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==連続投稿について== |
==連続投稿について== |
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自分のウォッチリストに入っている[[護良親王]]などの更新を拝見していますが、[[Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす]]、[[Help:プレビューを表示]]などをご参照の上、Wikipediaをより多くの人にとって利便性の高いものとしていただけると幸いです。ご協力のほど、お願い申し上げます。--[[利用者:鳴海|narumi]]([[利用者‐会話:鳴海|会話]]) 2021年11月16日 (火) 11:44 (UTC) |
自分のウォッチリストに入っている[[護良親王]]などの更新を拝見していますが、[[Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす]]、[[Help:プレビューを表示]]などをご参照の上、Wikipediaをより多くの人にとって利便性の高いものとしていただけると幸いです。ご協力のほど、お願い申し上げます。--[[利用者:鳴海|narumi]]([[利用者‐会話:鳴海|会話]]) 2021年11月16日 (火) 11:44 (UTC) |
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おまえのいばしょもうしってるからまじいえのまえでころーすぞ。てめのシナかあさんもこーろすぞ。まじころーすからな。おれは警ー察はこわくないんだよ。まじこーろすつもりだから言ってるぞ。--[[利用者:124.215.123.164| 124.215.123.164]](IPアドレス: 124.215.123.164による殺害予告。面白いので残しておきたいです。) |
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== 大御食神社について == |
== 大御食神社について == |
2023年3月18日 (土) 13:48時点における版
連続投稿について
自分のウォッチリストに入っている護良親王などの更新を拝見していますが、Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす、Help:プレビューを表示などをご参照の上、Wikipediaをより多くの人にとって利便性の高いものとしていただけると幸いです。ご協力のほど、お願い申し上げます。--narumi(会話) 2021年11月16日 (火) 11:44 (UTC)
おまえのいばしょもうしってるからまじいえのまえでころーすぞ。てめのシナかあさんもこーろすぞ。まじころーすからな。おれは警ー察はこわくないんだよ。まじこーろすつもりだから言ってるぞ。-- 124.215.123.164(IPアドレス: 124.215.123.164による殺害予告。面白いので残しておきたいです。)
大御食神社について
こんにちは。大御食神社の神代文字社伝記を偽書と記載頂きましたが、本書を偽書と断定している資料を教えて頂いてもよろしいでしょうか。--Qurren(会話) 2021年12月12日 (日) 07:24 (UTC)
櫻澤重利『実在した「神代の文字」』 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2021年12月12日 (日) 07:45 (UTC)
あとは偽書を研究している原田実氏のhttps://twitter.com/gishigaku/status/462165914192855040?s=21のツイートとか 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2021年12月12日 (日) 07:47 (UTC)
- ありがとうございます。伝承として興味深い内容ですので、機会を見つけ次第ご提示頂いた資料の内容を確認して参りたいと思います。--Qurren(会話) 2021年12月12日 (日) 07:54 (UTC)
天皇の諱の論文について
出典としてPDFファイルが挙げられていますが、その掲載誌情報を日本語で出典リンクの隣にでも書いていただけないでしょうか。 --ねこぱんだ(会話) 2022年1月29日 (土) 04:26 (UTC)
- さっそくの対応、ありがとうございます。 --ねこぱんだ(会話) 2022年1月30日 (日) 01:57 (UTC)
おにぎりをどうぞ!
おにぎりをどうぞ! Otokotoko(会話) 2022年2月9日 (水) 14:04 (UTC) |
出典のリンク
先日もおねがいしましたが、論文のリンクは、日本語で何らかの説明をつけていただけないでしょうか。そこに飛んでまた戻るというのは、無用な手間だと思います。 --ねこぱんだ(会話) 2022年2月19日 (土) 06:56 (UTC)
ジャパンカップ差し戻しについて
なにか不都合ございましたでしょうか。例えばサイレンススズカの命日など特筆すべきリンクでもない、レースの背景となる(例えば戦時下における特異な開催日など)時代や季節も読み取れない、ただの日付でしかないと感じましたが。(Wikipedia:記事どうしをつなぐ#リンクすべきでないもの)--急急如律令(会話) 2022年2月23日 (水) 04:05 (UTC)
ただの日付でも記事が存在すれば繋げておいて良いと思うのですが。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年2月23日 (水) 08:08 (UTC)
それ言い始めたら「3歳 2400m 国際 英国の 特別 競走」等々ありとあらゆる語句を繋げれば繋げるだけ(アナタや私が想像も出来ないジャパンカップ知識の関連性が出てくるかもしれない)記事が存在するのだからリンクしなければ成らなくなります。もっと具体的に上記「記事どうしをつなぐ」を踏まえた上で私の編集を全部差し戻した根拠をお聞かせ願いませんか。何をどうしたら戻されるのか判断しなければなりません。(Wikipedia:執筆・翻訳者の広場「年月日のリンクは必要ですか? テンプレ化の連鎖を止めたい」も参照ください)--急急如律令(会話) 2022年2月24日 (木) 05:48 (UTC)
記事があるから繋げ直しただけですって。今繋がっていない繋げなければならない用語は私が繋げますので気にしなくていいですよ。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年2月24日 (木) 14:29 (UTC)
- 上記に示した「#リンクすべきでないもの」に適いませんし「いつか将来、あなた一人がやるから」って方針でこの皆で編集する辞典を勝手に方針付けては困ります。
- それならいつか私(急急~)が日付に限らない全文のありとあらゆる存在する語句リンクをするので、今後はアナタは差し戻さずに気にしないでください。よってまず私の思うとおりにやるので私の編集には関わらないでください。【私がやりますので】・・と水掛け論になってしまいます。そして、そもそも私が言ってるのは今後あなたがどうするかではなく、過去の「差し戻し」の根拠は何ですか?という質問一つのみです。「記事があるから繋げ直しただけ」では上記の通り答えに成っていません。Wikiのガイドラインなど何かアナタの編集方針の根拠と成っているものを示してください。--急急如律令(会話) 2022年2月26日 (土) 07:30 (UTC)
- 示せない、返答に窮している。且つ、その後の対応はダンマリを決め込んで、逃げと認識しました。
- アナタは他の編集は進め、他の議論も進めており、Wiki自体にログインする時間を割けないという理由でもない様子。--急急如律令(会話) 2022年3月22日 (火) 09:19 (UTC)
『古代氏族系譜集成』にもとづく記述の除去
- 「Wikipedia:検証可能性(広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論についてのみ言及すべき)」「Wikipedia:独自研究は載せない(編集者の個人的観点や政治的意見、また発表済みの情報の個人的分析や解釈、そして自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する論証や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・合成するようなこと)」を根拠に大量削除を行っているようですが、そもそも『諸系譜』は中田憲信が様々な系図を収集した二次資料であり、『古代氏族系譜集成』はそれらを更に検証した二次資料です。『古代氏族系譜集成』においては各系図に対する信憑性や疑問点などの検証も存在しますが、それらの事実確認をしていないのでしょうか。
- その一方で、中田憲信著の『諸系譜』を批判しながら、自身が作成した記事では出典を『粟鹿大明神元記』で済ませており(どちらも成立経緯に諸説あり、第三者による論評が存在する点では変わらない)、『古代氏族系譜集成』から引用した記事が多数存在する『古代豪族系図集覧』につては削除しないなど、その編集方針が定まらずいい加減です。
- また、事実確認を行わずに記事の文言を出典元の趣旨と異なるものに書き換えるような編集は問題ないのですか。出典が明記されている文章の途中に「要出典」をはさむ行為についても、結果的に出典元の趣旨と異なる内容に変更する行為です。
- 加えて、これまで二回も指摘されている「説明なしで論文のリンクをそのまま掲載」している点も改善が見られません。出典元の書籍についてはページ番号すらありませんが、これはWikipediaの「Wikipedia:出典を明記する」に反していると見られます。
- 自分が気持ちよくなるためにWikipediaの方針に反する行動をしているのはあなたではないのでしょうか。 大判小判(会話) 2022年3月8日 (火) 23:30 (UTC)
・『諸系譜』『古代氏族系譜集成』が元にしているとされる系図の出所が不明な上に、その「検証」は、「存在は確認していないけどまあ多分おそらく本物かもしれない」という程度で、その系図が実際に信憑性のある情報をもとに記されたことを証明しているところを見たことがない。 ・粟鹿大明神元記はその出所や写本の在処が明確である上に、私が知る限りでも 是澤恭三、田中卓、前之園亮一、鈴木正信が「(成立年に疑問が残るながらも)内容は信頼できる」という評価、あるいはその姿勢を取っている時点で『諸系譜』『古代氏族系譜集成』などとは別の立ち位置にある系図です。 ・『古代豪族系図集覧』もうさんくさい系図なんですね。いいこと聞きました。 ・文言を書き換えるのや要出典の多様は良くないですね。ちゃんと文章ごと削除すべきでした。 ・出典の明記はサボっていたのでこれから改善していきます。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月8日 (火) 23:52 (UTC)
- やはり事実確認をしていなかったようですね。そもそも『古代氏族系譜集成』はあなたが列挙した是澤恭三、田中卓、前之園亮一、鈴木正信の論考・研究書と同じく系図を検証した書籍であり、出所も明記されており(○○図書館蔵の○○家譜など)、研究者の論考も参考資料として掲載されていましたが、『古代氏族系譜集成』を確認しているのであれば当然ご存知のはずですよね。
