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2022年10月7日 (金) 00:26時点における版

岩手県立藤沢高等学校
地図北緯38度51分25.0秒 東経141度20分49.0秒 / 北緯38.856944度 東経141.346944度 / 38.856944; 141.346944座標: 北緯38度51分25.0秒 東経141度20分49.0秒 / 北緯38.856944度 東経141.346944度 / 38.856944; 141.346944
過去の名称 岩手県立千厩高等学校藤沢分校
国公私立の別 公立学校
設置者 岩手県の旗 岩手県
学区 両磐地区
設立年月日 1948年4月1日
閉校年月日 2008年3月31日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 03143H
所在地 029-3405
岩手県東磐井郡藤沢町藤沢字狩野40-3
(岩手県一関市藤沢町藤沢字狩野40-3)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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岩手県立藤沢高等学校(いわてけんりつふじさわこうとうがっこう、英:Iwate Prefectural Fujisawa High School)は、岩手県東磐井郡藤沢町(現:一関市藤沢町)に2008年平成20年)まで所在した公立高等学校

概要

第二次世界大戦後の学制改革により、岩手県立千厩高等学校の分校として岩手県立千厩高等学校藤沢分校1948年4月に開校した[1]。当初は定時制課程のみ設置され、男子は農業科、女子には家庭科を開設したが、1951年全日制課程普通科を設置し男女問わず対象としている[1]。開校した翌年に花王ヶ丘から藤沢小学校に移転して校舎の一部を借用する形となった[1]1950年に藤沢分校から岩手県立藤沢高等学校に昇格を果たし独立校となり、1953年には独自の校舎が落成し移転した[1]。同年4月と1955年にそれぞれ全日制農業科と、当時東磐井郡の主要産業であったタバコを専門とした全日制農業(タバコ)科を開設しているが、1963年11月に生徒募集を停止し学級枠を普通科へ移行した[1]。農業科に関しては閉科した時期が不明である[1]

生徒数増加に伴い、1966年度から臨時の学級を設置し、通常の1学年2学級編成のところを最多で4学級編成としていた時期があったが1978年度を以って解消している[1]。その後は1991年まで2学級、又は3学級分の新入生を募集していた[1]

1971年に旧藤沢小学校へ再度移転を行い、数年間は旧藤沢中学校の校舎をそのまま使用したのち1978年に鉄筋コンクリート造3階建ての校舎が落成した[1]。現在は施設一帯を一関市立藤沢中学校が使用している[1]

生徒数は増加の一途を辿り19751976年度には最多となる540人の定員(全学年)を募集していたが、入学志願者の減少により400人台、300人台と段階的に減らし続け、2000年代以降は100人程度の在籍数で推移しており、一関市内の高等学校では最小の在籍数を叩き出していた[1][2]

統合

こうした背景の中、2005年7月岩手県教育委員会が望ましい学校の配置等を目的とする「県立高等学校新整備計画の後期計画」を策定し[3]、かつて本校だった岩手県立千厩高等学校への統合が決定した[1]2006年4月の統合に伴い、本年度から新入生の募集停止を行い閉校までの2年間は在校生のみとなった[2][4]。閉校に先立ち2007年10月に閉校記念碑「遂志の碑」の除幕式と文化祭が同日開催された[1]

2008年3月1日に藤沢町縄文ホール(現:一関市藤沢文化センター)にて卒業式ならびに閉校式典が開催され、同月31日を以って開校60周年を目前に閉校となった[1]。現在の一関市域では他に岩手県立大東高等学校と岩手県立大原商業高等学校(共に大東町)も同日付で閉校し、岩手県立大東高等学校として4月より再出発をしている[3]

校歌

1953年に制定された校歌は作詞に白鳥省吾、作曲に武田忠一郎が携わっている。白鳥氏は詩人で「星影のワルツ」というヒット曲で知られている。武田氏は音楽家として「東北民謡の父」と称されている[5]

