|2021|p=63}}。 |
|||
== 概要 == |
|||
[[マレー人|マレー系]]の国民的漫画家[[ラット (漫画家)|ラット]]によると、マレーシアの漫画は1950年代に始まった。そのころ民話を題材にして絵物語風の作品を描いていた漫画家にラジャ・ハムザがいる。その後1980年代前半までストーリー漫画はそれほど発展せず、新聞に載る社説漫画や4コマ漫画、あるいは米国の『[[MAD (雑誌)|MAD]]』に影響を受けた[[風刺漫画]]が中心だった。1981年時点でマレーシアにいる漫画家は全部で100人余りで、女性はおらず、有名なのは15人ほどだったという<ref>{{cite book|和書|author=小野耕世|chapter=ラットと語る(解説)|title=カンポンのガキ大将|year=1984|publisher=晶文社|isbn=978-4794940247|pages=148-153}}</ref>。ラット自身は1970年ごろから新聞漫画で活躍をはじめ、土着文化へのノスタルジーや現代史への関心をユーモラスに描いた代表作『[[カンポンボーイ]]』など、独自のスタイルのストーリー漫画を確立した。しかし、より若い世代の漫画家は、過去のマレーシア漫画の伝統よりむしろ日本漫画やアメリカの[[スーパーヒーロー]]コミックや[[オルタナティブ・コミック]]からの影響を強く受けている<ref>{{cite book|和書|title=世界のコミックスとコミックスの世界 : グローバルなマンガ研究の可能性を開くために|editor=ジャクリーヌ・ベルント|chapter=歴史的記憶のメディアとしてのマンガ/コミックス.シンガポールとマレーシアのコミック|author=チェンジュ・リム|translator=中垣恒太郎|series=国際マンガ研究1|year=2010|isbn=978-4-905187-02-8|url=http://imrc.jp/images/upload/lecture/data/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C.pdf|publisher=京都精華大学国際マンガ研究センター|accessdate=2017-11-24}}</ref>。 |
|||
== 歴史 == |
|||
『少年週報』と『青苗週刊』が創刊された[[1985年]]が、マレーシアにおける漫画の草創期とされる<ref name="#1">『マレーシア漫画協会紀年会刊 2009』</ref>。『少年週報』の専属漫画家となった[[張瑞成]]は『神童』や『超能少年』を発表、『青苗週刊』でも[[黄奱棋]]、[[森林木]]、[[王永基]]などが作品を発表。その後、黄奱棋、森林木、[[黄瑞発]]などにより[[成人向け漫画|成年漫画]]である『正牌老夫子』が隔週刊で連載された。[[1986年]]になると『新晩報』、『中国報』、『新生活報』、『生活電視』などの多くの雑誌でマレーシア漫画家の作品が発表され、[[張少林]]、[[楊孝栄]]、[[黄寿忠]]、[[李国文]]などがこの時期にデビューしている。当時は[[日本の漫画]]を無断で翻訳した海賊版の市場が大きかったこともあり、日本の影響を強く受けた作品が主流であったが、張少林や楊孝栄などは[[香港の漫画]]の影響を強く受けた作品を発表し、特に楊孝栄はその後香港の[[黄玉郎]]の出版社に参加している<ref>『マレーシア漫画協会紀年会刊 2011』</ref>。 |
|||
[[マレーシア]]はいくつかの旧英国植民地が連合して1963年に成立した国家だが、この地域の漫画出版は19世紀の[[イギリス領マラヤ|英領マラヤ]]に起源を求められる。マラヤの貿易拠点だった[[シンガポール]](1965年にマレーシアから分離)と[[ペナン州|ペナン]]は出版業も盛んであり、20世紀半ばまで漫画文化の中心地だった<ref name=lim1>{{cite web|url=https://sgcartoonhub.com/the-history-of-comics-and-cartoons-in-singapore-and-malaysia-part-1/|accessdate=2024-09-13|title=The History of Comics and Cartoons in Singapore and Malaysia Part 1: Introduction |website= SG Cartoon Resource Hub|date=2022-03-21|last=Lim|first=CT}}</ref>。1938年にシンガポールに設置された{{仮リンク|南洋芸術学院|en|Nanyang Academy of Fine Arts}}では風刺漫画家も育成されていた<ref name=lim1/>。[[クアラルンプール]]や[[ジョホールバル]]で漫画出版が行われるようになったのは1950年代以降で<ref name=lim1/>、[[東マレーシア|島嶼部マレーシア]]では21世紀になるまで地域の漫画が発展しなかった{{sfn|Lent|2015|loc=No.153/342}}。 |
|||
以下の時代区分は{{Harvnb|Muliyadi|2012|p=122}}に基づく。 |
|||
[[1990年代]]に入ると、雑誌から単行本が主流となっていく。[[余有勤]]の『武神』、[[丘光耀]]の『林連玉』や『林吉祥伝』、[[陳中偉]]の『童年』、柳丁の『鳥人正伝』、[[郭豪允]]の仏教漫画シリーズなどが登場し、また後にマレーシアを代表する[[維明]]や[[杜英才]]、[[祖安]]もこの時期にデビューしている。また、[[1980年代]]に活躍した漫画家が創作活動から出版活動に転進したのもこの時期である。張瑞成は『漫画週刊』を発行するとともに集英漫画社を設立、日本からの授権を得ることなく日本の漫画を翻訳出版、そこでの収益を利用して『漫画少年』を創刊し、[[陳天星]]、[[張振怡]]、[[張桂明]]などの新人を発掘したが、その販売は不振が続き『漫画少年』は廃刊となり、マレーシア漫画家の育成計画は短期間で失敗している<ref name="#1"/>。 |
|||
=== 黎明期: 1930年代-1957年=== |
|||
==== 前史 ==== |
|||
近代的な[[カートゥーン|漫画]]は植民地主義とともに到来した。1868年にマラヤの英国商人のために創刊された英字紙『{{仮リンク|ストレーツ・プロデュース|en|Straits Produce}}』は、本国の『[[パンチ (雑誌)|パンチ]]』誌にならって[[風刺漫画]]を紙面の中心にしていた。同種の出版物としては日本で刊行された『[[ジャパン・パンチ]]』(1862)、中国の『チャイナ・パンチ』(1867) に続いてアジアで3番目だったと考えられている<ref name=lim2>{{cite web|url=https://sgcartoonhub.com/the-history-of-comics-and-cartoons-in-singapore-and-malaysia-part-2/|accessdate=2024-09-13|title=The History of Comics and Cartoons in Singapore and Malaysia Part 2: The Early Comics/Cartoons|website=SG Cartoon Resource Hub|date=2022-04-01|last=Lim|first=CT}}</ref>。 |
|||
英領マラヤに流入した移民労働者はそれぞれの母語で新聞を発行した。シンガポールの華字紙『{{仮リンク|中興日報|en|Chong Shing Yit Pao}}』は1907年に最初の一コマ漫画を掲載した<ref name=lim2/>。革命家[[孫文]]の支持派が母体の新聞で、初期の漫画作品はいずれも[[清]]王朝を攻撃する内容だった{{sfn|リム|2010|p=179}}。20世紀初頭の中国語風刺漫画は主に本国の政治を題材としており、1937年の[[盧溝橋事件]]以降は日本の[[日中戦争|中国侵略]]に激しい批判が向けられた。[[太平洋戦争]]が拡大して1942年に[[日本占領時期のマラヤ|英領マラヤが占領]]されると、それらの漫画の作者は日本軍によって処刑されることになった<ref name=lim2/>{{sfn|リム|2010|p=181}}。 |
|||
[[1993年]]になると漫画城出版社が香港より[[周聖]]を招聘し、マレーシアにおいて[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]の育成を目指した。同時に[[陳永発]]の『猟魔』や『水滸外伝』、張振怡の『鬼故事』、[[蔡再鴻]]の『烏龍家族』、[[熊人]]の『鉄拳』などを出版し、マレーシア漫画産業の発展を目指した。しかし販売不振により廃刊となり、マレーシアの漫画作品を掲載した雑誌は消滅した。 |
|||
==== マレー語漫画の登場 ==== |
|||
こうした状況の下、マレーシアの漫画家は海外市場を目指すようになり、[[1997年]]には[[シンガポール]]の亜太出版社が[[陳国勝]]、[[黄慶栄]]、[[林鉅秦]]、[[劉錦漢]]、[[張開振]]などの大量のマレーシア漫画家の作品を出版している。しかし同年に発生した[[アジア通貨危機]]により販売数量は極めて限定的となり、マレーシア漫画家の受難期は続くこととなる。こうした中、[[蔡天発]]、[[余有権]]、[[左手人]]、[[Blue (マレーシア)|Blue]]、[[史美星]]、[[JONDEP]]、[[蘇文徳]]、[[陳耀竜]]、[[黄建隆]]などは積極的な創作活動を行っていた。 |
|||
マレー語の風刺漫画は中国語よりも遅れて発展した。その理由としては、マレー語紙が手本としていた中東のアラブ系新聞がイラストレーションを使用していなかったためだという説や{{sfn|Lent|2015|loc=No.153/342}}、マレー人が植民地の民族集団の中で特権的な地位におかれていたため政治風刺の動機が弱かったという説がある<ref name=lim2/>。 |
|||
初期のマレー語紙は正しい言語の使い方や宗教が主な関心事だったが{{sfn|Rosman|Abdullah|2018|p=20}}、1930年代になるとマレー語紙にも社会情勢の変化に対する危機感が表され始め{{sfn|Mohd Noor Merican|2020|p=33}}、{{仮リンク|ワルタ・ジェナカ|ms|Warta Jenaka}}{{Efn2|日刊紙{{仮リンク|ワルタ・マラヤ|en|Warta Malaya}}の週刊付属紙<ref name=biblioasia>{{cite web|url=https://biblioasia.nlb.gov.sg/vol-19/issue-4/jan-mar-2024/early-malay-comics/|accessdate=2024-09-17|title=Kaboom! Early Malay Comic Books Make an Impact|publisher=Singapore National Library}}</ref>。}}にはS・B・アリーによる風刺漫画や読者投稿の素朴な作品が載るようになった{{sfn|Lent|2015|loc=No.153/342}}。もう一方のマレー語メジャー紙でイスラム色の強い{{仮リンク|ウトゥサン・ザマン|ms|Utusan Zaman}}{{Efn2|{{仮リンク|ウトゥサン・マレーシア|en|Utusan Malaysia|label=ウトゥサン・ムラユ}}紙の日曜版で{{sfn|Muliyadi|1997|p=40}}、マレー人によって出版された最初の新聞だった{{sfn|Lent|2015|p=153}}。}}では、1939年にマラヤ初の漫画キャラクターの一人である Wak Ketok{{翻訳|難癖おじさん{{sfn|Rosman|Abdullah|2018|p=26}}}}が登場した{{sfn|Lent|2015|loc=No.153/342}}{{sfn|Muliyadi|1997|pp=40-41}}。{{仮リンク|パ・パンディル|ms|Pak Pandir}}のような伝統的な笑い話の系譜に連なるキャラクターで{{sfn|Muliyadi|1997|p=41}}、「マレー語ジャーナリズムの父」{{sfn|坪井|2016}}と呼ばれた{{仮リンク|アブドゥル・ラヒム・カジャイ|en|Abdul Rahim Kajai}}がコラムを書き、アリ・サナットがイラストを添える構成だった{{sfn|Muliyadi|1997|p=53}}。これら初期のマレー語漫画は、植民地政府や中国系・インド系・アラブ系移民を敵視する一方、マレー人自身の欠点(独立心のなさ、大雑把さなど)を批判して民族主義を鼓舞する内容が多かった{{sfn|Muliyadi|1997|pp=38, 41-42}}。 |
|||
[[2000年代]]に入ると、多くの漫画家が海外市場を目指すようになった。その代表格が陳永発であり、[[アメリカ合衆国]]において『Doom Patrol』や『Batman』などの雑誌で多くの作品を発表している。海外での活躍によりマレーシア国内の漫画市場も再構築され、平方集団は『Gempak』を創刊、[[2003年]]6月には中国語市場を目標に『漫画王』を創刊し、[[張家輝 (漫画家)|張家輝]]、[[蔡詩中]]、[[李国靖]]、[[劉怡廷]]、[[林詩敏]]、[[BEN]]、[[李沢権]]、[[藘穏亢]]、[[丁偉光]]、[[何声超]]、[[何声強]]などの多くの漫画家を育成し、マレーシアの漫画市場の再構成に成功している。 |
|||
日本占領期には英国支配のもろさを目撃したことでいずれの民族も独立意識を高めた<ref name=lim2/>。後に建国の父と言われる[[トゥンク・アブドゥル・ラーマン]]は反日的・民族主義的な漫画を描いていた{{sfn|Lent|2015|loc=No.154/342}}。その一方で、水彩画家アブドゥラ・アリフは日本軍が発行した[[日本占領時期のマラヤ|ペナン新聞]]に親日的なプロパガンダ漫画を描いた<ref name=lim2/>{{sfn|Lent|2015|loc=No.154/342}}。アブドゥラ・アリフの作品は1942年に ''Perang Pada Pandangan Juru-Lukis Kita''{{翻訳|私たちの漫画家が見た戦争}}としてマレー語・中国語・英語の文章をつけて書籍化された<ref name=lim2/>{{sfn|Lent|2015|loc=No.154/342}}。 |
|||
その他、児童漫画も同時期に[[徐有利]]の『哥妹倆』及び[[呂寿聡]]の『榴槤公主』が出版され、教育的な内容により学校教育との連携に成功している。学校経由による団体定期購読というビジネスモデルが成功してからは、他の出版社からも児童漫画雑誌が続々と創刊され、[[2006年]]には漫頭社の『OKA』、平方集団の『秀逗高校』、『小班長』、『聡明世界』、彩虹漫画の『KK小超人』、嘉陽出版の『漫頭』、『GOGO学堂』などが創刊されている。 |
|||
==== 戦後 ==== |
|||
マレーシアの漫画産業発展に伴い、[[2009年]]5月に「[[マレーシア中文漫画協会]]」が設立され、マレーシアにおける漫画産業の発展を目的に活動を開始した。同年11月には「第1回中文職業漫画大賞」を発表、[[2011年]]8月には「第2回中文職業漫画大賞」、2012年12月には「中文新人漫画大賞」が発表され、マレーシア独自の漫画家の育成に寄与している。また毎年クリスマス前後に[[クアラルンプール]]で開催される[[Comic Fiesta]]があり、会場では企業ブース以外に個人による同人誌、同人グッズ販売ブースが設置されている。[[2014年]][[6月7日]]から[[6月8日]]にかけてクアラルンプールで[[Comic Art Festival Kuala Lumpur]](CAFKL)が初めて開催され、商業ブースが主となるComic Fiestaに対し、同人作品を主体としたイベントが初めて開催されている。 |
|||
第二次世界大戦が終結した直後の政治的空白期には、中国人を主体とする共産ゲリラとイギリス軍の間で衝突が発生し([[マラヤ危機]])、民族間の対立が高まった。こうした背景のなかで、マレー人により共産主義者を攻撃する漫画が執筆された一方で、マレー人と中国人の漫画家には、社会や政治を風刺する作品によって民族宥和と進歩主義を唱えるものもいた。[[ザ・ストレーツ・タイムズ]]の社説漫画家Tan Huay Pengはその代表で、英国からの独立を訴えるシンボリックな作品を残した<ref name=lim2/>。 |
|||
マレーシア産の[[コミックストリップ]](ストーリー性のあるコマ漫画)が登場し始めたのは1947年ごろだった。同年に[[シンガポール]]の雑誌 ''Kenchana'' は、米国漫画にはない東洋的な感性を持った作品の必要性を訴え、歴史冒険もののマレー語作品 ''Tunggadewa'' を初めて掲載した{{sfn|Gallop|2022|p=46}}。同誌を編集していた作家{{仮リンク|ハルン・アミヌラシド|ms|Harun Aminurrashid}}は初期のマレー語コミックのメンターとして大きな役割を果たした{{sfn|Gallop|2022|pp=46, 67}}。 |
|||
== 特徴 == |
|||
マレーシアの漫画作品の特徴は児童漫画と少女漫画に特化している点にある。児童漫画は保守的なマレーシア社会で長く漫画が受け容れられてこなかったことが原因であり、教育的な内容を中心とすることで学校教育との連携を図り、「教材」として読者を獲得することを目的とした結果である。現在マレーシアでは出版社による漫画家の学校訪問が行われており、そこで定期購読を獲得するビジネススタイルが一般的となっている。また、読者の年齢層が未だに中学生未満が主体<ref>第10回国際マンガサミット富川大会 産業報告</ref>であることから少女漫画も数多く発表されている。その少女漫画に関しては純愛をテーマとしており、イスラム教の影響を受けるマレーシア社会においてはキスシーンなどの表現はタブーである、表現方法の制限があるが、[[劉怡廷]]などにより人気ジャンルとして確立されている。[[少年漫画]]に関しては、現状ではマレーシア産の少年漫画の連載までには至っていない。 |
|||
一般紙誌の添え物ではない漫画主体の出版物がマラヤに入ってきたのは、1930年代に英国から古紙として売られてきた『{{仮リンク|ザ・ビーノ|en|The Beano}}』や『{{仮リンク|ザ・ダンディ|en|The Dandy}}』などの[[コミックブック]](小冊子型式の定期刊行物)が最初だった{{sfn|Lent|2015|loc=No.155/342}}。マレー語コミックブックの第1号は1951年に[[インドネシア]]で刊行された ''Hang Tuah (Untuk Anak-Anak)'' だと考えられている。英雄{{仮リンク|ハントゥア|en|Hang Tuah}}の伝説が題材で、原作・作画とも作家{{仮リンク|ナシャ・ジャミン|id|Nasjah Djamin}}が手掛けていた<ref name=biblioasia/>。シンガポールでは ''Pusaka Datuk Moyang''{{翻訳|ご先祖さまの宝}}(1952) を皮切りにマレー語コミックブックが盛んに出版された{{sfn|Gallop|2022|p=47}}。1955年に15歳で伝説の女王{{仮リンク|シティ・ワン・ケンバン|en|Siti Wan Kembang}}をコミック化したノラ・アブドゥラは最初の女性マレー人漫画家だった<ref name=biblioasia/>。コミックの題材は初期には歴史や民話が主流で、やがて恋愛ものや探偵ものも現れた{{sfn|Gallop|2022|p=44}}。米国ヒーロー・[[バットマン]]の翻案やSF風味の作品もあった<ref name=biblioasia/>。 |
|||
