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2022年10月7日 (金) 12:08時点における版
岐阜市立岐北中学校 | |
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北緯35度28分25秒 東経136度42分44秒 / 北緯35.47373度 東経136.71218度座標: 北緯35度28分25秒 東経136度42分44秒 / 北緯35.47373度 東経136.71218度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岐阜市 |
設立年月日 | 1947年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C121220100136 |
所在地 | 〒501-1171 |
岐阜県岐阜市御望971-1-2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
岐阜市立岐北中学校(ぎふしりつ ぎほくちゅうがっこう)は、岐阜県岐阜市にある公立中学校。
校区は岩利、岩利1~7丁目、石谷、石谷1~6丁目、村山、村山1~4丁目、安食、佐野、佐野1丁目、彦坂、彦坂川北、彦坂川南、彦坂川上、安食字荒毛、安食字志良古、安食字竹田、安食字三内前、安食字竜巣前、安食1~6丁目、今川、洞、折立、黒野、交人、古市場、御望、下鵜飼、黒野南1~4丁目、大学北1~3丁目、大学西1・2丁目、深坂1・2丁目、柳戸、御望1~6丁目、下鵜飼1・2丁目、古市場老ノ上、古市場神田、古市場高宮、古市場中原、古市場東町田、上西郷、中西郷、中、小野、下西郷、上西郷1~9丁目、小野1~6丁目、下西郷1~5丁目、中1・2丁目、中西郷1~7丁目、西秋沢、奥、則松、秋沢、雛倉、外山、西秋沢1・2丁目、奥1・2丁目、則松1~5丁目、秋沢1・2丁目、雛倉1~3丁目であり、岐阜市立方県小学校、岐阜市立黒野小学校、岐阜市立西郷小学校、岐阜市立網代小学校の児童が進学する[1]。
沿革
- 1947年(昭和22年)4月 -
- 1948年(昭和23年)4月 - 西郷村と網代村が本巣中学校から離脱し、稲葉郡学校組合立稲北中学校に合流。方県小学校、黒野小学校、岐阜農林高等学校振天分校[注釈 1]の校舎の一部を使用。
- 1949年(昭和24年)
- 1月 - 統合校舎を新築し移転することを4か村で合意。
- 3月 - 西郷村と網代村が合意を破棄し、岐阜農林高校振天分校の校舎を統合校舎とすることを主張。これにより稲葉郡の2村(方県村・黒野村)と本巣郡の2村(西郷村・網代村)との間で対立。学校組合解散の寸前の状態となる。
- 4月 - 新築移転を断念し、岐阜農林高校振天分校校舎を本校とする。黒野小学校に設置された本校は黒野分校とする。方県分校を廃止。
- 12月 - 校舎を新築。黒野分校を廃止。
- 1950年(昭和25年)8月20日 - 方県村、黒野村、西郷村が岐阜市に編入される。同時に岐阜市立稲北中学校に改称する[注釈 2]。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 網代村が岐阜市に編入される。同時に岐阜市立岐北中学校に改称する。
- 1971年(昭和46年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。以降、1974年、1977年、1979年、1982年に増築する。
- 1982年(昭和57年) - 管理棟、特別教室が完成。
交通アクセス
- 黒野線「岐北中学校前」バス停より徒歩約3分。
参考文献
- 岐阜市黒野史誌 (黒野史誌編集委員会 1987年) P.1129 - 1144
- 岐阜市西郷史誌 (西郷史誌編集委員会 1982年) P.753 - 765
1949年の移転問題に対する「黒野史誌」と「西郷史誌」の記述
- 1949年の稲北中学校の移転問題では、新築移転賛成派の黒野村と反対派の西郷村とで対立している。そのため、後年編纂された「黒野史誌」と「西郷史誌」でも双方の立場で記述されており、それぞれの言い分が記述されている。
- 「黒野史誌」では、新築移転は4か村で合意されたと記述されているが、「西郷史誌」では、学校組合の役員が黒野村の人物が多く、1票差の賛成多数で合意のため不本意の合意と記述。
- 「黒野史誌」では、新築移転は4か村から通学の良い場所に設置するためと記述。「西郷史誌」では、振天高校の校舎の使用は、新築による経費を削減するためと記述。
- 「西郷史誌」では、将来岐阜市と編入するのにあたり、学校組合という枠で編入すると考えがあったが、方県村と黒野村は、2村で岐阜市に編入を進めるため、西郷村・網代村を組合から排除しようとしたと記述。