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{{Infobox 日本の学校
| 校名 = 瓊浦高等学校
| 校名 = 瓊浦高等学校
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2022年10月7日 (金) 03:39時点における版

瓊浦高等学校
地図北緯32度44分58.3秒 東経129度53分21.1秒 / 北緯32.749528度 東経129.889194度 / 32.749528; 129.889194座標: 北緯32度44分58.3秒 東経129度53分21.1秒 / 北緯32.749528度 東経129.889194度 / 32.749528; 129.889194
過去の名称 瓊浦女学校
瓊浦高等女学校
瓊浦高等女学校および
瓊浦学園中学校
瓊浦女子高等学校および
瓊浦学園中学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人 瓊浦学園
校訓 誠実・和・勤勉
設立年月日 1925年(大正14年)3月29日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
情報ビジネス科
機械科
学期 3学期制
学校コード D142310000086 ウィキデータを編集
高校コード 42505C
所在地 850-0802
長崎県長崎市伊良林2丁目13-4
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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瓊浦高等学校の位置(長崎県内)
瓊浦高等学校

瓊浦高等学校(けいほこうとうがっこう,Keiho High School)は、長崎県長崎市伊良林(いらばやし)二丁目にある私立の高等学校。通称「瓊浦」(けいほ)

概要

歴史
大正時代、設立者でもあり初代校長の中村安太郎が、男子教育優先の風潮の残る社会情勢の中、女子教育の重要性を痛感し、1925年(大正14年)に「瓊浦女学校」を設立した。1928年(昭和3年)に「瓊浦高等女学校」と改称。戦後の学制改革により1948年昭和23年)に女子高等学校、翌1949年(昭和24年)に男女共学の高等学校となった。2010年平成22年)に創立85周年を迎えた。
校名の由来
学校周辺地域の古い呼び名[1]である「瓊ノ浦」(たまのうら)に由来する。
  • 「瓊」は美しい玉(宝石)を表し、瓊ノ浦とは「美しい玉(宝石)のように光り輝く海、港」という意味である。
  • 「瓊」の漢字が難しく、「浦」も「ほ」と読むことが少ないため、「瓊浦」を読むのも、書くのも、慣れないと困難である。
設置課程・学科
全日制課程 3学科
  • 普通科
    • 龍馬コース - 大学短期大学への進学、就職ともに高レベルでの教育を行う。平成25年度生からスタート。(過去に存在した「進学コース」は、平成27年度に当コースへ統合。)
    • 普通コース - 専門学校への進学や公務員、就職を目標とする。
  • 情報ビジネス科(商業に関する学科)
    • 学校での座学とインターンシップ(職業体験)等の実習を通して商業に関する知識、情報処理に関する技術、資格を身につけ、就職に備える。
      • 専門科目 - ビジネス基礎、課題研究、総合実践、商業技術、マーケティング簿記原価計算、情報処理、文書デザイン、ビジネス情報等。
  • 機械科(工業に関する学科)
    • 龍馬コース - 普通科を参照。
    • 普通コース - 従来通り、座学・実習を通して機械の知識、取扱いの技術、資格を身につけ、エンジニアを養成する。なお、これには正式なコース名はない。
      • 専門科目 - 工業技術基礎、課題研究、総合実践、機械実習、機械製図、工業数理基礎、情報技術基礎、機械工作、機械設計、原動機、電気基礎等。
校訓
誠実・和・勤勉」 - 高等女学校時代の校訓は「謙譲・勤勉・真心」であった。
キャッチフレーズ
「龍馬に聞かせよう。その夢を、未来への想いを。瓊浦-けいほ-Family」
校章
1949年(昭和24年)男女共学の新制高等学校の開校に伴い、瓊浦女学校時代のものは廃止され、選考委員会のもとで新しい校章が制定された。当時在職の教職員、西村勝巳によるデザインで、3枚のの葉と勾玉を背景に「高」の文字が置かれている。柏の葉は男子の質実剛健の気風を表し、勾玉は真心・誠実を意味し、女学校時代の伝統を継承している。
校歌
1952年(昭和27年)に制定。校章と同じく作詞・作曲ともに当時在職の教員(作詞は寺田徹(国語)・作曲は三浦真(音楽))によるもの。歌詞は3番まであり、各番とも「瓊浦 瓊浦 我等の学園」で終わる。歌詞の中には、「瓊浦」という校名の由来となった長崎の古名「瓊ノ浦」(たまのうら)や、創立以来教育精神に影響を与えた昭憲皇太后[2]の歌[3]に由来する「金剛石」(こんごうせき)といった言葉が入っている。
制服
男子は学生服(学ラン)、女子はブレザー・リボン。

