「観音の滝 (佐賀県)」の版間の差分
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'''観音の滝'''(かんのんのたき)は、[[佐賀県]][[唐津市]]にある[[滝]]。[[日本の滝百選]]に選定されている。 |
'''観音の滝'''(かんのんのたき)は、[[佐賀県]][[唐津市]]七山の[[玉島川]]支流滝川(滝川川とも表記する)の中流にある[[滝]]{{Sfn|足利|井上|1995|pp=52-53}}{{Sfn|北中|2006|p=391}}。[[日本の滝百選]]に選定されている{{Sfn|北中|2006|p=391}}{{Sfn|グリーンルネッサンス事務局|1991}}。 |
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==概要== |
== 概要 == |
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観音の滝本体の落差は45メートル (m)、幅9 m{{Sfn|足利|井上|1995|pp=52-53}}{{R|西山}}。滝の袂からざっと見通せる落差は10 m程度で{{Sfn|朝日新聞西部本社|1983|pp=108-109}}、そのためか落差を27 m{{Sfn|北中|2006|p=391}}、70 m{{Sfn|日本の湖沼と渓谷|1987|p=132}}など異なる値で記載する資料もある。約70度の傾斜を流れ下る滝で{{Sfn|日本の湖沼と渓谷|1987|p=132}}、比較的大きく深い滝壺をつくり{{Sfn|北中|2006|p=391}}、水量のある時は水音を響かせ飛沫を上げる{{Sfn|足利|井上|1995|pp=52-53}}{{Sfn|北中|2006|p=391}}。 |
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[[玉島川]]の支流の滝川水域にある。観音の滝の周辺には8つの滝と淵がある。 |
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滝の上流側は比較的開けた地形で、研磨を受けた[[花崗岩]]がみられる。一方、下流側は川幅が狭い渓流になっている{{Sfn|日本の湖沼と渓谷|1987|p=132}}。周辺には観音の滝を含めて名の付いた8つの滝と[[淵]]が連なっていて、一帯の渓谷は[[耶馬溪]]になぞらえて七山耶馬溪とも称する{{Sfn|北中|2006|p=391}}{{Sfn|朝日新聞西部本社|1983|pp=108-109}}。渓谷に沿い約2キロメートル・所要時間30分程度の遊歩道があって、それぞれの滝や淵に近づくことができる。展望台や駐車場も設けられている{{Sfn|北中|2006|p=391}}{{Sfn|日本の湖沼と渓谷|1987|p=132}}{{R|kta1}}。 |
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渓谷は[[ウメ|梅]]や[[ツバキ|山椿]]の名所で、桜や新緑、紅葉などの季節の景観も見られる{{R|西山}}{{Sfn|朝日新聞西部本社|1983|pp=108-109}}{{Sfn|七山村史|1993|p=672-673}}。昭和後期には[[放流]]を伴う川魚の[[遊漁]]が盛んに行われていたが{{Sfn|朝日新聞西部本社|1983|pp=108-109}}{{Sfn|七山村史|1993|p=706-711}}{{Sfn|七山村史|1993|p=630-635}}、現在は[[ヤマメ]]の回遊の場となっている{{R|spta}}。また、毎年8月には「国際渓流滝のぼりINななやま」が開催される{{R|spta}}。 |
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=== 8つの滝と淵 === |
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上流から順に以下の滝と淵が連なる{{Efn|並び順は{{R|kta1}}による}}。 |
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* 清めの淵 - 福聚院の参拝者がここで手を洗い清めたことに由来する{{R|kta1|spta}}。 |
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* 観音の滝 - 別名男滝{{R|kta1}}。 |
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* 木がくれの淵 - 川岸から木々がせり出す{{R|kta1|spta}}。 |
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* 狭霧(さぎり)の滝 - 木がくれの淵のすぐ下流。水流から飛沫が上がり遊歩道まで飛んでくる{{R|kta1|spta}}。 |
