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第三次世界大戦だいさんじせかいたいせんはもうはじまっている
著者 エマニュエル・トッド
訳者 大野舞、編集部
発行日 2022年令和4年6月20日
発行元 文藝春秋
ジャンル ノンフィクション
形態 新書
ページ数 206
前作 『老人支配国家日本の危機』(2021年)
公式サイト books.bunshun.jp
コード 978-4-16-661367-0
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第三次世界大戦はもう始まっている』はフランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドのインタビュー集。ウクライナ紛争 (2014年-)2022年ロシアのウクライナ侵攻に関する評論である。アメリカの国際政治学者ジョン・ミアシャイマーの動画[1][2]の影響を受けて発言されたインタビューが中心となっている。本書のインタビューの一部は『文藝春秋』(2022年(令和4年)5月号、94-104頁)に「日本核武装のすすめ」として掲載された。本書は2022年(令和4年)6月20日文春新書として発行された[注釈 1][注釈 2][注釈 3]。同じテーマのインタビューが『日経ビジネス』、『中央公論』、『Voice』に掲載された。

目次

  1. 第三次世界大戦はもう始まっている 13
    • “冷酷な歴史家”として 15
    • 「戦争の責任は米国とNATOにある」 17
    • ウクライナNATOの“事実上”の加盟国だった 18
    • ミュンヘン会談よりキューバ危機 19
    • NATOは東方に拡大しない」という約束 20
    • ウクライナを「武装化」した米国と英国 22
    • 「手遅れになる前にウクライナ軍を破壊する」が目的だった 23
    • ウクライナ軍が抵抗するほど戦争は激化 24
    • 米国にとっても「死活問題」に 25
    • 我々はすでに第三次世界大戦に突入した 27
    • 二〇世紀最大の地政学的大惨事」 28
    • 冷戦後の米露関係 30
    • 戦争前の各国の思惑 31
    • 超大国は一つだけより二つ以上あるほうがいい 32
    • 起きてしまった事態に皆が驚いた 33
    • 米国の誤算 34
    • ロシアにとっても予想外 36
    • 共同体家族のロシアと核家族のウクライナ 37
    • 「国家」として存在していなかったウクライナ 39
    • 「親EU派」とは「ネオナチ」 41
    • ネオナチと手を組んだヨーロッパ 42
    • 家族構造とイデオロギーの一致 43
    • 共産主義を生んだロシアの家族構造 45
    • 家族構造の違いから生じたホロドモールの惨劇 46
    • ボリシェヴィズムが初期から定着したラトビアの家族構造 47
    • ヨーロッパ最後の独裁者」を擁するベラルーシの家族構造 48
    • 「近代化の波」は常にロシアからやって来た 49
    • 国家建設に成功したロシアと失敗したウクライナ 51
    • プーチンの誤算 52
    • ロシアはすでに実質的に勝利している 54
    • 西欧の誤算 56
    • 欺瞞に満ちた西欧の“道徳的態度” 57
    • オリガルヒへの制裁は無意味 58
    • ロシア恐怖症」 60
    • 暴力の連鎖 61
    • 消耗戦」が始まる 63
    • 中国はロシアを支援する 64
    • 米国と西側の経済は耐えられるか 65
    • 経済の真の実力はGDPでは測れない 66
    • ウクライナ相手に貿易赤字だった米国 67
    • 経済における「バーチャル」と「リアル」の戦い 69
    • 対露制裁で欧州は犠牲者に 70
    • 米国の戦略目標に二重に合致したウクライナ 71
    • NATO日米安保の目的は日独の封じ込め 73
    • 現実から乖離したゼレンスキー演説 74
    • エストニアラトビアという例外 76
    • 予測可能な国と予測不能な国 77
    • ポーランドの動きに注意せよ 79
    • 最も予測不能な米国 80
    • ネオコン一家」ケーガン一族 81
    • 世界を“戦場”に変える米国 83
    • 米国の“危うさ”は日本にとって最大のリスク 84
    • を持つとは国家として自律すること 85
    • 核共有」も「核の傘」も幻想にすぎない 87
    • 米国に対する怒り 88