また漫画の創作スタイルも日本とは異なり、出版社の中でのチーム分業制を採用している場合が一般的である。これはチームでの会議により作品の内容が決定され、それに従い漫画家が作品を創作し、アシスタント作業は出版社のアシスタントチームが請け負い、色付作業やセリフに関しては漫画家の意見は反映されるものの専門スタッフが行うというものである。これは漫画家の絶対数が不足していることと、カラー作品が一般的であるマレーシアの出版事情、更に作品を英語、マレー語、中国語の3ヶ国語で出版する必要があるマレーシア社会の特徴を反映させた結果である。 |
|||
1960年代に入るとシンガポールのコミックブック出版は衰退し、[[ペナン]]に取って代わられたが<ref name=biblioasia/>、1960年代を過ぎるとそれも下火になった{{sfn|Gallop|2022|p=45}}。 |
|||
販売方法であるが一般書店流通、上記で述べた学校教育との連携以外に、ブックフェアなどでの出版社ブースによる販売も大きな地位を占めている。また頻繁にサイン会が実施されるなど、漫画家と読者の距離がきわめて近いこともその特徴である。 |
|||
=== 新時代: 1957-1970年代 === |
|||
== 主な出版社 == |
|||
[[マラヤ連邦]]は1957年に英国からの独立を果たし、周辺地域の再編と[[シンガポール]]の脱退を経て現在の[[マレーシア]]が成立した。[[表現の自由]]を基本理念としていた植民地政府と異なり、独立政府はマスメディアを統制して統治の道具にしようとした。各言語の新聞からは政治風刺漫画が姿を消し、その代わりに冒険ものやユーモアものの海外産コミックストリップが多数掲載された<ref name=lim3>{{cite web|url=https://sgcartoonhub.com/the-history-of-comics-and-cartoons-in-singapore-and-malaysia-part-3/|accessdate=2024-09-14|title=The History of Comics and Cartoons in Singapore and Malaysia Part 3|website= SG Cartoon Resource Hub|date=2022-04-15|last=Lim|first=CT}}</ref>。『[[フラッシュ・ゴードン]]』<ref name=lim3/>、『{{仮リンク|漫画におけるターザン|en|Tarzan in comics|label=ターザン}}』、『{{仮リンク|マンドレイク・ザ・マジシャン|en|Mandrake the Magician}}』のような欧米作品は新聞各紙の呼び物となった{{sfn|Lent|2015|loc=No.155-156/342}}。 |
|||
* 平方集団 |
|||
* 青苹果工作室 |
|||
* 元気出版 |
|||
* 彩虹漫画 |
|||
* 嘉陽出版 |
|||
* Gala Unggul Resources |
|||
* The Vision Engine |
|||
ラジャ・ハムザ、{{仮リンク|ルジャブハッド|en|Rejabhad}}、{{仮リンク|ミシャール (漫画家)|en|Mishar (cartoonist)|label=ミシャール}}らマレー人漫画家による作品も新聞に掲載された{{sfn|Lent|2015|loc=No.154/342}}。ハムザは戦後期の重要な漫画家である{{sfn|Lent|2015|loc=No.155/342}}。{{仮リンク|BH (新聞)|en|BH (newspaper)|label=ブリタ・ハリアン}}紙の ''Keluarga Mat Jambul''{{翻訳|マット・ジャンブルの家族}}は英国の『{{仮リンク|ザ・ガンボルズ|en|The Gambols}}』にならった家族ものの作品で<ref name=lim3/>{{sfn|Muliyadi|1997|p=45}}、穏当なユーモアを通じて国家統一の精神を訴えていた{{sfn|Muliyadi|2012|pp=121-122}}。ハムザはそのほかウトゥサン・ムラユ紙の ''Dol Keropok & Wak Tempeh'' など村落生活や古典文芸を題材にした連載を多数持ち{{sfn|Lent|2015|loc=No.155/342}}、後進の[[ラット (漫画家)|ラット]]に影響を与えた<ref name=lim3/>。 |
|||
== 参考文献 == |
|||
* マレーシア漫画協会編『マレーシア漫画協会紀年会刊 2009』(2009年 クアラルンプール) |
|||
* マレーシア漫画協会編『マレーシア漫画協会紀年会刊 2011』(2011年 クアラルンプール) |
|||
* 台北市漫画従業員工会編『国際マンガサミット 台湾淡水大会 講演資料』(2009年 台北) |
|||
1960年代から1970年代にかけてはマレーシア漫画の黄金期だとされている{{sfn|Lent|2015|loc=No.156/342}}。1970年代以降、国民的なアイデンティティを育成する文化政策によって自国産の漫画が増え始め、海外作品の掲載を止める新聞も現れた<ref name=lim3/>{{sfn|Muliyadi|1997|p=45}}。1973年には漫画家・イラストレーター協会{{Efn2| PERPEKSI (Persatuan Pelukis Komik Kartun dan Ilustrasi)}}が設立され、実作者の地位を向上させた{{sfn|Lent|2015|loc=No.157-8/342}}。同年に漫画家が主体となってスアラサ社が設立され、マレー文化教育を主眼とする児童向けコミックブックを刊行して3万部のヒットを生み出した。同じく1973年にはマレーシアの{{仮リンク|国立美術館 (マレーシア)|en|National Art Gallery (Malaysia)|label=国立美術館}}がアジア各国の一コマ漫画作品の展示を初めて行った{{sfn|Lent|2015|loc=No.158/342}}。 |
|||
== 注釈 == |
|||
{{脚注ヘルプ}} |
|||
{{Reflist}} |
|||
1970年代には[[ラット (漫画家)|ラット]]、ナン、{{仮リンク|メオール・シャリマン|ms|Meor Shariman}}、{{仮リンク|ジャーファル・タイブ|ms|Jaafar Taib}}、{{仮リンク|ザイナル・ブアン・フッシン|ms|Zainal Buang Hussin}}のような新しい世代の漫画家が登場した{{sfn|Lent|2015|loc=No.156/342}}。ラットは1970年ごろからコマ漫画 {{仮リンク|クルアルガ・シ・ママット|ms|Keluarga Si Mamat|label=''Keluarga Si Mamat''}}{{翻訳|ママットの家族}}や一コマ漫画 {{仮リンク|シーンズ・オブ・マレーシアン・ライフ|en|Scenes of Malaysian Life|label=''Scenes of Malaysian Life''}}{{翻訳|マレーシアの生活風景}}を新聞に長期連載し{{sfn|Lent|2015|loc=No.156/342}}、一般によく知られる存在となった<ref name=lim3/>。時事スケッチに風刺性を込めた ''Scenes of Malaysian Life'' が人気を博したことで、一時期姿を消していた一コマ社説漫画が新聞各紙に再び掲載されるようになった{{sfn|Muliyadi|1997|pp=43, 50}}。ラットは新聞社専属からフリーに転身して自作のマーチャンダイジングを手掛け、マレーシア漫画界ではまれな経済的成功を収めた{{sfn|Lent|2015|loc=No.156/342}}。マレー伝統文化を追憶した著書『[[カンポンボーイ]]』は国際的にも広く読まれている{{sfn|リム|2010|pp=185-188}}。 |
|||
== 関連項目 == |
|||
{{Gallery |
|||
* [[漫画]] |
|||
|height=180 |
|||
* [[マレーシア]] |
|||
|file: Lat at ICAF 2007 (cropped).jpg |マレーシアの漫画家を代表する[[ラット (漫画家)|ラット]]{{sfn|Karna|2014|p=9}}。写真は2007年{{仮リンク|国際コミック・アーツ・フォーラム|en|International Comic Arts Forum}}において<ref>{{cite web|url=http://www.internationalcomicartsforum.org/conference.html|accessdate=2024-09-19|title=Past ICAF Programs & Guests|publisher= The International Comic Arts Forum}}</ref>。 |
|||
|file: AirAsia A320-200(9M-AFJ) (4428679445).jpg | ラットのキャラクターが描かれた[[エアアジア]]の旅客機 (2010)。 |
|||
}} |
|||
=== 全盛期: 1980年代 === |
|||
==== 『ギラギラ』とユーモア誌 ==== |
|||
この時期に特筆すべきなのは、1978年に漫画家のジャーファル・タイブやミシャールらが発刊した『{{仮リンク|ギラギラ (雑誌)|ms|Gila-Gila (majalah)|label=ギラギラ}}』である{{sfn|Lent|2015|loc=No.157-158/342}}。マレー語の「gila」は英語の「mad」に当たり{{sfn|Lent|2015|loc=No.157/342}}、米国『[[MAD (雑誌)|MAD]]』誌をひな形にしたユーモア雑誌だった。誌面は文学、民話、歴史、映画の[[パロディ]]漫画から構成されていた{{sfn|Lent|2015|loc=No.158-9/342}}。西洋文化を内から風刺する『MAD』は、マレーシア社会の西洋化が推し進められた1960年代後半から1970年代にかけて学生や英語教育を受けた層によく読まれていた{{sfn|Provencher|1990|p=7}}。マレー社会をマレー語で風刺することを意図した『ギラギラ』は読者に受け入れられ、発行部数20万部まで拡大して国内最大の雑誌となった{{sfn|Lent|2015|loc=No.158-9/342}}。 |
|||
『ギラギラ』の成功から間もなく、大手出版社による {{仮リンク|ゲリハティ|ms|Gelihati|label=''Gelihati''}}{{翻訳|クスクス笑い{{sfn|Muliyadi|2012|p=122}}}}などの競合誌が現れた{{sfn|Provencher|1990|p=7}}。2003年までに50誌以上が乱立し{{sfn|Lent|2015|loc=No.158-9/342}}、ユーモア誌の市場は飽和した{{sfn|Lent|2015|loc=No.159/342}}。各誌は宗教テーマの ''Lanun''、芸能界テーマの ''Mangga'' などジャンルを細分化することで生き残りを図った。最初の女性向け雑誌 ''Cabai'' は希少な女性漫画家{{仮リンク|チャバイ|ms|Cabai (kartunis)}}を看板作家としていた{{sfn|Lent|2015|loc=No.159/342}}。『ギラギラ』出身の漫画家{{仮リンク|イブラヒム・アノン|ms|Ibrahim Anon|label=ウジャン}}は80年代前半に ''Aku Budak Minang''{{翻訳|僕は[[ミナンカバウ人|ミナン]]の子ども}}や ''Atuk''{{翻訳|おじいちゃん}}をヒットさせてマレーシア漫画界を活性化させ、自身でもティーン向けユーモア誌 {{仮リンク|ウジャン|ms|Ujang (majalah)|label=''Ujang''}} (1993) などを創刊した{{sfn|Lent|2015|loc=No.159/342}}。言語ごとの市場が限られていたことから、マレー語ではなく英語で出版したり、{{仮リンク|サイレント漫画|en|Silent comics}}に特化する雑誌も現れた{{sfn|Lent|2015|loc=No.159/342}}。2022年時点でも ''Bekazon'' などの伝統的なユーモア誌は出版され続けている<ref name=asiawa/>。 |
|||
{{デフォルトソート:まれえしあのまんか}} |
|||
[[Category:各国の漫画]] |
|||
それまでマレーシアの漫画家はほかに本業を持つのがほとんどだったが、『ギラギラ』は専業漫画家が成り立つ水準にまで原稿料を引き上げた{{sfn|Rifas|1984|p=96}}{{Efn2|1984年時点で『ギラギラ』はページ当たり最大35[[リンギット]]の原稿料を支払っていた。これはマレーシアの平均収入と比べると米国の1000ドルに匹敵した。一方で新聞漫画の原稿料は、版権料が低い海外作品と競合していたため1作5リンギット程度であった{{sfn|Rifas|1984|p=96}}。}}。また若い漫画家を育成し、漫画家の相互交流や地位向上を促す役割も果たした{{sfn|Lent|2015|loc=No.158-9/342}}。1990年ごろにユーモア誌に寄稿していた漫画家は総数で専業50人、セミプロ100人ほどだったとみられている{{sfn|Provencher|1990|p=8}}。 |
|||
==== 海外からの影響 ==== |
|||
ユーモア誌以外には海外作品の人気が高かった{{sfn|Rifas|1984|p=101}}。[[アメリカン・コミックス|米国]]や旧宗主国である{{仮リンク|イギリスの漫画|en|British comics|label=英国}}の[[コミックブック]]は広く売られていた。また中国系やインド系の住民はそれぞれの母国で出版された作品を輸入していた{{sfn|Rifas|1984|p=98}}。古典的な[[連環画]]のほか、香港の『[[老夫子]]』や『{{仮リンク|中華英雄|zh|中華英雄}}』、台湾の『{{仮リンク|双响炮|zh|雙響炮}}』といった[[中国の漫画|中国漫画]]は中国系マレーシア人に親しまれていた{{sfn|顔|2015|pp=64-66}}。 |
|||
1981年に当時の[[マハティール・ビン・モハマド|マハティール]]首相が[[ルックイースト政策]]を提唱すると、マレーシアと日本との人的交流が拡大し、日本の文化コンテンツへの関心も高まっていった{{sfn|葉|2013|pp=86-88}}。1980年代後半からは、台湾と香港で中国語に翻訳された[[海賊版]]の[[日本の漫画|日本漫画]]が出回り始めた{{sfn|Lent|2015|loc=No.166/342}}。日本から直接影響を受けてきた台湾や香港と比べると10-20年遅れたが、日本の漫画は数年のうちにマレーシアに受容された{{sfn|Wong|2006|pp=34-35}}。『[[鉄腕アトム]]』、『[[キャンディ♡キャンディ]]』、『[[ドラえもん]]』のような日本の名作漫画はよく知られるようになり{{sfn|Wong|2006|pp=34-35}}、同時代の『[[AKIRA (漫画)|AKIRA]]』、『[[ドラゴンボール]]』なども入ってきた<ref name=nnaasia>{{cite web|url=https://www.nna.jp/news/1884363|accessdate=2024-11-05|title=【アジアで会う】第244回 スライウムさん、レッドコードさん 漫画家|website=NNA ASIA|date=2019-03-26}}</ref>。90年代になるとマレー語の海賊版も現れた{{sfn|Junid|Yamato|2019|p=67}}。海賊版は専門の出版社から公然と刊行されていたが、市場が小さいことで政府当局や海外の著作権者から黙認されていた。主な流通ルートは中国系の[[貸本屋]](または[[漫画喫茶]])だった{{sfn|Lent|2015|loc=No.166/342}}。 |
|||
海賊版の海外作品の人気は国内産業の発展にとっては妨げとなった{{sfn|Lent|2015|loc=No.166/342}}。1984年時点でマレー語コミックブック出版社は数社を数えるのみだった。月刊発行数は1万5千部程度でほとんどのタイトルが短命だった。ジャンルは歴史や冒険ものが多かった。米国のコミックを真似てマレーシア風味を加えた多様なジャンルの作品を出す出版社や、{{仮リンク|フォトコミック|en|Photo comics}}を専門とする出版社もあった{{sfn|Lent|2015|loc=No.161/342}}。 |
|||
中国語のコミックは1970年代に新聞社説漫画を描いた丁喜や、1980年代に漫画人出版社を結成した張瑞成、黄奱棋、森林木らが嚆矢とされる{{sfn|Chan|2018|p=223}}{{sfn|スラヤ|2019|p=63}}。1990年代後半には『{{仮リンク|哥妹俩|zh|哥妹俩}}{{Efn2|{{lang-en-short|''Kokko & May''}}}}』のような子供向け作品が人気を集めたが{{sfn|Tan|2015|pp=20-21}}、日本漫画の影響力が強くなると中国語コミックは勢いを失った{{sfn|Chan|2018|p=223}}。 |
|||
1980年代には一般紙ニュー・ストレーツ・タイムズに国内外のコミックを紹介するコラムが連載され、コミックの社会的認知が高まった。1984年にはマレーシア初のコミック・コンベンションが開催された{{sfn|Lent|2015|loc=No.161/342}}。このときマレーシア人のファンによって米国[[マーベル・コミックス]]風の同人誌 ''APAzine'' が出版された{{Efn2|APA={{仮リンク|アマチュア・プレス・アソシエーション|en|Amateur press association}}。}}{{sfn|Lent|2015|loc=No.161/342}}<ref>{{cite news|title=A slice of Malaysian comics history|newspaper=The Star Malaysia|date=2019-03-26|accessdate=2024-09-16|url=https://www.pressreader.com/malaysia/the-star-malaysia-star2/20190326/281487867696199?srsltid=AfmBOoqpmqsfrvp4WchpKTF6y6bBQ8m7sczfF0Clhzk_SsjtCPXgHYPK}}</ref>。その後はクアラルンプール近辺に米国コミックの専門店が開かれた{{sfn|Lent|2015|loc=No.161/342}}。高価な米国コミックの人気は1990年代にピークを越した<ref>{{cite web|url=https://cilisos.my/8-comics-that-will-bring-you-back-to-your-malaysian-childhood/|accessdate=2024-10-06|title=8 comics that will bring you back to your Malaysian childhood|publisher=Cilisos Media|date=2016-03-25}}</ref>。 |
|||
=== 多元化: 1990年代以降 === |
|||