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* 静寂(しじま)の淵 - 水深が深く水流は穏やか{{R|kta1|spta}}。 |
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* 白竜の滝 - 岩々の間を流れる。名前はその流れが雲間を走る白い竜のようであることに由来{{R|kta1}}。 |
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* 奥梅豆羅(おくめづら)の淵 - 七山村の第5代村長三吉野晴吉が奥梅豆羅渓谷と呼んだことに由来。万葉歌碑がある{{R|kta1|spta}}。 |
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* 白絹の滝 - 白い飛沫が絹の布を広げたように見えることに由来{{R|kta1|spta}}。 |
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== 滝の伝説・生目観音 == |
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右岸側の滝口の傍には、滝の名の由来となった「生目(いくめ{{Sfn|足利|井上|1995|pp=52-53}})[[観音菩薩|観音]]」を祀る鳴神山福聚院(ふくじゅいん{{R|spta}})の観音堂がある{{Sfn|北中|2006|p=391}}{{Sfn|日本の湖沼と渓谷|1987|p=132}}{{Sfn|七山村史|1993|p=672-673}}。観音堂は正徳4年(1714年)建立で{{R|西山}}、「滝の観音」の通称もある{{Sfn|七山村史|1993|p=672-673}}。 |
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⚫ | 滝と観音には[[広沢局]](ひろさわのつぼね)の眼病治癒にまつわる伝説がある。[[安土桃山時代|桃山時代]]の文禄元年(1592年)、[[文禄・慶長の役#文禄の役|文禄の役]]の際に[[豊臣秀吉]]が[[名護屋城]]に来陣し[[朝鮮]]出兵の指揮にあたった。この時、名護屋越前守経述の妹が秀吉の身の回りの世話を行った。秀吉は、この気立てが良く美人の女性を気に入り広沢局と呼んだ。広沢局は文禄3年(1594年)に眼病を患った。そこで生目観音を訪れて21日間の祈祷を行い滝の水で目を洗ったところ、眼病が治ったという{{Sfn|北中|2006|p=391}}{{Sfn|七山村史|1993|p=672-673}}{{Sfn|グリーンルネッサンス事務局|1991}}。 |
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広沢局はその礼に生目観音に小堂を建て、さらに名護屋城山里丸の一角に観音の分霊を祀ったと伝えられる{{Sfn|七山村史|1993|p=672-673}}{{Sfn|佐藤|1982|p=181}}。また[[広沢寺 (唐津市)|広沢寺]]にある広沢局の墓は東向きに建てられていて、生目観音の方を向いているという{{Sfn|七山村史|1993|p=672-673}}。こうしたいわれから、以後眼病平癒を祈願する参拝者が訪れるようになった{{Sfn|北中|2006|p=391}}{{Sfn|七山村史|1993|p=672-673}}。従前は参拝者の間で滝の水を目につけると治るとされていたほか、布切れに願い事を書いて奉納すると叶うとする[[風習]]があって、観音堂には多くの布が掛けられた{{Sfn|佐藤|1982|p=181}}。 |
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== アクセス == |
== アクセス == |
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*[[九州旅客鉄道|JR]][[筑肥線]][[浜崎駅]]よりタクシーにて25分。 |
* [[九州旅客鉄道|JR]][[筑肥線]][[浜崎駅]]よりタクシーにて25分{{R|spta}}。 |
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*車の場合は、[[長崎自動車道]][[佐賀大和インターチェンジ|佐賀大和IC]]より45分、無料駐車場 |
* 車の場合は、[[長崎自動車道]][[佐賀大和インターチェンジ|佐賀大和IC]]より45分、[[西九州自動車道]][[浜玉インターチェンジ|浜玉IC]]より20分。100台規模の無料駐車場がある{{R|spta}}。 |
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== 周辺 == |
== 周辺 == |