    • 西洋は「世界」の一部でしかない 89
    • 長期的に見て国益はどこにあるか 90
  2. ウクライナ問題」をつくったのはロシアでなくEUだ 91
  3. ロシア恐怖症」は米国の衰退の現れだ 111
    • 米露を“歴史的ペア”として分析する 113
    • なぜか悪化した米国の対露感情 114
    • 人口動態が示す米露の現状 116
    • ロシアの復活と米国の危機 118
    • 冷戦を捉え直す 119
    • 実は補完し合っていた米のシステム 120
    • 「黒人も平等」が「白人間の平等」を破壊 123
    • 高等教育による「新たな階層化」 124
    • “挟み撃ち”に遭った「白人の平等」 125
    • ベトナム戦争での敗北 126
    • 新自由主義」が生まれたのはなぜか 127
    • の相互破壊 128
    • 人種」にこだわり続ける米国社会 130
  4. ウクライナ戦争」の人類学 133
    • 第二次世界大戦より第一次世界大戦に似ている 135
    • 軍事面での予想外の事態 136
    • 経済面での予想外の事態 137
    • 正しかったミアシャイマーの指摘 139
    • ミアシャイマーへの反論 140
    • 米国は戦争にさらにコミットする 141
    • 時代遅れの「戦車」と「空母」 143
    • 米国の戦略家の“夢”を実現 145
    • ポーランドの存在感 146
    • “真のNATO”に独仏は入っていない 147
    • ウクライナの分割 148
    • この戦争の“非道徳的な側面” 150
    • ウクライナ西部のポーランド編入 151
    • ウクライナ侵攻に対する各国の反応 152
    • 家族構造における父権性の強度 153
    • 人類学から見た世界の“安定性” 160
    • 民主主義陣営VS専制主義陣営」という分類は無意味 162
    • 露中の「権威的民主主義」 163
    • ロシアと中国の違い 164
    • ロシアの女性とキリスト教 165
    • 現在の英米は「自由民主主義」とは呼べない 167
    • 「リベラル寡頭制陣営VS権威的民主主義陣営」 169
    • 日本・北欧・ドイツ 170
    • リベラル寡頭制陣営の「民族主義的な傾向」 171
    • 権威的民主主義陣営の「生産力」に依存 172
    • 「高度な軍事技術」よりも「兵器の生産力」 173
    • 米露の生産力 175
    • ヨーロッパ経済はインフレに耐えられるか 177
    • 真の経済力は「エンジニア」で測られる 184
    • 本来、この戦争は簡単に避けられた 188
    • 西洋社会が虚無から抜け出すための戦争 189
    • 第一次世界大戦中産階級の集団的狂気 190
    • 英国は病んでいる 192
    • 地政精神分析学」が必要だ 193
    • なぜ中国よりもロシアが憎悪の対象になったのか 194
    • 反露感情」で経済的に自殺するドイツ? 196
    • 現時点では一歩引いた方がいい 198
    • マリウポリから脱出したフランス人の証言 200
    • ウクライナに兵器を送るべきだ」の冷酷さ 201
    • 米国が“参戦国”として前面に 203
    • “軍事支援”でウクライナを破壊している米国 204

 

収録情報

  1. 第三次世界大戦はもう始まっている
  2. 「ウクライナ問題」をつくったのはロシアでなくEUだ
    • 原題
      We Live in a World of Ailing Powers
      聞き手
      マチェイ・ノーウィッキ(Maciej Nowicki)
      初出
      Aspen Review, 2017年平成29年3月15日
      翻訳
      編集部
  3. 「ロシア恐怖症」は米国の衰退の現れだ
  4. 「ウクライナ戦争」の人類学
    • 収録日
      2022年(令和4年)4月20日
      注釈
      収録後に一部加筆。
      翻訳
      大野舞

内容

トッドは、2022年(令和4年)2月24日に勃発したウクライナ戦争に関して、「西洋諸国では、地政学的思考や戦略的思考がまったく姿を消してしまい、皆が感情に流されています」[6]と指摘し、それに対して、米国では「この戦争が、地政学的・戦略的視点からも論じられている」[6]として、国際政治学者ジョン・ミアシャイマーの説を紹介している。