- 「存在は確認していないけどまあ多分おそらく本物かもしれない」も全くの誤りですね。系図の妥当性、検証方法については「第1章 系図と歴史的事実」に書いてありましたがお忘れですか。どのように系図研究を始めて、どのような史料を調査したかも掲載していましたよね。
- そして、出典の明記はサボるとは、やはりいい加減な編集をしていたのですね。 大判小判(会話) 2022年3月9日 (水) 00:30 (UTC)
私は『古代氏族系譜集成』を所持していないし、それがある図書館に行く機会もないので、具体的な説明をお願いします。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月9日 (水) 00:47 (UTC)
- ご自分で確認されてはいかがですか。地方の大図書館に行けば確認できますし、オンラインで国立国会図書館に申し込めばページのコピーも可能ですよ。
- 申し訳ありませんが、事実確認も行わずに「存在は確認していないけどまあ多分おそらく本物かもしれない」という決めつけ・想像を根拠に独自研究、検証可能性に反すると大量削除を行う一方、自身がWikipediaの編集方針をまるで理解せずに「強すぎて悪い。流石にこれは気持ちいい」と感情論丸出しの文章を他人のノートに送りつけるような人に説明する労力が無駄です。自分は何も負担せずに他人に要求するだけの人とは付き合っていられませんから、これ以上の返信は不要です。互いに時間を無駄にはしたくないでしょう。
- それでも一応参考に書いておきますが、『古代氏族系譜集成』は「信憑性が低い系図は掲載しない」方針で編集され、個々の系図に関しても「真偽不明であるが掲載しておく」、「この部分は転訛の可能性がある」、「この部分は誤りである」、「AとBのどちらとも判断しがたい」といった内容であり、あなたが問題視している『諸系譜』が紹介した系図も掲載を見送られたものが多数ありますよ。具体的な検証方法は手にとって確認してください。 大判小判(会話) 2022年3月9日 (水) 01:19 (UTC)
このやりとりを見た第三者様に向けてこの返信を残します。
『古代氏族系譜集成』自体は図書館で読んだことがあります。家に蘇我氏の系図のコピーが何枚かあります。数ヶ月前に、河辺禰受などの記事に、ハテナ付きではあるものの、私が『古代氏族系譜集成』の内容を加味した編集を行なっているので、それが証明になると思います。
そして、支持者ですら結局なんの正当性も証明できなかった『古代氏族系譜集成』『諸系譜』をやはり私は認めることはできないので、大判小判・大小高低のWikipediaの方針に反した編集を認めません。
ちなみに、ひとつの例ではありますが、『諸系譜』の作者・中田憲信が遺した『各家系譜』の「大久保家家譜草稿」には「和邇氏系図」という系図が収められているらしい[1]のですが、田中卓の『壬申の乱とその前後』[2]によれば、「和邇氏系図」があるとされる浅間大社にはその系図の原本は見つからなかったそうです。そして、『静岡県史』所収の「和邇部臣系図(富士大宮司系図)」と『各家系譜』所収の系図について、仁藤敦史は「後者が前者のオリジナルな記載を簡略化し、『日本書紀』や『続日本紀』により和邇部臣君手の記載を加えるなど、諸史料により整合させており、前者が史料としては先行し、重視すべきと考えられる。」と述べています[3]。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月9日 (水) 03:37 (UTC)
- こんにちは、Wikipediaにおいては執筆者がその執筆内容の正当性を証明する手段は、出典を明示することのみと考えます。なので、出典が明示されている内容について、自分が正当性を信じられないことをもって無条件で削除するのは、やや行きすぎた編集ではないでしょうか(なので、「Refタグつき記述の除去」のウォーニングが表示されていますよね)。家系図類は古来より後世の仮冒も多いため、真実でないから記載すべきでないなど言い出すときりがなく、これは『尊卑分脈』や『寛政重修諸家譜』のようなよく知られた系図であっても同様です。また、読者にはできるだけ多くの情報を提供した方がよく、執筆者の独断によりそのチャンスを奪うような編集には同意いたしかねます。従って、家系図類の情報はまずはそのような情報があることを明示し、批判的に評価されているなら批判されていることを、仮冒と評価されているなら仮冒とされていることを、出典に基づいて記載すれば良いと考えます。
- たしかに、宝賀寿男の提示した家系図類は新たに世に出した量が尋常でないことから、評価が定まっていない部分も非常に多いので、シンプルに事実のように記載することに疑問を持つことは自然と考えます。そこで、例えば、主題セクションに記載する場合は「●●の子とする系図がある」(これは虚偽ではないですよね)。系譜セクションには「宝賀寿男『古代氏族系譜集成』による」(出典を容易に認知できることで、読者側が自己の知見によりその真偽性を判断できる)のように記載することでいかがでしょうか。ご一考いただければありがたく存じます。--Snap55(会話) 2022年3月16日 (水) 14:09 (UTC)
宝賀や中田の系図は『寛政重修諸家譜』のような「江戸時代に自身の出自を高貴に見せるための仮冒(仮冒とはいえ系図に登場した人物の末裔を実際に江戸時代の一族の当主が自称している)」ではなく「純粋な捏造」の可能性が拭いきれなく、いつどのようにどんな資料を収集したのかも不明であるため、資料として用いることに反対です。「系図が存在する」というだけで記述に値するのなら、「ホツマツタエ」や「宮下文書」などに記された記紀等とは異なる系譜や伝承も加筆できることになってしまうと思います。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月17日 (木) 01:52 (UTC)
- ご返答ありがとうございます。学者気取りの先頭はここで終わり!さんの、ご自身が正当性に信用をおける情報のみを執筆すべきで、そうでないものは削除すべき、とのお気持ち理解いたします。ただし、Wikipediaに記載すべきかどうかは、執筆者個人の価値観で決定されるものではありません。あくまでも、Wikipedia:中立的な観点に基づき、Wikipedia:信頼できる情報源に記載されている情報かどうかで判断すべきです。その点で、宝賀寿男『古代氏族系譜集成』はやや微妙なのですが、以下理由によりWikipedia:信頼できる情報源であり、これに基づいて執筆することは適切と考えます。
- 宝賀寿男自身の手による論文約30本がciniiに掲載されていること、及び、Wikipediaにも宝賀寿男本人の項目が存在し削除依頼もなされていないことから、著作者として一定程度信頼できる。
- 『古代氏族系譜集成』自体は自費出版とみられるが、同書は多数の一般書籍に影響を与えている(宝賀寿男を参照)ことから、Wikipedia:信頼できる情報源に該当する。
- なお、「「ホツマツタエ」や「宮下文書」などに記された記紀等とは異なる系譜や伝承も加筆できる」については、これら系図をそのまま無批判に執筆・掲載することはWikipedia:独自研究は載せないにおける記事全体を一次資料に依拠してはいけませんに該当するため、もちろん不適切です。ただし、これら系譜類に関して解釈・評価を行っている二次資料を出典として、その解釈・評価も含めて記載することは問題ないと考えます。--Snap55(会話) 2022年3月17日 (木) 14:18 (UTC)
ciniiには「ホツマツタエやミカサフミを記紀の原書とする論文([1] 記紀原書ヲシテ : 『ホツマツタエ』『ミカサフミ』『フトマニ』のすべて)」のように、一般的な学界で認知されている日本史観とはかけ離れた内容の論文も掲載されているので、それでは『古代氏族系譜集成』が信頼に値するとは言えないと思います。
『古代氏族系譜集成』に記された系図を記載した「一般書籍」において、十分にその系図が信用に値するものであると判断されたものがあれば教えていただきたいです。そして、その信用に値する系図であれば、テンプレート部分や系譜セクションに記載するのではなく、備考欄を別に設けて、さらに「こういう系図があるがただし信憑性は定かではない」という旨を明記して記載しても良いと思います。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月17日 (木) 17:27 (UTC)
- 宝賀寿男項目の宝賀寿男#評価の佐伯有清による評価で十分と思いますがいかがでしょうか。もちろん、全てが100%信用できるとのことではなく、系図ごとに批評があればその旨記載すれば良いと思いますが--Snap55(会話) 2022年3月18日 (金) 14:39 (UTC)
- ちなみに、「一般的な学界で認知されている日本史観とはかけ離れた内容の論文」であったとしても、特段論文が撤回された証跡もないので、「信頼に値するとはいえない」理由にはならないと考えます。Wikipedia:中立的な観点#中立を達成するためにも参照下さい--Snap55(会話) 2022年3月19日 (土) 01:56 (UTC)
『古代氏族系譜集成』や宝賀寿男に対する評価ではなくて、「『古代氏族系譜集成』に記された系図が信用するに足りるものである」と他の資料から証明した第三者の話・本が知りたいです。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月19日 (土) 14:46 (UTC)
「第三者」というのは、例えば津田左右吉や井上光貞のように、後世の人間から研究を参考にされることがある程の研究者でお願いします。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月19日 (土) 14:49 (UTC)
- 「『古代氏族系譜集成』に記された系図が信用するに足りるものである」と他の資料から証明した第三者の話・本についてここで議論することは意味がありません。一次資料である「『古代氏族系譜集成』に記された系図」に対して、解釈・評価した内容である二次資料『古代氏族系譜集成』がWikipedia:信頼できる情報源に該当するかを議論すべきで、それは先にお示しした通りです。ただし、学者気取りの先頭はここで終わり!さんが除去された『古代氏族系譜集成』に基づく情報について、出典の書き方が一次資料である鈴木真年の著作に基づくように見えるケースが多いため、二次資料である『古代氏族系譜集成』に基づいたことを明示するように書き直す必要があると考えています(出典ページを明記するなど)。特に、奈良~平安時代の人物項目については、当方の書き方がよくありませんでした。申し訳ありません。
- ちなみに、「『古代氏族系譜集成』に記された系図に対する評価」については、鈴木真年項目をご確認下さい。全て信用できる/できない、ではなく個々の系図に対して評価がなされているところです。--Snap55(会話) 2022年3月20日 (日) 00:47 (UTC)
「『古代氏族系譜集成』や鈴木真年、中田憲信が参考にしたとされる一次資料の系図」がWikipedia:信頼できる情報源に該当するか否かを判断するには研究者の意見を参考にするしかないと思うのですが。それとも私達素人の判断で全くの捏造である可能性がある『古代氏族系譜集成』などを「信頼できる情報源」として判断するということでしょうか?
