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「木村庄之助 (38代)」の版間の差分

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2022年8月14日 (日) 04:03時点における版

41代式守伊之助
41st Shikimori Inosuke
住吉大社での横綱土俵入りにて
(2017年3月4日)
基礎情報
行司名 木村英樹 → 木村和一郎 → 11代式守勘太夫 → 41代式守伊之助
本名 今岡英樹(いまおかひでき)
愛称 ズッコケ行司、ワイチロス、英樹さん
生年月日 (1959-09-22) 1959年9月22日(65歳)
出身 島根県出雲市
所属部屋 高田川部屋
データ
現在の階級 立行司(式守伊之助)
初土俵 1975年5月
幕内格 2005年9月
三役格 2013年5月
立行司 2019年1月
備考
2018年12月25日現在

41代 式守 伊之助(よんじゅういちだい しきもり いのすけ、1959年9月22日 - )は、大相撲立行司高田川部屋所属。本名は今岡 英樹(いまおか ひでき)。

人物

島根県出雲市出身。少年時代は高砂部屋の元大関前の山(8代高田川)のファンで、それが相撲界入りのきっかけとなった。もっとも、最初から行司志望だった訳ではなく(身長が160cmで力士規定に満たないため)、どうしても親方に裏方でもいいから弟子入りしたいと自己PRの手紙を書いているうち、最後の一文に「行司になりたい」と書いてしまったという[1]

1975年5月場所、木村英樹の名で初土俵40代式守伊之助の1場所後輩に当たる。40代伊之助より上の世代とは年齢が離れている(伊之助より1枚上だった4代木村正直(2013年1月死去)とは6歳差)ということもあり、彼とは付き合いが深いようで、新弟子時代は何度も相撲を取って勝負していたという。

肥満体型が印象的で、ニワトリの首を締めたような、やや詰まり気味で太めの掛け声が特徴である[要出典]。立行司昇格以降は後述のように、微妙な一番での差し違えが目立ち、また土俵下に転落や土俵上で転倒してしまったり、負けた力士に軍配を挙げてしまう等、不運にも悩まされている。

2012年1月場所に、木村和一郎から11代式守勘太夫を襲名[注釈 1]

同年5月場所千秋楽、大相撲史上初となる平幕同士の優勝決定戦となった前頭4枚目栃煌山-同7枚目旭天鵬戦(旭天鵬が勝ち初優勝)を、幕内格筆頭行司であった勘太夫が裁いた[注釈 2]

2013年3月17日の理事会において、4月25日付で三役格に昇進することが決まった[3]。これは同年1月場所後に4代正直が亡くなったうえ、5月場所後に立行司36代木村庄之助が定年を迎えることによる。

番付序列と年齢の関係上、序列上位の立行司である40代伊之助が11代勘太夫より誕生日が3か月遅いため、11代勘太夫は立行司となり定年となる65歳まで務めあげたとしても立行司の最高位である木村庄之助を襲名することなく停年退職するものと見込まれていたが、40代伊之助が2017年冬巡業最終日に不祥事を起こしたことにより、その責任を取る形で2018年の1月場所から5月場所まで出場停止・謹慎した上、5月場所終了後の同月28日付で辞職願が受理され、同月末日付で退職した[4]

先代伊之助退職後も立行司昇格は見送られていた[5]が、2018年9月27日の理事会で、初場所の番付発表日の12月25日付で立行司に昇格し、41代式守伊之助を襲名することが決定した[6]。定年まで勤め上げると約6年近く行司の最高位を務めることになる。

立行司に昇格後も、毎日のウォーキングにスクワット100回など、行司として取組の細部をよく見える一番良い位置に、また土俵上での攻防に巻き込まれないよう素早く移動できるよう、年齢に負けないよう鍛錬を重ねている[7]

