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{{Coord|41.6|||N|139.4|||E|display=title|notes=<ref>{{Cite web |title=日本付近のおもな被害地震年代表(1601-1800)|publisher=[[日本地震学会]]|url=https://www.zisin.jp/publications/document05_03.html |website=www.zisin.jp |accessdate=2023年4月26日}}</ref>}} |
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'''寛保津波'''(かんぽうつなみ)とは、[[1741年]][[8月29日]]([[寛保]]元年7月19日)未明に[[日本海]]で発生した大[[津波]]である。[[北海道]]・[[渡島半島]]の西方約50キロメートルの日本海に浮かぶ[[渡島大島]]の[[噴火]]([[火山爆発指数]]4<ref name="Global Volcanism Program">{{cite web |author1=Global Volcanism Program |title=Oshima-Oshima |url=https://volcano.si.edu/volcano.cfm?vn=285010 |website=Global Volcanism Program |publisher=Smithsonian Institution |access-date=30 March 2021}}</ref><ref name="Volcanic activity since recorded history of Oshima Watashima">{{cite web |title=渡島大島 有史以降の火山活動 |url=https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sapporo/115_Osimaosima/115_history.html |website=Japan Meteorological Agency |publisher=Japan Meteorological Agency |access-date=30 March 2021}}</ref>)に伴う[[山体崩壊]](含む海面下部分)が原因とされる。津波は北海道[[道南]]地方日本海沿岸から[[島根県]]沿岸にかけて、また[[朝鮮]]・[[江原道 (朝鮮八道)|江原道]]にも到達し<ref>{{cite journal |author=Min Kyu Kim |author2=Hyun-Me Rhee |author3=In-Kil Choi |title=The effect analysis of 1741 Oshima-Oshima tsunami in the West Coast of Japan to Korea |journal=Transactions of the Korean Nuclear Society Spring Meeting |date=2013 |url=https://www.kns.org/files/pre_paper/2/13S-05L-6A-%EA%B9%80%EB%AF%BC%EA%B7%9C.pdf |access-date=30 March 2021}}</ref><ref>{{cite journal |title=1st article celebrated on July 27, 17, Yeongjo |journal=The Annals of King Yeongjo |volume=54 |url=http://sillok.history.go.kr/id/kua_11707027_001 |access-date=31 March 2021}}</ref><ref>{{cite journal |title=1st article in Gyeongjin on July 18, 17, Yeongjo |journal=The Annals of Yeongjo |volume=54 |url=http://sillok.history.go.kr/id/kua_11707018_001 |access-date=31 March 2021}}</ref>、特に[[松前藩]]での死者数は2083人に上り、大災害であった。日本海側での津波としては史上最大級のものとされる。 |
'''寛保津波'''(かんぽうつなみ)とは、[[1741年]][[8月29日]]([[寛保]]元年7月19日)未明に[[日本海]]で発生した大[[津波]]である。[[北海道]]・[[渡島半島]]の西方約50キロメートルの日本海に浮かぶ[[渡島大島]]の[[噴火]]([[火山爆発指数]]4<ref name="Global Volcanism Program">{{cite web |author1=Global Volcanism Program |title=Oshima-Oshima |url=https://volcano.si.edu/volcano.cfm?vn=285010 |website=Global Volcanism Program |publisher=Smithsonian Institution |access-date=30 March 2021}}</ref><ref name="Volcanic activity since recorded history of Oshima Watashima">{{cite web |title=渡島大島 有史以降の火山活動 |url=https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sapporo/115_Osimaosima/115_history.html |website=Japan Meteorological Agency |publisher=Japan Meteorological Agency |access-date=30 March 2021}}</ref>)に伴う[[山体崩壊]](含む海面下部分)が原因とされる。