『古代氏族系譜集成』で行われている解釈は研究者にどう受け取られているか、信用に値すると判断されているのかも知りたいです。それを知らずに『古代氏族系譜集成』が正しいと判断することはできないです。
そもそもなのですが、鈴木真年の項目で示されている「竜雲寺蔵本御神本三隅氏系図」のように、「『古代氏族系譜集成』や鈴木真年、中田憲信が参考にしたとされる一次資料の系図」が現存しているのなら、その「一次資料の系図」を基に記事を作成すればよいのではないでしょうか。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月20日 (日) 02:22 (UTC)
- すみません。「全くの捏造である」という評価はどこから出てきたのでしょうか。歴史学者のだれかがどこかでそう書いたのですか。--Kinori(会話) 2022年3月20日 (日) 12:32 (UTC)
- 過去お伝えした内容になりますが、『古代氏族系譜集成』に対する評価については、宝賀寿男項目の宝賀寿男#評価の佐伯有清による評価が記載されています。また、一次資料のみをもとに執筆を行うことはWikipediaでは推奨されていませんので、後者のご提案には賛同致しかねます。それと、Kinoriさんのご質問にもご返答お願い致します。--Snap55(会話) 2022年3月21日 (月) 04:41 (UTC)
>>kinoriさん 捏造された「可能性がある」ですね。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月21日 (月) 06:39 (UTC)
宝賀寿男#評価に評価された佐伯有清の「『古代氏族系譜集成』が出版され、本書の編者に大きな衝撃をあたえたことは否めない。本書の刊行が大幅におくれたのは、そのためであろう。しかし編者が「大部分を右書に負うた形となった」と述べているように、宝賀氏編の大著の出現は、本書をより充実させることとなったのである」という言葉だけでは、ただ「『古代氏族系譜集成』はすごい」という意味しか持っていないと思います。実際に「『古代氏族系譜集成』の系図がこういう理由で正しい」と述べている論文や著書が知りたいです。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月21日 (月) 06:46 (UTC)
あと、鈴木真年#著作をめぐる評価と論争によれば、佐伯有清は1986年の歴史学界 回顧と展望 」(『 史学雑誌 』 第九十六篇第五号 )で『古代氏族系譜集成』の評価として「注目すべき系図が数多く集められているが、古代氏族研究に利用するのには、十分な史料批判の手つづきをふむ必要があろう。」と述べていましたね。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月21日 (月) 07:29 (UTC)
- 言葉足らずで失礼しました。佐伯有清氏は「全くの捏造である可能性がある」と言っていないと理解してよいでしょうか。「全くの捏造である可能性がある」とは、「学者気取りの先頭はここで終わり!」さんが総合的な見地から下した判断ということでしょうか。--Kinori(会話) 2022年3月21日 (月) 08:11 (UTC)
そうですね。系図の真偽について不明である以上捏造だと言っても否定できませんし。 それに、実際に鈴木真年の『諸系譜』には椿井政隆の作成した偽系図が収録されています[4]。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月22日 (火) 02:58 (UTC)
すみません諸系譜は中田憲信でした。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月22日 (火) 03:01 (UTC)
- まず、議論が終了していない中で、議論の論点そのものに該当する編集の強行はおやめ下さい。ちなみに、学者気取りの先頭はここで終わり!さんのご意見は以下との理解で良いでしょうか。
- ①鈴木真年や中田憲信の遺した系図類は明らかにねつ造されたものを含んでいる
- ②①を取り上げている宝賀寿男の著作は全て信頼できない
- ③従って、宝賀寿男の著作に書かれた内容はすべからくWikipediaから除去すべき
- Snap55(会話) 2022年3月22日 (火) 14:07 (UTC) 一部推敲--Snap55(会話) 2022年3月22日 (火) 14:10 (UTC)
①はあっています。②もあっています。「然るべき研究者が他の史料を用いて『古代氏族系譜集成』(や鈴木真年・中田憲信の遺した系図類)の特定の内容(系図集内の『〇〇氏系図」のように)を肯定する」ような著作や論文があれば、そこは備考欄を設けて参考として記載しても良いと思います。③は、「すべからく」が正しい意味なのか誤用なのかわかりませんが、とりあえず、宝賀の主張を然るべき研究者が史料を用いて肯定している著作や論文がこちら側に提示されていない以上は除去すべきであると考えます。特にWikipediaに記載されるものは個人サイトのものが多いですし。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月22日 (火) 14:34 (UTC)
- 議論中にかかわらず、ご自身のお考えに基づく編集を強行されたことについてのコメントはないようですね。わかりました。
- それでは、まず①の議論をしたく。
- ①鈴木真年や中田憲信の遺した系図類は明らかにねつ造されたものを含んでいる、については、当方も同意します。なので、今後、鈴木真年や中田憲信の遺した系図類の一部にねつ造・虚偽が含まれていること(●●系図は虚偽である、等)を、議論に持ち出すのはおやめ下さい。
- その前提で、鈴木真年や中田憲信が遺した系図は以下3種類に区分されると思います。
- A:真正性が低い、または、明らかに虚偽であることが認められた物
- B:真正性が判断できない物
- C:真正性が高いと判断された物
- 学者気取りの先頭はここで終わり!さんご指摘の通り、Aの物が存在することは同意します。それを理由として、鈴木真年や中田憲信の遺した系図類は全てAである(=BやCは存在しない)とお考えですか。また、もし全てがAであるとの論考があれば、教えて下さい。
- --Snap55(会話) 2022年3月22日 (火) 15:27 (UTC)
中には「何かの系図を基に記したもの」もあるとは考えています。しかし、私も比較的真正性があるのではないかと考えた鈴木真年著『諸氏家牒』の「石州益田家系図」ですら、他の益田氏の系図とは異なる部分があると原慶三が明らかにしている[5]ので、真正性はあるとは思いません。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月23日 (水) 00:44 (UTC)
- ご回答ありがとうございます。学者気取りの先頭はここで終わり!さんのご主張は、以下で良いでしょうか。
- 鈴木真年や中田憲信の遺した系図類には「A:真正性が低い、または、明らかに虚偽であることが認められた物」を含む。従って、全てAとして取り扱うべき(全てWikipediaに記載すべきでない)。
- ちなみに、ご指摘の論文では「石州益田家系図」について虚偽であるとは述べられていないと思います。--Snap55(会話) 2022年3月23日 (水) 13:35 (UTC)
大体あってます。鈴木真年や中田憲信の系図と類似する、出自がはっきりとした真書(竜雲寺蔵本御神本三隅氏系図のようなもの)があればそちらについての論文(原慶三「益田氏系図の研究─中世前期益田氏の実像を求めて」のような論文)を参照すれば良いだけですし。 「他の益田氏の系図とは異なる部分があると原慶三が明らかにしている」だけで「「石州益田家系図」が虚偽である」とは述べていないですよ。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月23日 (水) 15:30 (UTC)
- 少し言葉足らずでした。「」部分追記して、学者気取りの先頭はここで終わり!さんのご主張は、以下で良いでしょうか。
- 鈴木真年や中田憲信の遺した系図類には「A:真正性が低い、または、明らかに虚偽であることが認められた物」を含む。従って、「二次資料で取り上げられている事例含めて」全てAとして取り扱うべき(全てWikipediaに記載すべきでない)。
- 一次資料としての「鈴木真年や中田憲信が遺した系図」を出典として、Wikipediaに記載することは適切でないので、これでも大丈夫と思いますがいかがでしょうか。--Snap55(会話) 2022年3月23日 (水) 15:44 (UTC)
- それと、「大体あってます」とのことですので、①に関するご主張について、より適切な表現があれば教えて下さい。--Snap55(会話) 2022年3月23日 (水) 15:48 (UTC)
二次資料として取り上げられているものも記載すべきではないと思います。鈴木や中田が収集した系図の中で、出どころが確実で信憑性のあるものが今後見つかれば別ですが。 「一次資料としての「鈴木真年や中田憲信が遺した系図」を出典として、Wikipediaに記載することは適切でない」のは同意しますが、「これでも大丈夫」とはどういうことですか? 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月24日 (木) 02:32 (UTC)
- これは失礼しました。「これでも大丈夫」とは「これでいいですか?」くらいの意味とお考え下さい。
- そういえば、以前に重要なコメントもありましたので、これを反映して、学者気取りの先頭はここで終わり!さんのご意見は以下でよいでしょうか。
- 鈴木真年や中田憲信の遺した系図類には「A:真正性が低い、または、明らかに虚偽であることが認められた物」を含む。従って、「二次資料で取り上げられている事例含めて」全てAとして取り扱うべきで、全てWikipediaに記載すべきではない。もし、記載するとすれば、津田左右吉や井上光貞のように、後世の人間からその研究を参考にされることがある程の研究者が信用するに足りるものであると述べた場合に限られる。
- 当方の意見は以下と致します。
- 鈴木真年や中田憲信の遺した系図類そのものは一次資料とみなし、それ自体を出典としてWikipediaに記載すべきではない。ただし、これら系図類を取り上げた二次資料がWikipedia:信頼できる情報源に該当する物であれば、その二次資料を出典としてWikipediaに記載してもよい。
- (注)当然ながら、二次資料が前述のA,B,Cのような取り上げ方をしているならそのように書くべきで、取り上げていることを以て、全てCであるように書いてはいけない。
- 当方の定義した、学者気取りの先頭はここで終わり!さんのご意見に認識相違がある場合は、より正確なご意見を教えて下さい。また、当方の意見に反論がある場合は、お願いできればと思います。ただし、「①鈴木真年や中田憲信の遺した系図類は明らかにねつ造されたものを含んでいる」については、当方も同意しており(恐らく宝賀寿男も認識している[6])、今回の論点ではありませんので、「鈴木真年の●●系図は信用できない」のような内容以外でお願いします。できれば、Wikipedia:方針とガイドラインおよび関連文書を論拠として議論をできればありがたいです。
- --Snap55(会話) 2022年3月24日 (木) 14:31 (UTC)
私の意見に「もし記載するとすれば、テンプレート部分や系図・系譜項目ではなく、備考欄のようなものを新たに設けて記載する」というのも追加でお願いします。 「系図類を取り上げた二次資料がWikipedia:信頼できる情報源に該当する物であれば、その二次資料を出典としてWikipediaに記載してもよい。」という部分は、私の「津田左右吉や井上光貞のように、後世の人間からその研究を参考にされることがある程の研究者が信用するに足りるものであると述べた場合に限れば記載してもよい」という主張と粗方一致していると思います。 ただし、宝賀寿男はWikipedia:信頼できる情報源にて提示されている「評判の良い第三者」に該当せず、その主張は「百科事典の場合の事実」である「その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された」ものにも該当しておらず、宝賀の著作は「学者によって書かれ」たわけでもないため、宝賀の著作はWikipedia:信頼できる情報源に該当せず、Wikipediaに記載することはできないと思います。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月24日 (木) 17:56 (UTC)
