特攻で損害を受けた艦船の一覧
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特攻で損害を受けた艦船の一覧(とっこうでそんがいをうけたかんせんのいちらん)は、特別攻撃隊で損害を受けた艦船の一覧である。
連合軍の被害
[編集]参考文献[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16][17][18]
※アメリカ軍死傷者の数は参考文献、アメリカ軍公式資料、各被害艦のホームページ記載の中の最大値を記載。
沈没
[編集]航空特攻
[編集]沈没日 艦名 艦種 場所 戦死者 負傷者 1944年10月24日 ソノマ (艦隊曳航船) 艦隊曳航船 フィリピン 7 36 1944年10月24日 LCI-1065 歩兵揚陸艦 フィリピン 13 8 1944年10月25日 セント・ロー 護衛空母 フィリピン 143 370 1944年11月1日 アブナー・リード 駆逐艦 フィリピン 23 56 1944年11月27日 SC-744 駆潜艇 フィリピン 6 7 1944年12月5日 LSM-20 中型揚陸艦 フィリピン 8 9 1944年12月7日 マハン 駆逐艦 フィリピン 18 31 1944年12月7日 LSM-318 中型揚陸艦 フィリピン 3 3 1944年12月7日 ワード 輸送駆逐艦 フィリピン 0 5 1944年12月10日 PT-323 魚雷艇 フィリピン 0 10 1944年12月10日 レイド (駆逐艦) 駆逐艦 フィリピン 150 不明 1944年12月11日 ウィリアム S. ラッド リバティ型輸送艦 フィリピン 0 10 1944年12月15日 LST-472 戦車揚陸艦 フィリピン 8 9 1944年12月15日 LST-738 戦車揚陸艦 フィリピン 1 11 1944年12月18日 PT-300 魚雷艇 フィリピン 8 7 1944年12月21日 LST-460 戦車揚陸艦 フィリピン 約100 不明 1944年12月21日 LST-749 戦車揚陸艦 フィリピン 30 10 1944年12月28日 ジョン・バーク 弾薬輸送艦 フィリピン 69 0 1944年12月28日 FS船(Freight and Supply Ship)[注 1] 陸軍貨物・補給船 フィリピン 不明 不明 1944年12月30日 ポーキュパイン (艦隊給油艦) 艦隊給油艦 フィリピン 7 8 1945年1月4日 オマニー・ベイ 護衛空母 フィリピン 98 65 1945年1月5日 リュース・L・ダイチ 弾薬輸送艦 フィリピン 71 0 1945年1月6日 ロング 駆逐艦 フィリピン 1 35 1945年2月21日 ビスマーク・シー 護衛空母 硫黄島 318 99 1945年4月2日 ディカーソン 輸送駆逐艦 沖縄 54 97 1945年4月6日 ブッシュ 駆逐艦 沖縄 94 32 1945年4月6日 コルホーン 駆逐艦 沖縄 35 21 1945年4月6日 エモンズ 掃海駆逐艦 沖縄 64 71 1945年4月6日 ホッブス・ビクトリー 弾薬輸送船 沖縄 13 2 1945年4月6日 ローガン・ビクトリー 弾薬輸送船 沖縄 15 9 1945年4月7日 LST-477 戦車揚陸艦 沖縄 5 17 1945年4月12日 マナート・L・エベール 駆逐艦 沖縄 82 32 1945年4月12日 LCS-36 上陸支援艇 沖縄 4 29 1945年4月16日 プリングル 駆逐艦 フィリピン・沖縄(合計2回) 76 120 1945年4月22日 スワロー (掃海艦) 掃海艦 沖縄 2 9 1945年4月22日 