20世紀末の[[アジア通貨危機]]以降には地域の漫画文化に[[グローバリゼーション]]の波が及んだ{{sfn|リム|2010|p=188}}。[[インターネット]]の普及はマレーシアに日本の[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]や漫画が浸透するにあたって決定的な役割を果たした{{sfn |Yamato| Eric Krauss | Tamam | Hassan |Nizam Osman|2011|p=215}}。[[ブロードバンドインターネット接続|ブロードバンド]]と[[ファイル共有ソフト]]は子どものころから日本のポップカルチャーに触れていた若者の消費に拍車をかけた{{sfn |Yamato| Eric Krauss | Tamam | Hassan |Nizam Osman|2011|pp=204-205, 207, 213}}。また日本の漫画出版社は1990年代ごろから国外での版権ビジネスを整備し始め、東南アジア一帯に正規版の日本漫画が流通するようになった{{sfn|Wong|2006|p=29}}。これ以降の漫画家は日本をはじめとする海外の作品から強く影響されており、伝統文化や歴史よりもSFやファンタジーのようなジャンルに関心が高い{{sfn|リム|2010|pp=188-190}}。1990年代前半以前の国内作品はほとんど復刻されず{{sfn|Kamal|Haw|Bakhir|2017|p=295}}、ラットやルジャブハッド、ジャーファル・タイブらが発展させた伝統的な作風は継承されていない{{sfn|Kamal|Haw|Bakhir|2017|p=295}}{{sfn|リム|2010|p=185}}。 |
|||
このころ国内コミック出版もビジネスとして成熟し始め{{sfn|Lent|2015|loc=No.161/342}}、2000年代には漫画とアニメーション、芸能、ゲーム、広告、グッズ販売の連携が進んだ{{sfn|Lent|2015|loc=No.163/342}}。1998年設立の新興出版社{{仮リンク|ゲンパック・スターズ|en|Gempak Starz|label=アート・スクウェア・グループ}}は、月2回刊誌『{{仮リンク|ゲンパック|ms|Gempak}}{{翻訳|すごい、かっこいい{{sfn|スラヤ|2019|p=39}}}}』など、漫画とアニメやゲーム([[ACG (サブカルチャー)|ACG]])の情報を組み合わせた雑誌をヒットさせて頭角を現した<ref name=lim3/>{{sfn|Lent|2015|loc=No.162/342}}。同社は雑誌連載作品を単行本化する出版モデルを取り入れ、海外漫画の正規ライセンス版のほか地元作品を数多く出版してマレーシア人作家に活躍の場を作り出した{{sfn|Lent|2015|loc=No.162/342}}。また[[韓国の漫画|韓国]]の[[学習漫画]]を出版して学校関係者や親世代にアピールしたり、デジタル展開や新人賞の設立によって漫画の普及を推し進めた{{sfn|Lent|2015|loc=No.163/342}}。 |
|||
多くのアート・スクウェア作品は、フラットな[[アニメ絵|アニメ塗り]]の絵柄、キャラクター設定、プロットなどに日本からの影響が明らかだった{{sfn|Lent|2015|loc=No.162, 166/342}}。代表的な作家には、高校生活を描いた4コマギャグ{{sfn|鵜沢|2015|p=7}}『{{仮リンク|ラワック・キャンパス|ms|Lawak Kampus}}{{Efn2|{{lang-zh-short|『秀逗高校』}}、{{lang-en-short|''[[KUSO文化|Kuso]] High School''}}}}』を描いたキース([[張家輝 (漫画家)|張家輝]])や{{sfn|Lent|2015|loc=No.162/342}}、マレーシア[[少女漫画]]のパイオニアで{{sfn|Chan|2018|p=205}}『{{仮リンク|メイド・メイデン|ms|Maid Maiden}}』など日本の流行を取り入れた作品で知られる{{仮リンク|カオル (漫画家)|ms|Kaoru (pelukis komik)|label=カオル}}{{sfn|顔|2011|p=1}}{{sfn|Lent|2015|loc=No.170/342}}、''2 Dudes'' の{{仮リンク|ジント|ms|Zint}}がいる{{sfn|スラヤ|2019|p=39}}。[[香港の漫画|香港のカンフー漫画]]や米国のスーパーヒーロー・コミックに影響を受けた作家も多く{{sfn|Karna|2014|p=8}}、[[DCコミックス]]にスカウトされた{{仮リンク|陳永発|en|Tan Eng Huat}}などがいる<ref name=lim3/>。 |
|||
2001年に発刊された『{{仮リンク|アーバン・コミックス|ms|Urban Comics}}』は自己出版コミックの先駆けである{{sfn|Lent|2015|loc=No.163-164/342}}。同誌の出版者ムハマド・アザール・アブドゥラは2007年に国の助成を受け、アマチュアを含めた漫画家の相互交流と漫画文化の振興を目的とした団体{{仮リンク|PeKomik|ms|PeKOMIK}}{{Efn2|Persatuan Penggiat Komik Malaysia{{翻訳|マレーシア漫画家協会}}}}を結成した{{sfn|Lent|2015|loc=No.164-165/342}}。PeKomikは2012年に他の団体と共同でゲームと漫画の大規模なコンベンションMGCCon{{Efn2|Malaysian Games and Comic Convention}}を開催し、コミックファンダムの存在をマレーシア社会に周知させた{{sfn|Lent|2015|loc=No.165/342}}。 |
|||
=== 現代 === |
|||
[[ファイル: Comic Fiesta 2015.jpg|サムネイル|250ピクセル|4万5千人の来場者を集めた2015年Comic Fiesta<ref>{{cite web|url=https://comicfiesta.org/history|accessdate=2024-09-16|title=History|publisher= COMIC FIESTA}}</ref>。]] |
|||
2000年代以降にはコミックブックに代わる新しい出版形式として漫画の書籍が台頭し{{sfn|Lent|2015|loc=No.165/342}}、一般書店で漫画が入手できるようになった{{sfn|Tan|2015|p=1}}。2022年には漫画が書店でもっとも人気の高いジャンルにまで成長した。主要な出版社はカドカワ・ゲンパック・スターツと{{仮リンク|Komik-M|ms|Komik-M}}で、自国産と日本の作品が若い世代の人気を集めている<ref name=asiawa>{{cite web|url=https://asiawa.jpf.go.jp/culture/features/f-yomu2-malaysia-1/|accessdate=2024-09-15|title=マレーシアの書籍業界をめぐるショートツアー―ハスリ・ハサン|publisher=国際交流基金アジアセンター|date=2022-03-02}}</ref>。カドカワ・ゲンパック・スターツはアート・スクウェアが日本の[[カドカワ]]の出資を得て2015年に社名変更した会社で、漫画出版のほかアニメーション、ゲーム、小説などのマルチメディア・コンテンツ事業を展開している<ref>{{cite web|url=https://connection.com.my/companydetail/id=649|accessdate=2024-09-15|title=KADOKAWA GEMPAK STARZ SDN BHD|website=マレーシア ビジネス情報 CONNECTION}}</ref>。カドカワはこの資本提携により、マレーシアを拠点にASEANや中東諸国への進出を図っている<ref>{{cite web|url=https://newspicks.com/news/1302778/body/|accessdate=2024-09-19|title=KADOKAWA、マレーシアを拠点にASEAN・中東市場に攻勢|date=2015-12-06|website=News Picks}}</ref>。もう一方のKomik-M(Mはマレーシアを表す)はマレー系資本である。作品は[[シャリーア|イスラム法]]に準拠しており、マレー文化教育の側面を持つ[[幼年漫画]]を主力として親や学校を対象にしたマーケティングを行っている{{sfn|スラヤ|2019|pp=43, 91-92}}。Komik-Mの人気作家には ''Misi'' シリーズで知られるナズリ・サラムとアフィク・サラムの兄弟がいる{{sfn|スラヤ|2019|pp=44, 92}}。 |
|||
2014年の調査によると、好んで漫画を読むマレーシア人は25.3%にのぼり、雑誌・新聞・一般書籍に次ぐ<ref>{{cite web|url=https://themalaysianreserve.com/2023/08/08/malaysian-reading-habits-encouraging-but-more-must-be-done/|accessdate=2024-11-07|title=Malaysian reading habits encouraging, but more must be done|date=2023-08-08|website=The Malaysian Reserve}}</ref>。2013年の大学生を対象にした調査ではこの数字は34.5%となり、少しでも漫画を読む割合は80%を超える。この割合はマレー系と中国系の間ではあまり差はない{{sfn|Schaar|Lapasau|Fang|2013|p=130}}。 |
|||
2010年代以降には[[ウェブトゥーン]]のようなデジタル配信手段が登場したことで新世代の漫画家が数多く活動するようになった<ref>{{cite web|url=https://www.silvermouse.com.my/blog/popular-comic-artists-in-malaysia/|accessdate=2024-09-15|title=18 popular comic artists in Malaysia|website= Silver Mouse|date=2019-06-19}}</ref>。若者文化を描く[[ウェブコミック|ブログ漫画]]で登場した黑色水母はマレーシア中国語漫画家のニューウェーブと見なされた{{sfn|Tan|2015|pp=26-27}}。Twitter(現[[X (ソーシャル・ネットワーキング・サービス)|X]])や[[Facebook]]のような[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]]で発表された作品が書籍化される事例もある{{sfn|Tan|2015|p=38}}<ref>{{cite web|url=https://www.rage.com.my/comic-commentary/|accessdate=2024-09-16|title=Malaysian webcomic commentary|website= R.AGE|date=2017-02-07}}</ref>。[https://www.matkomik.com/ Matkomik]はもっとも歴史が古いオンラインコミックのプラットフォームの一つで、商業出版に向けた新人発掘の場としても機能している{{sfn|スラヤ|2019|pp=145-146}}。 |
|||
マレーシアでは多くのアジア国家と同じく伝統的に女性漫画家が少なく、一説によると2010年代までにある程度の成功を収めたのはノラ・アブドゥラ、チャバイ、カオルなど7人を数えるのみだった{{sfn|Lent|2015|loc=No.169/342}}。日本漫画に影響を受けた第一世代でもある人気作家カオルは女性が漫画界に参入する道筋をつけた{{sfn|Chan|2018|pp=209-210}}。国際的に権威ある[[アイズナー賞]]を最初に受賞したマレーシア人作家は女性の{{仮リンク|エリカ・エン|fr|Erica Eng}}である<ref>{{cite web|url=https://www.scmp.com/news/asia/southeast-asia/article/3094991/malaysias-erica-eng-wins-prestigious-eisner-award-fried?module=perpetual_scroll_0&pgtype=article |
|||
|accessdate=2024-09-17|title=Malaysia’s Erica Eng wins prestigious Eisner Award with Fried Rice webcomic|website=South China Morning Post|date=2020-07-28}}</ref>。 |
|||
近年にはマレーシアで漫画の教育利用が論じられ始めた{{sfn|Chan|2018|p=224}}。読解力向上、[[道徳教育]]{{sfn|Chan|2018|p=224}}、外国語学習における有用性に注目した研究がある{{sfn|Abd Razak|Ibnu|2022|p=39}}。マレーシア教育省は2010年から正規の英語教育に「[[シャーロック・ホームズシリーズ|シャーロック・ホームズ]]」や『[[地底旅行]]』のような古典文学の漫画版を取り入れている{{sfn|Rajendra|2015|p=12}}。 |
|||
== イベント == |
|||
2023年時点の主要な[[ACG (サブカルチャー)|ACG]]イベントには {{仮リンク|コミック・フィエスタ|en|Comic Fiesta|label=Comic Fiesta}}(6万9千人参加、12月開催)、NIJIGEN EXPO(6万人参加、年2-3回開催)、{{仮リンク|AniManGaki|en|AniManGaki}}(3.5万人参加、8月開催)がある<ref name=jetro/>。2002年に始まった Comic Fiesta は東南アジアで最大規模かつもっとも歴史の長いイベントで<ref name=jetro>{{cite web|title=マレーシアにおけるコンテンツ市場(主にアニメ関連の市場)(マレーシア・クアラルンプール発)|publisher=JETRO|url=https://www.jetro.go.jp/biz/trendreports/2023/8e0ef4aa4252dadf.html|accessdate=2024-11-02|author=ジェトロ・クアラルンプール事務所|date=2023-12-28}}</ref>、企業や教育機関のほか同人作家や[[コスプレイヤー]]がブースを出展し、海外からもゲストが招かれる<ref>{{cite web|url=https://macc.bunka.go.jp/2373/|accessdate=2024-09-16|title=東南アジア最大のアニメ・マンガ・ゲームのイベント クアラルンプール「コミック・フィエスタ(Comic Fiesta)」レポート|author=渡部宏樹|website= Media Arts Current Contents|date=2023-08-04}}</ref>。 |
|||
{{Gallery |
|||
|title=コスプレイヤーの例 |
|||
|height=180 |
|||
|file: Cosplay of Nobita Nobi at Comic Fiesta 2023.jpg|[[野比のび太]](Comic Fiesta 2023)。 |
|||
|file: Cosplay of Homer Simpson at Comic Fiesta 2022.jpg | [[ホーマー・シンプソン]] (Comic Fiesta 2022)。 |
|||
|file: Cosplayers of Umaru Doma from Himouto! Umaru-chan 20151219.jpg | [[干物妹!うまるちゃん|土間埋]] (Comic Fiesta 2015)。 |
|||
|file: ACMY2014 cosplayer of Sakura Kinomoto, Cardcaptor Sakura 20140330b.jpg | [[カードキャプターさくらの登場人物#主要人物|木之本桜]] (Animax Carnival Malaysia 2014)。 |
|||
}} |
|||
== 作品規制 == |
|||
マレーシアの出版物は「{{仮リンク|1984年印刷報道および出版法|en|Printing Presses and Publications Act 1984|label=印刷報道および出版法}}に基づく出版ガイドライン (1984)」{{Efn2|Garis Panduan Penerbitan di bawah Akta Mesin Cetak dan Penerbitan 1984}}で定められた規制事項に従わなければ内務省から出版許可を取り下げられる{{sfn|Chow|Omar|Rahman|2021|p=2}}。マレーシア政府は人種間の宥和を方針に掲げており{{sfn|Muliyadi|1997|p=46}}、特定の民族への加害や不利益となる表現は規制の対象となる{{sfn|Nasir|2021|p=63}}。社会秩序への脅威となる表現や、国の政策への批判も許されない{{sfn|Chow|Omar|Rahman|2021|p=6}}。1983年に『ギラギラ』でデビューした漫画家{{仮リンク|ズルキフリー・アンワル・ウルハケ|en|Zulkiflee Anwar Haque|label=ズナール}}は辛辣な社会風刺で知られており、2010年ごろに当局から単行本を発禁にされたり、安全保障法に基づいて身柄を拘束されたことがある{{sfn|Lent|2015|loc=No.168/342}}。 |
|||
マレーシア社会は性表現に対して保守的であり{{sfn|Chow|Omar|Rahman|2021|p=11}}、ガイドラインは裸の人体(一部を黒塗りやモザイクで隠した場合も含む)や、煽情的なポーズ、体の線が露わになる服装やTバック下着、男女間のキスや性交を絵にすることを禁じている{{sfn|Chow|Omar|Rahman|2021|p=2}}。日本漫画の翻訳出版では、オリジナル版で下着や全裸だった部分が描き変えられることが多い{{sfn|Chow|Omar|Rahman|2021|pp=10-12}}。[[姦通|不倫]]や[[同性愛]]を描くこともできない{{sfn|Chow|Omar|Rahman|2021|p=6}}。そのため、男性間の恋愛を題材とする[[ボーイズラブ]]・ジャンルの様式が、男性とボーイッシュな女性との間の恋愛に仮託されて語られる作品もある{{sfn|顔|2015|pp=73-74}}。 |
|||
コミックは主に児童向けのメディアと考えられているため、出版社は政府のガイドラインを超えた部分についても[[自己検閲|自主規制]]を行っている{{sfn|Chow|Omar|Rahman|2021|p=18}}。日本漫画にならったセクシーな服装などは国教の[[イスラム教]]の価値観に反するとして読者から反発を受けることがあり、出版社によっては自己検閲の対象としている{{sfn|Junid|Yamato|2019|pp=69, 79}}。イスラム教が禁じているタバコや酒の描写も{{sfn|Chow|Omar|Rahman|2021|p=18}}、ガイドラインで禁じられていないにもかかわらず自主規制されることがある{{sfn|Chow|Omar|Rahman|2021|pp=9, 12}}。 |
|||
2010年代以降には、これらの規制によって創作の自由が制限されることを嫌って商業出版よりも自己出版を選ぶ作家もいる{{sfn|Junid|Yamato|2019|pp=78-79}}。アマチュア作家が自作を[[コミコン|ファン・コンベンション]]で販売する場合は、イベントごとのガイドライン以外に法的な規制が課せられることはない{{sfn|Junid|Yamato|2019|p=70}}。マレーシア最大のコミックコンベンションである Comic Fiesta には毎回100人単位の同人作家が参加している{{sfn|Junid|Yamato|2019|p=69}}。 |
|||
== 作品の特徴 == |
|||