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滝から約750 m下流には渓流に面した[[コテージ]]のロフティ七山がある。七山はほかに農産物直売所や温泉施設などがある{{R|kta1}}。 |
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* [[樫原湿原]] |
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* ロフティ七山 |
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滝から川沿いに道路を上ると、桑原集落の先には佐賀県[[自然環境保全地域]]に指定されている[[樫原湿原]]がある{{Sfn|日本の湖沼と渓谷|1987|p=132}}。反対に川を下ると、浜崎海岸や[[虹ノ松原]]など海岸沿いの観光地がある{{Sfn|日本の湖沼と渓谷|1987|p=132}}。 |
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== その他 == |
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佐賀県内には「観音滝」と称する滝が他にもあり、佐賀県大百科事典(1983年)には、神埼市[[脊振村|脊振町]]犬井谷地区の田手川上流にある滝と、[[多久市]]北多久町小侍の高木川内地区の高木川内川にある滝が掲載されている{{R|西山}}。 |
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=== 出典 === |
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<ref name="西山">{{Harvnb|佐賀県大百科事典|1983|p=183|ps=「観音滝」(著者:西山武人)}}</ref> |
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<ref name="kta1">{{Cite magazine|和書|title=唐津んもんだより |url=https://kyodonewsprwire.jp/prwfile/release/M100208/201207035433/_prw_OR1fl_D53U5tB2.pdf |format=pdf |issue=69 |publisher=社団法人唐津観光協会 |date=2012-07-04 |accessdate=2024-12-20 }}</ref> |
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<ref name="spta">{{Cite book|和書|title=観音の滝 |url=https://www.asobo-saga.jp/spots/detail/6447a053-385a-49ca-b684-a60b95470e64 |publisher=佐賀県観光連盟 |website=佐賀県公式観光サイト あそぼーさが |accessdate=2024-12-20 }}</ref> |
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<!--<ref name="">{{Cite book|和書|title= |url= |publisher= |website= |accessdate=2024-12-20 }}</ref>--> |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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* {{Cite book|和書|title=日本の滝100選 |editor=グリーンルネッサンス事務局 |year=1991 |publisher=[[講談社]] |isbn=4-06-205045-5 |ref={{SfnRef|グリーンルネッサンス事務局|1991}} }} |
* {{Cite book|和書|title=日本の滝100選 |editor=グリーンルネッサンス事務局 |year=1991 |publisher=[[講談社]] |isbn=4-06-205045-5 |ref={{SfnRef|グリーンルネッサンス事務局|1991}} }} |
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* {{Cite book|和書|author=北中康文(写真・文) |title=日本の滝 2 西日本767滝 |year=2006 |publisher=[[山と渓谷社]] |isbn=4-635-06258-9 |ref={{SfnRef|北中|2006}} }} |