沿革

高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
  • 1925年大正14年)
    • 3月20日 - 「瓊浦女学校」設立認可が申請される。
    • 3月29日 - 上記申請が認可される。
    • 4月1日 - 「瓊浦女学校」が開校。
      • 学校種・学年・課程 - 4年制高等女学校。併せて実習(2年制)・専攻科(1年制)も付設。
      • 初代校長 - 中村安太郎(申請者と同じ)
  • 1928年昭和3年)4月 - 「瓊浦高等女学校」と改称。
  • 1929年(昭和4年)2月1日 - 4年制・5年制を併置。
  • 1935年(昭和10年)10月 - 伊良林(現在地)にグラウンドが完成。
  • 1938年(昭和13年)8月26日 - 初代校長 中村安太郎逝去に伴い、学校葬を執行。第2代校長就任。
  • 1943年(昭和18年)4月8日 - 学校設置者が財団法人瓊浦学園となる。
  • 1945年(昭和20年)8月9日 - 長崎への原爆投下により、三菱重工長崎兵器製作所に学徒動員中の職員1名(三宅ミヤ)・生徒55名死亡、22名が重傷。
  • 1947年(昭和22年)4月12日 - 学制改革(六・三制の実施)により新制中学校を併設(以下・併設中学校)し、「瓊浦高等女学校・瓊浦学園中学校」となる。
    • 高等女学校の生徒募集を停止。
    • 高等女学校1・2年修了者を併設(新制)中学校の2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校に在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、新制高等学校瓊浦女子高等学校・瓊浦中学校」が発足。
    • 高等女学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
    • 併設中学校は新制高等学校に継承される。
新制高等学校(男女共学)
  • 1949年(昭和24年)4月12日 - 「瓊浦高等学校・瓊浦中学校」と改称し、男女共学となる[5]
  • 1950年(昭和25年)
    • 2月18日 - 県下の私立では初めて夜間部定時制を設置。
    • 4月1日 - 全日制 家庭科を設置。
  • 1951年(昭和26年)
    • 3月10日 - 学校設置者が学校法人瓊浦学園となる。
    • 4月1日 - 全日制 商業科を設置。
    • この年 - 伊良林グラウンドに木造の校舎が建設される。
  • 1952年(昭和27年)3月7日 - 校歌を制定(作詞 - 寺田徹/作曲 - 三浦真)
  • 1954年(昭和29年)
    • 4月1日 - 桜馬場校舎を第一校舎として女子を収容。伊良林校舎を第二校舎として男子を収容。
    • 7月 - 全日制の生徒会が発足。
    • 9月 - 定時制の生徒会が発足。
  • 1955年(昭和30年)
    • 3月31日 - 瓊浦中学校を廃止。
    • 10月16日 - 創立30周年記念式典を挙行。
  • 1962年(昭和37年)
    • 3月31日 - 家庭科を廃止。
    • 4月 - 伊良林に女子部校舎(鉄筋コンクリート造3階)が完成したため、定時制を桜馬場校舎に残し、女子部が伊良林に移転。
  • 1964年(昭和39年)1月 - 体育館(現・第1体育館)が完成。
  • 1965年(昭和40年)11月20日 - 創立40周年記念式典・第2体育館(現・武道場)落成式を挙行。
  • 1966年(昭和41年)9月 - 第3体育館が完成。
  • 1968年(昭和43年)4月1日 - 造船科を設置。
  • 1969年(昭和44年)5月 - 女の都(めのと)グラウンドが完成。
  • 1971年(昭和46年)3月 - 桜馬場にあった女子寄宿舎を廃止。
  • 1972年(昭和47年)3月 - 定時制を伊良林校舎に移し、桜馬場校舎を廃止。
  • 1975年(昭和50年)3月 - 第22回卒業生を最後に、定時制を廃止。
  • 1976年(昭和51年)
    • 3月 - 管理棟・教室棟・校門が完成。
    • 10月 - 創立50周年記念式典を挙行。初代校長中村安太郎の胸像(富永直樹作)を建立。
  • 1977年(昭和52年)
  • 1979年(昭和54年)
    • 4月 - 造船科を機械科に改称。
    • 9月 - 校舎のそばにグラウンドが完成。
  • 1980年(昭和55年)
  • 1983年(昭和58年)12月 - 陸上部男子全国高等学校駅伝競走大会初出場。
  • 1985年(昭和60年)
    • 3月 - ハンドボール部男子全国高等学校選抜大会準優勝。
    • 11月 - 創立60周年記念式典並びに記念事業の落成式を挙行。原爆殉難者慰霊碑、「笑う少女」像(北村西望作)を建立。
  • 1991年平成3年)
  • 1994年(平成6年)7月 - 原爆殉難者50回忌を慰霊碑前で執行。記念碑を建立。
  • 1995年(平成7年)9月 - 創立70周年記念碑の校訓碑を建立。
  • 1999年(平成11年)- 機械科への女子生徒募集を開始。
  • 2000年(平成12年)
    • 3月 - 全国高等学校選抜大会でハンドボール部が準優勝。
    • 8月 - 全国高等学校総合体育大会でハンドボール部準優勝。
    • 12月 - 陸上部男子、第50回全国駅伝大会へ出場し23位。
  • 2001年(平成13年)
    • 3月 - 全国高等学校選抜大会で、ハンドボール部が2年連続準優勝。
    • 8月 - 全国高等学校総合体育大会で、男子ハンドボール部が優勝。
    • 10月 - 2001年みやぎ国体、少年男子ハンドボール競技で初優勝。
  • 2004年(平成16年)
    • 8月 - 全国高等学校総合体育大会で、男子ハンドボール部が準優勝。
    • 10月 - 2004年埼玉国体、少年男子ハンドボール競技2回目の優勝。
  • 2005年(平成17年)11月12日 - 創立80周年記念式典を長崎市公会堂で挙行。
  • 2006年(平成18年)
    • 4月1日 - 商業科を情報ビジネス科に改組。
    • 8月 - 全国高等学校総合体育大会(近畿ブロック)で、柔道個人100kg級で第3位。
  • 2009年(平成21年)4月 - 制服をリニューアル。
  • 2010年(平成22年)8月 - 全国高等学校総合体育大会で、男子ハンドボール部準優勝。
  • 2013年(平成25年)4月 - 普通科・機械科に「龍馬コース」を新設。
  • 2015年(平成27年)
    • 4月 - 進学コースを龍馬コースに統合。同時に普通科・機械科合同学級の教室を分離。
    • 11月8日 - 創立90周年記念式典を長崎ブリックホールで挙行。