[[ファイル: Malaysia Theme Pavilion, Taiwan Comic Festival 20191027c.jpg|サムネイル|230ピクセル|第3回台湾漫画フェスティバル(2019年10月、台北)におけるマレーシア館の展示。マレーシア漫画史が解説されている。]] |
|||
=== 初期の社説漫画 === |
|||
1930年代のマレー語漫画は読者のリテラシーを問わないストレートな内容で、マレー人のアイデンティティ形成や政治的・経済的地位向上を訴えるための社会批判やプロパガンダとしての性格があった{{sfn|Rosman|Abdullah|2018|pp=22-23}}。形式上は伝統文学から影響を受けており{{sfn|Rosman|Abdullah|2018|p=23}}、韻文の{{仮リンク|パントゥン|en|Pantun}}やことわざを取り入れた長いキャプションが特徴的だった{{sfn|Lent|2015|loc=No.154/342}}。古典的な[[笑話]]や{{仮リンク|動物寓話|en|Animal tale}}の要素が風刺ユーモアに利用されていた{{sfn|Rosman|Abdullah|2018|p=23}}。ウトゥサン・ザマン紙の ''Wak Ketok'' は[[影絵]]芝居の[[ワヤン・クリ]]と比較されることがある{{sfn|Lent|2015|loc=No.154/342}}。 |
|||
=== マレー語漫画 === |
|||
マレー語漫画の登場人物は戯画化された表情やポーズによる視覚的ギャグが特徴で、主人公の恋の相手となるキャラクターだけは無表情な美女として描かれた{{sfn|スラヤ|2019|pp=52-53}}。各キャラクターがどの民族集団に属するかは読者にとって重要であるため、コード化された外見的特徴によって明確に表現された{{sfn|Nasir|2021|p=64}}。[[ラット (漫画家)|ラット]]作品ではマレー系の低い鼻・中国系の小さい目・インド系の[[ビンディー]]などによって描き分けがされていた。[[ヒジャブ]]や[[サリー (民族衣装)|サリー]]のような衣装も民族性の記号となった{{sfn|スラヤ|2019|p=52}}。舞台設定にも地域性が反映されることが多く{{sfn|Nasir|2021|p=64}}、{{仮リンク|カンポン|en|Kampong}}([[村落]])は伝統的価値観の源泉としてシンボリックな役割を負った{{sfn|スラヤ|2019|p=78}}。 |
|||
内容的には「loose{{翻訳|ゆるい}}」と呼ばれる短い気軽なユーモア作品が主体だった{{sfn|スラヤ|2019|p=54}}。マレーの文化ではユーモアが重要な地位を占めており、伝統演劇や文芸から笑いが取り入れられていた{{sfn|Lent|2015|loc=No.160/342}}。中には作品にシリアスなテーマを込める作家もおり、ラットやウジャンに代表される伝統文化へのノスタルジアは一般的なテーマだった{{sfn|スラヤ|2019|pp=54-56}}。 |
|||
==== ユーモア誌 ==== |
|||
『ギラギラ』(1978) に端を発するユーモア誌は [[紙の寸法#A列|A4]]サイズ70~80ページの出版物で{{sfn|Lent|2015|loc=No.160/342}}{{sfn|Chan|2023|p=3/12}}、性別や民族による違い、職場、マレー文化、歴史などをテーマにしたセクションから構成され、多くの漫画家が1ページずつ描いていた{{sfn|Lent|2015|loc=No.160/342}}。読者は男女を問わず{{sfn|Lent|2015|loc=No.160/342}}、社会階層のすべてにわたって愛読者がいた。政府高官や王族、企業家や大学教員の間でもよく読まれていた{{sfn|Provencher|1990|pp=8, 22}}。言語は公用語のマレー語がほとんどで、描き手もマレー人が多かった{{sfn|Lent|2015|loc=No.161/342}}。 |
|||
ユーモア誌が持つ批判精神は一般のマレー社会にあまり見られないものだった{{sfn|Lent|2015|loc=No.161/342}}。『ギラギラ』が登場する1970年代以前には漫画で自由な社会批判は行われておらず、政府高官の描写や、センシティブな題材([[ブミプトラ政策|マレー人の法的優位]]など)は避けられていた{{sfn|Lent|2015|loc=No.168/342}}。ユーモア誌はマレーシアの出版物としては例外的に検閲を免れており、直接的に社会風刺を行った。1987年10月には政府による言論人の弾圧({{仮リンク|オペラシ・ララン|en|Operation Lalang}}{{sfn|塩崎|2007|p=113}})が起きてメディア統制が強まったが、その後もユーモア誌では表現こそ慎重になったものの風刺が行われ続け、政府からもときおりの警告以上の検閲は受けなかった{{sfn|Provencher|1990|p=22}}。そのように風刺漫画で表現の自由が認められていた理由としては、 |
|||
* マレー人が政治的に優位な地位を占めていたから |
|||
* 漫画が権威への不満を解放する役割をマレー伝統芸能から受け継いだから |
|||
* 漫画は幼稚なメディアだと考えられていたため、政府から政治的脅威と見なされなかった |
|||
のような説がある{{sfn|Lent|2015|loc=No.168-169/342}}。 |
|||
=== 中国語漫画 === |
|||
中国語の漫画出版は1970年代に始まり、1980年代に最盛期を迎えた{{sfn|Chan|2018|p=223}}。判型が小さいカラー印刷のコミックブックが出版されていた{{sfn|Tan|2015|p=21}}。形式は[[4コマ漫画|4コマ]]やショート[[ギャグ漫画|ギャグ]]が主体だった{{sfn|Tan|2015|p=31}}。中華文化圏の一般的な作品と異なり、伝統家屋や遊び、食品のようなマレーシア文化の要素が取り入れられることが多い{{sfn|Tan|2015|p=21}}。またマレー語・中国語といった複数の言語が混じるマレーシア特有の言語文化も反映されている{{sfn|Tan|2015|p=30}}。絵柄の面では際立った特徴はないという評価もある{{sfn|Tan|2019|p=41}}。 |
|||
1990年代に日本漫画の影響力が強くなると中国語漫画の勢いは衰えた{{sfn|Chan|2018|p=223}}。その後現在に至るまで、主流のジャンルは中国語教育を受ける小学生を対象にした教育的な内容の[[児童漫画]]である{{sfn|Tan|2015|p=21}}。ゲンパック社の学習漫画シリーズ「どっちが強い!?{{Efn2|{{lang-ms|Siri X-Venture: Dunia haiwan}}、{{lang-zh-short|「探险特工队: 万兽之王系列」}}、{{lang-en-short|X-Venture: Primal Power}}<ref>{{cite web|url=https://www.shop.gempakstarz.com/learnmore/x-venture-primal-power|accessdate=2024-11-01|title=X-VENTURE: Primal Power|publisher= Gempak Starz}}</ref>}}」は日本で翻訳出版されて累計190万部を超えるヒットとなった<ref>{{cite web|url=https://realsound.jp/book/2020/03/post-517834.html|accessdate=2024-09-15|title=マレーシア発の学習マンガ『どっちが強い!?』が大ウケした理由 2月期月間ベストセラー時評|website=Real Sound|date=2020-03-06}}</ref><ref>{{cite web|url=https://natalie.mu/comic/pp/inboundcomic|accessdate=2024-09-16|title=インバウンドコミック編集部・奥村勝彦編集長インタビュー|website=コミックナタリー |date=2020-09-30}}</ref>。 |
|||
=== マレーシア・マンガ === |
|||
「マンガ (manga)」という語は日本の漫画や、その影響を受けたスタイルの現地作品を指して使われている{{sfn|Chan|2023|p=1/12}}。主要な漫画出版社であるゲンパックとKomik-Mはマンガの作風が主体になっている。商業出版以外にもネットやイベントで発表される同人作品があり、[[二次創作]]も行われている{{sfn|スラヤ|2019|p=14}}。 |
|||
マレーシア・マンガの女性キャラクターは大きな目、小さな鼻と口のような日本漫画の画風で描かれ、民族性は主に衣装で表現される{{sfn|スラヤ|2019|p=86}}。[[効果線]]や[[漫符]]、感情を表す背景効果なども日本漫画から取り入れられている{{sfn|スラヤ|2019|p=89}}。作画はカラーが主流である{{sfn|スラヤ|2019|p=88}}。すっきりした描線はマンガ世代に特徴的だが、近年はほとんど[[CLIP STUDIO PAINT|CLIP STUDIO]]のようなデジタル制作ソフトを用いて描かれている{{sfn|スラヤ|2019|p=87}}。ジャンルはファンタジー要素を加えた日常ものが多い{{sfn|スラヤ|2019|p=31}}。 |
|||
==== マンガと文化的アイデンティティ ==== |
|||
マンガの人気はマレーシア漫画全体の市場を広げた一方で、作家やファンの間で文化的アイデンティティを巡る論争を引き起こすことになった{{sfn|スラヤ|2019|pp=7-8}}。グローバル社会におけるローカル・アイデンティティの構築は、マレー語漫画が登場した1930年代から21世紀に至るまで漫画家にとって重要な問題であり続けてきた{{sfn|Muliyadi|2012|pp=120, 123}}。[[フィリピンの漫画|フィリピン]]やインドネシアのような近隣諸国と同様に、マレーシアでもマンガが「国産漫画の豊かな文化を堕落させる」という見方が存在する{{sfn|スラヤ|2019|pp=13-14}}。 |
|||
[[岩渕功一]]は1998年に、日本の漫画や[[アニメ]]には特定の国や人種に限定されるような文脈が排除されており「文化的に無臭」だと主張した{{sfn|Junid|Yamato|2019|p=68}}。顔暁暉は2011年にこれを受けて、マレーシアのマンガ作家は{{行内引用|従来の地理的・国家的制約によってアイデンティティが縛り付けられて}}おらず{{sfn|顔|2011|p=1}}、日本のスタイルを流用して民族間の緊張関係が希薄な想像上のマレーシアを描く傾向があると書いた{{sfn|顔|2011|pp=3-4}}。顔はその代表としてマレー語誌で活躍する中国系作家のカオルを挙げ、マンガが{{行内引用|{{interp|民族間の}} 中立的なコミュニケーションと融合のプラットフォーム}}として機能する可能性を指摘した{{sfn|Chan|2018|p=211}}。 |
|||
レイチェル・チャンは2018年に、日本漫画の表現技法によってマレーシアの社会的現実を描く「第二波」マンガが登場したと書いた{{sfn|Chan|2018|pp=208-209}}。チャンはマレーシア・マンガの独自性の一つとしてキャラクターの民族性が明確にされることを挙げている{{sfn|Chan|2023|p=8/12}}。イマン・ジュニッドと大和えり子も、{{仮リンク|トランスナショナリズム|en|Transnationalism|label=トランスナショナル}}な文化に触れてきた世代のマレーシア漫画家が国家的・民族的・宗教的なアイデンティティの描写を深めていると報告している{{sfn|Junid|Yamato|2019|p=82}}。 |
|||
出版社ごとの性格の違いもあり、マレー系を対象読者としているKomik-Mがイスラム性やローカルな要素を強く出しているのに対し、ゲンパックは国外での作品展開を視野に入れて民族性の描写を抑えている{{sfn|スラヤ|2019|loc=要旨, pp. 13-14}}。 |
|||
== アーカイブ == |
|||
[[ファイル: Malaysia Cartoon & Comic House (220812).jpg|サムネイル|230ピクセル|マレーシア・カートゥーン&コミック・ハウス。]] |
|||
マレーシアでは漫画は学術的に注目されておらず、研究所や図書館でも系統的な資料収集は行われていない{{sfn|Karna|2014|p=12}}。初期のマレー語コミックブックについては、1952年から1966年までの間に出版された270誌のコレクションが[[大英図書館]]に所蔵されている。植民地時代に公的な[[納本制度]]を通じて収集されたもので{{sfn|Gallop|2022|p=45}}、[[マレーシア国立図書館]]にもマイクロフィルム版が譲渡されている{{sfn|Gallop|2022|p=68}}。それらの研究はあまり進んでいない{{sfn|Gallop|2022|pp=44-45}}。 |
|||
2017年に[[クアラルンプール]]でPeKomikが設立したマレーシア・カートゥーン&コミック・ハウスは、開館時点で1930年代から1990年代までの作品5000点以上を所蔵している<ref>{{cite web|url=https://www.nst.com.my/news/nation/2018/01/322310/new-exhibition-charts-birth-and-rise-malaysian-cartoons|accessdate=2024-11-05|title=New exhibition charts birth and rise of Malaysian cartoons|date=2018-01-06|website=New Straits Times}}</ref><ref>{{cite news|url=https://www.pressreader.com/malaysia/the-star-malaysia-star2/20170402/281646779982899|newspaper=The Star Malaysia|title=Larger than life|accessdate=2024-11-05|date=2017-04-02}}</ref>。 |
|||
{{clear}} |
|||
== 脚注 == |
|||
=== 注釈 === |
|||
{{Notelist2}} |
|||
=== 出典 === |
|||
{{Reflist|20em}} |
|||
== 参考文献 == |
|||
* {{Cite journal|title= The Influence of Manga and Anime on New Media Students' Creative Development |first=Anwar Rizziq|last=Abd Razak|first2=Ireena Nasiha|last2=Ibnu|journal=EDUCATUM Journal of Social Sciences|doi=10.37134/ejoss.vol8.sp.4.2022 |volume=8|year=2022|pages=37-45|ref={{sfnref|Abd Razak|Ibnu|2022}} }} |
|||
* {{Cite journal|title= Breaking Windows: Malaysian Manga as Dramaturgy of Everyday-Defined Realities |first=Rachel Suet Kay|last=Chan|journal=JATI-Journal of Southeast Asian Studies |doi=10.22452/jati.vol23no2.10|volume=23|issue=2|year=2018|pages=205-229|ref={{sfnref|Chan|2018}} }} |
|||
* {{Cite journal|title= Towards Manga as Cultural Potpourri: Dramaturgy of Ethnicity and Diversity in Selected Malaysian Manga |first=Rachel Suet Kay|last=Chan|journal=Journal of Ethnic and Diversity Studies|url=https://joeds.com.my/index.php/home/article/view/7|accessdate=2024-10-20 |volume=1|issue=1|year=2023|ref={{sfnref|Chan|2023}} }} |
|||
* {{cite journal|last=Chow|first=Yean Fun|last2=Omar|first2=Hasuria Che|last3=Rahman|first3=Wan Rose Eliza Abdul|year=2021|title=''Manga'' Translation and Censorship Issues in Malaysisa|journal=KEMANUSIAAN the Asian Journal of Humanities|volume=28|issue=1|pages=1-21|doi=10.21315/kajh2021.28.1.1|ref={{sfnref|Chow|Omar|Rahman|2021}} }} |
|||
* {{cite journal|title=Malay Comic Books from the 1950s and 1960s in the British Library|url= https://www.academia.edu/105520345/ |accessdate=2024-09-16|last=Gallop|first=Annabel Teh|journal=Southeast Asia Library Group Newsletter |issue=54|pages=44-70|doi=10.2991/bcm-17.2018.57|year=2022|ref={{sfnref|Gallop|2022}}}} |
|||
* {{cite journal|title= Manga Influences and Local Narratives: Ambiguous Identification in Comics Production|first= Iman |last=Junid |first2=Eriko |last2=Yamato |year=2019|journal= Creative Industries Journal|volume=12|issue=1|pages= 66-85|doi=10.1080/17510694.2018.1542941|ref={{sfnref|Junid|Yamato|2019}} }} |
|||
* {{cite book|title=Proceedings of the 4th Bandung Creative Movement International Conference on Creative Industries 2017 (4th BCM 2017) |last1=Kamal|first1=Julina Ismail|last2=Haw|first2=Kam Chin|last3=Bakhir|first3=Norfarizah Mohd|chapter=Sustaining Malay Comic Design: Transformation from Paper to Digital |journal=Advance in Economics, Business and Management Research|volume=41|pages=295–298|doi=10.2991/bcm-17.2018.57|year=2017|isbn=978-94-6252-478-1 |ref={{sfnref|Kamal|Haw|Bakhir|2017}}}} |