津波は北海道[[道南]]地方日本海沿岸から[[島根県]]沿岸にかけて、また[[朝鮮]]・[[江原道 (朝鮮八道)|江原道]]にも到達し<ref>{{cite journal |author=Min Kyu Kim |author2=Hyun-Me Rhee |author3=In-Kil Choi |title=The effect analysis of 1741 Oshima-Oshima tsunami in the West Coast of Japan to Korea |journal=Transactions of the Korean Nuclear Society Spring Meeting |date=2013 |url=https://www.kns.org/files/pre_paper/2/13S-05L-6A-%EA%B9%80%EB%AF%BC%EA%B7%9C.pdf |access-date=30 March 2021}}</ref><ref>{{cite journal |title=1st article celebrated on July 27, 17, Yeongjo |journal=The Annals of King Yeongjo |volume=54 |url=http://sillok.history.go.kr/id/kua_11707027_001 |access-date=31 March 2021}}</ref><ref>{{cite journal |title=1st article in Gyeongjin on July 18, 17, Yeongjo |journal=The Annals of Yeongjo |volume=54 |url=http://sillok.history.go.kr/id/kua_11707018_001 |access-date=31 March 2021}}</ref>、特に[[松前藩]]での死者数は2083人に上り、大災害であった。日本海側での津波としては史上最大級のものとされる。 |
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== 概要 == |
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1741年8月18日(寛保元年7月8日)より、渡島大島の噴火(8月18日-23日頃)、有感地震([[弘前市|弘前]]などで8月18日・20日)、降灰([[松前町 (北海道)|松前]]付近で8月25日-28日)が相次いでいた中{{sfn|津久井雅志|2021|page=8}}、1741年8月29日(寛保元年7月19日)未明に渡島大島の噴火に伴う山体崩壊(含む海面下部分)が原因とみられる大津波が発生した{{sfn|津久井雅志|2021|pages=3-4}}。 |
1741年8月18日(寛保元年7月8日)より、渡島大島の噴火(8月18日-23日頃)、有感地震([[弘前市|弘前]]などで8月18日・20日)、[[降灰]]([[松前町 (北海道)|松前]]付近で8月25日-28日)が相次いでいた中{{sfn|津久井雅志|2021|page=8}}、1741年8月29日(寛保元年7月19日)未明に渡島大島の噴火に伴う山体崩壊(含む海面下部分)が原因とみられる大津波が発生した{{sfn|津久井雅志|2021|pages=3-4}}。 |
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津波は北海道道南地方日本海沿岸から島根県沿岸にかけて{{sfn|羽鳥徳太郎|1979|page=344}}、また朝鮮・江原道にも到達し{{sfn|羽鳥徳太郎|1984|page=125}}、津波の高さは北海道・[[乙部町|乙部]]で10-15メートル、同松前・[[熊石町|熊石]]間で6-12メートル、[[青森県]]・[[津軽]]で2-7メートル、[[新潟県]]・[[佐渡島]]で2-5メートル、[[石川県]]・[[能登半島|能登]]で3-4メートル、[[島根県]]・[[江津市|江津]]で1-2メートルなどと、[[東京大学地震研究所]]・[[羽鳥徳太郎]]らにより推定されている{{sfn|羽鳥徳太郎|1984|pages=116-117}}。[[津波マグニチュード]]はm=3.5またはMt8.4とされ、日本海側での津波としては史上最大級のものであった{{sfn|羽鳥徳太郎|1984|page=122}}<ref>{{cite web |url=https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/daikibojishinchousa/houkoku/Data_01.pdf |title=データ集1 日本海における地震・津波について |page=9 |accessdate=2021-07-04 |date=2014-09 |website=[https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/daikibojishinchousa/ 日本海における大規模地震に関する調査検討会] |publisher=[[国土交通省]] }}</ref>。 |
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と伝えている{{Sfn|都司|1985|pp=79-80}}。 |
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== 関連遺物 == |
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* 寛保津波の碑 - 津波犠牲者の供養の為に設置されたもので、正覚院・法華寺([[江差町]])、泉龍院・光明寺([[松前町 (北海道)|松前町]])、無量寺([[八雲町]])のものが北海道指定有形文化財に指定されている<ref>{{ |
* 寛保津波の碑 - 津波犠牲者の供養の為に設置されたもので、正覚院・法華寺([[江差町]])、泉龍院・光明寺([[松前町 (北海道)|松前町]])、無量寺([[八雲町]])のものが北海道指定有形文化財に指定されている<ref>{{文化遺産オンライン|175616/1|正覚院寛保津波の碑}}、{{文化遺産オンライン|146005|法華寺寛保津波の碑}}、{{文化遺産オンライン |175996|泉龍院寛保津波の碑}}、{{文化遺産オンライン|146385|光明寺寛保津波の碑}}、{{文化遺産オンライン|146395|無量寺寛保津波の碑}}</ref>。 |