LCS-15 上陸支援艇 沖縄 15 11 1945年4月27日 カナダ・ビクトリー ビクトリー型輸送艦 沖縄 3 5 1945年5月3日 リトル 駆逐艦 沖縄 62 47 1945年5月4日 LSM(R)-195 中型揚陸艦(ロケット) 沖縄 8 16 1945年5月4日 モリソン 駆逐艦 沖縄 152 102 1945年5月4日 ルース 駆逐艦 沖縄 150 94 1945年5月4日 LSM(R)-190 中型揚陸艦(ロケット) 沖縄 13 18 1945年5月4日 LSM(R)-194 中型揚陸艦(ロケット) 沖縄 13 23 1945年5月9日 オバーレンダー 護衛駆逐艦 沖縄 54 51 1945年5月20日 LST-808[19][20] 戦車揚陸艦 沖縄 17 11 1945年5月25日 ベイツ (輸送駆逐艦) 輸送駆逐艦 沖縄 21 35 1945年5月25日 LSM-135 中型揚陸艦 沖縄 11 10 1945年5月28日 ドレクスラー 駆逐艦 沖縄 168 52 1945年6月10日 ウィリアム・D・ポーター 駆逐艦 沖縄 0 61 1945年6月16日 トゥィッグス (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 193 34 1945年6月21日 LSM-59 中型揚陸艦 沖縄 2 8 1945年6月21日 バリー 輸送駆逐艦 沖縄 0 30 [注 2] 1945年7月26日 ヴェステル (イギリス海軍掃海艦)[注 3] イギリス海軍掃海艦 プーケット 20 不明 1945年7月28日 キャラハン 駆逐艦 沖縄 47 73 1945年8月19日 КТ-152[21][注 4] ソビエト連邦軍掃海艇 占守島 17 不明 合計 55隻 2,462名 1,909名
水中特攻(回天)
[編集]沈没日 艦名 艦種 場所 戦死者 負傷者 1944年11月20日 ミシシネワ 武装タンカー ウルシー 63 95 1945年1月12日 LCI(L)-600 (歩兵揚陸艇) 歩兵揚陸艇 ウルシー 3 0 1945年7月24日 アンダーヒル 護衛駆逐艦 フィリピン 112 約100 合計 3隻 178名 195名
水上特攻(震洋・マルレ)
[編集]沈没日 艦名 艦種 場所 戦死者 負傷者 1945年1月10日 LCI-974 歩兵揚陸艇 フィリピン 不明 不明 1945年1月31日 PC-1129 駆潜艇 フィリピン 69 0 1945年2月1日 PT-77[注 5] 魚雷艇 フィリピン 0 0 1945年2月1日 PT-79 魚雷艇 フィリピン 0 0 1945年2月15日 LCS-7 上陸支援艇 フィリピン 24 約80[注 6] 1945年2月15日 LCS-26 上陸支援艇 フィリピン 24 1945年2月15日 LCS-49 上陸支援艇 フィリピン 25 1945年3月26日 LCT-1090 戦車揚陸艇 フィリピン 不明 不明 1945年3月30日 LSM-12 中型揚陸艦 沖縄 不明 不明 1945年4月3日 LCI-82 歩兵揚陸艇 沖縄 8 11 1945年4月27日 LCVP数隻 上陸用舟艇 沖縄 不明 不明 合計 11隻以上 150名 91名
損傷による除籍処分
[編集]※アメリカ本土に曳航されたが修理不能と判定され除籍されたか、アメリカ海軍検査・調査委員会の判定によって廃艦指示された艦[22]。
航空特攻