|||
* {{Cite thesis|title= Reading the Visual of Malaysian Comics: A Study on Comics as an Artform| degree= Doctor of Philosophy|publisher=Universiti Teknologi MARA| first=Mustaqim|last=Karna|year=2014|url=https://www.academia.edu/76559866/READING_THE_VISUAL_OF_MALAYSIAN_COMICS_AN_ARTISTIC_RESEARCH_ON_COMICS_AS_AN_ARTFORM <!-- 表紙・目次のurlは以下。 https://www.academia.edu/76559867/READING_THE_VISUAL_OF_MALAYSIAN_COMICS_Cover_TOC --> |accessdate=2024-10-03 |ref={{sfnref|Karna|2014}}}} |
|||
* {{cite book|title=Asian Comics|edition=English, Kindle|last=Lent|first=John A.|asin=B00QTYUIWG|publisher=University Press of Mississippi|year=2015|chapter=Malaysia|pages=153-174|ref={{sfnref|Lent|2015}}}} |
|||
* {{cite journal|last= Mohd Noor Merican |first= Ahmad Murad |title= ''Warta Jenaka'' and Wak Ketok: visualising the other in early Malay editorial cartoons |url= http://irep.iium.edu.my/111390/ |accessdate=2024-10-03 |journal= Jurnal Pengajian Media Malaysia |volume=22|issue=2|year=2020|pages=31-48|ref={{sfnref| Mohd Noor Merican |2020}}}} |
|||
* {{cite journal|first=Mahamood|last=Muliyadi|title=The Development of Malay Editorial Cartoons|journal=Southeast Asian Journal of Social Science|volume=25|issue=1, Special Focus: Cartooning and Comic Art in Southeast Asia|year=1997|pages=37-58 |doi=10.1163/030382497X00031 |jstor=24492449|ref={{sfnref|Muliyadi|1997}}}} |
|||
* {{cite journal|first=Mahamood|last=Muliyadi|title=The Role of Cartoon in the Formation of Asian Community: Art History Analysis|journal=Historia Jurnal Pendidik dan Peneliti Sejarah|volume=13|issue=1|year=2012|pages=119-130|doi=10.17509/historia.v13i1.7703|ref={{sfnref|Muliyadi|2012}}}} |
|||
* {{Cite journal|title=Understanding Manga as a "Style" through Essay Manga's Multimodal Literacies ― And Its Relations to the Discourse on "local art style" in Malaysian Comics|first=Suraya Binti Md |last= Nasir|journal= Border Crossings the Journal of Japanese-Language Literature Studies|doi=10.22628/bcjjl.2021.13.1.61|volume=13|issue=1|pages=61-74|year=2021|ref={{sfnref|Nasir|2021}}}} |
|||
* {{Cite journal|title=Covering Malay Humor Magazines: Satire and Parody of Malaysian Political Dilemmas |first=Ronald |last=Provencher |journal= Crossroads: An Interdisciplinary Journal of Southeast Asian Studies |jstor=40860308|volume=5|issue=2|pages=1-25|year=1990|ref={{sfnref|Provencher|1990}}}} |
|||
* {{Cite journal|last=Radzi|first=Mohamad Quzami An-Nuur bin Ahmad|last2=Ibrahim|first2=Nur Hisham|last3=Gani|first3=Muhamad Abdul Aziz bin Ab|last4=Bahari|first4=Nur Liana Kamal|doi=10.6007/IJARBSS/v12-i1/12063|title=Visual Characteristics of National Unity in Malaysian Comics|journal=International Journal of Academic Research in Business and Social Sciences|volume=12|issue=1|pages=1787-1792|year=2022|ref={{sfnref|Radzi|Ibrahim|Gani|Bahari|2022}}}} |
|||
* {{Cite journal|title=Multimodality in Malaysian Schools: The Case for the Graphic Novel |first=Thusha Rani|last=Rajendra|url=https://www.semanticscholar.org/paper/Multimodality-in-Malaysian-Schools%3A-The-Case-for-Rajendra/10507409b5c2efc7cc2a124bd13cf5148f71787d |accessdate=2024-11-11|journal=The Malaysian Online Journal of Educational Science|volume=3|issue=2|year=2015|pages=11-20|ref={{sfnref|Rajendra|2015}}| s2cid=157046409}} |
|||
* {{Cite journal|title=Comics in Malaysia|first=Leonard|last=Rifas|journal=The Comics Journal|url=https://www.tcj.com/tcj-issue/the-comics-journal-no-94-october-1984/|volume=94|issue=1984-10|year=1984|pages=96-101|ref={{sfnref|Rifas|1984}}|accessdate=2024-09-26}} |
|||
* {{Cite journal|title=Wak Ketok and the Quest for Malay Identity in 1930s Malaya |first=Razan|last=Rosman|first2=Sarena|last2=Abdullah|journal=Journal of the Malaysian Branch of the Royal Asiatic Society|volume=91, part 2|issue=3|year=2018|pages=19-47|doi=10.1353/ras.2018.0016|ref={{sfnref|Rosman|Abdullah|2018}}}} |
|||
*{{Cite book|chapter=Reading Habits of Malaysian Students beyond Classrooms|title=Studies on Foreign Languages and Cultures|publisher=Universiti Putra Malaysia Press|pages=114-138|isbn=9789673443703|last=Schaar|first=Torsten|last2=Lapasau|first2=Merry|last3=Fang|first3=Ng Chwee|url=https://www.researchgate.net/publication/348232970_Reading_Habits_of_Malaysian_Students_beyond_Classrooms|accessdate=2024-11-06|ref={{sfnref|Schaar|Lapasau|Fang|2013}}}} |
|||
* {{Cite thesis|degree=BA (Hons)|title=Study on Contemporary Malaysian Chinese Comic to Investigate Whether the Malaysian Comic Style Has Emerged|url= https://www.academia.edu/8073380/Study_on_contemporary_Malaysian_Chinese_comic_to_investigate_whether_the_Malaysian_comic_style_has_emerged|last=Tan|first=Wan Lee |year= 2019 |publisher= KBU International College|accessdate= 2024-10-19|ref={{sfnref|Tan|2015}}}} |
|||
* {{Cite journal|title=Globalizing Manga: From Japan to Hong Kong and beyond|first = Wendy Siuyi| last=Wong |journal=Mechademia: Emerging Worlds of Anime and Manga |volume=1|issue=1|year=2006|pages=23-45|ref={{sfnref|Wong|2006}} |doi=10.1353/mec.0.0060}} |
|||
* {{Cite journal|first1=Eriko|last1=Yamato|first2= Steven|last2= Eric Krauss |first3=Ezhar |last3= Tamam |first4=Hamisah |last4=Hassan |first5= Mohd |last5= Nizam Osman |year=2011|title=It’s Part of Our Lifestyle: Exploring Young Malaysians’ Experiences with Japanese Popular Culture |journal=Keio Communication Review|volume=|issue=33|pages= 199-223|url= https://www.semanticscholar.org/paper/It%27s-Part-of-Our-Lifestyle%3A-Exploring-Young-with-Yamato-Krauss/40de93b753040d31debb897c581837ddfc911e16 |accessdate=2024-11-11|ref={{sfnref|Yamato| Eric Krauss | Tamam | Hassan |Nizam Osman|2011}}}} |
|||
* {{Cite journal|first=Eriko|last=Yamato|year=2016|title= 'Growing as a Person': Experiences at Anime, Comics, and Games Fan Events in Malaysia|journal=Journal of Youth Studies|volume=19|issue=6|pages= 743-759|doi=10.1080/13676261.2015.1098769|ref={{sfnref|Yamato|2016}}}} |
|||
* {{cite journal|和書|title=漫画 Lawak Kampus における効果音としてのオノマトペ―マレー英語の事例―|last=鵜沢|first=洋志|journal=アジア英語研究|volume=17|pages=6-27|year=2015|doi=10.50875/asianenglishstudies.17.0_6|ref={{sfnref|鵜沢|2015}}}} |
|||
* {{cite journal|和書|title=マレーシアの漫画における混淆性 ─ 少女漫画家カオルのキャリアを通して|last=顔|first=暁暉|url=http://imrc.jp/lecture/2011/10/3.html|accessdate=2024-09-15|journal=第3回国際学術会議「マンガの社会性―経済主義を超えて―」|year=2011|ref={{sfnref|顔|2011}}}} |
|||
*{{cite book|和書|title=女性マンガ研究: 欧米・日本・アジアをつなぐMANGA |editor-first=房美|editor-last=大城|chapter=マレーシアのマンガ ― 少女マンガ家カオル(Kaoru)を通してみる{{ruby|文化混交|ハイブリディティ}}へのアプローチ|last=顔|first=暁暉|pages=62-83|translator=鈴木繁|year=2015|isbn=978-4-7872-3386-8 |publisher=青弓社|ref={{sfnref|顔|2015}}}} |
|||
* {{cite journal|和書|title=マレーシアのマレー人ムスリム社会における公共圏の形成とイスラーム主義運動 |last=塩崎|first=悠輝|url=https://www.cismor.jp/uploads-images/sites/2/2007/02/246de874384fd587ff155f839c4a66ce.pdf|journal=一神教学際研究|year=2007|volume=3|pages=101-127|ref={{sfnref|塩崎|2007}}}} |
|||
* {{Cite thesis|和書|title=マンガ的コミックの「マレーシアらしさ」: 文化的アイデンティティとコミック表現をめぐって | degree= 博士(芸術)|publisher=京都精華大学 | first=マードナシル |last=スラヤ|year=2019|language=英語 |ref={{sfnref|スラヤ|2019}}}} |
|||
*{{cite journal|和書|title= 1930年代初頭の英領マラヤにおけるマレー人性をめぐる論争―ジャウィ新聞『マジュリス』の分析から|doi=10.5512/sea.2016.45_5|last=坪井|first=祐司|pages=5-24|year=2016|issue=45|journal=東南アジア—歴史と文化—|ref=harv}} |
|||
* {{cite journal|和書|title=マレーシアにおける日本文化 ─ 日本語教育から文学翻訳まで ─ |last=葉|first=蕙|url=https://ritsumei.repo.nii.ac.jp/records/2537|accessdate=2024-10-25|volume=21|issue=3|pages=83-93|journal=立命館言語文化研究 |year=2013|ref={{sfnref|葉|2013}}}} |
|||
*{{cite book|和書|title=世界のコミックスとコミックスの世界 : グローバルなマンガ研究の可能性を開くために|editor=ジャクリーヌ・ベルント|chapter=歴史的記憶のメディアとしてのマンガ/コミックス.シンガポールとマレーシアのコミック|first=チェンジュ|last=リム|translator=中垣恒太郎|series=国際マンガ研究1|year=2010|isbn=978-4-905187-02-8|url=http://imrc.jp/images/upload/lecture/data/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C.pdf|publisher=京都精華大学国際マンガ研究センター|accessdate=2024-09-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190129005820/http://imrc.jp/images/upload/lecture/data/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C.pdf|archivedate=2019-01-29|ref=harv}} |
|||
== 関連文献 == |
|||
* {{Cite book|title= Reading the Visual of Malaysian Comics: A Study on Comics as an Artform|last2=Muliyadi|first2=Mahamood|first=Mustaqim|last=Karna| publisher=LAP LAMBERT Academic Publishing|year=2022|isbn= 978-6205494271}} |
|||
* {{Cite book|title= The History of Malay Editorial Cartoons (1930s-1993)|last=Muliyadi|first=Mahamood| publisher=Utusan Publications & Distributors|year=2004|isbn= 9789676115232}} |
|||
* {{Cite book|title=Transnationalism in East and Southeast Asian Comics Art |editor-first=John A.|editor-last= Lent|editor-first2= Wendy Siuyi|editor-last2=Wong|editor-first3=Benjamin Wai–ming|editor-last3= Ng|last=Muliyadi |first=Mahamood| publisher=Palgrave Macmillan|year=2022|chapter=A Historical Overview of Transnationalism in Malaysian Cartoons|pages=187-211|isbn=9783030952426}} |