エピソード

  • 十両格昇進時から20年間(1992年1月場所 - 2011年11月場所)名乗った行司名は木村和一郎(きむら わいちろう)であったが、その和一郎の名は前の山(8代高田川)の本名「和一」からとったものである。
  • 部屋の若い力士の四股名をつけることが得意であるという。中でも剣晃の四股名は入門当時不摂生で顔色が悪かったことから「健康」を願って勘太夫自身が名づけたが、その剣晃は小結まで進むも30歳で病死した。
  • 長男の凜太郎は、高田川部屋所属の力士・前乃勝だったが、2011年3月下旬、稽古場でクモ膜下出血で倒れ、5月の技量審査場所から休場。土俵復帰を目指していたが、2012年6月、ドクターストップが掛かり、19歳で引退した。部屋での断髪式では自ら介添え役の行司を務める一方、娘と共に餞のハサミを入れた。引退後は父の故郷である島根県出雲市で画家として活動している[8]
  • 2015年3月場所限りで37代木村庄之助が停年退職し、立行司が40代式守伊之助1人となったため、同年5月場所より現在に至るまで1日2番裁く取組のうち1番が横綱の取組となること(場所終盤で横綱同士の取組があるときは該当しない)、各場所千秋楽の「これより三役」の触れとその直後の1番を行っている[注釈 3]
  • 2017年1月場所後に、大関・稀勢の里が横綱に昇進したため、次期41代式守伊之助が誕生するまでの間、場所終盤までの裁く2番は横綱戦となる(19年前の4横綱時代、立行司は2人いたが、立行司が裁く取組は3番のため、場所終盤前までは、三役格が1番裁いた。当時裁いた行司は8代式守勘太夫[注釈 4])。
  • 2019年1月場所8日目、第125代天皇明仁が在位中としては最後となる天覧相撲の結びの一番の触れで、歴代の立行司は「この相撲一番にて、結び」と言ってきたが、41代伊之助は「結びにござります」と触れあげた。その理由について、(陛下に対する敬語として)「結び」よりも「結びにござります」のほうがより丁寧な印象があるから、と取組前のNHKの取材に答えている。
  • 立行司昇進後、腰に差している短刀は、兄弟子である木村玉光から託されたものである[9]
  • 2020年5月には脳梗塞で倒れ入院し、2020年7月場所は全休した。一時は歩行が困難な状態にまで陥ったが、リハビリを重ね9月場所からは行司としての復帰を果たした。