[編集]損傷日 艦名 艦種 場所 戦死者 負傷者 1945年1月5日 ブルックス (輸送駆逐艦) 輸送駆逐艦 フィリピン 3 11 1945年1月6日 ベルナップ (輸送駆逐艦) 輸送駆逐艦 フィリピン 38 49 1945年4月6日 ロイツェ 駆逐艦 沖縄 8 33 1945年4月6日 ニューコム 駆逐艦 沖縄 43 64 1945年4月6日 ウィッター (掃海駆逐艦) 掃海駆逐艦 沖縄 6 6 1945年4月6日 モリス (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 13 45 1945年4月16日 ハーディング (掃海駆逐艦) 掃海駆逐艦 沖縄 22 10 1945年4月29日 ハガード (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 11 40 1945年5月3日 アーロン・ワード (掃海駆逐艦) 掃海駆逐艦 沖縄 45 49 1945年5月4日 サンガモン 護衛空母 沖縄 46 116 1945年5月9日 イングランド (護衛駆逐艦) 護衛駆逐艦 沖縄 35 27 1945年5月11日 ヒュー・W・ハドレイ (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 30 121 1945年5月11日 エヴァンズ (DD-552) 駆逐艦 沖縄 30 29 1945年5月20日 チェース (掃海駆逐艦) 掃海駆逐艦 沖縄 0 35 1945年5月20日 サッチャー 駆逐艦 沖縄 14 53 1945年5月25日 スペクタクル (掃海艦) 掃海艦 沖縄 29 6 1945年5月25日 バトラー (掃海駆逐艦) 掃海駆逐艦 沖縄 14 不明 1945年5月25日 ローパー (輸送駆逐艦) 輸送駆逐艦 沖縄 1 10 1945年5月26日 フォレスト (掃海駆逐艦) 掃海駆逐艦 沖縄 5 13 1945年5月26日 PC1603 駆潜艇 沖縄 3 15 1945年5月29日 シュブリック (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 32 28 1945年6月6日 ウィリアム・ディッター (掃海駆逐艦) 掃海駆逐艦 沖縄 10 27 1945年6月21日 LSM-213[注 7][23] 中型揚陸艦 沖縄 3 10 合計 23隻 438名 784名
水上特攻(震洋・マルレ)
[編集]損傷日 艦名 艦種 場所 戦死者 負傷者 1945年1月10日 LST-610 戦車揚陸艦 フィリピン 0 0 1945年1月10日 LST-925 戦車揚陸艦 フィリピン 1 8 1945年4月27日 ハッチンス (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 0 20 1945年4月27日 LCS-37 上陸支援艇 沖縄 0 7 1945年5月4日 カリーナ (攻撃輸送艦) 攻撃輸送艦 沖縄 0 6 合計 5隻 1名 41名
損傷
[編集]艦名 艦種 損傷場所 戦死者 負傷者 備考 コロラド 戦艦 フィリピン 19 72 陸軍特別攻撃隊八紘隊の一式戦「隼」が命中。艦体に10フィートの穴があき多数の死傷者を出した[24]。 メリーランド 戦艦 フィリピン.沖縄(合計2回) 62 68 フィリピンでは陸軍特別攻撃隊靖国隊の一式戦「隼」が命中。その隼は雲の中から現れて急降下でメリーランドに命中する直前に、機首を上げて急上昇をはじめ、尾翼を真下に垂直上昇してまた雲に入ると、1秒後には太陽を背にしてまっさかさまの急降下でメリーランドの第2砲塔に突入するといった曲芸飛行を見せてアメリカ軍を驚かせている。受けた損害も深刻で病室が破壊され衛生兵は戦死、歯科軍医も顔面に大火傷を負っている[25]。 