- 信頼できない資料をもとにした記述を除くべきだ、という考えはわかります。しかしそれは系図全般に言えることです。挙げられた例も、系図全般の信頼性の問題であり、『古代氏族系譜集成』に捏造の可能性があるというようなものではありません。それに、誤った系図も、それが代々伝承されたものなら、その時代(たとえば江戸時代)の歴史的価値を持ちます。人物記事には伝説をおさめたものがあります。伝説は史実と異なりますが、伝説として重要です。系図もそれと同じだと思います。
- それと、系図は上にも下にも書き足されるものですから、系図の信頼性は常に部分的なものです。偉い学者がとりあげたかを基準にするのはかえって危ういです。私の考えでは、「という系図がある」という従来からの書き方は、それが史実だという断定を上手に避けており、よい書き方だと思います。とりわけ史実と異なる可能性が高いというのであれば、除去するのではなく、「後世に編まれた系図では」とでも書けばどうでしょうか。テンプレートにはそうした注釈を入れにくいので、あやしい部分はかっこ()に入れておけばよいと思います。--Kinori(会話) 2022年3月24日 (木) 22:48 (UTC)
「ある一族の当主が一族を尊く見せるための誇張・捏造を含ませたものの、一定の正当性がある系図として時の権力者(江戸時代なら江戸幕府)に認められたもの(『寛政重修諸家譜』のようなもの)」と、「権力者に認められたわけではないが、ある一族の当主が作成した系図が寺社や旧家に伝来し、古態を残していると研究者に判断された系図」と「一族の当主でもなんでもなく、その一族に伝来した伝説や過去を知り得ない第三者が、自身の主観に基づき作成した系図、あるいは完全な捏造がなされた系図」では、系図に記された伝説の重要性も異なってくると思います。
「という系図がある」という従来の示し方(テンプレートの直下に示す記し方)では、「信憑性があるものとして一定の正当性があると認められている」と誤解されてしまう可能性があると思います。「系図がある」ということと「系図に信憑性がある」ということは別なので、「史実と異なる可能性が高く、かつある程度その系譜の出典元がわかるような系図(鈴木真年のページで記されている賀陽氏の系図や益田氏の系図など)」であれば、新たに項目を設けた上で「後世に編まれた系図では」と付け加えても良いかもしれません。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月26日 (土) 14:28 (UTC)
- (中略)主張と粗方一致していると思いますとの、コメントがありましたので、以下については、合意いただけるとの理解で良いでしょうか(Wikipediaの方針に沿った内容と思いますが)。
- 鈴木真年や中田憲信の遺した系図類そのものは一次資料とみなし、それ自体を出典としてWikipediaに記載すべきではない。ただし、これら系図類を取り上げた二次資料がWikipedia:信頼できる情報源に該当する物であれば、その二次資料を出典としてWikipediaに記載してもよい。
- 上記に合意できれば、①の議論については対応完了として、②の議論である、宝賀寿男の著作『古代氏族系譜集成』が二次資料としてWikipedia:信頼できる情報源に該当する物かどうか、に進みたいと思いますがいかがでしょうか。なお、「もし記載するとすれば・・・」の話は、②が決着が付いて以降の話になりますので、改めての議論としたく存じます。--Snap55(会話) 2022年3月27日 (日) 08:26 (UTC)
②に進んでください。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月27日 (日) 10:22 (UTC)
- では、Wikipediaへ記載するに相応しい、二次資料としての信頼できる情報源について、議論したく。まず、質問致します。学者気取りの先頭はここで終わり!さんの仰る、「津田左右吉や井上光貞のように、後世の人間からその研究を参考にされることがある程の研究者が信用するに足りるものであると述べた場合に限れば(Wikipediaに)記載してもよい」というのは、Wikipedia:信頼できる情報源に示されている内容と大幅に異なります。この条件は、世の中にある数多の二次資料(論文・書籍)全てに対してのことでしょうか、あるいは宝賀寿男の著作特に『古代氏族系譜集成』を対象にしたものでしょうか。--Snap55(会話) 2022年3月27日 (日) 13:22 (UTC)
「津田左右吉や井上光貞のように、後世の人間からその研究を参考にされることがある程の研究者が信用するに足りるものであると述べた(著作や論文がある)場合に限れば(Wikipediaに)記載してもよい」というのは、Wikipedia:信頼できる情報源に情報源として提示されている「学者(津田左右吉や井上光貞のような人間)によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料(信用するに足りるものであると述べた著作や論文)」に該当しますよね。「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」を情報源として用いることは二次資料全般に当てはまることですよね。
Wikipedia:独自研究は載せないにて「信頼できる資料」として記されている「査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌」はWikipediaの記事の情報源として用い、それに該当しない『古代氏族系譜集成』などの宝賀の著作は情報源として用いないというのは当然ではないでしょうか。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月27日 (日) 18:44 (UTC)
- やはり、『古代氏族系譜集成』がWikipedia:信頼できる情報源に該当するかどうかが論点ですね。これは、恐らくこのノートでは決着が付かないので、最終的にはコメント依頼にかけてコミュニティの意見を問うしかないか、と考えています。従って、今後はお互いの主張をコミュニティに対してわかりやすい形にまとめることに、ご協力いただければと思います。
- 当方は以下理由によりWikipedia:信頼できる情報源であり、これに基づいてWikipediaに執筆することは適切と考えます。
- 宝賀寿男自身の手による論文約30本がciniiに掲載されていること、及び、Wikipediaにも宝賀寿男本人の項目が存在し削除依頼もなされていないことから、著作者として一定程度信頼できる。
- 『古代氏族系譜集成』は、鈴木真年・中田憲信が遺した系図類を積極的に取り上げているものの、同書の「系譜部第一節」に「できる限り多くの系図関係資料を照合し、系図の原型を探求した結果を記述した。本書記載の系譜は原典そのものとはなっていない」とあるとおり[7]、一次資料である原典の系図類に史料批判を加え編集した二次資料である。
- 『古代氏族系譜集成』自体は自費出版とみられるが、同書は学術誌に紹介されている(宝賀寿男#評価参照)ことから学術誌に準じる物と評価でき、Wikipedia:信頼できる情報源に該当する。
- 補足ですが、私見を述べます。
- 系図類というのは、a)何らかの系図が世に提示される⇒b)真正性について議論⇒c)真正性について評価が定着、の流れで研究が進む物であり、当然「a」や「b」の状態で留まっているケースも数多くあります(『尊卑分脈』のような世に知られている系図でも、『六国史』などに記載のない傍系の部分の真正性など評価できないですし、実際に個々の系図で完全に「c」であると評価されている物などほとんどないのではと思います)。また、「a」「b」自体も学術研究であり、更に言えばa⇒b⇒cの流れそのものも学術研究といえると考えます。従って、Wikipediaには「a」「b」も学術研究の成果として記載すべきで、学者気取りの先頭はここで終わり!さんが主張されるように「c」以外は記載しないとすると、「記載できる情報量が非常に貧弱なものとなる」「学術研究そのものであるa⇒b⇒cの流れを記載できない」との問題があると考えます。なお、『古代氏族系譜集成』は上記「a」「b」で留まっているものがほとんどと想定されるため、書き方は別途検討が必要と考えます。
- --Snap55(会話) 2022年3月28日 (月) 15:18 (UTC)
「鈴木真年や中田憲信の遺した系図類そのものは一次資料とみなし、それ自体を出典としてWikipediaに記載すべきではない。」という意見は一致したので、鈴木や中田の系図を出典としている記事は削除しても良いでしょうか? 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月28日 (月) 06:57 (UTC)
- 以前、「もう編集したいと思うページはない」と仰っていたと思いますが、違いましたでしょうか?いずれにしても、議論が完了するまで自重頂ければと存じます。--Snap55(会話) 2022年3月28日 (月) 15:18 (UTC)
Wikipedia:信頼できる情報源だけでなく、Wikipedia:独自研究は載せないに該当するか否かも重要であると思います。 私の意見は以下の通りです。最も強く主張したい意見は1番上のもので、後は反論のようになってしまいますが。
- Wikipedia:独自研究は載せないにて「信頼できる資料」として記されている「査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌」はWikipediaの記事の情報源として用い、それに該当しない『古代氏族系譜集成』は情報源として用いるべきではない。
- 「学術誌に紹介される」だけならどんな粗末な偽文書でも研究者側が紹介しようと思えばいくらでも紹介できるため、研究者が具体的な根拠を用いて『古代氏族系譜集成』を紹介・肯定していない以上はWikipedia:信頼できる情報源には該当しない。
- ciniiに掲載されていること及びWikipediaの宝賀寿男の項目が削除依頼されていないことは、ciniiの仕様(異端な論文でも掲載されていることが多々ある)や、宝賀の日本史学界における存在感のなさ(言ってしまえばどうでもいい存在)(ciniiに論文が多数掲載されているにも関わらず他の研究者に宝賀の研究が参考として用いられることがほとんどないように)であり、『古代氏族系譜集成』がWikipedia:信頼できる情報源に該当するか否かとは無関係である。
- 宝賀の研究は通説や史実とはかけ離れたものが多く(三輪氏と上毛野氏が同族であるとするように)、上でも述べたように他の研究者に受け入れられたり、そもそも取り上げられたりすることがないため、『古代氏族系譜集成』作成の過程で行われた「史料批判」は「独自研究」であり、Wikipedia:独自研究は載せないに抵触する。
- 「記載できる情報量が非常に貧弱なものとなるためWikipedia:独自研究は載せないに抵触する情報を記載すること」と「Wikipedia:独自研究は載せないに抵触する情報を記載しないこと」を天秤にかけたら、後者の方がWikipediaの方針に理に適っている。実際に情報量が少ない項目もWikipediaには存在している。
「もう編集したいと思うページはない」というのは、正確には「(探せばまだ出てくるだろうが、私が特に編集したかった項目(物部氏一族など)や、関連項目に出てくる項目はとりあえず編集し終えたため)もう編集したいと思うページはない」の意でした。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月28日 (月) 15:59 (UTC)
