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2022年10月7日 (金) 16:26時点における版
山県市立乾小学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山県市 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 2010年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒501-2254 |
岐阜県山県市出戸120 | |
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山県市立乾小学校(やまがたしりつ いぬいしょうがっこう)は、かつて岐阜県山県市出戸に存在した公立小学校。
旧山県郡美山町(現・山県市)の小学校であり、かつての武儀郡乾村が校区であった。
沿革
- 1873年(明治6年) - 武儀郡日永村、船越村、出戸村、相戸村、柿野村の5ヶ村により、日永村に鋳陶小学校を設置する。
- 1874年(明治7年) - 出戸村に移転する。通学困難であった柿野村落合に第一分場を、柿野村字中又に第二分場を設置する。
- 1879年(明治12年) - 第一分場と第二分場が統合され、柿野分校となる。
- 1886年(明治19年) - 出戸簡易小学校に改称する。鋳陶小学校柿野分校は分離独立し、柿野簡易小学校となる。
- 1887年(明治20年) - 出戸尋常小学校に改称する。
- 1889年(明治22年) - 日永村、船越村、出戸村、相戸村、柿野村が合併し、武儀郡乾村が発足。
- 1901年(明治34年) - 出戸尋常高等小学校に改称する。
- 1904年(明治37年) - 現在地に新築移転する。
- 1941年(昭和16年) - 乾国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年) - 乾村立乾小学校に改称する。
- 1955年(昭和30年) - 武儀郡乾村は西武芸村、北武芸村、富波村、谷合村、葛原村、北山村(以上、山県郡)の計7村と合併し、山県郡美山村となる。同時に美山村立乾小学校に改称する。
- 1964年(昭和39年) - 美山村が町制施行して美山町となる。これにともない美山町立乾小学校に改称する。
- 1997年(平成9年) - 柿野小学校を統合する。旧柿野小学校の生徒用のスクールバスの運行が開始される。
- 2003年(平成15年) - 高富町、伊自良村、美山町が合併し、山県市となる。同時に山県市立乾小学校に改称する。
- 2010年(平成22年) - 西武芸小学校、富波小学校、乾小学校を統合し山県市立美山小学校が新設され、廃校。
研修
- 2004年(平成16年) - 初の長期宿泊研修が行われる。山の部・海の部と3泊4日が2回。山の部は地元、海の部は三重の河芸。
- 2005年(平成17年) - 山の部・海の部3泊4日計2回。
- 2006年(平成18年) - 海の部のみになる。3泊4日。
- 2007年(平成19年) - 海の部のみ。3泊4日。
- 2008年(平成20年) - 海の部のみ。行き先が三重・河芸から愛知・美浜になる。3泊4日。
- 2009年(平成21年) - 閉校のため、最後の宿泊研修。愛知・美浜。3泊4日。
交通機関
- 岐阜バス板取線「出戸」バス停下車、徒歩10分
- JR岐阜駅バスターミナル(岐阜駅北)11番のりばより「洞戸栗原」「板取門原」行き
- 名鉄岐阜のりば(名鉄岐阜駅西)4番のりばより「洞戸栗原」「板取門原」行き
その他
- 2018年現在、旧・乾小学校の体育館は山県市乾体育館として、旧・乾小学校の運動場は山県市乾運動場として利用されている。