ニューメキシコ 戦艦 フィリピン・沖縄(合計2回) 84 206 フィリピンでは艦橋に特攻機が命中、イギリス陸軍のラムズデン中将とニューメキシコの艦長のフレミング大佐が戦死し、タイム誌の従軍記者も死亡した。沖縄戦では第5艦隊の臨時旗艦としてレイモンド・スプルーアンス中将が座乗したが再度特攻を受け、煙突に爆弾が突入し炸裂、ボイラー室が破壊され[26]、戦死54名、負傷者119名の大損害を被った。スプルーアンスは艦内を移動中に、物陰に隠れて難を逃れたが、一時は行方不明になり、幕僚らが混乱状態に陥っている[27]。 カリフォルニア 戦艦 フィリピン 45 151 1945年1月6日、リンガエン湾でルソン島上陸部隊の支援艦隊に特攻機が襲いかかり、カリフォルニアには特攻機が檣楼に命中し多大な人的損害が生じた[28]。この日は戦艦ニューメキシコや重巡洋艦ルイビル・オーストラリア、軽巡洋艦コロンビアなどに12機の特攻機が命中、7機が至近命中し支援艦隊に大きな損害を与えている[29]。 ミシシッピ 戦艦 フィリピン・沖縄(合計2回) 27 71 フィリピンでは陸軍特別攻撃隊一誠隊の一式戦「隼」が、沖縄では陸軍飛行第17戦隊の三式戦「飛燕」が命中。 ネバダ 戦艦 沖縄 11 47 陸軍特別攻撃隊誠第32飛行隊または赤心隊の九九式襲撃機または九九式軍偵察機が命中。 ウェストバージニア 戦艦 沖縄 4 23 ミズーリ 戦艦 沖縄(合計2回) 0 3 1945年4月11日に石野節雄二飛曹の搭乗する零戦が突入、石野の遺体の一部が艦上に残された。ミズーリの艦長であるウィリアム・キャラハン大佐(第三次ソロモン海戦で戦死したダニエル・J・キャラハン少将の弟)は「祖国のために命を投げうってその使命を敢行した勇敢な男には、名誉ある水葬をもって臨むべきである。死した兵士はもはや敵ではない。翌朝、勇者の葬儀を執り行う」と石野を称賛し、異例とも言える敵兵の水葬を行った。その際わざわざミズーリの水兵が手作りで作った旭日旗で石野の遺体を覆って、礼砲まで撃っている。[30][31] テネシー 戦艦 沖縄 23 176 沖縄戦では第54任務部隊司令のデヨ少将が座乗していた。1945年4月12日に2機の特攻機が命中し、死傷者199名の甚大な損傷を受けている。デヨ少将も艦橋目がけて突入してきた特攻機が直前で撃墜されて、九死に一生を得ている。その際、集中射撃しても中々撃墜できなかった特攻機を見て「彼奴らの体は何でできているのだろうか。」と驚嘆している[32]。
アイダホ 戦艦 沖縄(合計2回) 0 13 ニューヨーク 戦艦 沖縄 0 2 イントレピッド 正規空母 フィリピン.室戸沖・沖縄(合計4回) 97 236 アメリカ軍の艦艇では最多の特攻被害艦となった。イントレピッドはあまりにも修理のためにドック入りしている期間が長かったため、ドライアイを捩って“the Dry I”(ドライは乾ドックの事で IはIntrepidの頭文字)との不名誉なニックネームを付けられている[33]。 フランクリン 正規空母 フィリピン(合計2回) 724 265 フランクリンは1944年1月31日に艦隊配備、1944年10月29日に特攻により大破、修理を終えて1945年3月15日に第58任務部隊に復帰したが、1945年3月19日に九州沖航空戦で陸上爆撃機「銀河」による緩降下爆撃により、艦載機と積載弾薬・燃料が誘爆し724名死亡265名負傷の甚大な損害を被った。その後は一度も運用されることなく除籍されたので、実動9ヶ月で艦生命が終わる事となった。[34] レキシントン 正規空母 フィリピン 50 132 第38任務部隊の旗艦でジョン・S・マケイン・シニア中将が乗艦していたが、1944年11月5日、艦橋に零式艦上戦闘機が1機命中、艦橋を損傷し多数の死傷者を出した[35]。