- 主張をわかりやすくまとめて下さいまして、ありがとうございます。当件について、コメント依頼をかけてコミュニティの意見を問いたいと思います。今後、当方のsandoboxあたりを使ってコメント依頼作成の準備に入り、ある程度形が整ったところで、お声かけ致しますので、そこで主張等が正しく反映されているかご確認いただきたき、確認取れましたら正式にコメント依頼にかけたいと思います。ただし、年度替わりの多忙な中、当方のWikipediaにかけられる時間が限られるため、2週間ほどお待ち願えますでしょうか。誠に恐れ入りますが、よろしくお願い致します。
- また、先般ご主張下さいました内容に対して、以下反論しておきます。
- どんな粗末な偽文書でも研究者側が紹介しようと思えばいくらでも紹介できる⇒当方の挙げた事例は学術書における書誌紹介であることから、一定の査読を得ていると考えられるため、該当しないと思慮。
- 『古代氏族系譜集成』作成の過程で行われた「史料批判」は「独自研究」であり、Wikipedia:独自研究は載せないに抵触する⇒独自研究はWikipediaの執筆者による独自研究を言っているのであり、宝賀寿男の史料批判はこれに該当しない。あくまで、『古代氏族系譜集成』がWikipedia:信頼できる情報源に該当するかの点が議論のポイントである。
- --Snap55(会話) 2022年3月29日 (火) 15:10 (UTC)
わかりました。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月29日 (火) 16:23 (UTC)
- いつも反応が遅くてすみません。捏造の可能性がある、というのは強烈な批判だと思うのですが、そういう判断に至った根拠は、いまだ示されていないと感じています。
- 「学者気取りの先頭はここで終わり!」さんは、「ホツマツタエ」や「宮下文書」が収録されているからCiNii収録はあてにならないという趣旨のことを書きましたが、それらがCiNiiに出てくるのは「大学図書館の本をさがす」で検索したときです。「日本の論文をさがす」で検索したときには出てきません。CiNiiが収録する雑誌も様々で、宝賀氏が主に寄稿している『古代史の海』を、『日本史研究』や『史学雑誌』のような学術誌と同列に扱うわけにはいきませんが、ホツマツタヱや宮下文書と同列に扱うのも誤りです。
- また、「石州益田家系図」についての原慶三論文では、『古代氏族系譜集成』は信頼できないというニュアンスがまったく感じられませんでした。注8での言及も、普通に資料の一つとしてのものです。その一方で、 佐伯有清が『史学雑誌』の「回顧と展望」でしたという評があります。「回顧と展望」は権威あるもので、重要性の証としてこれ以上はなかなか思いつきません。「他の研究者に受け入れられたり、そもそも取り上げられることがない」という発言もありましたが、ご自身が紹介した文献で取り上げられています。
- 私は系図に詳しくはありませんので、『古代氏族系譜集成』が本当に信憑性がない資料だったら除去に賛成しなければなるまいなあ、と思っていました。しかしこの議論を経た後では、除くわけにはいかないなあ、と思わざるをえません。むろん、そのまま史実とするような扱いではいけませんが、やはり、書き方を工夫して掲載するのがよいと思います。--Kinori(会話) 2022年4月1日 (金) 17:08 (UTC)
『古代氏族系譜集成』が信用できない根拠は完全な私の主観なんですけどそれでもいいなら述べますよ。
「『古代史の海』を、『日本史研究』や『史学雑誌』のような学術誌と同列に扱うわけにはいきません」とのことなら、『古代史の海』を、『日本史研究』や『史学雑誌』のような学術誌と同列に扱うわけにはいきません」とのことなら、Wikipedia:独自研究は載せないにて「信頼できる資料」として記されている「査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌」には該当しませんよね。
原慶三論文の話は私が信用できないという話で原慶三がそう述べてるわけじゃないって上でも書きませんでしたっけ?しかも『古代氏族系譜集成』ではなく中田憲信や鈴木真年の系図の話をしていたと思うのですが。
「回顧と展望」では「注目すべき系図が数多く集められているが、古代氏族研究に利用するのには、十分な史料批判の手つづきをふむ必要があろう。」と述べられているので、これを踏まえたらむしろ私の主張の通りに、十分に史料批判が行われていない『古代氏族系譜集成』はWikipediaの出典として用いるべきではないということになりますね。
詳しくないならなぜ話に首を突っ込んできたんでしょうか。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年4月2日 (土) 00:03 (UTC)
- コミュニティのからの意見収集に向け、コメント依頼のたたき台を作ってみました。構成や内容の過不足など、ご意見いただければ幸いです--Snap55(会話)2022年4月3日 (日) 10:10 (UTC)
- ご主張セクションの記載おつかれさまです。ほかに、これまでの経緯など認識相違や構成に関してのご意見があれば教えて下さい。--Snap55(会話) 2022年4月11日 (月) 13:27 (UTC)
- ご意見をお願いしてからまもなく2週間経過します。通常の編集はなされているので、経緯や構成等に関してこれ以上のご意見はなく、この内容でコメント依頼にかけることに合意されたと判断します。もう少し手を入れてコメント依頼にかけようと思いますので、何かあれば速やかにご連絡下さい。なお、『古代氏族系譜集成』を出典として執筆すべきでないとの主張セクションは引き続き編集可能です。--Snap55(会話) 2022年4月16日 (土) 02:54 (UTC)
わかりました。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年4月16日 (土) 07:53 (UTC)
- 大変遅くなり恐れ入ります。プロジェクト‐ノート:日本史/コメント依頼:『古代氏族系譜集成』を出典とした執筆の是非についてを立ち上げました。補足意見、第三者からの質問への回答がございましたら、記載願います。なお、コメント依頼中のため、議論の論点そのものに該当する編集の強行はご遠慮願います。--Snap55(会話) 2022年6月3日 (金) 06:01 (UTC)
貴殿の編集について
はじめまして、ホムというものです 先日、貴殿が行った海部系図の編集に疑問があるので質問します。 貴殿が削除された文章についてですが、該当の文章は出典も明記されおり出典サイトにも同様の趣旨の文章がありましたが、貴殿は如何なる理由で該当の文章削除したでしょうか、削除理由が不記載なので、どこが問題点なのか私には不明です。なので一応前の編集に戻しました。 また、該当の文章の執筆者は宝賀寿男氏ですが、貴殿は、出典が宝賀寿男氏や『古代氏族系譜集成』関連の記事を削除していますが、これらの削除の理由が不記載なので、他の利用者のためにも誤解招く可能性が有るので削除理由を明記したほうが宜しいかと思います。 例えば、物部日向の父を物部額田とする系図があるが、『新撰姓氏録』に、父が武蔵臣とあるのでこの記述を削除した。このように記せば、他の利用者も混乱しないと思います。
また、貴殿が行った削除により、かなりの参照エラーが発生していますが、それを他の利用者が修整している例があります。一例をあげれば、貴殿が行った阿智氏の削除で、発生した参照エラーを他の利用者が修整していますがいかがお考えでしょか? 他の利用者の不便になるので参照エラーが発生しないようにいただけ幸いです。
また、貴殿が行った削除で疑問な記事がいくつがありますが、例えば物部櫛麻呂の記事です。道鏡の項目で父櫛麻呂とする系図があるとして、出典が『古代氏族系譜集成』と分かりますが、櫛麻呂の記事で道鏡の父とする記事を貴殿が削除した為に、物部櫛麻呂なる人物が何者か分からなくなっています。同じように、系図資料が出典の人物の系図情報を削除した為に何者かが不明になる記事がいくつが発生しています。 少なくとも系図資料にしか見えない人物は、この人物は系図資料にしか見えないと注記するか、ページごと削除するのが適切でないでしょか、貴殿の削除方針は中途半端のような気がします。
また、貴殿が出典が宝賀寿男や『古代氏族系譜集成』の場合、削除する例が多いですが、原典を参照して、削除しているのか疑問かあります。一例をあげれば、貴殿は、田裳見宿禰の子として豊吾田連の屋主足尼の二子がいるという記事を削除していますが、少なとも豊吾田連は津守氏系図にも田裳見宿禰の子として、記載されています。貴殿が津守氏の欄で、出典として引用された田中卓『住吉大社神代記の研究』田中卓著作集7(図書刊行会、1998年)にも該当の系図が引用されているはずですが、見落とされたのでしょうか?それとも豊吾田の存在が疑わしとする根拠があるのでしょか。まさか、出典が『古代氏族系譜集成』なので出典を確認せずに削除されていないですよね? また、 物部麻呂の記事で、麻呂の父を物部宇麻乃とする記述を削除していますが、少なくとも、木本好信「石上息嗣」『律令貴族と政争』、塙書房、2001年では、麻呂の父を宇麻呂(宇麻乃)と複数ヶ所で記載されていますが、貴殿は、なぜか宇麻乃を削除し父を不詳しました。これは単純な操作ミスでしょか?それとも父を不詳とする論文があるのでしょうか、浅学の身なのでご教示いただけ幸いです。 2400:4051:8D21:0:6CFA:A967:EF40:8B13 2022年3月16日 (水) 00:38 (UTC)
- 見落としや操作ミスがありました。すみません。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月16日 (水) 02:28 (UTC)
- 横から失礼 可変IP(「ホム」、IP:114.172.244.132(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois))さんにお伝えしておきますと、「海部系図」ではなく海部氏系図のこちらの版で除去された「古樹紀之房間」は個人サイトですよ。また、後半の方はこちらの版で加筆されたUser:大小高低(User:大判小判)さんによる無出典の内容です。なお、#『古代氏族系譜集成』にもとづく記述の除去を提起した大判小判さんの投稿ブロック依頼の件はさておき、そこでSnap55さんが提示された『古代氏族系譜集成』に関しては出典として問題ないと私も考えます。--おっふ(会話) 2022年3月21日 (月) 06:00 (UTC)
- それと、鈴木眞年#著作をめぐる評価と論争で大量に加筆されているようですが、非常に読みにくいということもお伝えしておきます。--おっふ(会話) 2022年3月21日 (月) 06:10 (UTC)
- 鈴木眞年#著作をめぐる評価と論争は自分じゃないです。加筆した人に伝えてください。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月21日 (月) 06:32 (UTC)
- 返信 上記のコメントは学者気取りの先頭はここで終わり!さんに対してではなく、可変IP(「ホム」、IP:114.172.244.132)さんに対してです。--おっふ(会話) 2022年3月21日 (月) 07:03 (UTC)
そうなんですね。すみません。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月21日 (月) 07:27 (UTC)
貴殿の編集について附
先日コメントをしたホムという者です。海部氏系図の以前質問した箇所が削除されているので、改めて質問します。 今回は、削除理由を明示しているのですが、削除理由が「独自研究は載せないに基づき個人サイトに基づく記述を削除。」とありますが、該当ホームページ「古樹紀之房間」掲載の「国宝「海部氏系図」への疑問」は宝賀寿男と署名もあり「本稿は、「国宝「海部氏系図」について」として、『日本姓氏家系総覧』(歴史読本特別増刊、事典シリーズ11、新人物往来社刊、1991年7月)に掲載された論考を基礎にして、若干の加筆訂正をしたものです。」書籍掲載の論考の加筆訂正とあります。
ホームページ古樹紀之房間ついては、他のリンクをしているホームページの説明文には、以下の通りありますが如何がでしょうか?