土俵上でのハプニング・失態等

軍配差し違え

  • 立行司昇進前
    • 2010年7月場所12日目 平幕豪風-平幕徳瀬川戦
      • 豪風の二丁投げが決まったと見て豪風に軍配をあげたが、豪風が先に膝をついていたため差し違えとなった。
    • 2012年5月場所3日目 関脇豊ノ島-小結安美錦戦
      • 豊ノ島が掬い投げで安美錦を転がしたように見えたが、投げを打つ際豊ノ島のつま先が俵の外に出たと判断し軍配を安美錦にあげた。しかし協議の結果、つま先は出ておらず行司軍配差し違えとなった。
    • 2013年11月場所14日目 小結松鳳山-平幕豊真将
      • 豊真将が松鳳山を押し込んだが、松鳳山が土俵際で突き落としを打ったため勝負がもつれ、両者ほぼ同時に落ちた。勘太夫(当時)は松鳳山の突き落としを有利と見て軍配をあげたが、松鳳山の足が先に出ていたとして差し違えとなった。
    • 2014年1月場所10日目 平幕安美錦-平幕勢戦
      • 勢が安美錦を勢いよく押し込んだが、安美錦が土俵際で掬い投げを打ち勝負がもつれた。勘太夫(当時)は勢の押しを有利と見て軍配をあげたが、勢の肘が先についており軍配差し違えとなった。
    • 2014年7月場所10日目 小結安美錦-平幕松鳳山戦
      • 松鳳山が安美錦を押し込んだが、安美錦が突き落としに行ったため勝負がもつれた。勘太夫(当時)は松鳳山の押しを有利と見て軍配をあげたが、スローで見ると松鳳山の膝がかなり早くついており、差し違えとなった。
    • 2014年9月場所10日目 平幕豊ノ島-小結千代大龍戦
      • 千代大龍が豊ノ島を押し込んだが、豊ノ島が土俵際で突き落としを打ったため勝負がもつれた。行司軍配は千代大龍の押しを有利と見て軍配をあげたが、豊ノ島の足が残っていたと判定され差し違えとなった。しかしNHKの解説では豊ノ島のかかとも微妙なのではないかと放送され、なんとも言えない雰囲気となり、勘太夫自身も動揺からか懸賞金を落としてしまうハプニングを起こした。
    • 2015年7月場所2日目 小結宝富士-大関豪栄道戦
      • 豪栄道が宝富士を押し込んで行ったが、宝富士が土俵際で突き落としを打ち、豪栄道が落ちるのと宝富士が土俵を割るのがほぼ同時に見えた。行司軍配は豪栄道に上がったが、スローで確認したところ宝富士の足が明らかに残っていたため、差し違えとなった。
    • 2017年1月場所2日目 横綱鶴竜-平幕松鳳山戦
      • 寄って行った鶴竜に対して土俵際で小手投げを打った松鳳山に軍配を上げたが、物言いがつき協議の結果松鳳山の足が先に出ていると判断され、差し違えとなった。しかし鶴竜の体も大きく飛んでいたため微妙な一番であった。
    • 2018年1月場所初日 横綱稀勢の里-小結貴景勝
      • 稀勢の里の押しに対して貴景勝が土俵際で引っ掛けを打ち、稀勢の里が早く落ちた。しかし行司軍配は稀勢の里に上がったため、すぐに物言いがつき、協議の結果行司軍配差し違えとなった。
    • 同年7月場所12日目 関脇御嶽海-大関髙安
      • 御嶽海が勢いよく高安を突いて出たが、高安が土俵際で咄嗟の突き落とし、最後は両者がほぼ同時に勢いよく土俵から飛び出した。行司軍配は迷った末に最初は高安に上げたが、その後回し団扇で御嶽海に変更。物言いがつき、館内からは取り直しコールが起こるほど盛り上がったが、協議の結果、高安の足が残っていたため差し違えとなった。この一番で御嶽海は初黒星を喫した。
    • 同年11月場所4日目 横綱稀勢の里-平幕栃煌山
      • 寄って行った稀勢の里に対して栃煌山が土俵際ですくい投げ、稀勢の里の方が早く落ちた。しかし行司軍配は稀勢の里に上がったため物言いがつき、協議の結果差し違え。
  • 立行司昇進後
    • 2019年9月場所6日目 大関栃ノ心-平幕玉鷲
      • 玉鷲が栃ノ心を押し出したかに見えたが、玉鷲の体も飛んでおり、軍配は栃ノ心に上がった。しかし物言いがつき協議の結果、押し出しで玉鷲の勝ちとなった。
    • 同年11月場所千秋楽 関脇御嶽海-小結阿炎
      • 御嶽海が阿炎を突き押しを浴びせて出たが、阿炎が土俵際で叩き込み、御嶽海の体も大きく飛んだため勝負がもつれた。軍配は御嶽海にあがったものの、スローで見ると阿炎が明らかに残っており、差し違えとなった。
    • 2020年1月場所8日目 大関豪栄道-小結阿炎戦
      • 阿炎が土俵際で豪栄道を叩き込んだが、豪栄道に軍配があがったため物言いがつき、差し違えとなった。
    • 同年3月場所14日目 横綱鶴竜-関脇朝乃山
      • 土俵際で投げの打ち合いとなり、軍配は朝乃山に上がったが、朝乃山の肘が先についており、差し違えとなった。
    • 2021年1月場所11日目 平幕隠岐の海-大関正代
      • この一番では一度目の相撲でも物言いがつき、取り直しとなった。取り直し後の相撲では、隠岐の海が正代を寄り倒したかに見え軍配も隠岐の海に上がったが、隠岐の海に勇み足があったため差し違えとなった。打ち出し後、八角理事長に口頭で進退伺を申し出たが慰留された。2019年1月場所場所の立行司昇格後、5度目の差し違え[10]
    • 同年5月場所14日目 平幕遠藤-大関照ノ富士
      • 投げの打ち合いで両者が倒れた際、照ノ富士に軍配を上げたが、3分半にわたる協議の末、照ノ富士の肘が先についているとの判断で、軍配差し違えで遠藤の勝ちとなった。これで立行司昇格後6度目の差し違えとなってしまった[11]
    • 2022年1月場所4日目 平幕若隆景-大関正代戦
      • 若隆景が寄り切ったと見て若隆景に軍配を上げたが、物言いの結果若隆景の右足が先に出ており、勇み足として軍配差し違えで正代の勝ちとなった。
    • 同年1月場所9日目 小結明生-大関正代戦
      • 土俵際で正代がうっちゃり気味に明生を投げたものの、正代の体が明らかに先に落ちており、NHKの解説でも明生の勝ちと放送した。しかし伊之助の軍配は正代に上がり、物言いの結果、軍配差し違えで明生の勝ちとなった。伊之助は「明生が勝ったのは分かっていたけど、東西が分からなかった」と説明した。立行司が一場所中に二度目の差し違いをする異例の事態となった。これに対して八角理事長は、「(4日目の)勇み足は仕方ないけど、今日のはしっかりしなければ駄目だ」などと苦言を呈した[12]。取組後、進退伺を協会に提出したが、八角理事長から慰留を受けた[13]。際どい相撲でないにも拘らず差し違えたことから、一部相撲ファンからも進退論が取り沙汰された[14]
    • 同年3月場所3日目 平幕宇良-横綱照ノ富士戦
      • 照ノ富士が宇良を押し込んだが、宇良が肩透かしに行ったため土俵際でもつれ、ほぼ同時に土俵を割った。伊之助は照ノ富士の足が先に出たと見て宇良に軍配を挙げたが、物言いがつき、協議の結果、宇良の踵が先に土俵を割っていたとして軍配差し違えとなった。これで立行司昇格後9回目、実質的な首席として結びの一番を裁くようになってから12回目の差し違え。