|||
* {{Cite journal|title=Malay comic books published in the 1950s|first=Zainab Awang|last=Ngah|journal=Kekal Abadi|url=https://www.academia.edu/86909911/ |volume=3|issue=3|year=1984|pages=4-11|ref={{sfnref|Ngah|1984}}|accessdate=2024-10-02}} |
|||
*{{cite video|和書|people=大和えり子(講演者)、渡部宏樹(司会)|date=2024-11-03 |title=講演:大和えり子先生(RMIT大学): 「2000年代・2010年代のマレーシアにおける日本のポピュラー文化の受容」|url= https://www.youtube.com/watch?v=wwJ6DkNn23g |format= |medium= YouTube|language=日本語 |publisher= |location= |archiveurl= |archivedate= |accessdate=2024-11-11 | ref={{sfnref|大和|2024}}}} |
|||
== 外部リンク == |
|||
*{{cite web|url=https://www.jetro.go.jp/world/reports/2017/02/27a03965ecaddf25.html|accessdate=2024-11-02||title=マレーシアにおけるコンテンツ産業調査(2017年3月)|publisher=[[日本貿易振興機構]]|date=2017-03-31}} |
|||
{{Good article}} |
|||
{{DEFAULTSORT:まれえしあのまんか}} |
|||
[[Category:マレーシアの文化]] |
[[Category:マレーシアの文化]] |
||
[[Category:各国の漫画]] |
2024年12月3日 (火) 11:43時点における最新版
本項ではマレーシアの漫画(マレーシアのまんが、マレー語: komik, kartun, cergam[注 1][1])について述べる。マレー語の漫画は1930年代に新聞紙上の一コマ風刺漫画(カートゥーン)として始まった。第二次世界大戦と植民地からの独立 (1957) を経た後はコマ漫画(コミックストリップ)が新聞漫画の主流になり、国産の漫画が発展した。1970年代末からは風刺漫画を誌面の中心とするユーモア雑誌が隆盛した[2]。一般の新聞雑誌ではないストーリー漫画の出版物は1950年代から存在していたが、1980年代ごろから社会的な認知を受け始め、1990年代以降に国外の漫画の影響を受けて大きく発展した。それまでマレーシア漫画は主に米国コミックを手本にしてきたが[3]、近年には世界的な潮流に従って日本の影響が強まった[4]。
マレーシアは主にマレー人と中国人、次いでインド人などからなる多文化国家であり、植民地時代から現在まで地政学的に複雑な状況に置かれてきた[5]。民族間の調和はマレーシアの国是であり[6]、政府は1969年に起きた人種暴動の再発を防ぐために国民的アイデンティティを醸成する文化政策を積極的に行ってきた[7]。伝統的な漫画作品の多くは多様な民族からなる寛容な社会というマレーシア像を描いてきたが[8]、混合文化としてのマレーシアのアイデンティティはいまだに形成の途中であり、漫画文化も同様に発展途上だと述べる論者もいる[9]。それぞれの民族集団は自分たちの言語で漫画の出版を行っており[5]、元々大きくない漫画の市場はさらに細分化されていた。それが障害となってマレーシア漫画は日本や米国に見られるような固有の表現形式を発達させることができなかったという見方もある[10]。
歴史
[編集]マレーシアはいくつかの旧英国植民地が連合して1963年に成立した国家だが、この地域の漫画出版は19世紀の英領マラヤに起源を求められる。マラヤの貿易拠点だったシンガポール(1965年にマレーシアから分離)とペナンは出版業も盛んであり、20世紀半ばまで漫画文化の中心地だった[11]。1938年にシンガポールに設置された南洋芸術学院では風刺漫画家も育成されていた[11]。クアラルンプールやジョホールバルで漫画出版が行われるようになったのは1950年代以降で[11]、島嶼部マレーシアでは21世紀になるまで地域の漫画が発展しなかった[12]。
以下の時代区分はMuliyadi 2012, p. 122に基づく。
黎明期: 1930年代-1957年
[編集]前史
[編集]近代的な漫画は植民地主義とともに到来した。1868年にマラヤの英国商人のために創刊された英字紙『ストレーツ・プロデュース』は、本国の『パンチ』誌にならって風刺漫画を紙面の中心にしていた。同種の出版物としては日本で刊行された『ジャパン・パンチ』(1862)、中国の『チャイナ・パンチ』(1867) に続いてアジアで3番目だったと考えられている[13]。
英領マラヤに流入した移民労働者はそれぞれの母語で新聞を発行した。シンガポールの華字紙『中興日報』は1907年に最初の一コマ漫画を掲載した[13]。革命家孫文の支持派が母体の新聞で、初期の漫画作品はいずれも清王朝を攻撃する内容だった[14]。20世紀初頭の中国語風刺漫画は主に本国の政治を題材としており、1937年の盧溝橋事件以降は日本の中国侵略に激しい批判が向けられた。太平洋戦争が拡大して1942年に英領マラヤが占領されると、それらの漫画の作者は日本軍によって処刑されることになった[13][15]。
マレー語漫画の登場
[編集]マレー語の風刺漫画は中国語よりも遅れて発展した。その理由としては、マレー語紙が手本としていた中東のアラブ系新聞がイラストレーションを使用していなかったためだという説や[12]、マレー人が植民地の民族集団の中で特権的な地位におかれていたため政治風刺の動機が弱かったという説がある[13]。
初期のマレー語紙は正しい言語の使い方や宗教が主な関心事だったが[16]、1930年代になるとマレー語紙にも社会情勢の変化に対する危機感が表され始め[17]、ワルタ・ジェナカ[注 2]にはS・B・アリーによる風刺漫画や読者投稿の素朴な作品が載るようになった[12]。もう一方のマレー語メジャー紙でイスラム色の強いウトゥサン・ザマン[注 3]では、1939年にマラヤ初の漫画キャラクターの一人である Wak Ketok(→難癖おじさん[20])が登場した[12][21]。パ・パンディルのような伝統的な笑い話の系譜に連なるキャラクターで[22]、「マレー語ジャーナリズムの父」[23]と呼ばれたアブドゥル・ラヒム・カジャイがコラムを書き、アリ・サナットがイラストを添える構成だった[24]。これら初期のマレー語漫画は、植民地政府や中国系・インド系・アラブ系移民を敵視する一方、マレー人自身の欠点(独立心のなさ、大雑把さなど)を批判して民族主義を鼓舞する内容が多かった[25]。
日本占領期には英国支配のもろさを目撃したことでいずれの民族も独立意識を高めた[13]。後に建国の父と言われるトゥンク・アブドゥル・ラーマンは反日的・民族主義的な漫画を描いていた[26]。その一方で、水彩画家アブドゥラ・アリフは日本軍が発行したペナン新聞に親日的なプロパガンダ漫画を描いた[13][26]。アブドゥラ・アリフの作品は1942年に Perang Pada Pandangan Juru-Lukis Kita(→私たちの漫画家が見た戦争)としてマレー語・中国語・英語の文章をつけて書籍化された[13][26]。
戦後
[編集]第二次世界大戦が終結した直後の政治的空白期には、中国人を主体とする共産ゲリラとイギリス軍の間で衝突が発生し(マラヤ危機)、民族間の対立が高まった。こうした背景のなかで、マレー人により共産主義者を攻撃する漫画が執筆された一方で、マレー人と中国人の漫画家には、社会や政治を風刺する作品によって民族宥和と進歩主義を唱えるものもいた。ザ・ストレーツ・タイムズの社説漫画家Tan Huay Pengはその代表で、英国からの独立を訴えるシンボリックな作品を残した[13]。
マレーシア産のコミックストリップ(ストーリー性のあるコマ漫画)が登場し始めたのは1947年ごろだった。同年にシンガポールの雑誌 Kenchana は、米国漫画にはない東洋的な感性を持った作品の必要性を訴え、歴史冒険もののマレー語作品 Tunggadewa を初めて掲載した[27]。同誌を編集していた作家ハルン・アミヌラシドは初期のマレー語コミックのメンターとして大きな役割を果たした[28]。
一般紙誌の添え物ではない漫画主体の出版物がマラヤに入ってきたのは、1930年代に英国から古紙として売られてきた『ザ・ビーノ』や『ザ・ダンディ』などのコミックブック(小冊子型式の定期刊行物)が最初だった[29]。マレー語コミックブックの第1号は1951年にインドネシアで刊行された Hang Tuah (Untuk Anak-Anak) だと考えられている。英雄ハントゥアの伝説が題材で、原作・作画とも作家ナシャ・ジャミンが手掛けていた[18]。シンガポールでは Pusaka Datuk Moyang(→ご先祖さまの宝)(1952) を皮切りにマレー語コミックブックが盛んに出版された[30]。1955年に15歳で伝説の女王シティ・ワン・ケンバンをコミック化したノラ・アブドゥラは最初の女性マレー人漫画家だった[18]。コミックの題材は初期には歴史や民話が主流で、やがて恋愛ものや探偵ものも現れた[31]。米国ヒーロー・バットマンの翻案やSF風味の作品もあった[18]。
1960年代に入るとシンガポールのコミックブック出版は衰退し、ペナンに取って代わられたが[18]、1960年代を過ぎるとそれも下火になった[32]。
新時代: 1957-1970年代
[編集]マラヤ連邦は1957年に英国からの独立を果たし、周辺地域の再編とシンガポールの脱退を経て現在のマレーシアが成立した。表現の自由を基本理念としていた植民地政府と異なり、独立政府はマスメディアを統制して統治の道具にしようとした。各言語の新聞からは政治風刺漫画が姿を消し、その代わりに冒険ものやユーモアものの海外産コミックストリップが多数掲載された[33]。『フラッシュ・ゴードン』[33]、『ターザン』、『マンドレイク・ザ・マジシャン』のような欧米作品は新聞各紙の呼び物となった[34]。
ラジャ・ハムザ、ルジャブハッド、ミシャールらマレー人漫画家による作品も新聞に掲載された[26]。ハムザは戦後期の重要な漫画家である[29]。ブリタ・ハリアン紙の Keluarga Mat Jambul(→マット・ジャンブルの家族)は英国の『ザ・ガンボルズ』にならった家族ものの作品で[33][35]、穏当なユーモアを通じて国家統一の精神を訴えていた[36]。ハムザはそのほかウトゥサン・ムラユ紙の Dol Keropok & Wak Tempeh など村落生活や古典文芸を題材にした連載を多数持ち[29]、後進のラットに影響を与えた[33]。
1960年代から1970年代にかけてはマレーシア漫画の黄金期だとされている[37]。1970年代以降、国民的なアイデンティティを育成する文化政策によって自国産の漫画が増え始め、海外作品の掲載を止める新聞も現れた[33][35]。1973年には漫画家・イラストレーター協会[注 4]が設立され、実作者の地位を向上させた[38]。同年に漫画家が主体となってスアラサ社が設立され、マレー文化教育を主眼とする児童向けコミックブックを刊行して3万部のヒットを生み出した。同じく1973年にはマレーシアの国立美術館がアジア各国の一コマ漫画作品の展示を初めて行った[39]。
1970年代にはラット、ナン、メオール・シャリマン、ジャーファル・タイブ、ザイナル・ブアン・フッシンのような新しい世代の漫画家が登場した[37]。ラットは1970年ごろからコマ漫画 Keluarga Si Mamat(→ママットの家族)や一コマ漫画 Scenes of Malaysian Life(→マレーシアの生活風景)を新聞に長期連載し[37]、一般によく知られる存在となった[33]。時事スケッチに風刺性を込めた Scenes of Malaysian Life が人気を博したことで、一時期姿を消していた一コマ社説漫画が新聞各紙に再び掲載されるようになった[40]。ラットは新聞社専属からフリーに転身して自作のマーチャンダイジングを手掛け、マレーシア漫画界ではまれな経済的成功を収めた[37]。マレー伝統文化を追憶した著書『カンポンボーイ』は国際的にも広く読まれている[41]。
-
ラットのキャラクターが描かれたエアアジアの旅客機 (2010)。
全盛期: 1980年代
[編集]『ギラギラ』とユーモア誌
[編集]この時期に特筆すべきなのは、1978年に漫画家のジャーファル・タイブやミシャールらが発刊した『ギラギラ』である[44]。マレー語の「gila」は英語の「mad」に当たり[45]、米国『MAD』誌をひな形にしたユーモア雑誌だった。誌面は文学、民話、歴史、映画のパロディ漫画から構成されていた[46]。西洋文化を内から風刺する『MAD』は、マレーシア社会の西洋化が推し進められた1960年代後半から1970年代にかけて学生や英語教育を受けた層によく読まれていた[47]。マレー社会をマレー語で風刺することを意図した『ギラギラ』は読者に受け入れられ、発行部数20万部まで拡大して国内最大の雑誌となった[46]。
『ギラギラ』の成功から間もなく、大手出版社による Gelihati(→クスクス笑い[48])などの競合誌が現れた[47]。2003年までに50誌以上が乱立し[46]、ユーモア誌の市場は飽和した[49]。各誌は宗教テーマの Lanun、芸能界テーマの Mangga などジャンルを細分化することで生き残りを図った。最初の女性向け雑誌 Cabai は希少な女性漫画家チャバイを看板作家としていた[49]。『ギラギラ』出身の漫画家ウジャンは80年代前半に Aku Budak Minang(→僕はミナンの子ども)や Atuk(→おじいちゃん)をヒットさせてマレーシア漫画界を活性化させ、自身でもティーン向けユーモア誌 Ujang (1993) などを創刊した[49]。言語ごとの市場が限られていたことから、マレー語ではなく英語で出版したり、サイレント漫画に特化する雑誌も現れた[49]。2022年時点でも Bekazon などの伝統的なユーモア誌は出版され続けている[50]。
それまでマレーシアの漫画家はほかに本業を持つのがほとんどだったが、『ギラギラ』は専業漫画家が成り立つ水準にまで原稿料を引き上げた[51][注 5]。また若い漫画家を育成し、漫画家の相互交流や地位向上を促す役割も果たした[46]。1990年ごろにユーモア誌に寄稿していた漫画家は総数で専業50人、セミプロ100人ほどだったとみられている[52]。
海外からの影響
[編集]ユーモア誌以外には海外作品の人気が高かった[53]。米国や旧宗主国である英国のコミックブックは広く売られていた。また中国系やインド系の住民はそれぞれの母国で出版された作品を輸入していた[54]。古典的な連環画のほか、香港の『老夫子』や『中華英雄』、台湾の『双响炮』といった中国漫画は中国系マレーシア人に親しまれていた[55]。
1981年に当時のマハティール首相がルックイースト政策を提唱すると、マレーシアと日本との人的交流が拡大し、日本の文化コンテンツへの関心も高まっていった[56]。1980年代後半からは、台湾と香港で中国語に翻訳された海賊版の日本漫画が出回り始めた[4]。日本から直接影響を受けてきた台湾や香港と比べると10-20年遅れたが、日本の漫画は数年のうちにマレーシアに受容された[57]。『鉄腕アトム』、『キャンディ♡キャンディ』、『ドラえもん』のような日本の名作漫画はよく知られるようになり[57]、同時代の『AKIRA』、『ドラゴンボール』なども入ってきた[58]。90年代になるとマレー語の海賊版も現れた[59]。海賊版は専門の出版社から公然と刊行されていたが、市場が小さいことで政府当局や海外の著作権者から黙認されていた。主な流通ルートは中国系の貸本屋(または漫画喫茶)だった[4]。
海賊版の海外作品の人気は国内産業の発展にとっては妨げとなった[4]。1984年時点でマレー語コミックブック出版社は数社を数えるのみだった。月刊発行数は1万5千部程度でほとんどのタイトルが短命だった。ジャンルは歴史や冒険ものが多かった。米国のコミックを真似てマレーシア風味を加えた多様なジャンルの作品を出す出版社や、フォトコミックを専門とする出版社もあった[60]。
中国語のコミックは1970年代に新聞社説漫画を描いた丁喜や、1980年代に漫画人出版社を結成した張瑞成、黄奱棋、森林木らが嚆矢とされる[61][62]。1990年代後半には『哥妹俩[注 6]』のような子供向け作品が人気を集めたが[63]、日本漫画の影響力が強くなると中国語コミックは勢いを失った[61]。
1980年代には一般紙ニュー・ストレーツ・タイムズに国内外のコミックを紹介するコラムが連載され、コミックの社会的認知が高まった。1984年にはマレーシア初のコミック・コンベンションが開催された[60]。このときマレーシア人のファンによって米国マーベル・コミックス風の同人誌 APAzine が出版された[注 7][60][64]。その後はクアラルンプール近辺に米国コミックの専門店が開かれた[60]。高価な米国コミックの人気は1990年代にピークを越した[65]。
多元化: 1990年代以降
[編集]20世紀末のアジア通貨危機以降には地域の漫画文化にグローバリゼーションの波が及んだ[66]。インターネットの普及はマレーシアに日本のアニメや漫画が浸透するにあたって決定的な役割を果たした[67]。ブロードバンドとファイル共有ソフトは子どものころから日本のポップカルチャーに触れていた若者の消費に拍車をかけた[68]。また日本の漫画出版社は1990年代ごろから国外での版権ビジネスを整備し始め、東南アジア一帯に正規版の日本漫画が流通するようになった[69]。これ以降の漫画家は日本をはじめとする海外の作品から強く影響されており、伝統文化や歴史よりもSFやファンタジーのようなジャンルに関心が高い[70]。1990年代前半以前の国内作品はほとんど復刻されず[8]、ラットやルジャブハッド、ジャーファル・タイブらが発展させた伝統的な作風は継承されていない[8][71]。
このころ国内コミック出版もビジネスとして成熟し始め[60]、2000年代には漫画とアニメーション、芸能、ゲーム、広告、グッズ販売の連携が進んだ[72]。1998年設立の新興出版社アート・スクウェア・グループは、月2回刊誌『ゲンパック(→すごい、かっこいい[73])』など、漫画とアニメやゲーム(ACG)の情報を組み合わせた雑誌をヒットさせて頭角を現した[33][74]。同社は雑誌連載作品を単行本化する出版モデルを取り入れ、海外漫画の正規ライセンス版のほか地元作品を数多く出版してマレーシア人作家に活躍の場を作り出した[74]。また韓国の学習漫画を出版して学校関係者や親世代にアピールしたり、デジタル展開や新人賞の設立によって漫画の普及を推し進めた[72]。
多くのアート・スクウェア作品は、フラットなアニメ塗りの絵柄、キャラクター設定、プロットなどに日本からの影響が明らかだった[75]。代表的な作家には、高校生活を描いた4コマギャグ[76]『ラワック・キャンパス[注 8]』を描いたキース(張家輝)や[74]、マレーシア少女漫画のパイオニアで[77]『メイド・メイデン』など日本の流行を取り入れた作品で知られるカオル[9][78]、2 Dudes のジントがいる[73]。香港のカンフー漫画や米国のスーパーヒーロー・コミックに影響を受けた作家も多く[79]、DCコミックスにスカウトされた陳永発などがいる[33]。