沿革

  • 1948年昭和23年)
    • 4月1日 - 岩手県立千厩高等学校藤沢分校開校。定時制課程農業科(男子)と家庭科(女子)を開設。
    • 5月21日 - 藤沢小学校講堂で開校式を挙行。
  • 1949年(昭和24年)6月14日 - 花王ヶ丘から藤沢小に移転し、西新校舎2階教室を借用。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 定時制の岩手県立藤沢高等学校として独立。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 全日制課程普通科を開設。
  • 1953年(昭和28年)
    • 3月28日 - 独立校舎を着工。
    • 4月1日 - 全日制課程農業科を開設。
    • 11月7日 - 愛宕の丘で独立校舎落成式を挙行。校章・校歌・校旗を制定。
    • 12月1日 - 新校舎で授業開始。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 定時制課程を廃止。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 農業(タバコ)科を開設。
  • 1959年(昭和34年)1月20日 - 創立10周年記念として図書館を設置。
  • 1962年(昭和37年)11月15日 - 農業(タバコ)科1学級分を普通科へ移行。
  • 1963年(昭和38年)11月15日 - 農業(タバコ)科の生徒募集停止。
  • 1964年(昭和39年)11月7日 - 創立15周年記念としてテニスコート2面を設置。
  • 1966年(昭和41年)
    • 4月1日 - 普通科1学級を臨時増設。
    • 8月31日 - 校舎増築し特別教室4教室を設置。
  • 1967年(昭和42年)4月1日 - 普通科1学級を臨時増設。
  • 1968年(昭和43年)4月1日 - 普通科1学級を臨時増設。
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - 普通科1学級の臨時増設を継続。
  • 1971年(昭和46年)
    • 3月31日 - 愛宕校舎から現在地の旧藤沢中学校校舎に移転。
    • 6月1日 - 体育館落成式を挙行。
  • 1972年(昭和47年)
    • 4月1日 - 普通科1学年恒久的に学級の増設の認可(1学年3学級へ)。
    • 9月25日 - 部室棟の落成。
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 普通科1学級を臨時増設(4学級へ)。
  • 1975年(昭和50年)5月10日 - 新校舎第一期工事が竣工。
  • 1976年(昭和51年)4月1日 - 普通科1学級の臨時増設を継続。
  • 1978年(昭和53年)
    • 2月17日 - 新校舎第二期工事が竣工。
    • 10月29日 - 新校舎落成記念式典を挙行。
  • 1979年(昭和54年)3月31日 - 臨時学級増設が解消。
  • 1980年(昭和55年)
    • 4月1日 - 1学級減少。
    • 11月16日 - 創立30周年記念式典・祝賀会を挙行。
  • 1981年(昭和56年)
    • 3月20日 - 柔剣道場を落成。
    • 4月1日 - 1学級減少。
    • 7月 - テニスコート3面と庭園(而立園)を設置。
  • 1985年(昭和60年)
    • 3月19日 - セミナーハウス(遂志館)を落成。
    • 4月1日 - 1学級減少。
  • 1986年(昭和61年)4月1日 - 1学級減少。
  • 1988年(昭和63年)11月2日 - 体育館床を改修。
  • 1990年平成2年)
    • 4月1日 - 1年生3学級を募集。
    • 5月21日 - 創立40周年を迎える。
    • 9月1日 - 部室棟を新築。
    • 10月13日 - 創立40周年記念事業として校旗を新調、祝賀会を挙行。
  • 1991年(平成3年)4月1日 - 1年生3学級を募集。
  • 1992年(平成4年)4月1日 - 1年生2学級を募集(1学級分減)。
  • 1994年(平成6年)
    • 3月31日 - グラウンドを整備、体育館を改修。
    • 4月1日 - 1年生1学級40人を定員とする。
  • 1996年(平成8年)4月1日 - 新制服を採用。
  • 2000年(平成12年)
    • 3月24日 - 校舎大規模改修第一期工事を竣工。
    • 10月27日 - 創立50周年記念式典及び記念講演会を挙行。
    • 11月8日 - 校舎大規模改修第二期工事を竣工。
  • 2001年(平成13年)12月7日 - グラウンド防風ネットを取り付け。
  • 2003年(平成15年)2月20日 - グラウンド法面災害復旧工事を実施。
  • 2005年(平成17年)
    • 7月19日 - 岩手県教育委員会が「県立高等学校新整備後期計画」を策定し、千厩高等学校と本校の翌年度統合を決定。
    • 8月29日 - 第一回千厩・藤沢地区高等学校(仮称)整備検討委員会を千厩高校で開催。
    • 9月12日 - 第二回千厩・藤沢地区高等学校(仮称)整備検討委員会を開催。
  • 2006年(平成18年)4月1日 - 新入生の募集停止。
  • 2007年(平成19年)10月28日 - 閉校記念碑「遂志の碑」の除幕式、文化祭公開。
  • 2008年(平成20年)
    • 3月1日 - 卒業式及び閉校式典を藤沢町縄文ホールにて挙行。
    • 3月31日 - 閉校