施設

管理棟
  • 管理棟(図書館)
学年棟
  • 1年生棟(音楽室)
  • 2年生棟(保健室、視聴覚室)
  • 3年生棟(LL教室、就職指導室、商業実践室、進学指導室、視聴覚室)
  • シンボルタワー
特別棟
  • A教室棟
  • B教室棟
  • 家庭科棟(作法室、調理室)
  • 機械科棟(パソコン室、NC旋盤室、機械工作室、製図室、鋳造室、溶接室)
体育館
  • 第1体育館(2階アリーナ、メモリアルホール、電算室、美術室)
  • 第2体育館
  • 総合体育館(1階トレーニングルーム、1階柔道場、2階アリーナ、3階アリーナ)
  • クラブ棟
校舎外
  • 中庭(ピロティ、笑う少女像、記念碑)
  • 校内グラウンド
  • 田手原(たでわら)総合グラウンド(室内練習場)

学校行事

1学期
  • 4月 - 始業式、入学式、実力テスト、対面式、新入生宿泊研修(国立諫早青少年自然の家)、遠足、身体測定
  • 5月 - 中間考査、PTA総会、授業参観、進路ガイダンス、心理テスト、高総体推戴式
  • 6月 - 創立記念日、長崎県高総体、NHK杯、就職模試、大学見学会
  • 7月 - 学校見学会、期末考査、勤労体験学習、生徒総会、三者面談、終業式
  • 8月前半 - 夏期補習、学習合宿(高3希望者、3泊4日、ホテル長崎)、平和学習、模擬面接
2学期
  • 8月後半 - 始業式
  • 9月 - 実力考査、体育祭(3学年縦割り、4色対抗)、中間考査
  • 10月 - 球技大会、勤労体験学習、長崎県総文祭、就職模試
  • 11月 - 瓊浦祭(文化祭、合唱コンクール)、人権学習、就職模試、県駅伝大会
  • 12月 - 期末考査、進路ガイダンス、インターンシップ(情報ビジネス科2年)、造船所見学(機械科2年、西海市の大島造船所を見学)、冬期補習、終業式
3学期
  • 1月 - 始業式、実力考査、大学入試センター試験、卒業試験、進路適性検査、課題研究発表会
  • 2月 - 修学旅行(高2、4泊5日、スキー研修+自主研修)、伊良林地区清掃(近隣の鳴滝高校、市立伊良林小学校、市立桜馬場中学校と合同で行う)、同窓会入会式
  • 3月 - 卒業式、教科書販売、強歩大会(高1・高2、30kmを班に分かれて行う)、修了式、学級編成試験、学用品販売