2001年に発刊された『アーバン・コミックス』は自己出版コミックの先駆けである[80]。同誌の出版者ムハマド・アザール・アブドゥラは2007年に国の助成を受け、アマチュアを含めた漫画家の相互交流と漫画文化の振興を目的とした団体PeKomik[注 9]を結成した[81]。PeKomikは2012年に他の団体と共同でゲームと漫画の大規模なコンベンションMGCCon[注 10]を開催し、コミックファンダムの存在をマレーシア社会に周知させた[82]。
現代
[編集]2000年代以降にはコミックブックに代わる新しい出版形式として漫画の書籍が台頭し[82]、一般書店で漫画が入手できるようになった[84]。2022年には漫画が書店でもっとも人気の高いジャンルにまで成長した。主要な出版社はカドカワ・ゲンパック・スターツとKomik-Mで、自国産と日本の作品が若い世代の人気を集めている[50]。カドカワ・ゲンパック・スターツはアート・スクウェアが日本のカドカワの出資を得て2015年に社名変更した会社で、漫画出版のほかアニメーション、ゲーム、小説などのマルチメディア・コンテンツ事業を展開している[85]。カドカワはこの資本提携により、マレーシアを拠点にASEANや中東諸国への進出を図っている[86]。もう一方のKomik-M(Mはマレーシアを表す)はマレー系資本である。作品はイスラム法に準拠しており、マレー文化教育の側面を持つ幼年漫画を主力として親や学校を対象にしたマーケティングを行っている[87]。Komik-Mの人気作家には Misi シリーズで知られるナズリ・サラムとアフィク・サラムの兄弟がいる[88]。
2014年の調査によると、好んで漫画を読むマレーシア人は25.3%にのぼり、雑誌・新聞・一般書籍に次ぐ[89]。2013年の大学生を対象にした調査ではこの数字は34.5%となり、少しでも漫画を読む割合は80%を超える。この割合はマレー系と中国系の間ではあまり差はない[90]。
2010年代以降にはウェブトゥーンのようなデジタル配信手段が登場したことで新世代の漫画家が数多く活動するようになった[91]。若者文化を描くブログ漫画で登場した黑色水母はマレーシア中国語漫画家のニューウェーブと見なされた[92]。Twitter(現X)やFacebookのようなソーシャル・ネットワーキング・サービスで発表された作品が書籍化される事例もある[93][94]。Matkomikはもっとも歴史が古いオンラインコミックのプラットフォームの一つで、商業出版に向けた新人発掘の場としても機能している[95]。
マレーシアでは多くのアジア国家と同じく伝統的に女性漫画家が少なく、一説によると2010年代までにある程度の成功を収めたのはノラ・アブドゥラ、チャバイ、カオルなど7人を数えるのみだった[96]。日本漫画に影響を受けた第一世代でもある人気作家カオルは女性が漫画界に参入する道筋をつけた[97]。国際的に権威あるアイズナー賞を最初に受賞したマレーシア人作家は女性のエリカ・エンである[98]。
近年にはマレーシアで漫画の教育利用が論じられ始めた[99]。読解力向上、道徳教育[99]、外国語学習における有用性に注目した研究がある[100]。マレーシア教育省は2010年から正規の英語教育に「シャーロック・ホームズ」や『地底旅行』のような古典文学の漫画版を取り入れている[101]。
イベント
[編集]2023年時点の主要なACGイベントには Comic Fiesta(6万9千人参加、12月開催)、NIJIGEN EXPO(6万人参加、年2-3回開催)、AniManGaki(3.5万人参加、8月開催)がある[102]。2002年に始まった Comic Fiesta は東南アジアで最大規模かつもっとも歴史の長いイベントで[102]、企業や教育機関のほか同人作家やコスプレイヤーがブースを出展し、海外からもゲストが招かれる[103]。
- コスプレイヤーの例
-
野比のび太(Comic Fiesta 2023)。
-
ホーマー・シンプソン (Comic Fiesta 2022)。
-
土間埋 (Comic Fiesta 2015)。
-
木之本桜 (Animax Carnival Malaysia 2014)。
作品規制
[編集]マレーシアの出版物は「印刷報道および出版法に基づく出版ガイドライン (1984)」[注 11]で定められた規制事項に従わなければ内務省から出版許可を取り下げられる[104]。マレーシア政府は人種間の宥和を方針に掲げており[105]、特定の民族への加害や不利益となる表現は規制の対象となる[10]。社会秩序への脅威となる表現や、国の政策への批判も許されない[106]。1983年に『ギラギラ』でデビューした漫画家ズナールは辛辣な社会風刺で知られており、2010年ごろに当局から単行本を発禁にされたり、安全保障法に基づいて身柄を拘束されたことがある[107]。
マレーシア社会は性表現に対して保守的であり[108]、ガイドラインは裸の人体(一部を黒塗りやモザイクで隠した場合も含む)や、煽情的なポーズ、体の線が露わになる服装やTバック下着、男女間のキスや性交を絵にすることを禁じている[104]。日本漫画の翻訳出版では、オリジナル版で下着や全裸だった部分が描き変えられることが多い[109]。不倫や同性愛を描くこともできない[106]。そのため、男性間の恋愛を題材とするボーイズラブ・ジャンルの様式が、男性とボーイッシュな女性との間の恋愛に仮託されて語られる作品もある[110]。
コミックは主に児童向けのメディアと考えられているため、出版社は政府のガイドラインを超えた部分についても自主規制を行っている[111]。日本漫画にならったセクシーな服装などは国教のイスラム教の価値観に反するとして読者から反発を受けることがあり、出版社によっては自己検閲の対象としている[112]。イスラム教が禁じているタバコや酒の描写も[111]、ガイドラインで禁じられていないにもかかわらず自主規制されることがある[113]。
2010年代以降には、これらの規制によって創作の自由が制限されることを嫌って商業出版よりも自己出版を選ぶ作家もいる[114]。アマチュア作家が自作をファン・コンベンションで販売する場合は、イベントごとのガイドライン以外に法的な規制が課せられることはない[115]。マレーシア最大のコミックコンベンションである Comic Fiesta には毎回100人単位の同人作家が参加している[116]。
作品の特徴
[編集]初期の社説漫画
[編集]1930年代のマレー語漫画は読者のリテラシーを問わないストレートな内容で、マレー人のアイデンティティ形成や政治的・経済的地位向上を訴えるための社会批判やプロパガンダとしての性格があった[117]。形式上は伝統文学から影響を受けており[118]、韻文のパントゥンやことわざを取り入れた長いキャプションが特徴的だった[26]。古典的な笑話や動物寓話の要素が風刺ユーモアに利用されていた[118]。ウトゥサン・ザマン紙の Wak Ketok は影絵芝居のワヤン・クリと比較されることがある[26]。
マレー語漫画
[編集]マレー語漫画の登場人物は戯画化された表情やポーズによる視覚的ギャグが特徴で、主人公の恋の相手となるキャラクターだけは無表情な美女として描かれた[119]。各キャラクターがどの民族集団に属するかは読者にとって重要であるため、コード化された外見的特徴によって明確に表現された[120]。ラット作品ではマレー系の低い鼻・中国系の小さい目・インド系のビンディーなどによって描き分けがされていた。ヒジャブやサリーのような衣装も民族性の記号となった[121]。舞台設定にも地域性が反映されることが多く[120]、カンポン(村落)は伝統的価値観の源泉としてシンボリックな役割を負った[122]。
内容的には「loose(→ゆるい)」と呼ばれる短い気軽なユーモア作品が主体だった[123]。マレーの文化ではユーモアが重要な地位を占めており、伝統演劇や文芸から笑いが取り入れられていた[124]。中には作品にシリアスなテーマを込める作家もおり、ラットやウジャンに代表される伝統文化へのノスタルジアは一般的なテーマだった[125]。
ユーモア誌
[編集]『ギラギラ』(1978) に端を発するユーモア誌は A4サイズ70~80ページの出版物で[124][126]、性別や民族による違い、職場、マレー文化、歴史などをテーマにしたセクションから構成され、多くの漫画家が1ページずつ描いていた[124]。読者は男女を問わず[124]、社会階層のすべてにわたって愛読者がいた。政府高官や王族、企業家や大学教員の間でもよく読まれていた[127]。言語は公用語のマレー語がほとんどで、描き手もマレー人が多かった[60]。
ユーモア誌が持つ批判精神は一般のマレー社会にあまり見られないものだった[60]。『ギラギラ』が登場する1970年代以前には漫画で自由な社会批判は行われておらず、政府高官の描写や、センシティブな題材(マレー人の法的優位など)は避けられていた[107]。ユーモア誌はマレーシアの出版物としては例外的に検閲を免れており、直接的に社会風刺を行った。1987年10月には政府による言論人の弾圧(オペラシ・ララン[128])が起きてメディア統制が強まったが、その後もユーモア誌では表現こそ慎重になったものの風刺が行われ続け、政府からもときおりの警告以上の検閲は受けなかった[129]。そのように風刺漫画で表現の自由が認められていた理由としては、
- マレー人が政治的に優位な地位を占めていたから
- 漫画が権威への不満を解放する役割をマレー伝統芸能から受け継いだから
- 漫画は幼稚なメディアだと考えられていたため、政府から政治的脅威と見なされなかった
のような説がある[130]。
中国語漫画
[編集]中国語の漫画出版は1970年代に始まり、1980年代に最盛期を迎えた[61]。判型が小さいカラー印刷のコミックブックが出版されていた[131]。形式は4コマやショートギャグが主体だった[132]。中華文化圏の一般的な作品と異なり、伝統家屋や遊び、食品のようなマレーシア文化の要素が取り入れられることが多い[131]。またマレー語・中国語といった複数の言語が混じるマレーシア特有の言語文化も反映されている[133]。絵柄の面では際立った特徴はないという評価もある[134]。
1990年代に日本漫画の影響力が強くなると中国語漫画の勢いは衰えた[61]。その後現在に至るまで、主流のジャンルは中国語教育を受ける小学生を対象にした教育的な内容の児童漫画である[131]。ゲンパック社の学習漫画シリーズ「どっちが強い!?[注 12]」は日本で翻訳出版されて累計190万部を超えるヒットとなった[136][137]。
マレーシア・マンガ
[編集]「マンガ (manga)」という語は日本の漫画や、その影響を受けたスタイルの現地作品を指して使われている[138]。主要な漫画出版社であるゲンパックとKomik-Mはマンガの作風が主体になっている。商業出版以外にもネットやイベントで発表される同人作品があり、二次創作も行われている[139]。
マレーシア・マンガの女性キャラクターは大きな目、小さな鼻と口のような日本漫画の画風で描かれ、民族性は主に衣装で表現される[140]。効果線や漫符、感情を表す背景効果なども日本漫画から取り入れられている[141]。作画はカラーが主流である[142]。すっきりした描線はマンガ世代に特徴的だが、近年はほとんどCLIP STUDIOのようなデジタル制作ソフトを用いて描かれている[143]。ジャンルはファンタジー要素を加えた日常ものが多い[144]。
マンガと文化的アイデンティティ
[編集]マンガの人気はマレーシア漫画全体の市場を広げた一方で、作家やファンの間で文化的アイデンティティを巡る論争を引き起こすことになった[145]。グローバル社会におけるローカル・アイデンティティの構築は、マレー語漫画が登場した1930年代から21世紀に至るまで漫画家にとって重要な問題であり続けてきた[146]。フィリピンやインドネシアのような近隣諸国と同様に、マレーシアでもマンガが「国産漫画の豊かな文化を堕落させる」という見方が存在する[147]。
岩渕功一は1998年に、日本の漫画やアニメには特定の国や人種に限定されるような文脈が排除されており「文化的に無臭」だと主張した[148]。顔暁暉は2011年にこれを受けて、マレーシアのマンガ作家は従来の地理的・国家的制約によってアイデンティティが縛り付けられて
おらず[9]、日本のスタイルを流用して民族間の緊張関係が希薄な想像上のマレーシアを描く傾向があると書いた[149]。顔はその代表としてマレー語誌で活躍する中国系作家のカオルを挙げ、マンガが[民族間の] 中立的なコミュニケーションと融合のプラットフォーム
として機能する可能性を指摘した[150]。
レイチェル・チャンは2018年に、日本漫画の表現技法によってマレーシアの社会的現実を描く「第二波」マンガが登場したと書いた[151]。チャンはマレーシア・マンガの独自性の一つとしてキャラクターの民族性が明確にされることを挙げている[152]。イマン・ジュニッドと大和えり子も、トランスナショナルな文化に触れてきた世代のマレーシア漫画家が国家的・民族的・宗教的なアイデンティティの描写を深めていると報告している[3]。
出版社ごとの性格の違いもあり、マレー系を対象読者としているKomik-Mがイスラム性やローカルな要素を強く出しているのに対し、ゲンパックは国外での作品展開を視野に入れて民族性の描写を抑えている[153]。
アーカイブ
[編集]マレーシアでは漫画は学術的に注目されておらず、研究所や図書館でも系統的な資料収集は行われていない[154]。初期のマレー語コミックブックについては、1952年から1966年までの間に出版された270誌のコレクションが大英図書館に所蔵されている。植民地時代に公的な納本制度を通じて収集されたもので[32]、マレーシア国立図書館にもマイクロフィルム版が譲渡されている[155]。それらの研究はあまり進んでいない[156]。
2017年にクアラルンプールでPeKomikが設立したマレーシア・カートゥーン&コミック・ハウスは、開館時点で1930年代から1990年代までの作品5000点以上を所蔵している[157][158]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ "cergam" は "cerita gambar"(→物語+絵)の略[1]。
- ^ 日刊紙ワルタ・マラヤの週刊付属紙[18]。
- ^ ウトゥサン・ムラユ紙の日曜版で[19]、マレー人によって出版された最初の新聞だった[5]。
- ^ PERPEKSI (Persatuan Pelukis Komik Kartun dan Ilustrasi)
- ^ 1984年時点で『ギラギラ』はページ当たり最大35リンギットの原稿料を支払っていた。これはマレーシアの平均収入と比べると米国の1000ドルに匹敵した。一方で新聞漫画の原稿料は、版権料が低い海外作品と競合していたため1作5リンギット程度であった[51]。
- ^ 英: Kokko & May
- ^ APA=アマチュア・プレス・アソシエーション。
- ^ 中: 『秀逗高校』、英: Kuso High School
- ^ Persatuan Penggiat Komik Malaysia(→マレーシア漫画家協会)
- ^ Malaysian Games and Comic Convention
- ^ Garis Panduan Penerbitan di bawah Akta Mesin Cetak dan Penerbitan 1984
- ^ マレー語: Siri X-Venture: Dunia haiwan、中: 「探险特工队: 万兽之王系列」、英: X-Venture: Primal Power[135]
出典
[編集]- ^ a b Karna 2014, p. 6.
- ^ Muliyadi 1997, p. 43.
- ^ a b Junid & Yamato 2019, p. 82.
- ^ a b c d Lent 2015, No.166/342.
- ^ a b c Lent 2015, p. 153.
- ^ Radzi et al. 2022, p. 1789.
- ^ スラヤ 2019, pp. 46–47.
- ^ a b c Kamal, Haw & Bakhir 2017, p. 295.
- ^ a b c 顔 2011, p. 1.
- ^ a b Nasir 2021, p. 63.
- ^ a b c Lim, CT (2022年3月21日). “The History of Comics and Cartoons in Singapore and Malaysia Part 1: Introduction”. SG Cartoon Resource Hub. 2024年9月13日閲覧。
- ^ a b c d Lent 2015, No.153/342.
- ^ a b c d e f g h Lim, CT (2022年4月1日). “The History of Comics and Cartoons in Singapore and Malaysia Part 2: The Early Comics/Cartoons”. SG Cartoon Resource Hub. 2024年9月13日閲覧。
- ^ リム 2010, p. 179.
- ^ リム 2010, p. 181.
- ^ Rosman & Abdullah 2018, p. 20.
- ^ Mohd Noor Merican 2020, p. 33.
- ^ a b c d e “Kaboom! Early Malay Comic Books Make an Impact”. Singapore National Library. 2024年9月17日閲覧。
- ^ Muliyadi 1997, p. 40.
- ^ Rosman & Abdullah 2018, p. 26.
- ^ Muliyadi 1997, pp. 40–41.
- ^ Muliyadi 1997, p. 41.
- ^ 坪井 2016.
- ^ Muliyadi 1997, p. 53.
- ^ Muliyadi 1997, pp. 38, 41–42.
- ^ a b c d e f Lent 2015, No.154/342.
- ^ Gallop 2022, p. 46.
- ^ Gallop 2022, pp. 46, 67.
- ^ a b c Lent 2015, No.155/342.
- ^ Gallop 2022, p. 47.
- ^ Gallop 2022, p. 44.
- ^ a b Gallop 2022, p. 45.
- ^ a b c d e f g h Lim, CT (2022年4月15日). “The History of Comics and Cartoons in Singapore and Malaysia Part 3”. SG Cartoon Resource Hub. 2024年9月14日閲覧。
- ^ Lent 2015, No.155-156/342.
- ^ a b Muliyadi 1997, p. 45.
- ^ Muliyadi 2012, pp. 121–122.
- ^ a b c d Lent 2015, No.156/342.
- ^ Lent 2015, No.157-8/342.
- ^ Lent 2015, No.158/342.
- ^ Muliyadi 1997, pp. 43, 50.
- ^ リム 2010, pp. 185–188.
- ^ Karna 2014, p. 9.
- ^ “Past ICAF Programs & Guests”. The International Comic Arts Forum. 2024年9月19日閲覧。
- ^ Lent 2015, No.157-158/342.
- ^ Lent 2015, No.157/342.
- ^ a b c d Lent 2015, No.158-9/342.
- ^ a b Provencher 1990, p. 7.
- ^ Muliyadi 2012, p. 122.
- ^ a b c d Lent 2015, No.159/342.
- ^ a b “マレーシアの書籍業界をめぐるショートツアー―ハスリ・ハサン”. 国際交流基金アジアセンター (2022年3月2日). 2024年9月15日閲覧。
- ^ a b Rifas 1984, p. 96.