ミアシャイマーの説明

ミアシャイマーによれば、「いま起きている戦争〔ウクライナ戦争〕の責任は、プーチンやロシアではなく、アメリカとNATOにある」[6][注釈 4]。それはなぜかというと、1990年(平成2年)の時点でソ連と米国・NATOとの間には「NATOは東方に拡大しない」という約束があった[7]のに、1999年(平成11年)にポーランドハンガリーチェコがNATOに加盟し[8]、さらに2004年(平成16年)にルーマニアブルガリアスロバキアスロベニアエストニアラトビアリトアニアがNATOに加盟[8]することにより、約束が破られたからである。さらに、2008年(平成20年)4月にブカレストで開催されたNATOの首脳会議で「グルジア(現・ジョージア)とウクライナを将来的にNATOに組み込む」ことが宣言された[9]。「その直後、プーチンは緊急記者会見を開き、「強力な国際機構が国境を接するということはわが国の安全保障への直接的な脅威と見なされる」と主張」[9]した。2014年(平成26年)2月22日、ウクライナで、「ユーロマイダン革命」と呼ばれるクーデタが発生し親露派のヤヌコビッチ政権が倒される[9]と、「ロシアはクリミアを編入し、親露派が東部のドンバス地方を実効支配」[9]することになった。それに対して、「アメリカとイギリスが、高性能の兵器を大量に送り、軍事顧問団も派遣して、ウクライナを「武装化」して」[10]、「“事実上”NATOに組み入れ」[10]ることになった。こうした動きに対してロシアは「日増しに強くなるウクライナ軍を手遅れになる前に破壊する」[10]必要があり、それがウクライナ戦争の原因になったのである。

ミアシャイマーの説とトッドの説との違い

そして、ミアシャイマーは、「ロシアはアメリカやNATOよりも決然たる態度でこの戦争に挑むので、いかなる犠牲を払ってでもロシアが勝利するだろう」[11][注釈 5]と述べているが、トッドは別の意見を述べている。すなわち、「もし、ロシアの勝利を阻止できなかったとしたら、〔中略〕アメリカの威信が傷つき、アメリカ主導の国際秩序が揺るがされることになる」[12]ので、「ウクライナ問題は、アメリカにとっても、それほどの「死活問題」」[12]になり、「アメリカはこの戦争に、彼〔ミアシャイマー〕が想像する以上に深くのめり込む可能性がある」[12]という[注釈 6]

グローバル化するウクライナ戦争

トッドによると、本来は「ローカルな問題」[15]であったウクライナ戦争がアメリカや西側諸国を巻き込む形で「グローバル化=世界戦争化」[16]してしまったため、「我々はすでに第三次世界大戦に突入した」[17]という。そして、「ウクライナ軍は、アメリカとイギリスの指導と訓練によって再組織化され、歩兵に加えて、対戦車砲対空砲も備えています。とくにアメリカの軍事衛星による支援が、ウクライナ軍の抵抗に決定的に寄与しています」[17]と説明し、その結果「ロシアとアメリカの間の軍事的衝突は、すでに始まっているのです」[17]と解説している。

ブレジンスキーの説

トッドは、アメリカの国際政治学者ズビグネフ・ブレジンスキーの説を紹介して、「ウクライナなしではロシアは帝国になれない」[18]、ロシアが「アメリカに対抗しうる帝国となるのを防ぐには、ウクライナをロシアから引き離せばよい」[18]と解説している[注釈 7][注釈 8]

中国はロシアを支援する

トッドによると、『環球時報[注釈 9]を読めばわかるように、中国政府と中国の国民は「圧倒的にロシアに親近感を抱いている」[20]。さらに、もしロシアが倒されれば次に狙われるのは中国になるから、中国は「最終的にはロシアを支援するのではないか」[21]と予想している。

ミアシャイマーによると、この戦争の「最大の勝者は中国」になるという[22]。第一の理由は、ウクライナ戦争のためアメリカが東アジアへの「軸足移動ピボット」ができなくなるからである[22]。第二の理由は、ロシアを中国側に追いやることになるからである[23]