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* 北海道旧纂図絵 - 松前広長筆とされる、渡島大島の噴火と大津波の被害の様子を描いた絵図が収録されている<ref>{{cite web |url=https://www.sankei.com/article/20160606-TNUVG4MJ6ROXBLY3XPMD3LYYC4/ |title=温故地震 北海道・渡島大島大噴火の巨大津波 絵図に残った凄まじい風景 建築研究所特別客員研究員・都司嘉宣 |page=1 |accessdate=2021-07-04 |date=2016-06-06 |website=[[産経新聞]] |publisher=[[産業経済新聞社]] }}</ref><ref>{{cite web |url=https://www.sankei.com/article/20160606-TNUVG4MJ6ROXBLY3XPMD3LYYC4/2/ |title=温故地震 北海道・渡島大島大噴火の巨大津波 絵図に残った凄まじい風景 建築研究所特別客員研究員・都司嘉宣 |page=2 |accessdate=2021-07-04 |date=2016-06-06 |website=産経新聞 |publisher=産業経済新聞社 }}</ref>。 |
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2023年6月22日 (木) 08:58時点における版
座標: 北緯41度36分 東経139度24分 / 北緯41.6度 東経139.4度[1] 寛保津波(かんぽうつなみ)とは、1741年8月29日(寛保元年7月19日)未明に日本海で発生した大津波である。北海道・渡島半島の西方約50キロメートルの日本海に浮かぶ渡島大島の噴火(火山爆発指数4[2][3])に伴う山体崩壊(含む海面下部分)が原因とされる。津波は北海道道南地方日本海沿岸から島根県沿岸にかけて、また朝鮮・江原道にも到達し[4][5][6]、特に松前藩での死者数は2083人に上り、大災害であった。日本海側での津波としては史上最大級のものとされる。
概要
1741年8月18日(寛保元年7月8日)より、渡島大島の噴火(8月18日-23日頃)、有感地震(弘前などで8月18日・20日)、降灰(松前付近で8月25日-28日)が相次いでいた中[7]、1741年8月29日(寛保元年7月19日)未明に渡島大島の噴火に伴う山体崩壊(含む海面下部分)が原因とみられる大津波が発生した[8]。
津波は北海道道南地方日本海沿岸から島根県沿岸にかけて[9]、また朝鮮・江原道にも到達し[10]、津波の高さは北海道・乙部で10-15メートル、同松前・熊石間で6-12メートル、青森県・津軽で2-7メートル、新潟県・佐渡島で2-5メートル、石川県・能登で3-4メートル、島根県・江津で1-2メートルなどと、東京大学地震研究所・羽鳥徳太郎らにより推定されている[11]。津波マグニチュードはm=3.5またはMt8.4とされ、日本海側での津波としては史上最大級のものであった[12][13]。
朝鮮において観測された津波の高さは3-4メートルと推定されており[14]、李氏朝鮮の資料『朝鮮王朝実録』では
癸巳, [中略], 江原道平海等九郡, 海水縮為平陸, 頃之, 水溢, 一日輒七八溢, 海壖人家, 多漂没, 船楫破碎.
と伝えている[15]。
災害の様子は、松前藩の「福山秘府」などに記録されている[16][17]。松前藩での被害は、「弘前藩庁日記(御国)」の地区毎の被害状況の合計から和人の死者2083人[18][19][注 1][注 2]、また「松前年々記」によると家屋流失・倒壊791棟、破船1521艘[20]。特に松前の江良地区では死者450人と被害が甚大であった[18]。また、弘前藩では死者33人、家屋倒壊112棟、破船167艘の状況であった[22]。
原因
数日前より渡島大島が噴火を起こしていたこと、渡島大島に山体崩壊の痕跡があること、当時の記録に地震の記載がないことから[23]、渡島大島噴火→山体崩壊→岩なだれ海中流入が原因とする説がある[24]。
これに対し、山体崩壊の規模に比し、津波規模(到達範囲・波高)が大きすぎるとの観点より、地震・津波モデルでのシミュレーションなどから、付近海底での低周波地震が原因との説が提唱された[25][26]。
その後、潜水艇による付近の海底調査により、山体崩壊が海面下にも及んでいたことが判明[8]、確認された津波堆積物や歴史記録上の津波の高さなどと概ね調和する地すべり・津波モデルでのシミュレーション結果も得られ[27]、千葉大学大学院教授の津久井雅志によると「渡島大島噴火による海面下部分も含めての山体崩壊が原因との説が決定的になった」とされる[8]。
関連遺物
- 寛保津波の碑 - 津波犠牲者の供養の為に設置されたもので、正覚院・法華寺(江差町)、泉龍院・光明寺(松前町)、無量寺(八雲町)のものが北海道指定有形文化財に指定されている[28]。
- 北海道旧纂図絵 - 松前広長筆とされる、渡島大島の噴火と大津波の被害の様子を描いた絵図が収録されている[29][30]。
脚注
注釈
出典
- ^ “日本付近のおもな被害地震年代表(1601-1800)”. www.zisin.jp. 日本地震学会. 2023年4月26日閲覧。
- ^ “Oshima-Oshima”. Global Volcanism Program. Smithsonian Institution. 30 March 2021閲覧。
- ^ “渡島大島 有史以降の火山活動”. Japan Meteorological Agency. Japan Meteorological Agency. 30 March 2021閲覧。
- ^ Min Kyu Kim; Hyun-Me Rhee; In-Kil Choi (2013). “The effect analysis of 1741 Oshima-Oshima tsunami in the West Coast of Japan to Korea”. Transactions of the Korean Nuclear Society Spring Meeting 30 March 2021閲覧。.