* {{Cite book|和書|author=北中康文(写真・文) |title=日本の滝 2 西日本767滝 |year=2006 |publisher=[[山と渓谷社]] |isbn=4-635-06258-9 |ref={{SfnRef|北中|2006}} }} |
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* {{Cite book|和書|author1=足利武三 |author2=井上優 |title=九州の滝 渓谷 湖 |year=1995 |publisher= |isbn=4-8167-0386-1 |ref={{SfnRef|足利|井上|1995}} }} |
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* {{Cite book|和書|author= |title=七山村史 続編 |editor=七山村史編さん委員会 |year=1993 |publisher=七山村 |ref={{SfnRef|七山村史|1993}} }} |
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* {{Cite book|和書|title=佐賀県大百科事典 |editor=佐賀新聞社佐賀県大百科事典編集委員会 |publisher=佐賀新聞社 |year=1983 |month=08 |id={{全国書誌番号|84038231}} |ref={{SfnRef|佐賀県大百科事典|1983}} }} |
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* {{Cite book|和書|author=朝日新聞西部本社 |title=九州の祭り・200選 春夏編 |publisher=葦書房 |year=1983 |month=07 |isbn= |id={{全国書誌番号|84042194}}、{{NDLJP|12169770}} |ref={{SfnRef|朝日新聞西部本社|1983}} }} |
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* {{Cite book|和書|title=日本の湖沼と渓谷 12 |publisher=ぎょうせい |year=1987 |month=10 |isbn=4-324-00721-7 |ref={{SfnRef|日本の湖沼と渓谷|1987}} }} |
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* {{Cite book|和書|author=佐藤常治 |title=にっぽん御利益紀行 |publisher=荒地出版社 |year=1982 |month=09 |id={{全国書誌番号|82050317}}、{{NDLJP|12169629}} |ref={{SfnRef|佐藤|1982}} }} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2024年12月20日 (金) 12:52時点における最新版
観音の滝 | |
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所在地 | 佐賀県唐津市七山滝川 |
位置 | 北緯33度26分6.26秒 東経130度7分48.47秒 / 北緯33.4350722度 東経130.1301306度 |
落差 | 45 m |
滝幅 | 9 m |
水系 | 玉島川水系滝川川 |
プロジェクト 地形 |
観音の滝(かんのんのたき)は、佐賀県唐津市七山の玉島川支流滝川(滝川川とも表記する)の中流にある滝[1][2]。日本の滝百選に選定されている[2][3]。
概要
[編集]観音の滝本体の落差は45メートル (m)、幅9 m[1][4]。滝の袂からざっと見通せる落差は10 m程度で[5]、そのためか落差を27 m[2]、70 m[6]など異なる値で記載する資料もある。約70度の傾斜を流れ下る滝で[6]、比較的大きく深い滝壺をつくり[2]、水量のある時は水音を響かせ飛沫を上げる[1][2]。
滝の上流側は比較的開けた地形で、研磨を受けた花崗岩がみられる。一方、下流側は川幅が狭い渓流になっている[6]。周辺には観音の滝を含めて名の付いた8つの滝と淵が連なっていて、一帯の渓谷は耶馬溪になぞらえて七山耶馬溪とも称する[2][5]。渓谷に沿い約2キロメートル・所要時間30分程度の遊歩道があって、それぞれの滝や淵に近づくことができる。展望台や駐車場も設けられている[2][6][7]。
渓谷は梅や山椿の名所で、桜や新緑、紅葉などの季節の景観も見られる[4][5][8]。昭和後期には放流を伴う川魚の遊漁が盛んに行われていたが[5][9][10]、現在はヤマメの回遊の場となっている[11]。また、毎年8月には「国際渓流滝のぼりINななやま」が開催される[11]。
8つの滝と淵
[編集]上流から順に以下の滝と淵が連なる[注釈 1]。
- 清めの淵 - 福聚院の参拝者がここで手を洗い清めたことに由来する[7][11]。