米国の戦略目標に二重に合致したウクライナ

トッドによると、冷戦後のロシアに対する米国の戦略目標は以下の二つになるという[24]

  1. ロシアの解体
  2. ロシアと米国の対立構造を維持して、ヨーロッパとロシアの接近を阻止する

そして、この戦略目標を達成するために選ばれたのがウクライナだったという[25]。このことは「ブレジンスキーの本[26][27]を読めば一目瞭然」[25]だという[注釈 10]

NATOと日米安保の目的は日独の封じ込め

トッドは、「極論すれば、NATO日米安保は、ドイツや日本という「同盟国」を守るものではありません」[29]と説明し、それらは「アメリカの支配力を維持し、とくにドイツと日本という重要な「保護領」を維持するため」[30]にあると解説している[注釈 11]

米国の“危うさ”は日本にとって最大のリスク

トッドによると、アメリカの行動は「予測不能で多大なリスクとなり得る」[32]ため、アメリカは「最も予測不能」な国になる[32]という。その理由として、アメリカには中枢が存在せず、「誰が権力を握っているのか分からない」[32]からだという。そして、このようなアメリカの予測不能性による“危うさ”は「同盟国日本にとっては最大のリスク」[33]になるという。したがって、本当にアメリカは信頼できるのか? アメリカに頼り切ってよいのか? という疑問が生まれるので、「こうした疑いを払えない以上、日本は核を持つべきだと私は考えます」[34]と主張している。

核を持つとは国家として自律すること

トッドによれば、「核の保有は、〔中略〕「同盟」から抜け出し、真の「自律」を得るための手段」[34]であるという。したがって、「核を持つことは国家として“自律すること”」[35]であり、「核を持たないことは、他国の思惑やその時々の状況という“偶然に身を任せること”」[35]だという。そして、ウクライナ危機が画期となり、第二次世界大戦後、「通常戦」は小国が行うものという常識が変わったという。つまり、核を持つ大国のロシアが「通常戦」を行ったため、従来は核は「通常戦」を避けるはずのものだったのが、逆に核を持つことで「通常戦」が行われるという新たな状態が生じたという[35]。この影響を受けて、「中国が同じような行動に出ないとも限りません」[35]と説明している。したがって、「日本には再軍備が必要になるでしょう。そしてもし完全な安全を確保したいのであれば、核兵器を保有するしかありません」[35]と主張している。

一方、国際政治学者ジョン・ミアシャイマーは、2022年ロシアのウクライナ侵攻により「日本の核武装を論じる人々もいます」[36]と認めつつ、「米国は日本を核武装させたいとは思っていないでしょう」[36]と説明し、「米国の「核の傘」が日本にしっかりかかっていれば、日本に核武装の必要はない」[36]と解説した。ただし、米国がウクライナ戦争に固執して東アジアへの軸足移動ピボットができなくなれば、「日本は孤独感をつのらせて核武装体制を構築しようとするかもしれない」[36]ので、「まずは日本が米国に対して、ウクライナ戦争を早期に終結し、全力で軸足を東アジアに向けるように進言するべき」[36]だと提言した。

「核共有」も「核の傘」も幻想にすぎない

トッドによれば、「「核共有」という概念は完全にナンセンス」[37]であり、「「核の傘」も幻想」[37]にすぎないという。その理由は「使用すれば自国も核攻撃を受けるリスクのある核兵器は、原理的に他国のためには使えないから」[37]だという。したがって、「自国で核を保有するか、しないのか。それ以外に選択肢はない」[37]という。

背景

国際政治学者アンドリー・グレンコによると、1991年(平成3年)にウクライナがソ連から独立した時点で、ウクライナが保有していた核兵器は、176発の大陸間弾道ミサイル、1500発以上の戦略的核弾頭、2800発以上の戦術的核弾頭であった[38]。すなわち、「米露に次ぎ、世界第三位の核戦力であり」、中国・イギリス・フランスよりも多かった[38]という。グレンコによると、ウクライナの核廃絶の歴史は以下のようになる[39]

