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「対馬市立厳原中学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 08:55時点における版

対馬市立厳原中学校
地図北緯34度13分06秒 東経129度17分08秒 / 北緯34.218417度 東経129.285667度 / 34.218417; 129.285667座標: 北緯34度13分06秒 東経129度17分08秒 / 北緯34.218417度 東経129.285667度 / 34.218417; 129.285667
過去の名称 厳原町立厳原中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 対馬市
併合学校 対馬市立佐須中学校[1]
校訓 切磋琢磨
設立年月日 1947年昭和22年)4月1日
共学・別学 男女共学
学校コード C142210001310 ウィキデータを編集
所在地 817-0015
長崎県対馬市厳原町桟原27番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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対馬市立厳原中学校(つしましりついづはらちゅうがっこう, Tsushima City Izuhara Junior High School)は、長崎県対馬市にある公立中学校。略称「厳中」(げんちゅう)。

概要

歴史
1947年昭和22年)4月に、学制改革(六・三制の実施)により、「厳原町立厳原中学校」として開校した。
校訓
「切磋琢磨」(2007年(平成19年)制定)
校歌
作詞は宗武志、作曲は乗松昭博による。歌詞は2番まであり、両番とも校名の「厳原中学」で終わる。
校区
以下の小学校の卒業生が通う。

沿革

  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、「厳原町立厳原中学校」が開校。
    • 厳原町立厳原小学校の西校舎6教室(現・対馬南警察署敷地)を借用し、6学級(生徒数295名)への授業を開始。
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 旧・厳原青年学校の校舎に一部を移転。第1学年4学級は青年学校校舎、第2学年4学級と第3学年1学級は厳原小学校西校舎に収容。
    • 4月下旬 - PTAが発足。
厳原中学校跡地
(現在の対馬市厳原体育館)
清水ヶ丘と呼ばれている。
  • 1949年(昭和24年)
    • 1月 - 宗家の働きかけにより、万松院から厳原中学校校地として旧・金石城跡の寄贈を受ける。校舎完成までの間、鶏知重砲連隊の旧兵舎を校舎とする。
    • 4月3日 - 旧・長崎県立対馬高等女学校[2]を使用するため、一部移転。
      • 本部と第2学年4学級を厳原小学校西校舎、第1学年4学級を旧・高等女学校[3]、第3学年4学級を旧・厳原町役場[4]に収容。全12学級600名。
    • 12月11日 - 金石城跡に校舎が完成。
    • 12月16日 - 新校舎に移転。
    • 12月23日 - 開校式を挙行。
  • 1950年(昭和25年)7月11日 - アメリカ軍教育官ルーチ[5]が視察のため来校。
  • 1951年(昭和26年)
    • 8月 - 校内放送施設を備え、放送を開始。
    • 12月7日 - 校旗入魂式を挙行。
  • 1953年(昭和28年)8月 - 全教室にスピーカーを設置。
  • 1954年(昭和29年)7月29日 - 校歌を制定。厳原小学校講堂にて校歌を発表。ピアノを設置。
  • 1955年(昭和30年)9月27日 新校舎が完成。
  • 1957年(昭和32年)1月7日 - 大渕の大火により、生徒18名が罹災。救援対策をとる。
  • 1958年(昭和33年)4月29日 - へき地集会所が完成。
  • 1960年(昭和35年)10月23日 - 西側職業実施場を武道場とする。
  • 1961年(昭和36年)
  • 1962年(昭和37年)
    • 4月 - 在籍生徒数が19学級、868名と最高人数を記録する。
    • 5月10日 - ブラスバンド(吹奏楽部)を結成。
  • 1963年(昭和38年)
  • 1964年(昭和39年)7月6日 - 厳原小学校敷地内に厳原町学校給食共同調理場が完成し、完全給食を開始。
  • 1968年(昭和43年)
    • 4月1日 - 特殊学級(1学級)を新設。
    • 9月9日 - 校内の始業・終業ベルを廃止。
  • 1969年(昭和44年)4月30日 - 宿日直制度を廃止。
  • 1971年(昭和46年)9月30日 - 厳原小学校・中学校通学バスが対馬交通に委託され、曲、南室、小浦地区の小中学生を対象に運行を開始。
  • 1979年(昭和54年)- 校舎を桟原の旧・長崎県立対馬高等学校校舎に移転。
  • 1985年(昭和60年)11月 - 新校舎が完成し、旧校舎から移転完了。旧校舎は解体され、グラウンドとして造成。
  • 1993年(平成5年)- 体育館が完成。
  • 1994年(平成6年)- 武道場が完成。
  • 2004年(平成16年)3月1日 - 対馬市の誕生により、「対馬市立厳原中学校」(現校名)となる。
  • 2007年(平成19年)- 「切磋琢磨」を校訓に制定。
  • 2022年(令和4年)4月1日 - 対馬市立佐須中学校を統合[1]

部活動

運動部
文化部

著名な出身者

アクセス

最寄りの港湾
最寄りのバス停留所
  • 対馬交通 - 「厳中前」(げんちゅうまえ) バス停(縦貫線)
最寄りの幹線道路

周辺

脚注

  1. ^ a b 「佐須中生徒会 最後の矢立山古墳ボランティア清掃」- 対馬新聞 第4210号 第4面(2021年(令和3年)7月8日(金)発行)
  2. ^ 旧・長崎県立対馬中学校とともに、長崎県立対馬高等学校の前身となった学校。
  3. ^ 現・長崎県立対馬高等学校寮
  4. ^ 元・金石館、対馬ビジターセンター敷地内(現在、対馬博物館が建設されている場所)。
  5. ^ ウィンフィールド・ニブロの後任者。

参考文献

関連項目

外部リンク