疑惑のニ番

  • 2022年5月場所8日目 小結豊昇龍-大関正代戦
    • 正代が豊昇龍を寄り倒さんとしたが、土俵際で豊昇龍が突き落とし、正代の足の甲が返るのがやや早かった。しかし伊之助の軍配は正代に上がり、物言いがつかなかったためそのまま正代の勝ちとなった[15][16]
  • 同年同場所9日目 関脇若隆景-大関貴景勝戦
    • 取組中に若隆景が右手を土俵についたように見えたが、行司も審判も止めなかったため、勝負は続行。その後若隆景が貴景勝を叩き込み、伊之助は軍配を若隆景に上げた。この一番でも取り組み後に物言いをつける者はいなかったため、そのまま若隆景の勝ちとなった[15][16]
      • 上記の二番はその後すぐさま誤審騒動となり、問題となった[15][16]。もし仮に上記二番が差し違えとなっていた場合、立行司昇格後11回目の差し違えであった。

転倒・転落

土俵からの転落

  • 2003年5月場所12日目
    • 詳細は不明だが、この日の取り組みで土俵から転落。「素早く逃げられなかった。競技の邪魔にならなかったのが幸い」 と語ったという。
  • 2004年11月場所11日目 
    • 詳細不明だが、この日の取り組みで土俵から転落。
  • 2007年5月場所11日目 平幕皇司−平幕春日錦戦
    • 敗れた春日錦をよけ切れず土俵下へ転落し、さらに右足を負傷したためそのまま退いたという。皇司はこの一番に勝ったことで初日からの連敗が止まったが、「感激も忘れてしまった。心配ですね」と行司を気遣った。
  • 2007年9月場所11日目 平幕豪栄道-平幕豪風戦
    • 取り組み中に力士に追われてしまい逃げ場を失ったため、自分から土俵下にジャンプして飛び降り、転落した。
  • 2009年1月場所9日目 平幕北勝力-平幕土佐ノ海
    • 取組中に北勝力の足に躓き土俵上で派手に一回転、そのまま勢いよく土俵下に転落した。すぐに土俵に戻り、軍配を挙げることはできたが、会場は爆笑に包まれた。これは、翌日のスポーツ紙に掲載されるほどの珍事であった。
  • 2010年7月場所14日目 平幕豊真将-平幕徳瀬川
    • 徳瀬川が豊真将を寄り倒す際避けきれず一緒に寄り倒されてしまい、そのまま土俵下に転落した。なおその映像は2010年大相撲名古屋場所エンディングの落ちとして使われてしまった。
  • 2014年7月場所6日目 関脇豪栄道-平幕勢戦
    • 力士に追われてしまいとっさに逃げようとしたが、そのまま勢い余って土俵から落ちた。力士と接触していないのにも関わらず自分から転落する格好となってしまった。
  • 2014年11月場所10日目 平幕安美錦-関脇逸ノ城戦
    • 安美錦が肩透かしを狙って体を開きながら下がってきたため、それをとっさに避けようとしたが、勢い余って土俵下に転落した。
  • 2019年1月場所5日目 横綱白鵬-平幕錦木
    • 取り直しとなった一番で力士に追われてしまい、ジャンプを交えながら力士を避けようとしたが、その際に足捌きが乱れてバランスを崩したため、最後は俵につまずくような格好で土俵下に転落した。しかし勝負が決まる瞬間はしっかり見ており、転落しながらも軍配を離すことなく、また差し違えることなく白鵬に軍配を上げた。
  • 同年9月場所11日目 大関栃ノ心-関脇貴景勝
    • 栃ノ心とぶつかり勢いよく土俵下に転落し、装束が乱れた。この時も転落しながらも軍配を離すことなく、また差し違えることなく貴景勝に軍配を上げた。
  • 2021年3月場所千秋楽 大関朝乃山-大関正代戦
    • 敗れた正代と接触し土俵下に頭から転落、土俵に上がることが出来ず、控えの行司木村玉治郎が代わって軍配を上げ、土俵に上がり勝ち名乗りを上げた。
  • 2021年9月場所14日目 結び大関貴景勝-横綱照ノ富士戦
    • 敗れた貴景勝と接触し土俵下に転落、装束が乱れたものの、すぐに土俵に上がって軍配を上げ、勝ち名乗りを上げた。
  • 2022年5月場所初日 大関御嶽海-平幕高安戦
    • 取り組み中に御嶽海と衝突し、その衝撃で土俵下まで飛ばされ、転落した。