1990年(平成2年)7月16日
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の最高会議は「ウクライナ主権宣言」を採択。
1991年(平成3年)8月24日
ウクライナは独立宣言をし、正式に独立国家となる。
1992年(平成4年)-1993年(平成5年)
ウクライナ政府はウクライナの核兵器の処分方法を米露の代表団と交渉。
1993年(平成5年)9月3日
ウクライナのクラフチュク大統領とロシアのエリツィン大統領がウクライナの全ての核弾頭・高濃縮ウラン・軍用プルトニウムをロシアに移動することが決定。(マッサンドラ合意)
1994年(平成6年)11月16日
ウクライナが核拡散防止条約に加盟。ウクライナは自国の核兵器の完全放棄を実施し、将来、非核保有国になることを表明。
1994年(平成6年)12月5日
ウクライナ・ベラルーシ・カザフスタンとアメリカ・イギリス・ロシアがブダペスト覚書に署名。
1996年(平成8年)6月2日
ウクライナは正式に非核保有国となる。

また、アメリカの国際政治学者ジョン・ミアシャイマー1993年(平成5年)の夏の時点で、ウクライナは1656発の戦略核兵器を残していて、それらはアメリカを狙ったものだが、ロシアへ発射するようにプログラミング可能であると解説した[40]。具体的には、130基のSS-19S(各6弾頭)、46基のSS-24S(各10弾頭)、30機のBear-HおよびBlackjack(合計416発の核弾頭を搭載可能)であり、合計すると1656発の戦略核兵器になると解説した[40]。ミアシャイマーによれば、ウクライナが核保有国であることには二つの利点がある。一つ目は、核兵器はロシアとウクライナとの間の平和を維持するために絶対に必要であり、ウクライナは通常兵器だけでは核武装したロシアから自国を防衛できず、アメリカを含むどの国も、実効的な安全保障を提供することができない。二つ目は、ウクライナが残された核兵器をロシアに移動することはありそうにもないが、〔もしそうなれば〕その状態は最も危険なものとなる。ウクライナに核問題に向き合うように圧力をかけることは、ロシアを刺激して戦争の危険性を増すことになり、それはウクライナにとってさらに恐ろしい事態になり、アメリカも露宇間の危機を取り除くことができなくなる[41][注釈 12]

アンドリー・グレンコは、「二〇一八年の現在において、核兵器の早期的な廃棄は過ちであったことは明らかである」[43]と述べて、「どれほど国内外情勢が激しかろうと、ウクライナの核兵器を守るために力を尽すべきであったし、外交交渉においては引き延ばし作戦を取るべきであった」[44]と解説した。さらに「〔前略〕長年にわたる交渉のなかで、ウクライナの核兵器をNATO北大西洋条約機構)の核体制に組み込む方法を探るか」[44]、またはアメリカがウクライナの核保有を「黙認するよう働きかけるべきであった」[44]と説明した。そして、このような交渉を行ない、要求の一部を西側に認めさせることができれば「二〇一四年から今日まで続いているロシアとの戦争も回避できたかもしれない」[45]と解説した。

「NATOは東方に拡大しない」という約束

トッドは、「一九九〇年の時点で、「NATOは東方に拡大しない」といった“約束”がなされていました」[8]と解説し、編集部の注釈として、

当時のソ連書記長ゴルバチョフに対し、一九九〇年二月九日、アメリカのベーカー国務長官が「NATOを東方へは一インチたりとも拡大しないと約束する」と伝え、翌日にはコール西独首相が「NATOはその活動範囲を広げるべきではない」と伝えている

と記されているように、「NATO不拡大の約束」は存在したという説が有力である。国際政治・米国金融アナリストの伊藤貫は、駐露大使を務めたアメリカ国務省官僚のジャック・マトロックの証言を引用して、「ベーカー国務長官ゴルバチョフシュワルナゼに面と向かって、「we give you iron-clad guarantees that NATO will not extend one inch to the east」(「『我々はNATOを一インチたりとも東方に拡張しない』という鉄の保障を提供します」)と明言している」と説明し、「マトロック大使は、その場に同席していた!」と解説した[46]

一方、国際政治学者袴田茂樹は「NATO不拡大の約束」は存在しなかったと主張し、「NATO不拡大の約束」が破られたためにウクライナ戦争を始めたというプーチンの主張は「全くの間違いまたは意図的なフェイク情報」だと解説した[47]