- 観音の滝 - 別名男滝[7]。
- 木がくれの淵 - 川岸から木々がせり出す[7][11]。
- 狭霧(さぎり)の滝 - 木がくれの淵のすぐ下流。水流から飛沫が上がり遊歩道まで飛んでくる[7][11]。
- 静寂(しじま)の淵 - 水深が深く水流は穏やか[7][11]。
- 白竜の滝 - 岩々の間を流れる。名前はその流れが雲間を走る白い竜のようであることに由来[7]。
- 奥梅豆羅(おくめづら)の淵 - 七山村の第5代村長三吉野晴吉が奥梅豆羅渓谷と呼んだことに由来。万葉歌碑がある[7][11]。
- 白絹の滝 - 白い飛沫が絹の布を広げたように見えることに由来[7][11]。
滝の伝説・生目観音
[編集]右岸側の滝口の傍には、滝の名の由来となった「生目(いくめ[1])観音」を祀る鳴神山福聚院(ふくじゅいん[11])の観音堂がある[2][6][8]。観音堂は正徳4年(1714年)建立で[4]、「滝の観音」の通称もある[8]。
滝と観音には広沢局(ひろさわのつぼね)の眼病治癒にまつわる伝説がある。桃山時代の文禄元年(1592年)、文禄の役の際に豊臣秀吉が名護屋城に来陣し朝鮮出兵の指揮にあたった。この時、名護屋越前守経述の妹が秀吉の身の回りの世話を行った。秀吉は、この気立てが良く美人の女性を気に入り広沢局と呼んだ。広沢局は文禄3年(1594年)に眼病を患った。そこで生目観音を訪れて21日間の祈祷を行い滝の水で目を洗ったところ、眼病が治ったという[2][8][3]。
広沢局はその礼に生目観音に小堂を建て、さらに名護屋城山里丸の一角に観音の分霊を祀ったと伝えられる[8][12]。また広沢寺にある広沢局の墓は東向きに建てられていて、生目観音の方を向いているという[8]。こうしたいわれから、以後眼病平癒を祈願する参拝者が訪れるようになった[2][8]。従前は参拝者の間で滝の水を目につけると治るとされていたほか、布切れに願い事を書いて奉納すると叶うとする風習があって、観音堂には多くの布が掛けられた[12]。
アクセス
[編集]周辺
[編集]滝から約750 m下流には渓流に面したコテージのロフティ七山がある。七山はほかに農産物直売所や温泉施設などがある[7]。
滝から川沿いに道路を上ると、桑原集落の先には佐賀県自然環境保全地域に指定されている樫原湿原がある[6]。反対に川を下ると、浜崎海岸や虹ノ松原など海岸沿いの観光地がある[6]。
その他
[編集]佐賀県内には「観音滝」と称する滝が他にもあり、佐賀県大百科事典(1983年)には、神埼市脊振町犬井谷地区の田手川上流にある滝と、多久市北多久町小侍の高木川内地区の高木川内川にある滝が掲載されている[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 足利 & 井上 1995, pp. 52–53.
- ^ a b c d e f g h i j 北中 2006, p. 391.
- ^ a b グリーンルネッサンス事務局 1991.
- ^ a b c d 佐賀県大百科事典 1983, p. 183「観音滝」(著者:西山武人)
- ^ a b c d 朝日新聞西部本社 1983, pp. 108–109.
- ^ a b c d e f g 日本の湖沼と渓谷 1987, p. 132.
- ^ a b c d e f g h i j k 「唐津んもんだより」(pdf)第69号、社団法人唐津観光協会、2012年7月4日、2024年12月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g 七山村史 1993, p. 672-673.
- ^ 七山村史 1993, p. 706-711.
- ^ 七山村史 1993, p. 630-635.
- ^ a b c d e f g h i j k 『観音の滝』佐賀県観光連盟 。2024年12月20日閲覧。
- ^ a b 佐藤 1982, p. 181.
参考文献
[編集]- グリーンルネッサンス事務局 編『日本の滝100選』講談社、1991年。ISBN 4-06-205045-5。
- 北中康文(写真・文)『日本の滝 2 西日本767滝』山と渓谷社、2006年。ISBN 4-635-06258-9。
- 足利武三、井上優『九州の滝 渓谷 湖』1995年。ISBN 4-8167-0386-1。
- 七山村史編さん委員会 編『七山村史 続編』七山村、1993年。
- 佐賀新聞社佐賀県大百科事典編集委員会 編『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年8月。全国書誌番号:84038231。
- 朝日新聞西部本社『九州の祭り・200選 春夏編』葦書房、1983年7月。全国書誌番号:84042194、NDLJP:12169770。
- 『日本の湖沼と渓谷 12』ぎょうせい、1987年10月。ISBN 4-324-00721-7。
- 佐藤常治『にっぽん御利益紀行』荒地出版社、1982年9月。全国書誌番号:82050317、NDLJP:12169629。