転倒

  • 2013年9月場所3日目 関脇妙義龍-小結髙安
    • 髙安が左上手からの上手捻りで妙義龍を横転させた際、妙義龍の足が勘太夫に危うく接触しかけたが、避ける間もなくバランスを崩し自らも倒れるハプニングがあった。
  • 2013年9月場所10日目 横綱土俵入り
  • 2019年夏場所 土俵祭り
    • 土俵祭りで尻餅をついたという。
  • 2019年11月場所13日目 横綱白鵬-小結阿炎戦
    • 白鵬が阿炎を押し出そうとした際に追われてしまい、咄嗟に逃げようとしが、その時バランスを崩してしまったため力士と接触してもいないのに転倒した。
  • 2020年1月場所14日目 大関豪栄道-平幕松鳳山戦
    • 松鳳山が豪栄道を寄って出たのを避けようとした際バランスを崩し、またもや力士と接触していないのにも関わらず転倒してしまった。この日は天覧相撲であった。
  • また十両格の頃にも、力士に接触していないのに関わらず滑って尻もちをつくように転倒したことがあった。観客は大歓声で、呼出の琴吉たちが笑っている場面もTVに映ったという。

力士との接触

  • 2019年5月場所8日目 大関豪栄道-小結御嶽海戦
    • 御嶽海が豪栄道を寄って行ったのを避けきれず接触し、さらに豪栄道の足に躓いて転倒しそうになったが、なんとか体制を立て直し、無事裁き切った。
  • 2021年1月場所千秋楽 大関朝乃山-大関正代
    • 正代が引きに入った際に避けられず接触し、力士に背を向けたまま一緒に押し出される格好となった。またその際正代に足を踏まれ、草履が脱げた上に勝負が決まる瞬間を見ておらず、勘で軍配を上げた。
  • 2021年5月場所8日目 小結大栄翔-大関照ノ富士戦
    • 照ノ富士が大栄翔を寄って行った際大栄翔の尻と接触し、一緒に押し出されそうになるも、土俵際で上手くかわしたため軽い接触で済んだ。
  • 2022年1月場所12日目 大関正代-平幕北勝富士
    • 正代が体を開きながら北勝富士を叩き込んだ際、とっさに避けきれず倒れてきた北勝富士と接触した。勝負には影響がなかった。
  • 2022年5月場所14日目 横綱照ノ富士-大関正代戦
    • 照ノ富士が正代を寄って行った際、正代と接触し一緒に寄り切られそうになったが、力士に背を向けながらなんとかかわしたため、転落は免れた。

草履が脱げる

  • 2014年初場所千秋楽 平幕隠岐の海-平幕豊響戦
    • 力士と接触しそうになり必死で逃げた際、草履が脱げてしまった。その後何事もなかったかのように履き直した。
  • 2015年1月場所6日目 大関稀勢の里-平幕勢戦
    • 稀勢の里が勢を送り出す際に接触しそうになり、足捌きが乱れた。なんとか接触は免れたが、両足の草履が吹っ飛ぶ事態となり履き直すのに難儀したため、稀勢の里と勢の両力士は勘太夫(当時)が草履を履き終わるのを待ちきれず先に礼をして土俵を降りようとし、注意を受けた。
  • 2021年1月場所千秋楽 大関朝乃山-大関正代
    • 力士との接触を参照。
  • 2022年5月場所10日目 大関御嶽海-平幕翔猿
    • 力士に追われてしまい、激しく逃げ回った際草履が脱げてしまった。取り組み終了後に草履は回収し履き直した。
  • 2022年5月場所12日目 横綱照ノ富士-関脇若隆景
    • 取り組み中に草履が脱げてしまったが、履き直すことを諦め、土俵下に草履を放り投げた。その後草履は控え行司木村容堂により回収された。
  • 2022年5月場所14日目 横綱照ノ富士-大関正代戦
    • 力士と接触し、その際に草履が脱げてしまった。これで1場所で3回も草履が脱げる異常な事態となってしまったが、草履は無視して力士への勝ち名乗りを優先し、その後呼出の耕平に草履を持ってきてもらうなど、冷静に対処した。

まわし団扇 

  • 2017年5月場所初日 平幕千代の国-横綱白鵬戦
  • 2018年7月場所12日目 関脇御嶽海-大関髙安戦
  • 2021年1月場所13日目 関脇隆の勝-大関正代戦
  • 2022年7月場所5日目 平幕宇良-大関御嶽海戦