また、名古屋商科大学ビジネススクール教授の原田泰は、ブダペスト覚書を重視して、「NATOの拡大よりもミンスク合意の違反よりも、ブダペスト合意違反こそが重要ではないか」[48]と問題提起して、ウクライナがブダペスト覚書により核を廃絶する代わりに核を保有する五大国が安全保証したにもかかわらず、覚書が反故にされてしまったので、「核を保有した国は永久に核を放棄せず、安全のためには核を保有するしかない、と考える国が拡大する」[49]と説明した。さらに、2014年(平成26年)のクリミア危機について、「ウクライナは、核を廃棄したのが失敗だった、核を維持していたらこんなひどい目に合わずにすんだ、と思うだろう」[13]と解説した。

トクヴィルの見解

トッドは、「アメリカとロシアを“歴史的ペア”として見る」[50]ことにより、「体系だった地政学的アプローチを進める」[50]ことができると述べて、以下のようにアメリカとロシアの現状を分析している。

乳幼児死亡率
1990年(平成2年)の時点では、ロシアの乳幼児死亡率は18.4だったが、2019年(令和元年)には4.9に低下し、アメリカの5.4を下回った[51][52]
平均寿命
平均寿命はアメリカが低下傾向にあるのに対して、ロシアはまだアメリカに遅れをとっているものの上昇傾向にある[53]
自殺率
OECDの調査によると、ロシアでは自殺率が低下しており、2019年(令和元年)には10万人あたり11.5人で、アメリカの10万人あたり13.9人を下回った[54]

そして、上記の乳幼児死亡率と自殺率に基づくと、トッドは「ロシアの復活とアメリカの危機」[55]が見えてくると結論している。さらに、その観点から「冷戦を捉え直す」[56]と、「ソ連圏の一方的な敗北」[57]ではなく「アメリカモデルも東西対決から無傷で抜け出したわけではない」[57]ことになるという。すなわち、冷戦は「米ソの相互破壊」[58]で終結し、「アメリカの内部システムは崩壊した」[57]ことになり、それを理解するには「(トクヴィルが最初に提供した)アメリカとロシアを一つのペアとして捉えるシステム解析」[59]が有効な手段になるという[注釈 13]

“軍事支援”でウクライナを破壊している米国

トッドによれば、ウクライナ戦争を主導しているのはアメリカとイギリスであり[61]、アメリカの軍事支援はアメリカが“事実上”この戦争に参加していることを意味する[62]。そして、アメリカの軍事支援は以下の3つを意味するという[62]

  1. ロシア軍の相手は、アメリカの軍事システムとウクライナ軍である。
  2. もしロシア軍の相手がアメリカならば一切の遠慮なくウクライナを破壊できることになる。
  3. ロシアは「ウクライナという弱い国を相手にする強国」ではなく「アメリカという大国を相手にする弱い国」になる。

その結果、ロシアは世界から孤立することはなくなるという[62]

最後に、ウクライナ戦争の今後の展開を予想するのは難しいが、「長期戦」「持久戦」になる可能性が高く[62]、戦争が長引けば長引くほどウクライナは破壊されていく[63]ので、「アメリカは“支援”することで、実はウクライナを“破壊”している」という[63]