マケインは空母ワスプに旗艦を移したが、ワスプもその後の九州沖航空戦において特攻で大破した[36]。 エセックス 正規空母 フィリピン 15 44 1944年11月25日、神風特別攻撃隊第3香取隊の彗星艦爆が命中した。突入直前にエセックス乗組員が撮影した写真に写っていた尾翼の機体番号17により、突入したのは山口義則一飛曹(操縦)酒樹正一飛曹(偵察)の乗機と判明[37]。 ハンコック 正規空母 フィリピン.沖縄(合計2回) 62 73 1945年4月7日、沖縄戦では特攻機と搭載爆弾がハンコックの飛行甲板上から爆発、特攻機の搭載燃料による火災で飛行甲板上の出撃準備中の艦載機16機が炎上、4月9日に戦線離脱したハンコックは、1945年6月末に作戦再開した[38]。 タイコンデロガ 正規空母 台湾沖 143 202 1945年1月21日、艦長のディクシー・キーファー大佐も65か所の傷を負い、腕を複雑骨折する重傷を負いながらも、タイコンデロガの被害の拡大を食い止めるために陣頭指揮を続けた。火災が広まらない様にタイコンデロガの傾斜を恐れず大量に注水を行い、誘爆を防ぐために艦載機を海に投棄し、火災がタイコンデロガに致命的な損傷を与える前に鎮火に成功している。損傷が甚大だったのでタイコンデロガが艦隊に復帰できたのは、沖縄戦の終戦間際の1945年5月となり沖縄戦にはほぼ参加できなかった。タイコンデロガの艦長のキーファー大佐のケガは終戦まで完治せず、1945年11月に軍用機墜落で事故死したがその際も未だ腕を吊ったままだった[39]。 サラトガ 正規空母 硫黄島 123 192 1945年2月21日に海軍第二御楯特別攻撃隊より硫黄島沖にて集中攻撃を受けた。4機の特攻機の体当たりと、撃墜された特攻機の爆弾がサラトガの喫水線と舷側に跳弾して命中、最後に特攻機が投下した800kg爆弾が命中し、合わせて2発の爆弾が命中した。搭載されていた艦載機が次々と誘爆すると共に、艦内の航空燃料にも引火して大破炎上したが辛うじて沈没は逃れた。5月22日に修理は完了し、6月3日に真珠湾へ戻り、再び航空隊の訓練に従事したが、戦後にクロスロード作戦の原爆実験艦となった。 ランドルフ 正規空母 ウルシー 34 125 1945年3月11日、アメリカ軍の前線基地の西カロリン諸島ウルシー環礁へ鹿児島鹿屋基地から神風特攻梓特攻隊の陸上爆撃機「銀河」が長躯突入した。内1機がランドルフに特攻したが、特攻時ランドルフでは格納庫で映画上映中であり、停泊中にもかかわらず多数の死傷者を出した。ウルシーは修理や補給施設の他に、慰安施設やグラウンドや海水浴場まであって兵士が休養できたが、以後は警報が頻繁に発令される様になって兵士も十分に休養が取れなくなった。ランドルフはウルシー泊地で修理され、1945年4月7日その後沖縄戦にも参加し特攻で大破したバンカーヒル、エンタープライズに代り第58任務部隊の旗艦となった。[40] ワスプ 正規空母 室戸沖 101 269 1945年3月、特攻機彗星が突入し、ワスプの格納庫下の居住区で爆発、爆発の衝撃で艦載機の航空燃料が下層甲板に流れ出し、火災が拡大し大損害を被った。1945年4月13日、本土に修理のために回航され復帰は終戦間際の1945年7月にずれこんだ。[41][42][43][44](同艦への命中弾は急降下爆撃によるものという資料もあり。) エンタープライズ 正規空母 沖縄(合計2回) 18 86 1945年5月14日に富安俊助中尉搭乗の零戦がほぼ垂直に前部エレベーターに突入、そのまま5層の甲板を貫通して爆弾は艦の奥深くで爆発した。爆弾が爆発した場所に弾薬や燃料がなく誘爆はしなかったが、破孔ができ大量に浸水し船首が一時3m沈下した。