まわし待ったでの失態 

  • 2022年7月場所8日目 横綱照ノ富士-平幕若元春
    • およそ2分の長い相撲の末、四つに組み合った展開で若元春が前に出て照ノ富士を寄り切ったが、若元春が前に出ようとするのとほぼ同時に、行司の式守伊之助が行った「まわし待った」が成立したか否かの物言いがついた。
    • 若元春は上手を取った態勢で回しをつかむなど有利な態勢だったが、若元春のまわしがかなり緩んでおり、その状況での判断とみられる。両者が90度回った時には締めの部分が外れた状態のうえ、照ノ富士の手が回しに掛ったため、まわし待ったとして若元春側から駆け寄った。この時、照ノ富士からのみ伊之助が確認できる位置であったのと、まわし待ったの声も小さかったこと、さらには若元春が出ようとしたのと伊之助が待ったをかけようとしたタイミングが丁度重なってしまったため、若元春はまわし待ったに気づかず一気に攻め、まわし待ったに気づいて力を抜いた照ノ富士が若元春に寄り切られる形であっさりと土俵を割った。
    • その際伊之助にはまわし待ったを主張し続けるか、勝負続行とするか迷っていたような行動が見られ、若元春が寄って出た際も土俵際を見極めようとするなど中途半端な態度を取ったが、照ノ富士が土俵を割った後再びまわし待ったを主張するように、照ノ富士の手を持ち軍配で土俵を差した。
    • それらの一連の行動に対して勝負審判から物言いがつき、2分半を超える協議の末、佐渡ヶ嶽審判長が館内に対し、「行司がまわし待ったをしたときに、動いてしまいましたので、まわし待ったの状態から再開します」とまわし待ったが成立していた旨を説明、ビデオ室の親方と連絡を取り合い、およそ4分半をかけて、照ノ富士と若元春の足の位置など体勢を確認して勝負を再開、しかし照ノ富士にやや有利的な廻しの取り方で再現する形となってしまったこともあり[注釈 5]、再開後の取り組みでは照ノ富士が切り返して若元春を下し、若元春の金星は幻となった[17][18]
    • この件について、当日NHK大相撲中継で解説を務めた舞の海秀平からは、「行司の大失態と言われても仕方ないですね」[19]、解説者の北の富士勝昭からも「立行司にしてはあまりにもお粗末が過ぎる」「すぐに進退伺を出すだろうが、今回はそれで済まされないほどの失態だっただけに協会の処分は重いものになるだろう」とコメントされる始末であった[20]
    • また、37代木村庄之助は、「審判規定には“行司は動きを止めて、(まわしを)締め直させることができる”とある。だから『まわし待った』をかける判断自体は間違っていなかった」としつつ、「まわしが緩んでも力士が動いている時は止めない。そのタイミングが少し遅れたんだろうが、止める時は思い切って止めないといけない」との見解を述べた。また、力士が動いている時に止めてしまったため、元の体勢のまま再開させることが困難になり、結果的に照ノ富士にやや有利的な廻しの取り方で再現する形となってしまったことを指摘した[21]
    • 35代木村庄之助も「まわし待ったをかける判断は間違っていなかった」としつつ、タイミングが少し遅かった点や、まわし待ったをかけても動いていたら止めなければならなかったと指摘。また大きな声で止めることの重要性を主張した。また36代木村庄之助も止めるタイミングがずれたことについて指摘したという[22]

その他

  • 勝ち名乗りの誤り
    • 2013年5月場所5日目 平幕宝富士-平幕碧山
      • 碧山が宝富士を引き落としに破ったが、勘太夫は碧山に「宝富士~」と四股名を誤って勝ち名乗りを上げてしまい、いったん土俵下に降りた碧山を呼び戻し、改めて勝ち名乗りを上げ直した。碧山は初日から5連勝であったが、なぜか翌日から白星に見放され千秋楽まで10連敗し、この場所5勝10敗の成績であった。
  • 懸賞金を落とす
    • 2014年9月場所10日目 平幕豊ノ島-小結千代大龍
  • 水入りの際の体勢確認不十分
    • 2015年1月場所14日目 平幕照ノ富士-関脇逸ノ城戦
    • 同年3月場所14日目 関脇照ノ富士-平幕逸ノ城戦
      • 2場所連続水入りとなる取り組みを裁いたが、足の位置を決める動作は良かったものの(1月場所は水入りの場合の確認手順不足もあり、足の位置も十分な確認はとれていないまま水に分かれてしまった)、水入り前の両者の廻しの位置の確認が十分ではない状態で勝負を再開してしまった[注釈 6]
  • 顔触れ言上の紙を落とす
    • 2018年1月場所13日目
  • 以上のように、軍配差し違えや土俵からの転落などのミスや失態が度々生じていることから、なかなか木村庄之助への昇進が叶わず、40代式守伊之助もミスや失態が度々生じて結局不祥事を起こして退職したこともあり、木村庄之助空位の状態が長期化する原因となっている。