脚注

注釈

  1. ^ 2022年7月28日の時点で Amazon.co.jp の 西洋史 の 売れ筋ランキングで1位になった[3]
  2. ^ 2022年7月30日の時点で Amazon.co.jp の 軍事問題 の 売れ筋ランキングで1位になった[4]
  3. ^ 2022年7月31日の時点で Amazon.co.jp の アメリカ・中南米の地理・地域研究 の 売れ筋ランキングで1位になった[5]
  4. ^ ミアシャイマーの動画では以下のように解説されている。
    ミアシャイマーの動画
    原文[1] 邦訳[2]
    Who bears responsibility for this? Do the Russians bear responsibility for this? I don't thik so. There's no question the Russians doing the dirty work. I don't want to make light of that fact. But the question is what caused the Russians to do this. And in my opinion the answer is very simple. The United States of America. 誰がこの〔ウクライナ戦争の〕責任を負うのでしょうか? ロシア人が責任を負うのでしょうか? 私はそう思いません。ロシア人が汚い仕事をしているのは疑問の余地がありません。私はその事実を軽視したくはありません。しかし、問題は「誰がロシア人に〔戦争を〕起こさせたのか?」ということです。そして、私の意見では、その答えはとても単純です。〔それは〕アメリカ合衆国なのです。
  5. ^ ミアシャイマーの動画では以下のように解説されている。
    ミアシャイマーの動画
    原文[1] 邦訳[2]
    The Americans do not care that much about Ukraine. The Americans have made it clear they are not even willing to fight and die for Ukraine. So it's not that important for us. For the Russians they have made it clear it's an existential threat. So the balance of resolve I believe favors them. So as we walk up the escalation ladder moving forward, my guess and it's just my guess is that the Russians will prevail not the Americans. アメリカ人はウクライナについてあまり気にしてはいません。アメリカ人はウクライナのために戦い死ぬつもりはないと明らかにしています。つまり、今回の戦争は、我々にとっては、あまり重要ではなく、ロシア人にとっては、明らかに存亡の危機なのです。よって、両者を比較すれば、ロシア人に勝機があると思われるのです。だから、我々がエスカレーションの段階を上げて前進していくと、私の予想では、アメリカ人ではなくロシア人が勝利することになるでしょう。
  6. ^ 名古屋商科大学ビジネススクール教授の原田泰は、(ミアシャイマー 2022)と(トッド & 大野 2022)に関して、ミアシャイマーの説とトッドの説を同一視し、どちらも「ウクライナの立場はまったく考えられていない」[13]と説明し、「小国を大国の従属国、緩衝国にするのがリアリズムなのか」[14]と問題提起して、彼ら欧米知識人は「自由と人間の尊厳に大して冷笑的」[13]であり、「彼らは、屈辱の平和が欲しくて小国の自由を犠牲にしている」[13]と批判した。
  7. ^ 『文藝春秋』に掲載されたインタビュー(トッド & 大野 2022, pp. 57)では(ブレジンスキー 1998)が参考文献に挙げられているが、本書(トッド 2022, pp. 27)では(ブレジンスキー 2003)が参考文献に挙げられている。
  8. ^ ズビグネフ・ブレジンスキーは1997年に出版された『ブレジンスキーの世界はこう動く(原著:The Grand Chessboard, 1997)』で以下のように解説している[19]

     ウクライナは、ユーラシアというチェス盤の上で、新たに重要な位置を占めるようになった国であり、地政上の要衝である。ウクライナが独立国になったこと自体が、ロシアの変化の一因になっているからだ。ウクライナの分離によって、ロシアはユーラシアの帝国ではなくなった。ウクライナを失っても、ロシアは帝国の地位を目指すことができるが、アジアの帝国という性格が強くなり、独立したばかりの中央アジア諸国への進出をはかる可能性が高い。そうなれば、再植民地化を嫌い、南のイスラム諸国の支援を受けるこれら諸国と泥沼の戦いになり、国力を弱めてゆくだろう。中国も、独立したばかりのこれらの国に関心を深めており、中央アジアでのロシア支配の復活に反対するだろう。しかし、ロシアがウクライナに対する支配を取り戻せば、五二〇〇万人の人口、豊富な資源、黒海へのアクセスを手に入れ、ヨーロッパからアジアにわたる大帝国になる手段を回復することになる。ウクライナが独立を失えば、中欧にすぐに影響が及び、ポーランドが統合ヨーロッパの東の辺境として、地政上の要衝になる。

  9. ^ 英語版はGlobal Timesである。
  10. ^ ズビグネフ・ブレジンスキーは1997年に出版された『ブレジンスキーの世界はこう動く(原題:The Grand Chessboard, 1997)』で以下のように解説している[28]