家系研究協議会では、古樹紀之房間、宝賀寿男さんが会長を務める古代氏族研究会公認のHP
日本家系図学会では、 古樹紀之房間、古代氏族系譜研究会(宝賀会長)関連。
そもそも、宝賀寿男氏の最近(2010代から)の著作・論考に古樹紀之房間に言及している事は、ご存知ないのでしょうか?自身のの著作で無関係のホームページを自身の公認ホームページと言及するというのは、世にも奇妙な話です。 また、貴殿は、出典が宝賀寿男氏の著作の場合削除されていますので、一例をあげれば、「吉備品治国造」ページの「宝賀寿男「六 息長同族諸氏の初期分岐」『古代氏族の研究⑥ 息長氏 大王を輩出した鍜冶氏族』青垣出版、2014年、141頁」等を削除していますが、貴殿は宝賀寿男氏の著作は、全面的に信頼出来ないとお考えでしょうか?
また、土師氏関連の記事について、土師咋子、土師首等の『日本古代人名辞典』(全7巻)にも見えない、系図史料上(『古代氏族系譜集成』掲載)の人物の系図情報を削除した為に何者か不明になる事態が発生しています。 少なくとも系図資料にしか見えない人物は、以前にも述べましたが、この人物は系図資料にしか見えないと注記するか、ページごと削除するのが適切でないでしょか、それとも僕が、この人物は系図資料にしか見えないと注記しても宜しいでしょうか?
また、貴殿は、野見宿禰のページで、「 父甘美乾飯根命」その出典は「宝賀寿男「第2章 天孫系氏族 第1節 出雲氏族 4土師連、土師宿祢」『古代氏族系譜集成』中巻、古代氏族研究会、1986年、1008頁。」という記述を削除していますが、少なくとも野見宿禰の父を甘美乾飯根命とするのは、『菅家御伝記』に「天夷鳥命十二世孫鸕濡渟命〈飯入根命子〉磯城瑞籬宮御宇〈崇神〉天皇御世勅定出雲国造鸕濡渟命弟曰甘美乾飯根命甘美乾飯根命子曰野見宿禰」とあるので史料上明らかです。 なお『菅家御伝記』の史料評価としては、溝口優樹氏の論考「『菅家御伝記』第一部の編纂」がインターネット上で、公開されていますので、ご参考下さい。 僕が、野見宿禰を取り上げたのは、『古代氏族系譜集成』では、『菅家御伝記』を参考史料として言及しているからです。少なくとも貴殿が出典を確認していたら、或いは、関係論文を精読していれば気付いたはずです。
また、『古代氏族系譜集成』掲載の系図には、鈴木真年や中田憲信の系図史料が過半を占めますが、中には、西田長男氏の論考「日吉社司祝部氏系図の新出古社本」(神道宗教第52、53号掲載)の日吉社神主関連系図や、京都大学附属図書館(菊亭家旧蔵)「下毛野氏・秦氏等系図」等の伝来経緯が明らかな系図史料も収録されているので、『古代氏族系譜集成』を必ず原典を確認することを強く勧めます。
また、鈴木真年と中田憲信が編集した系図の中には、鈴木正信氏の論考「『大神朝臣本系牒略』の原資料と引用史料」(纒向学研究3号掲載)(桜井市のホームページで公開中)の『大神朝臣本系牒略』のように、作成時期や作成者等に伝来経緯等が、ある程度明らかになった物もありますが如何がお考えでしょうか。 2400:4051:8D21:0:153:2DE5:E2FF:5F28 2022年3月25日 (金) 03:05 (UTC)
- 横から失礼 「ホム」さんへ、もう一度同じことを申しておきますと、「古樹紀之房間」は個人サイトですよ。なお、Wikipedia:投稿ブロック依頼/大判小判、大小高低で指摘されましたが、同サイトは「宝賀氏の過去論文をサイト管理者が転載したもの」ですから、同サイトを出典として用いることは不可です。--おっふ(会話) 2022年3月25日 (金) 05:04 (UTC)
議論に集中いただくために投稿ブロック依頼します
以前、議論が終了していない中で、議論の論点そのものに該当する編集の強行はやめるように警告致しました。しかしながら、聞き入れることなく、ご自身の主張に基づく大量の編集を強行されましたので(リンクのうちの2022年3月24日分)、議論に集中いただき議論を有効なものとするために、標準名前空間を対象とした投稿ブロック依頼を行います。ただし、ご自身の主張に基づく編集を議論が終了するまで停止する旨表明いただければ、依頼を見合わせ致しますので、ただちに意志(編集の強行を停止orそれ以外)をお示し下さい。なお、他の編集(特に標準名前空間への編集)をなされた場合は、停止の意志なしと判断し、ブロック依頼を行います。なお、ブロック依頼を行っても、必ずブロックが行われるわけではありません。その場で、ご自身の主張を訴えることも可能です。当然、当方の警告を不当として、当方に対するブロック依頼の実施やコメント依頼を行うことも可能です。よろしくお願い致します。--Snap55(会話) 2022年3月25日 (金) 11:17 (UTC)
もう編集したいと思うページはないので、私の主張に基づいた編集は停止します。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月26日 (土) 14:10 (UTC)
ほかにも、議論の論点そのものに該当するページは大量に存在しますが、ご自身の主張に基づく編集は停止されるとの旨、了解致しました。現時点での、ブロック依頼の実施は取りやめ致します。ただし、議論は継続中の状態ですので、議論が明確に終了したと客観的に判断できる状態になるまで、議論の論点そのものに該当するページの編集は自重願えればと存じます。よろしくお願い致します。--Snap55(会話) 2022年3月26日 (土) 15:38 (UTC)
わかりました。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年3月26日 (土) 15:39 (UTC)
おっふさんへの返信
おっふさんは「「古樹紀之房間」に関しては宝賀寿男氏が本当に関わっているのかすら確認できない個人サイトであると考えます。」と述べて、また、「「古樹紀之房間」は個人サイトですよ。」と主張していますが、これには具体的な証拠は有るのでしょうか?
また、おっふさんの「宝賀氏の過去論文をサイト管理者が転載したもの」とは、エカシ・オトンプイさんの「同サイトの記事が宝賀氏の過去論文をサイト管理者が転載したものに過ぎず(加筆・改変等もあるようですが)」が問題としているようですが、「古樹紀之房間」(以下引用)日本古代史一般 4 卑弥呼の冢 (卑弥呼の墓)「2001/7一応完成。『季刊/古代史の海』第25号(01/9)、第26号(01/12)に掲載。掲載時のものよりも註を詳しくしています。内容は、総論と各論(補論)に分かれます。補論のほうでは、卑弥呼の墳墓について、具体的に比定の検討がなされます。」とあります。至極当たり前ことを申し上げますが、論文とは、加筆訂正した時点で厳密には、別の論考になります。仮に加筆訂正した論文と加筆訂正前の論文を同じ論文と扱うと混乱することは明らかなことですが? また、エカシ・オトンプイさんの趣旨は、大判小判さんの不正確な引用を問題視しており、「古樹紀之房間」は個人サイトとは、一言も言っていませんが、如何がお考えでしょうか?