20年ぶりの「三役格行司」の結びの一番

  • 2015年11月場所、8日目から3日間の出場停止となった40代式守伊之助に代わり、結びまでの2番を裁いた。立行司以外が結びの一番を裁くのは、木村庄之助式守伊之助が不在だった1994年3月場所以来[23]
  • 2度目は、2017年5月場所7日目から10日目まで、立行司40代式守伊之助が咽頭炎のため休場[注釈 7]。それに伴い、2015年11月場所9日目以来となる、結び2番を裁くことになった。なお、11日目より40代伊之助が復帰したため、1994年3月場所以来、23年ぶりとなる「三役格行司」が千秋楽の触れを行うことはなかった[注釈 8]
  • 3度目は、2018年1月場所は前述の通り立行司40代式守伊之助が不祥事により出場停止のため、再び結び2番を裁くことになり、23年ぶりに「三役格行司」が千秋楽の触れを行った。40代伊之助は不祥事発覚直後に提出していた辞職願が出場停止処分が明けた5月末日をもって正式に受理され、退職した。そのため7月場所からは番付上でも立行司が空位となり、2019年1月場所に41代式守伊之助を襲名するまでの間、三役格筆頭行司として結び2番を裁くこととなった。

掛け声

呼び上げ、勝ち名乗り

ハ行を多く使用する (例)

  • しょほだひ〜(正代)
  • たかけひしょほ〜(貴景勝)
  • あびひ〜(阿炎)
  • うらは〜、うふらは〜(宇良)
  • ことのほわか〜(琴ノ若)
  • たまはわし〜(玉鷲)
  • いちのほじょほ〜(逸ノ城)

結びの触れ 

  • 番数も取り、進みひましたるところっ、かたや○○、○○、こなた△△、△△、この相撲一番にて本日のっ、打ちひ止んめへぇ〜

経歴

脚注

注釈

  1. ^ これまでの勘太夫の襲名は、式守與之吉を経て襲名することがほとんどであったが、與之吉を経ず襲名し、大相撲関係者を驚かせた。しかし、前例のケースを経ず襲名するのは、40代式守伊之助(木村吉之輔→11代式守錦太夫。錦太夫は、通常、式守慎之助を経て襲名)のパターンがある。
  2. ^ 優勝決定戦に於いては出場力士の番付最上位の格に合う行司が裁くという規定があるため。この時の栃煌山対旭天鵬戦の場合は共に平幕力士による優勝決定戦であったことから、その当時、幕内格行司の筆頭であった11代勘太夫が務めた[2]
  3. ^ これより三役の残り2番は式守伊之助が合わせる。よって、勘太夫は役相撲にかなう力士(勝ち力士)に懸賞がかかっている場合は懸賞金と弓矢の矢を手渡す。
  4. ^ ただし、当時の29代式守伊之助が体調不良等での休場が続き、2番裁くことが比較的多かった。その場合は、2代木村容堂が1番裁く。
  5. ^ 廻しの結び目が緩んだり、ほどけかかったり、(廻しの)締め付けが緩かったり、(廻しの締め付けが緩い事が原因である事が多いが)一枚廻しになり廻しが伸びたりする等して、廻しが緩んだり結びがほどけそうになった時に、行司が両力士を止めて、行司が廻しを絞め直す(結び直す)のだが、一枚廻しになっている時は、結び目は絞め直す(結び直す)が、一枚廻しはそのまま再現した状態でなくてはならない。今回の場合は、照ノ富士が掴み持った若元春の廻しは伸びていたが、物言いの協議中に土俵下で控えの力士の手を借りて廻しを絞め直していた為、若元春の廻しの伸びは直っていた。協議後、ビデオ室と連絡をとりながら手足の位置や廻しを取っていた位置を調整したのだが、一般的に力が伝わりにくいとされる一枚廻しになっておらず(再現されておらず)、照ノ富士に有利的な廻しの取れ方になっていた。
  6. ^ 両者の態勢の最終的な決定はビデオ室からの情報を基に勝負審判が決めることとなっているため、行司が勝負審判(特に正面審判長)の了解なしの状況では勝負再開はできないが、勝負審判が体勢不十分のまま取組再開の合図を出してしまったため。
  7. ^ 伊之助の声の不調は初日からであったが、日を追うにつれ悪化し、休場前日の6日目は伊之助本来の甲高い発声と程遠い声で異変に気付く人も多かった。
  8. ^ 当時、千秋楽の触れを行ったのは、序列上位であった3代木村善之輔(後の29代式守伊之助)。

