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石川広志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石川 広志
出生名 石川 広志
別名 チョーさん ・ 雷門 広喜
生誕 (1960-06-22) 1960年6月22日(64歳)
出身地 日本の旗 日本長崎県時津町
職業 ドラマー
打楽器指導者
活動期間 1978年~

石川 広志(いしかわ ひろし、1960年(昭和35年)6月22日 - )は、日本の打楽器奏者。千葉県柏市在住、長崎県長崎市(実家は時津町)出身。11歳から打楽器を始め、吹奏楽団、交響楽団、ビッグバンドを経て、現在スタジオミュージシャンとして活躍中。ファンや仲間内では「チョーさん」や「ミック」の愛称で親しまれている。

概要

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ドラムを始め打楽器演奏には独自の世界を持っており、「打楽器は楽譜で叩くな!フィーリングで叩け」をモットーとしている。

吹奏楽に関しては、全日本吹奏楽コンクール地区予選10回、ブロック予選6回、全国大会5回(金賞3回)の出場経験をもっており、打楽器のソロアンサンブルコンクールでは4回の金賞を受賞し、地区やブロックの代表になる程の指導力を持っており、打楽器を駆使した効果的演奏方法も得意としている。

交響楽団では石丸寛の下、チャイコフスキー交響曲第6番 『悲愴』をはじめ、歌劇『蝶々夫人』、交響詩『フィンランディア』、『ボレロ』など数多くの曲を手がけて来た。

ビッグバンド時代はニューオーリンズで修行をし、帰国後はダン池田の下でラテンパーカッションを習い、テレビ出演をはじめ、全国各地で多数の歌手やミュージシャンとの共演も果たした。

現在は吹奏楽に力を入れ、千葉県柏市に居を構え、関東地方の小、中、高校生や大学生を中心に「効果音的な打楽器」、「打楽器の楽しみ方」等を教えている。

経歴

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  • 1971年(昭和46年) - 小学5年の時、市の鼓笛隊に入り打楽器の楽しさを知る。
  • 1973年(昭和48年) - 中学校の吹奏楽部に入部し、打楽器の種類の多さを知り徐々にのめり込んで行く。
  • 1976年(昭和51年) - 推薦にて高校に入学。本格的にドラム(打楽器)を始める。
  • 1976年(昭和51年)〜1979年(昭和54年) - 卒業するまでドラムや打楽器のアンサンブルコンテスト出演

            金賞に輝き数多くのライブにも出演(この頃、米軍キャンプの楽団と仲良くなり、             本格的なジャズと出会う)。

  • 1979年(昭和54年) - 学生時代、吹奏楽のコンクールや活動、オーケストラでの演奏にと積極的に参加。
  • 1980年(昭和55年) - ドラムのバイトで出た歌謡番組での演奏をきっかけに、スカウトを受け、74倍の難関を突破して上京。

            その後歌謡番組や、コンサート等に出演。

  • 1982年(昭和57年) - 高校の時に知ったジャズの勉強に、ニューオーリンズに2年間の武者修行。
  • 1985年(昭和60年) - 帰国後も歌謡番組や、ライブ、交響楽団等とのジョイントコンサートに出演。
  • 1988年(昭和63年) - フリーになりテーマパークでの出演や演奏、映画音楽の作成(編曲)に携わる。
  • 2011年(平成23年) - 指導をしている中学校が全日本1位に輝く。
  • 2012年(平成24年) - 将来有望な音大生を中心にSwing Beat Team Hiroshiを結成、地域での演奏や、

            デイケアーホーム等でボランティアでの演奏活動を行っている。

  • 2013年(平成25年) - 「HUB浅草店」にて薗田憲一とデキシーキングスと共演
  • 2014年(平成26年) - EYS MUSIC SCHOOLにてドラムの講師経て、.

             現在、キャラクターでのドラマーとしても活躍中。

  • 2024年(令和6年) - 2月2日 脳梗塞で倒れ、右側半身麻痺となる。

      同年6月  左手一本でドラムを叩き、執念を見せる。(右手はまだ動かず、復活の声も多い)

出演番組

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他番組多数。

CM

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著書

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指導・共演参加実績

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小学校

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中学校

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高等学校

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大学

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他、多数の小学校、中学校、高等学校、大学の学生に指導

脚注

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関連項目

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外部リンク

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