また、先程も述べましたが、宝賀寿男氏は自身の著作論考で、「古樹紀之房間」を言及しています。具体的には、この論考は、「古樹紀之房間」で掲載した論考を加筆訂正したとか、この論考は「古樹紀之房間」で公開している宝賀寿男氏を本人が書いています。
同じく、先程も述べましたが、宝賀寿男氏自身が会長を務める日本家系図学会は、「古樹紀之房間」古代氏族系譜研究会(宝賀会長)関連。と宝賀寿男氏関連のホームページと認識しています。
また、「古樹紀之房間」について、北条氏研究会の発行『北条時宗の時代』第二章第一節「北条長時について」「(著者)菊池紳一」で、杉橋隆夫氏の論考「牧の方の出身と政治的位置」を読む」で、杉橋氏が提唱した牧の方の公家出身説と北条時政の婚姻めぐる杉橋説への反論として、宝賀寿男氏の論考「杉橋隆夫氏の論考「牧の方の出身と政治的位置」を読む」ホームページ「古樹紀之房間」掲載を出典として、当時無名の北条時政が、公家の娘と婚姻をしたのは疑問とする宝賀寿男氏の説に理解を示しています。
少なくとも学問の世界では、匿名のおっふさんの考えより、聖心女子大学大学院非常勤講師の菊池紳一氏の考えを出典とすべきと考えられると思いますが、ご賢明なおっふさんでしたら、ご理解いただけると思いますが、如何がお考えでしょうか? 2400:4051:8D21:0:153:2DE5:E2FF:5F28 2022年3月25日 (金) 11:23 (UTC)
- 返信 至極当然のことを指摘しますが、まず「ホム」という利用者名(アカウント)でなく、可変IPとIP:114.172.244.132(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)で編集(履歴の分断)しているにも関わらず、「ホム」と自称されても、本会話ページを閲覧している誰もが「誰?」としか思わないでしょう。それはさておき、次に「古樹紀之房間」に関してですが、同サイトの運営者の「会員の”樹堂”」は誰でしょうか?私を挑発するくらいですからWikipedia:検証可能性(自主公表された情報源)とWikipedia:信頼できる情報源は理解されているはずですが、少なくとも"樹堂"とGoogle検索しても第三者の言及は全くヒットしません。それと、同サイト内を確認すると「樹童」という表記もあります。しかし、こちらも"樹童"とGoogle検索しても同サイトくらいしかヒットしません。そして、「自身の著作論考で(中略)言及しています」と仰っていますが、それならばその「著作論考」を出典として用いれば良いだけのことであって、同サイトを出典として用いる理由はありませんよね?そもそも、本当に宝賀寿男氏が関与しているとしても、「サイト管理者が転載したもの」かつ「樹堂(樹童)」という誰かが「加筆・改変」した(可能性がある)ものを出典として用いること自体、Wikipedia:外部リンクやWikipedia:著作権などに反するわけですが、ご存じですよね?なお、既に申した通り、私は宝賀寿男氏の論文や書籍自体を出典として用いることは全く問題ないと考えています。しかし、著作権侵害の虞のある、または自主公表された情報源を出典とするなら話は別です。それはそうと、鍵括弧が抜けていたり、「のの」や「いただけ幸い」など、かなりタイプミスもされていますが、非常に読みにくいです。そのせいで「また、「古樹紀之房間」について」あたりが何を仰りたいか分かりませんが、要するに『北条時宗の時代』の第二章第一節で「古樹紀之房間」が出典として使われているということですよね?何か勘違いされているようですが、菊池紳一氏が出典として用いたからと言って、それが則ち信頼できる情報源になるわけありませんよね?「古樹紀之房間」自体に関する第三者の言及(出典として用いられたことでなく)や「樹堂(樹童)」という方に関する言及は無いのでしょうか?
- さて、まずはWikipediaの方針やガイドラインを熟読されてから挑発されては如何でしょうか?最後にですが、何で本会話ページで「おっふさんへの返信」を投稿したか甚だ不思議です(なお、この返信に対する返信は不要です。あくまでも議論したくてコメントしたわけではないですから)。--おっふ(会話) 2022年3月25日 (金) 13:40 (UTC) --おっふ(会話) 2022年3月25日 (金) 13:44 (UTC)
- 大変恐れ入ります。こちらは、利用者:学者気取りの先頭はここで終わり!さんのノートページですので、おっふさんの執筆に関する内容は、おっふさんのノートページで会話いただければと思います。--Snap55(会話) 2022年3月25日 (金) 14:12 (UTC)
- 返信 (Snap55さん宛) 学者気取りの先頭はここで終わり!さんとSnap55さんへお詫びします。申し訳ありません。--おっふ(会話) 2022年3月25日 (金) 14:28 (UTC)
天道節見出しリンク付加について
天道で節の見出しにリンクされていますが、何かの勘違いでは。禁止されていますので、おやめください。--奈良たかし(会話) 2022年3月30日 (水) 15:15 (UTC)
シリウスシンボリのページの無断転載と追加記述について
シリウスシンボリのページの編集について
以下のリンクを貼ることはリンク先のページのルールに違反しますが、貼らないと議論にならないため貼らせて頂きます。 3月28日以降の大量の編集は以下のページの記述を元にしたものではないでしょうか? https://wikiwiki.jp/sppenpen/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AA%EF%BC%88%E5%8E%9F%E4%BD%9C%EF%BC%89
Wikipediaのシリウスシンボリ号のページでは記事作成者が「真偽不明な情報を確かめるため、矛盾する情報が存在する物については判断を保留する」としていた物についてあたかも確定した事実であるような記述をなされていました。 また、該当のページでは記事作成者が膨大な数の資料を調査した上で引用を行っていると書かれており、そこに善意で情報を提供した人のコメントも併せてWikipediaの内容として載せておられる様子ですが、貴方はこの情報の中身を全て確認されたのでしょうか?
「情報の中身を確認せず、引用元の記述を自分で確認せず、不確かな情報が蔓延っていることがシリウスシンボリ号のファンとして悲しい」と記事作成者は綴っておられましたが、貴方はこの一文を見ても何も思わないのでしょうか?
今一度、ご自分の良心に問いかけてみてください。 --名無し0000519847(会話) 2022年3月31日 (木) 17:49 (UTC)
すみません。出典があればいいと思いそのページを参考にしました。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年4月1日 (金) 00:58 (UTC)
もう一度そちらのページを訪ねてみてください。記事を作成した方が「シリウスに対して更なる誤解を招く可能性が出てきている」と嘆かれておられます。 また、元のページは現代馬齢にわざわざ換算して編集しているようですが、その記述をそのままコピーしているためWikipediaの旧馬齢表記のはずのシリウスシンボリのページで齟齬が起こっていることにお気づきでしょうか?ということは、貴方は出展元となる情報を確認してないという事になりますよね。 そして何故、元のページを作成された方が「JRAの証言とJRAの残した写真が矛盾している状態なので判断が下せない」と仰っている事を無視されたのでしょうか? 元のページがシリウスシンボリ号の誤解を解きたいという気持ちで作成されているならば、それを汲むのが良心だと思います。 そもそも、まだ未完成のページで調査も終わり切っていないと書いておられるのに、転載を禁止するサイトから人が調べた結果をコピー&ペーストで転載するのはいかがなものかと思いますが。 --名無し0000519847(会話) 2022年4月1日 (金) 01:16 (UTC)
諸々のミスは私の責任ですね。参考にしたサイトの方によると「一部抜粋して記述するのはおやめください」、「もしもこのページで挙げている参考書籍を元に記事を編纂されたり、引用内の抜粋をされたいと思うならば、現在事実とは断定できない事柄や、不確かな情報についてはその旨をきちんと記述するようにお願い致します。」とのことなので、これを明記しなかったり、一部抜粋をして全てを記さなかったのも私のミスであり、記すべきでしたね。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年4月1日 (金) 01:27 (UTC)
お答えください、そもそもわざわざ馬齢を編集しているページの文章がそのまま載っているということはコピー&ペーストをして、ご自身では書き起こしておられませんよね? そして明記する以前に、そのサイトのTOPに書いておられる「お外でこのwikiやネタを広めるのもやめてください!!」という訪問者のルールも守っておられませんよね? 消してくれと仰っていないのでそのままでもいいと思いますが、旧馬齢を把握しておらず、シリウスシンボリ号や当時の事情について詳しくなく、自らの力で出展元を調査できないのならばこれ以上の編集や追加は避けるべきだと思います。 --名無し0000519847(会話) 2022年4月1日 (金) 01:33 (UTC)
わかりました。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年4月1日 (金) 01:48 (UTC)
「オルフェーヴル」での加筆について
あなたが行ったオルフェーヴルの加筆について、私は出典元と一致する記述を多数発見し、著作権的に問題があると考えています。そのため、Wikipedia:削除の方針#ケース_B:_法的問題がある場合に基づいてあなたの編集を取り消し、あなたの編集した版を削除するつもりです。とりあえず、編集の差し戻しを行うことを報告しておきます。一つ、削除行動に移る前に確認しておきます。あなたは出典元の筆者平松さとし当人でしょうか。--OKfarm(会話) 2022年4月4日 (月) 15:30 (UTC)
違いますよ。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年4月5日 (火) 03:41 (UTC)
- 報告 あなたが著作者ではないことから著作権侵害と判断して、Wikipedia:削除依頼/オルフェーヴルにて、削除依頼を行いました。--OKfarm(会話) 2022年4月5日 (火) 08:27 (UTC)
えぇ…そうですか。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年4月5日 (火) 08:28 (UTC)
- コメント あなたの編集行動を確認していると、原典をコピーアンドペーストや転載を数多く確認することができます。もう一度Wikipedia:ガイドブック_著作権に注意や、Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#文章を丸写しすることをお読みになってください。 直近のエフフォーリアやナカヤマフェスタの編集も、私は問題だと考えています。事実は曲げずともコピペはせず、自分の言葉で記すようにしていただけませんか。--OKfarm(会話) 2022年4月5日 (火) 11:55 (UTC)
- 報告 削除依頼が通過しました。審議では先に指摘した著作権の問題の他に、Wikipedia:競走馬の特筆性判断の基準と独立記事作成についてのガイドライン違反も指摘されております。各種方針熟読のうえ加筆されることを期待しております。--OKfarm(会話) 2022年4月12日 (火) 05:46 (UTC)