- ^ Provencher 1990, p. 8.
- ^ Rifas 1984, p. 101.
- ^ Rifas 1984, p. 98.
- ^ 顔 2015, pp. 64–66.
- ^ 葉 2013, pp. 86–88.
- ^ a b Wong 2006, pp. 34–35.
- ^ “【アジアで会う】第244回 スライウムさん、レッドコードさん 漫画家”. NNA ASIA (2019年3月26日). 2024年11月5日閲覧。
- ^ Junid & Yamato 2019, p. 67.
- ^ a b c d e f g Lent 2015, No.161/342.
- ^ a b c d Chan 2018, p. 223.
- ^ スラヤ 2019, p. 63.
- ^ Tan 2015, pp. 20–21.
- ^ “A slice of Malaysian comics history”. The Star Malaysia. (2019年3月26日) 2024年9月16日閲覧。
- ^ “8 comics that will bring you back to your Malaysian childhood”. Cilisos Media (2016年3月25日). 2024年10月6日閲覧。
- ^ リム 2010, p. 188.
- ^ Yamato et al. 2011, p. 215.
- ^ Yamato et al. 2011, pp. 204–205, 207, 213.
- ^ Wong 2006, p. 29.
- ^ リム 2010, pp. 188–190.
- ^ リム 2010, p. 185.
- ^ a b Lent 2015, No.163/342.
- ^ a b スラヤ 2019, p. 39.
- ^ a b c Lent 2015, No.162/342.
- ^ Lent 2015, No.162, 166/342.
- ^ 鵜沢 2015, p. 7.
- ^ Chan 2018, p. 205.
- ^ Lent 2015, No.170/342.
- ^ Karna 2014, p. 8.
- ^ Lent 2015, No.163-164/342.
- ^ Lent 2015, No.164-165/342.
- ^ a b Lent 2015, No.165/342.
- ^ “History”. COMIC FIESTA. 2024年9月16日閲覧。
- ^ Tan 2015, p. 1.
- ^ “KADOKAWA GEMPAK STARZ SDN BHD”. マレーシア ビジネス情報 CONNECTION. 2024年9月15日閲覧。
- ^ “KADOKAWA、マレーシアを拠点にASEAN・中東市場に攻勢”. News Picks (2015年12月6日). 2024年9月19日閲覧。
- ^ スラヤ 2019, pp. 43, 91–92.
- ^ スラヤ 2019, pp. 44, 92.
- ^ “Malaysian reading habits encouraging, but more must be done”. The Malaysian Reserve (2023年8月8日). 2024年11月7日閲覧。
- ^ Schaar, Lapasau & Fang 2013, p. 130.
- ^ “18 popular comic artists in Malaysia”. Silver Mouse (2019年6月19日). 2024年9月15日閲覧。
- ^ Tan 2015, pp. 26–27.
- ^ Tan 2015, p. 38.
- ^ “Malaysian webcomic commentary”. R.AGE (2017年2月7日). 2024年9月16日閲覧。
- ^ スラヤ 2019, pp. 145–146.
- ^ Lent 2015, No.169/342.
- ^ Chan 2018, pp. 209–210.
- ^ “Malaysia’s Erica Eng wins prestigious Eisner Award with Fried Rice webcomic”. South China Morning Post (2020年7月28日). 2024年9月17日閲覧。
- ^ a b Chan 2018, p. 224.
- ^ Abd Razak & Ibnu 2022, p. 39.
- ^ Rajendra 2015, p. 12.
- ^ a b ジェトロ・クアラルンプール事務所 (2023年12月28日). “マレーシアにおけるコンテンツ市場(主にアニメ関連の市場)(マレーシア・クアラルンプール発)”. JETRO. 2024年11月2日閲覧。
- ^ 渡部宏樹 (2023年8月4日). “東南アジア最大のアニメ・マンガ・ゲームのイベント クアラルンプール「コミック・フィエスタ(Comic Fiesta)」レポート”. Media Arts Current Contents. 2024年9月16日閲覧。
- ^ a b Chow, Omar & Rahman 2021, p. 2.
- ^ Muliyadi 1997, p. 46.
- ^ a b Chow, Omar & Rahman 2021, p. 6.
- ^ a b Lent 2015, No.168/342.
- ^ Chow, Omar & Rahman 2021, p. 11.
- ^ Chow, Omar & Rahman 2021, pp. 10–12.
- ^ 顔 2015, pp. 73–74.
- ^ a b Chow, Omar & Rahman 2021, p. 18.
- ^ Junid & Yamato 2019, pp. 69, 79.
- ^ Chow, Omar & Rahman 2021, pp. 9, 12.
- ^ Junid & Yamato 2019, pp. 78–79.
- ^ Junid & Yamato 2019, p. 70.
- ^ Junid & Yamato 2019, p. 69.
- ^ Rosman & Abdullah 2018, pp. 22–23.
- ^ a b Rosman & Abdullah 2018, p. 23.
- ^ スラヤ 2019, pp. 52–53.
- ^ a b Nasir 2021, p. 64.
- ^ スラヤ 2019, p. 52.
- ^ スラヤ 2019, p. 78.
- ^ スラヤ 2019, p. 54.
- ^ a b c d Lent 2015, No.160/342.
- ^ スラヤ 2019, pp. 54–56.
- ^ Chan 2023, p. 3/12.
- ^ Provencher 1990, pp. 8, 22.
- ^ 塩崎 2007, p. 113.
- ^ Provencher 1990, p. 22.
- ^ Lent 2015, No.168-169/342.
- ^ a b c Tan 2015, p. 21.
- ^ Tan 2015, p. 31.
- ^ Tan 2015, p. 30.
- ^ Tan 2019, p. 41.
- ^ “X-VENTURE: Primal Power”. Gempak Starz. 2024年11月1日閲覧。
- ^ “マレーシア発の学習マンガ『どっちが強い!?』が大ウケした理由 2月期月間ベストセラー時評”. Real Sound (2020年3月6日). 2024年9月15日閲覧。
- ^ “インバウンドコミック編集部・奥村勝彦編集長インタビュー”. コミックナタリー (2020年9月30日). 2024年9月16日閲覧。
- ^ Chan 2023, p. 1/12.
- ^ スラヤ 2019, p. 14.
- ^ スラヤ 2019, p. 86.
- ^ スラヤ 2019, p. 89.
- ^ スラヤ 2019, p. 88.
- ^ スラヤ 2019, p. 87.
- ^ スラヤ 2019, p. 31.
- ^ スラヤ 2019, pp. 7–8.
- ^ Muliyadi 2012, pp. 120, 123.
- ^ スラヤ 2019, pp. 13–14.
- ^ Junid & Yamato 2019, p. 68.
- ^ 顔 2011, pp. 3–4.
- ^ Chan 2018, p. 211.
- ^ Chan 2018, pp. 208–209.
- ^ Chan 2023, p. 8/12.
- ^ スラヤ 2019, 要旨, pp. 13-14.
- ^ Karna 2014, p. 12.
- ^ Gallop 2022, p. 68.
- ^ Gallop 2022, pp. 44–45.
- ^ “New exhibition charts birth and rise of Malaysian cartoons”. New Straits Times (2018年1月6日). 2024年11月5日閲覧。
- ^ “Larger than life”. The Star Malaysia. (2017年4月2日) 2024年11月5日閲覧。
参考文献
[編集]- Abd Razak, Anwar Rizziq; Ibnu, Ireena Nasiha (2022). “The Influence of Manga and Anime on New Media Students' Creative Development”. EDUCATUM Journal of Social Sciences 8: 37-45. doi:10.37134/ejoss.vol8.sp.4.2022.
- Chan, Rachel Suet Kay (2018). “Breaking Windows: Malaysian Manga as Dramaturgy of Everyday-Defined Realities”. JATI-Journal of Southeast Asian Studies 23 (2): 205-229. doi:10.22452/jati.vol23no2.10.
- Chan, Rachel Suet Kay (2023). “Towards Manga as Cultural Potpourri: Dramaturgy of Ethnicity and Diversity in Selected Malaysian Manga”. Journal of Ethnic and Diversity Studies 1 (1) 2024年10月20日閲覧。.
- Chow, Yean Fun; Omar, Hasuria Che; Rahman, Wan Rose Eliza Abdul (2021). “Manga Translation and Censorship Issues in Malaysisa”. KEMANUSIAAN the Asian Journal of Humanities 28 (1): 1-21. doi:10.21315/kajh2021.28.1.1.
- Gallop, Annabel Teh (2022). “Malay Comic Books from the 1950s and 1960s in the British Library”. Southeast Asia Library Group Newsletter (54): 44-70. doi:10.2991/bcm-17.2018.57 2024年9月16日閲覧。.
- Junid, Iman; Yamato, Eriko (2019). “Manga Influences and Local Narratives: Ambiguous Identification in Comics Production”. Creative Industries Journal 12 (1): 66-85. doi:10.1080/17510694.2018.1542941.
- Kamal, Julina Ismail; Haw, Kam Chin; Bakhir, Norfarizah Mohd (2017). “Sustaining Malay Comic Design: Transformation from Paper to Digital”. Proceedings of the 4th Bandung Creative Movement International Conference on Creative Industries 2017 (4th BCM 2017). 41. 295–298. doi:10.2991/bcm-17.2018.57. ISBN 978-94-6252-478-1
- Karna, Mustaqim (2014). Reading the Visual of Malaysian Comics: A Study on Comics as an Artform (Doctor of Philosophy thesis). Universiti Teknologi MARA. 2024年10月3日閲覧。
- Lent, John A. (2015). “Malaysia”. Asian Comics (English, Kindle ed.). University Press of Mississippi. pp. 153-174. ASIN B00QTYUIWG
- Mohd Noor Merican, Ahmad Murad (2020). “Warta Jenaka and Wak Ketok: visualising the other in early Malay editorial cartoons”. Jurnal Pengajian Media Malaysia 22 (2): 31-48 2024年10月3日閲覧。.
- Muliyadi, Mahamood (1997). “The Development of Malay Editorial Cartoons”. Southeast Asian Journal of Social Science 25 (1, Special Focus: Cartooning and Comic Art in Southeast Asia): 37-58. doi:10.1163/030382497X00031. JSTOR 24492449.
- Muliyadi, Mahamood (2012). “The Role of Cartoon in the Formation of Asian Community: Art History Analysis”. Historia Jurnal Pendidik dan Peneliti Sejarah 13 (1): 119-130. doi:10.17509/historia.v13i1.7703.
- Nasir, Suraya Binti Md (2021). “Understanding Manga as a "Style" through Essay Manga's Multimodal Literacies ― And Its Relations to the Discourse on "local art style" in Malaysian Comics”. Border Crossings the Journal of Japanese-Language Literature Studies 13 (1): 61-74. doi:10.22628/bcjjl.2021.13.1.61.
- Provencher, Ronald (1990). “Covering Malay Humor Magazines: Satire and Parody of Malaysian Political Dilemmas”. Crossroads: An Interdisciplinary Journal of Southeast Asian Studies 5 (2): 1-25. JSTOR 40860308.
- Radzi, Mohamad Quzami An-Nuur bin Ahmad; Ibrahim, Nur Hisham; Gani, Muhamad Abdul Aziz bin Ab; Bahari, Nur Liana Kamal (2022). “Visual Characteristics of National Unity in Malaysian Comics”. International Journal of Academic Research in Business and Social Sciences 12 (1): 1787-1792. doi:10.6007/IJARBSS/v12-i1/12063.
- Rajendra, Thusha Rani (2015). “Multimodality in Malaysian Schools: The Case for the Graphic Novel”. The Malaysian Online Journal of Educational Science 3 (2): 11-20 2024年11月11日閲覧。.
- Rifas, Leonard (1984). “Comics in Malaysia”. The Comics Journal 94 (1984-10): 96-101 2024年9月26日閲覧。.
- Rosman, Razan; Abdullah, Sarena (2018). “Wak Ketok and the Quest for Malay Identity in 1930s Malaya”. Journal of the Malaysian Branch of the Royal Asiatic Society 91, part 2 (3): 19-47. doi:10.1353/ras.2018.0016.
- Schaar, Torsten; Lapasau, Merry; Fang, Ng Chwee. “Reading Habits of Malaysian Students beyond Classrooms”. Studies on Foreign Languages and Cultures. Universiti Putra Malaysia Press. pp. 114-138. ISBN 9789673443703 2024年11月6日閲覧。
- Tan, Wan Lee (2019). Study on Contemporary Malaysian Chinese Comic to Investigate Whether the Malaysian Comic Style Has Emerged (BA (Hons) thesis). KBU International College. 2024年10月19日閲覧。
- Wong, Wendy Siuyi (2006). “Globalizing Manga: From Japan to Hong Kong and beyond”. Mechademia: Emerging Worlds of Anime and Manga 1 (1): 23-45. doi:10.1353/mec.0.0060.
- Yamato, Eriko; Eric Krauss, Steven; Tamam, Ezhar; Hassan, Hamisah; Nizam Osman, Mohd (2011). “It’s Part of Our Lifestyle: Exploring Young Malaysians’ Experiences with Japanese Popular Culture”. Keio Communication Review (33): 199-223 2024年11月11日閲覧。.
- Yamato, Eriko (2016). “'Growing as a Person': Experiences at Anime, Comics, and Games Fan Events in Malaysia”. Journal of Youth Studies 19 (6): 743-759. doi:10.1080/13676261.2015.1098769.
- 鵜沢, 洋志「漫画 Lawak Kampus における効果音としてのオノマトペ―マレー英語の事例―」『アジア英語研究』第17巻、2015年、6-27頁、doi:10.50875/asianenglishstudies.17.0_6。
- 顔, 暁暉「マレーシアの漫画における混淆性 ─ 少女漫画家カオルのキャリアを通して」『第3回国際学術会議「マンガの社会性―経済主義を超えて―」』2011年、2024年9月15日閲覧。
- 顔, 暁暉 著、鈴木繁 訳「マレーシアのマンガ ― 少女マンガ家カオル(Kaoru)を通してみる
文化混交 へのアプローチ」、大城, 房美 編『女性マンガ研究: 欧米・日本・アジアをつなぐMANGA』青弓社、2015年、62-83頁。ISBN 978-4-7872-3386-8。 - 塩崎, 悠輝「マレーシアのマレー人ムスリム社会における公共圏の形成とイスラーム主義運動」『一神教学際研究』第3巻、2007年、101-127頁。
- スラヤ, マードナシル(英語)『マンガ的コミックの「マレーシアらしさ」: 文化的アイデンティティとコミック表現をめぐって』(博士(芸術)論文)京都精華大学、2019年。
- 坪井, 祐司「1930年代初頭の英領マラヤにおけるマレー人性をめぐる論争―ジャウィ新聞『マジュリス』の分析から」『東南アジア—歴史と文化—』第45号、2016年、5-24頁、doi:10.5512/sea.2016.45_5。
- 葉, 蕙「マレーシアにおける日本文化 ─ 日本語教育から文学翻訳まで ─」『立命館言語文化研究』第21巻第3号、2013年、83-93頁、2024年10月25日閲覧。
- リム, チェンジュ 著、中垣恒太郎 訳「歴史的記憶のメディアとしてのマンガ/コミックス.シンガポールとマレーシアのコミック」、ジャクリーヌ・ベルント 編『世界のコミックスとコミックスの世界 : グローバルなマンガ研究の可能性を開くために』京都精華大学国際マンガ研究センター〈国際マンガ研究1〉、2010年。ISBN 978-4-905187-02-8。オリジナルの2019年1月29日時点におけるアーカイブ 。2024年9月13日閲覧。
関連文献
[編集]- Karna, Mustaqim; Muliyadi, Mahamood (2022). Reading the Visual of Malaysian Comics: A Study on Comics as an Artform. LAP LAMBERT Academic Publishing. ISBN 978-6205494271
- Muliyadi, Mahamood (2004). The History of Malay Editorial Cartoons (1930s-1993). Utusan Publications & Distributors. ISBN 9789676115232
- Muliyadi, Mahamood (2022). “A Historical Overview of Transnationalism in Malaysian Cartoons”. In Lent, John A.. Transnationalism in East and Southeast Asian Comics Art. Palgrave Macmillan. pp. 187-211. ISBN 9783030952426
- Ngah, Zainab Awang (1984). “Malay comic books published in the 1950s”. Kekal Abadi 3 (3): 4-11 2024年10月2日閲覧。.
- 大和えり子(講演者)、渡部宏樹(司会)『講演:大和えり子先生(RMIT大学): 「2000年代・2010年代のマレーシアにおける日本のポピュラー文化の受容」』(YouTube)2024年11月3日 。2024年11月11日閲覧。
外部リンク
[編集]- “マレーシアにおけるコンテンツ産業調査(2017年3月)”. 日本貿易振興機構 (2017年3月31日). 2024年11月2日閲覧。