     したがって、とくに重要な新独立国に政治的、経済的な支援を提供することが、ユーラシアの幅広い政策には不可欠である。なかでもとりわけ重要なのは、主権国家としてのウクライナの立場を強化する政策である(ウクライナは自国を中欧の一員だとみるようになって中欧との統合を深めている)。また、中央アジアを世界経済に開放する政策を進め(ロシアが障害となっているが)、アゼルバイジャンウズベキスタンなど、戦略上の要衝になっている国との協力関係を強化すべきである。

  11. ^ トッドは特に参考文献を挙げていないが、ズビグネフ・ブレジンスキーは1997年に出版された『ブレジンスキーの世界はこう動く(原題:The Grand Chessboard, 1997)』で以下のように解説している[31]

     ユーラシアの東端での日本の状況は、表面上、西端のドイツの状況と共通している。両国ともそれぞれの地域で、アメリカにとって第一の同盟国である。ヨーロッパとアジアでアメリカが影響力を維持できているのは、この二国との緊密な同盟関係のためだともいえるほどである。また、両国ともかなりの軍事力をもっているが、軍事的に独立していない。ドイツは軍事力をNATOに組み込まれて制約を受けており、日本は憲法アメリカが作ったものである)と日米安全保障条約によって制約を受けている。貿易と金融では地域で圧倒的な力をもち、世界全体でみても、傑出した力をもっている。そして、両国とも世界の大国に準じた立場にあるといえるし、国連安全保障理事会常任理事国としてその立場を認めるよう求める主張が拒否されつづけていることに苛立ちを感じている。
     しかし、日本とドイツがそれぞれおかれている地政的状況はまったく異なり、それが両者の決定的な違いを生み出すとも考えられる。ドイツはNATOに加盟しているため、ヨーロッパ主要国と対等な同盟関係を築き、北大西洋条約で、アメリカとの間に相互防衛義務を負っている。一方、日米安全保障条約では、アメリカは日本を防衛する義務を負っているが、日本はアメリカ防衛のために形だけにしろ武力を行使する義務はない。つまり、日米安保条約は事実上、日本をアメリカの保護国とすることを規定している。

  12. ^ 名古屋商科大学ビジネススクール教授の原田泰は(Mearsheimer 1993)について「ミアシャイマーの洞察力は素晴らしい」と絶賛している[42]
  13. ^ アレクシ・ド・トクヴィル1835年天保6年)に出版された『アメリカのデモクラシー』第一巻の末尾で以下のように述べている[60]

     今日、地球上に、異なる点から出発しながら同じゴールを目指して進んでいるように見える二大国民がある。それはロシア人とイギリス系アメリカ人である。
     どちらも人の知らぬ間に大きくなった。人々の目が他に注がれているうちに、突如として第一級の国家の列に加わり、世界はほぼ同じ時期に両者の誕生と大きさを認識した。
     他のあらゆる国民はすでに自然の引いた限界ほぼ達しており、後は守るだけであるが、両者は成長の途上にある。他のあらゆる国民は引き止められ、多大の努力を払わなければ前に進めないが、両者だけは軽やかにして速やかな足取りで行くべき道を歩き、その道がどこで終わるのか、いまだに目に見えない。
     アメリカ人は自然がおいた障害と闘い、ロシア人は人間と戦う。一方は荒野と野蛮に挑み、他方はあらゆる武器を備えた文明と争う。それゆえ、アメリカ人の征服は農夫のすきでなされ、ロシア人のそれは兵士の剣で行なわれる。
     目的の達成のために、前者は私人の利害に訴え、個人が力を揮い、理性を働かせるのに任せ、指令はしない。
     後者は、いわば社会の全権を一人の男に集中させる。
     一方の主な行動手段は自由であり、他方のそれは隷従である。
     両者の出発点は異なり、たどる道筋も分かれる。にもかかわらず、どちらも神の隠された計画に召されて、いつの日か世界の半分の運命を手中に収めることになるように思われる。

出典

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  4. ^ Amazon.co.jp ベストセラー: 軍事問題 の中で最も人気のある商品です”. Archive.is (2022年7月30日). 2022年7月30日閲覧。
  5. ^ Amazon.co.jp ベストセラー: アメリカ・中南米の地理・地域研究 の中で最も人気のある商品です”. Archive.is (2022年7月31日). 2022年7月31日閲覧。
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参考文献

関連項目

外部リンク