出典ありの記述の恣意的な記載除去はおやめ下さい
こんにちは。『古代氏族系譜集成』は自費出版でもあり、出典として相応しいか結論でていませんが、通常の出版物を出典とする内容の恣意的(それも部分的?)な除去はおやめ下さい。--Snap55(会話) 2022年5月31日 (火) 13:22 (UTC)
記述を除去する際の作法について(お願い)
こんにちは、学者気取りの先頭はここで終わり!さん。ウィキペディア日本語版の編集にご参加くださいましてありがとうございます。ただ、磯部氏でなさったような、他の利用者が書かれた記述を何の説明もなく除去するのは、どうかご遠慮頂けませんでしょうか?もしあなたが苦労して書かれた説明文を、他の利用者にいきなり除去されたとしたらどう感じるか、どうかご想像ください。
- ウィキペディアで活動する際にはガイドブックが参考になると思います。もしまだなら、是非ご一読ください。
- 各ページにはノートページが付属しています。ページを編集する前に、そのページのノートページに必ず目を通してください。疑問点があれば、ノートページで質問してください。
- その記述を本当に除去しなければならないかどうか、中立的な観点から、もう一度お考えください。
- 少なくとも、除去する理由を「編集内容の要約」欄には必ず記入してください。
- できれば不適切な記述を単に除去するのではなく、ノートページに移し、あなたが不適切と考える理由をノートページで説明するようにしてください。
基本的な決まりとエチケットを守って参加なさる限り、あなたの投稿・編集は歓迎されます。では、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。 -- 雑用部(会話) 2022年6月4日 (土) 01:40 (UTC)
宇佐神宮、八幡信仰、大神氏、大神比義命、大神諸男、大神杜女の編集について
宇佐神宮の下宮一之神殿に、“大神比義命”として、明記され祀られています。好みでなく。 これを変える根拠をお示し下さい。 また同様に宇佐神宮では比義は“大神祖”祀られ、文献でも初出は 西暦560年~ですが良臣を祖するには更に遡るか、同時代かと思いますが、その根拠をお示し下さい。 また、個人の見解でなく出版された文献から抜き出して、出典も明記している事柄の根拠なき変更はおやめ下さい。 185.203.122.127 2022年6月13日 (月) 17:16 (UTC)
- 一之御殿に比義が祀られているというのはどこに「明記」されているのか根拠を提示してください。また、実際に祀られているという証拠があるとしても、編集をするのは一之御殿の箇所のみに留めてください。あなたの文章はウィキペディアで記事とするべき段階(人に読ませられる段階)に到底達していません。
- 豊前国の宇佐神宮の神官としての大神氏が(伝説を信じるとして)欽明天皇期から存在することと、豊後国の大神氏が良臣から始まることは全く矛盾しない別の問題です。あなたの個人的な判断で記事を編集しないでください。
- 例え出典が存在していても、その取捨選択の仕方が素人であるあなたの匙加減によっていることが問題なのです。私が指摘しているのはあなたの編集の姿勢です。
それと、あなたの文章は支離滅裂であったり助詞が抜けていたりすることが頻繁に起こっていますが、なんらかの病気や障害を患っているのですか?それとも純粋に学がなく文盲なのですか? 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年6月14日 (火) 15:45 (UTC)
八幡信仰と大神氏
まずは、八幡信仰並びに豊後大神氏などに興味をお持ち頂きありがとうございます。 先に出ていた根拠をお示し下さい。に回答が出ていません
①宇佐神宮の下宮一之神殿に、“大神比義命”として、明記され祀られています。“好みでなく”。 これを変える根拠をお示し下さい。 ② 宇佐神宮では比義は“大神祖”として祀られ、文献でも初出は 西暦560年~ですが良臣を祖するには更に遡るか、同時代かと思いますが、その根拠をお示し下さい。良臣の時代をハッキリさせ付け合わせれば感情論交えず答えがでると思われます。
③中野幡能氏の“八幡信仰”と“修験道と八幡信仰”“宇佐八幡宮託宣集”
日本国官報の“大神清麻呂解状”““小沢進一の宇佐神宮と大神氏” などを読まれると、事後から書き換えられる系図だけでなく考古学などの実際の出土物などから多角的にお薦めします。 これらの文献から抜き出していますが方々の文献を駄文とは‥。
個人の見解でなく出版された文献から抜き出して、出典も明記している事柄の根拠なき変更はおやめ下さい。 因みに、まずのお答えがありませんが、質問の2つへの回答です。 ①宇佐八幡宮の下宮一之“神殿”に 初代大宮司“大神比義命”が祀られている事は、当然出典は学者~さんが入力される以前から付けております。宇佐八…幡宮と宇佐市のページにも出ておりますが、1番は変えようとされている側が、直接確認に行かれるのが1番かと。よい所ですよ。 ②良臣の件ですが、宇佐神宮に“大神祖”と表記がありますが同じ応神天皇をお祀りしていた方は筑前の戸籍に多々おられるまでを先述の研究者達は突き詰め発表・出版していますが、良臣の方が比義より前にいらっしゃったら祖でしょうし後なら中興の祖と言った所でしょうか。
何より八幡信仰や大神氏に興味をもって頂き、ありがとうございます 185.203.122.169 2022年6月14日 (火) 18:23 (UTC)
文章が稚拙すぎて要点やあなたの言いたいことが全然わからないのですが、とりあえず、一之御殿の祭神について、宇佐神宮の公式見解[8]では上宮下宮併せて八幡大神であるとし、大神比義を祀っているとはしていません。
また、宇佐神宮祭祀に携わった「豊前大神氏」と「豊後大神氏」を混同しないでください。同じ「大神」であれば全て同一の氏族であると勝手に考えるのをやめなさい。そして、その勝手な思い込みで編集するのをやめなさい。
それと、人に物を頼むときくらいはまとも文章を書きなさい。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年6月14日 (火) 23:56 (UTC)
- 報告185.203.122.0/24さんは公開VPNとしてブロックされました。が、この人物やこの神宮などで3日間編集合戦を繰り広げた上にこんなことにしたあなたが言える事でしょうか。--Qbwr8296 2022年6月16日 (木) 04:34 (UTC)
全然余裕で言えますけど…。悪いものを正していたことの何にやましい気持ちを抱くと思うのでしょうか…。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年6月16日 (木) 06:43 (UTC)
- 悪いものを正していた、ですか…。では質問しますが他の利用者さんと編集合戦になってまで自分の意見を貫き通すのは自分にとって正しい事なんだとお考えですか(確かに185.203.122.0/24さんにも非はありますが)。--Qbwr8296 2022年6月16日 (木) 11:24 (UTC)
自分にとってだけでなく、Wikipedia全体を含めても正しい事ですね。研究者が支持していないような、私が考えた独自の説を無理やり記事にねじ込んでいたのならまだしも、例えば大神良臣が豊後大神氏の祖であるとする研究者の定説をそのまま書き加えたり、純粋に文章として成立していない文字群を人が読めるように文章の形に整えたりしただけなので。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年6月18日 (土) 15:29 (UTC)
ちゃんと確認してください。
ノート:大神比義のあなたの発言について気になった事があります。
「・その編集の悪質さから、実際に匿名利用者185.203.122.127・194.233.96.172は2018年と2022年現在(おそらく昨日(2022年6月15日)から)それぞれ数年の投稿ブロックの判断が下されている」
とありますが185.203.122.0/24は公開VPNでブロックされているだけで194.233.96.172もこちらを見る限りではブロックされた形跡がありません。悪質だからブロックと決めつけるのではなくちゃんと確認してから発言してください。それでは失礼致します。--Qbwr8296 2022年6月18日 (土) 14:48 (UTC)
あら、それは失礼しました。まあそう疑われるようなことをする人も悪いですけど。私も確認しなかったのはよくありませんでした。 学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2022年6月18日 (土) 15:25 (UTC)
編集合戦はおやめください
編集合戦はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。
弓月君での編集に対してです。--カズマリ(会話) 2022年8月21日 (日) 14:23 (UTC)
あなたはブロックされました。しばらく日本語版ウィキペディアの編集を行うことはできません。ブロックは時間がたつと自動的に解除されます。解除後、基本的な決まりを守って参加するなら、あなたの投稿は歓迎されます。今後の対話ならびに異議申し立て、解除依頼はあなたの会話ページで受け付けます。会話ページも編集できないブロックの場合は、IRCの#wikipedia-ja-unblock、もしくはメーリングリストで、会話ページの編集許可を求めてください。(ヘルプ、投稿ブロックへの異議申し立て・投稿ブロック解除依頼作成の手引き参照)
- 編集合戦を確認したため、ページ弓月君と秦氏に対して2週間の部分ブロックを設定しました。今回は相手方が編集合戦で何度もブロックされている人物ではあるものの、Wikipedia:論争の解決に準じた手段での解決を目指すようにお願いいたします。--Dragoniez (talk) 2022年8月23日 (火) 14:11 (UTC)
ABCEditのソックパペットではありませんか?
ABCEditが2021年8月22日 (日) にブロックされた後、あなたの活動は2021年10月27日 (水) 13:21からですが、文体と編集するページが共通するものが一つや二つではありません。ほぼ一致する文も存在します。--150.147.92.147 2022年8月23日 (火) 05:21 (UTC)
- 今気づいた。その人の編集履歴見せてよ。--学者気取りの先頭はここで終わり!(会話) 2023年2月21日 (火) 21:26 (UTC)
- ^ 国会図書館サーチ、中田憲信「各家系譜」https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R100000002-I000008302115-00/
- ^ 田中卓,『壬申の乱とその前後』(田中卓著作集5),1998
- ^ 仁藤敦史,「駿河郡周辺の古代氏族」『裾野市史研究』第10号,1998
- ^ [2]
- ^ https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/kiyo/23/kiyo0023-02.pdf
- ^ http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/syusei-setum.htm
- ^ 『古代氏族系譜集成』35頁
- ^ http://www.usajinguu.com/lineage/