出典

  1. ^ 行司の頂点、新・式守伊之助 差し違えなら「切腹」覚悟:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2019年1月21日閲覧。
  2. ^ 優勝決定戦 相撲記者・佐々木一郎
  3. ^ 相撲協会が理事会”. 日刊スポーツ (2013年3月17日). 2013年3月17日閲覧。
  4. ^ “セクハラ式守伊之助の辞職で24年ぶり立行司不在に”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2018年6月1日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201806010000159.html 2018年6月4日閲覧。 
  5. ^ 次期立行司昇格に向けての最初の場所初日に土俵裁きでいきなりの差し違えや軍配の迷いが時折あったり、他の三役行司も差し違い等があり、立行司に求められる点での失点があり、すぐには決まらなかった。勘太夫本人も「手つき不十分」での行司待ったでは体を張って両力士の間に割って止めるなど、筆頭行司としての役目はしっかり果たしていた。
  6. ^ “三役格行司の式守勘太夫が41代式守伊之助に昇進”. 日刊スポーツ. (2018年9月27日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201809270000765.html 2018年9月27日閲覧。 
  7. ^ 41代式守伊之助59歳 日課はスクワット100回 - 大相撲裏話 - 相撲・格闘技コラム : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2019年1月28日閲覧。
  8. ^ “元力士、絵画とがっぷり四つ 父の故郷で再出発”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2018年5月2日). https://mainichi.jp/articles/20180502/k00/00e/040/304000c 2019年3月2日閲覧。 
  9. ^ 伊之助 兄弟子継ぐ短刀”. 朝日新聞デジタル (2019年1月28日). 2022年1月18日閲覧。
  10. ^ 結び正代戦差し違え式守伊之助が進退伺 理事長慰留 日刊スポーツ 2021年1月20日20時33分 (2021年1月21日閲覧)
  11. ^ 立行司の式守伊之助が進退伺、照ノ富士―遠藤戦で差し違え”. 読売新聞オンライン (2021年5月22日). 2022年1月18日閲覧。
  12. ^ 式守伊之助また軍配差し違え「しっかりしなければ駄目だ」八角理事長”. 日刊スポーツ (2022年1月17日). 2022年1月18日閲覧。
  13. ^ 第41代式守伊之助が1場所2度の差し違え 打ち出し後に進退伺い提出も理事長慰留 Sponichi Annex 2022年1月17日 19:54 (2022年1月20日閲覧)
  14. ^ 大相撲、また正代戦でミス「わざとやってんのか」厳しい指摘も 八角理事長も苦言、相次ぐ差し違え・接触に引退待望論も リアルライブ 2022年01月18日 15時30分 (2022年3月26日閲覧)
  15. ^ a b c 大乱調の五月場所で微妙な判定続出…大相撲審判に「物言いつけろ」の声声声
  16. ^ a b c 夏場所の誤審騒動 なぜ物言いがつかなかったのか、なぜビデオ係は指摘できなかったのかを検証
  17. ^ “大相撲8日目 結びの一番 「まわし待った」の成立巡り審判協議”. NHK NEWS WEB. (2022年7月17日). https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220717/k10013723071000.html 2022年7月17日閲覧。 
  18. ^ "【珍事】佐渡ケ嶽審判長「若元春は聞こえなかったんですかね」結びでのまわし待ったを説明". ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 17 July 2022. 2022年7月18日閲覧
  19. ^ “【珍事】舞の海氏「行司の大失態と言われても仕方ない」まわし待ったに厳しい言葉「前代未聞」”. 日刊スポーツ. (2022年7月17日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202207170001217.html 2022年7月18日閲覧。 
  20. ^ “【北の富士コラム】照ノ富士と若元春 実に後味の悪い結果。立行司にしてはあまりにもお粗末が過ぎる。”. 中日スポーツ. (2022年7月18日). https://www.chunichi.co.jp/article/510126?rct=chuspocolumn&ref=spo_top_pc_listnews 2022年7月18日閲覧。 
  21. ^ 追悼・37代木村庄之助「亡くなる3日前」に語っていた式守伊之助「まわし待った」騒動への見解、そして行司の仕事への誇り”. NEWSポストセブン (2022年7月26日). 2022年7月30日閲覧。
  22. ^ 「まわし待った」騒動について2人の木村庄之助に見解聞いた 35代は佐渡ケ嶽親方を称賛”. 日刊スポーツ (2022年7月19日). 2022年8月12日閲覧。
  23. ^ 式守勘太夫が結びの裁き 伊之助の出場停止で代役:日本経済新聞
先代
40代式守伊之助
式守伊之助 (41代)
2019年 -
次代
(襲名中)