出典[1]

設置学科

  • 全日制課程
    • 普通科

かつて設置していた学科

  • 全日制課程
    • 農業科 - 1953年から不明
    • 農業(タバコ)科 - 1955年から1965年まで
  • 定時制課程 - 1948年から1954年まで
    • 農業科(男子)
    • 家庭科(女子)

出典[1]

付属施設

主な施設のみ掲載。

  • 体育館 - 校舎と接続
  • 柔剣道場
  • セミナーハウス(遂志館)
  • 校庭
  • 庭園(而立園)
  • 部室棟
  • テニスコート

学校規模

2006年以降は生徒数と学級数を掲載。

年度 定員 在籍生徒数 増減 学級数 増減 出典 備考
1948(昭和23)年度 不明 不明 [1] 開校
1950(昭和25)年度 不明 不明 不明 千厩高から独立
1966(昭和41)年度 350 普通科臨時増(1学級)
1967(昭和42)年度 400
1968(昭和43)年度 450
1969(昭和44)年度
1972(昭和47)年度 9 3学級編成認可
1973(昭和48)年度 不明 普通科学級臨時増(1学級)
1975(昭和50)年度 540 12 臨時増(3学級)
1976(昭和51)年度 12 0
1979(昭和54)年度 495 11 -1 臨時増解消
1980(昭和55)年度 450 10 -1
1981(昭和56)年度 405 9 -1
1985(昭和60)年度 360 8 -1
1986(昭和61)年度 315 7 -1
1989(平成元)年度 7 0
1990(平成2)年度 7 0
1991(平成3)年度 360 8 1
1992(平成4)年度 8 0
1993(平成5)年度 315 7 -1
1994(平成6)年度 260 6 -1
1995(平成7)年度 250 6 0
1996(平成8)年度 240 6 0
2006(平成18)年度 不明 69 4 -2 [2] 募集停止
2007(平成19)年度 29 -40 2 -2 [4] 閉校
  • 定員数は全学年を含む

アクセス

鉄道

自動車

  • 国道456号線 千葉産業付近のT字路(藤沢伏房地内)から約1分

近隣施設

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 沿革”. Wayback Machine. 2012年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月3日閲覧。
  2. ^ a b c 学校一覧 平成18年度”. 岩手県. p. 52. 2022年10月3日閲覧。
  3. ^ a b 県立高等学校再編の取組み”. 岩手県. 2022年10月3日閲覧。
  4. ^ a b 学校一覧 平成19年度”. 岩手県. p. 52. 2022年10月3日閲覧。
  5. ^ 岩手・一関『ひがしいわいの校歌集』74曲目 岩手県立藤沢高等学校校歌”. トーバン印刷株式会社. 2022年10月3日閲覧。

関連項目