部活動

運動部
文化部

著名な出身者

アクセス

スクールバス
諫早市東長崎方面からスクールバスを運行している。運行会社はセントラルサービス。
路線バス
  • 長崎県交通局(長崎県営バス)
    • 長崎駅方面からは「風頭町」[6]「網場・春日車庫」「東長崎・諫早方面行き」のバスに乗車し、「中川町」・「蛍茶屋」・「矢の平三丁目」で下車後、徒歩10~15分。
    • 東長崎方面からは行先表示が「長崎駅前・本原一丁目・立神・女の都団地・サニータウン・西崎団地・女の都入口・長崎商高長崎県美術館・夢彩都・中川町」等のバスに乗り、「蛍茶屋」・「中川町」で下車後、徒歩10~15分。
  • 長崎自動車(長崎バス)
    • 長崎駅方面からは長崎総合科学大学スクールバス、70番「田上」か「風頭山」[7]、80番「潮見町」、90番「東長崎方面行き」のバスに乗車「中川町」・「蛍茶屋」・「矢の平三丁目」で下車後、徒歩10~15分。
    • 東長崎方面からは南高スクールバス[8]、6番「立神」、100番「ココウォーク茂里町」、200番「中央橋」に乗車し、「蛍茶屋」・「中川町」・「矢の平三丁目」で下車後、徒歩10~15分。
長崎市乗合タクシー
長崎市が丸寿タクシーに委託し矢の平・伊良林地区で運行している。学校がフリー乗降区間内にあるため学校のすぐそばで乗降できる[9]
鉄道駅
自動車
学校周辺は狭い道や、一方通行の道、階段が多く、駐車が難しい。最寄りの国道は国道34号。「矢の平1丁目」交差点から市道を登っていき、2番目の信号付近に学校案内表示板が設置してあるのでそこで右折。
バイパス等

周辺

脚注

  1. ^ 広くは長崎市の地域を表す古い呼び名。他に中国風の呼び方「崎陽」(きよう)などがある。
  2. ^ 明治天皇皇后。女子教育に積極的で、華族女学校(現学習院女子高等科)や、お茶の水の東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)をはじめとする日本の女学校の設立に大きな影響を与えた。
  3. ^ 「金剛石も磨かずば 玉の光は添はざらん 人も学びて後にこそ 誠の徳はあらわるれ 時計の針の絶え間なく めぐるが如く時の間も 日かげ惜しみて励みなば 如何なるわざかならざらん」 (ダイヤモンドも磨かなければ、光り輝くことはないでしょう。これと同じように人間も様々なことを学ぶことで、本当の徳が身に現れることでしょう。刻一刻と時は過ぎ行くけれど、そんな中でも時間を大切にして懸命に取り組めば、かなわないことなどありましょうか(いえ、必ずかなうことでしょう)。)奥好義がこの詩に曲をつけ、戦前文部省の定める小学校唱歌にもなっていた。
  4. ^ 現在の長崎県立長崎東高等学校長崎西高等学校の源流となった旧制中学校(男子校)。
  5. ^ この当時、統合・再編で男女共学を開始した公立(県立・市立)高校とは対照的に、私立高校は男女別学を継続するものが多かった。そんな中で瓊浦高校は長崎県内の私立高校の中で最初に男女共学を開始した。
  6. ^ 夢彩都が開始点で、長崎駅前東口・桜町・歴史文化博物館(2013年(平成25年)4月新設)・諏訪神社を経由。
  7. ^ 神の島を開始点とし、稲佐方面・宝町・長崎駅前南口か長崎駅前東口・市役所前か大波止・中央橋・諏訪神社前を経由。逆区間は6番。
  8. ^ 東長崎の矢上(やがみ)・芒塚(すすきづか)との間を結ぶ便で2013年(平成25年)4月に新設された。
  9. ^ 詳しくは乗合バス 矢の平・伊良林地区 - 長崎市ウェブサイト

関連項目

外部リンク