- ^ “1st article celebrated on July 27, 17, Yeongjo”. The Annals of King Yeongjo 54 31 March 2021閲覧。.
- ^ “1st article in Gyeongjin on July 18, 17, Yeongjo”. The Annals of Yeongjo 54 31 March 2021閲覧。.
- ^ 津久井雅志 2021, p. 8.
- ^ a b c 津久井雅志 2021, pp. 3–4.
- ^ 羽鳥徳太郎 1979, p. 344.
- ^ 羽鳥徳太郎 1984, p. 125.
- ^ 羽鳥徳太郎 1984, pp. 116–117.
- ^ 羽鳥徳太郎 1984, p. 122.
- ^ “データ集1 日本海における地震・津波について”. 日本海における大規模地震に関する調査検討会. 国土交通省. p. 9 (2014年9月). 2021年7月4日閲覧。
- ^ Satake, Kenji (19 January 2007). “Volcanic origin of the 1741 Oshima-Oshima tsunami in the Japan Sea”. Earth Planets Space 59 (5): 381–390. Bibcode: 2007EP&S...59..381S. doi:10.1186/BF03352698 30 March 2021閲覧。.
- ^ 都司 1985, pp. 79–80.
- ^ 佐竹健治・加藤幸弘「1741年寛保津波は渡島大島の山体崩壊によって生じた」『月刊地球 = Chikyu monthly / 月刊地球編集部 編』第33巻第5号、2011年5月、267–277頁。CRID 1520291855821558912
- ^ 光明寺寛保津波の碑 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ a b 津久井雅志 2021, p. 11.
- ^ 羽鳥徳太郎 1984, p. 117.
- ^ a b 津久井雅志 2021, p. 10.
- ^ 白石睦弥「[講演要旨]寛保津波の被害と北方諸藩の対応」(PDF)『歴史地震』第24号、歴史地震研究会、2009年、146頁、2021年7月3日閲覧。
- ^ 津久井雅志 2021, pp. 10, 12.
- ^ 羽鳥徳太郎 & 片山通子 1977, pp. 51–52.
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- ^ 伊尾木圭衣・柳澤英明・谷岡勇市郎・川上源太郎・加瀬善洋・仁科健二・廣瀬亘・石丸聡「(講演要旨)1741年渡島大島での山体崩壊と津波の数値計算による再現」(PDF)『歴史地震』第33号、歴史地震研究会、2018年、263頁、2021年7月5日閲覧。
- ^ 正覚院寛保津波の碑 - 文化遺産オンライン(文化庁)、法華寺寛保津波の碑 - 文化遺産オンライン(文化庁)、泉龍院寛保津波の碑 - 文化遺産オンライン(文化庁)、光明寺寛保津波の碑 - 文化遺産オンライン(文化庁)、無量寺寛保津波の碑 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ “温故地震 北海道・渡島大島大噴火の巨大津波 絵図に残った凄まじい風景 建築研究所特別客員研究員・都司嘉宣”. 産経新聞. 産業経済新聞社. p. 1 (2016年6月6日). 2021年7月4日閲覧。
- ^ “温故地震 北海道・渡島大島大噴火の巨大津波 絵図に残った凄まじい風景 建築研究所特別客員研究員・都司嘉宣”. 産経新聞. 産業経済新聞社. p. 2 (2016年6月6日). 2021年7月4日閲覧。
参考文献
- 羽鳥徳太郎「北海道渡島大島津波(1741年)の供養碑」『東京大学地震研究所彙報』第54号、東京大学地震研究所、1979年12月25日、343-350頁、2021年7月3日閲覧。
- 羽鳥徳太郎、片山通子「日本海沿岸における歴史津波の挙動とその波源域」『東京大学地震研究所彙報』第52号、東京大学地震研究所、1977年11月30日、49-70頁、2021年7月4日閲覧。
- 羽鳥徳太郎「北海道渡島沖津波(1741年)の挙動の再検討 -1983年日本海中部地震津波との比較-」『東京大学地震研究所彙報』第59号、東京大学地震研究所、1984年7月10日、115-125頁、2021年7月4日閲覧。
- 津久井雅志『渡島大島噴火史料集』(PDF)(補訂版)千葉大学大学院理学研究科・津久井雅志、2021年5月31日。doi:10.20776/900119468 。2021年7月4日閲覧。
- 都司嘉宣ほか (1985-01). “韓国東海岸を襲った日本海中部地震津波”. 防災科学技術研究資料 90 2022年4月22日閲覧。.
- 相田勇「噴火により発生する津波の見積り -1741年渡島大島の場合-」『東京大学地震研究所彙報』第59号、東京大学地震研究所、1985年3月30日、519-531頁、2021年7月5日閲覧。