[45] その後、海軍工廠で修理とオーバーホール中に終戦を迎えた。「ビッグE」という称号で呼ばれたり、日本側より6回も沈没と報じられたため「オアフ島の岸壁を走る幽霊」というあだ名が付いたエンタープライズを戦線離脱させ、[46] 米海軍関係者から、エンタープライズに特攻した富安中尉に対して「これまで日本海軍が3年かかってもできなかったことを、たった一人で一瞬の間にやってのけた。」と称賛の言葉が送られている。[47] エンタープライズはその後、復員船として運用された後に解体された。 バンカーヒル 正規空母 沖縄 402 264 1945年5月11日に小川清少尉と安則盛三中尉搭乗の零戦2機が、搭載していた500kg爆弾を投下後に突入。甲板上の艦載機が次々と誘爆し、船体に深刻な損傷を受けて戦線離脱を余儀なくされた。バンカー・ヒルはピュージェット・サウンド海軍工廠で修理を受けた艦船の中では最悪の損傷レベルであり[48]、修理後に復員船として運用された後は退役された。他のエセックス級空母が近代化改装を受け後年まで活躍する中、同型艦のフランクリンと共に近代化改装されることもなく、電子実験のプラットフォームなどに利用された後に解体された。[49] インディファティガブル イギリス軍正規空母 沖縄 27 21 インディファティガブルも含めた沖縄戦従軍のイギリス海軍正規空母は、全艦特攻攻撃で損傷しているが、イギリス海軍の空母は飛行甲板が戦艦並みの3インチ(76.2mm)の装甲板でできており、特攻機を弾き返し致命的な損傷を被らず、応急修理後作戦を再開した[50] しかし、通信装置・レーダーを全て破壊されて本国帰還を余儀なくされ、復帰は終戦間際の1945年7月にずれこんだ。[51] イラストリアス イギリス軍正規空母 沖縄 0 0 フォーミダブル イギリス軍正規空母 沖縄(合計2回) 9 59 飛行甲板のほぼ中央に零戦が命中、飛行甲板上の艦載機11機が炎上し大火災となり、機械室の重要なパイプが切断され一時航行不能となったが、[52] フォーミダブルの飛行甲板自体は大きな凹みと破孔ができ甲板を接合するリベットがあちこちで脱落していただけで、応急処置によりその日の内に航空機の発着が可能にまで回復した。しかし戦後に詳細な調査をした結果、1941年5月26日にドイツ軍の急降下爆撃によるものと特攻による船体全体の損傷の蓄積が想像以上に大きく、根本的な修理には莫大な費用がかかるものと判定され1947年に除籍された[53]。 インドミタブル イギリス軍正規空母 沖縄 0 0 ヴィクトリアス イギリス軍正規空母 沖縄 4 24 ベローウッド 軽空母 フィリピン 92 54 攻撃発進途中で戦闘機8機が緊急発進した直後に特攻機が艦攻が並んでいる飛行甲板上に命中、ベローウッドの飛行甲板上の艦攻と爆弾が次々と誘爆し、残存の艦攻と艦爆26機全部が全損するなど甚大な損害を受けた。ベローウッドはその後修理を受けて九州沖航空戦に参加、特攻時は離艦済みで難を逃れていたベローウッドの戦闘機部隊が、野中五郎大佐率いる第一回桜花神雷部隊を迎撃し、桜花部隊全滅に大きく貢献している[54]。 カボット 軽空母 フィリピン 36 16 艦首に命中、飛行甲板を貫通しカタパルト室を破壊した。艦側面にも大破孔が空き、その大破孔は本艦隣を航行中の護衛艦のアイオワ級戦艦が丸々見えるほどの大きさとなった[55]。 ラングレー 軽空母 台湾沖 0 0 サン・ジャシント 軽空母 沖縄 1 5 バターン 軽空母 沖縄 9 50 スワニー 護衛空母 フィリピン(合計2回) 107 160 植村眞久大尉率いる神風特攻大和隊の零戦1機が、スワニーの雷撃機着艦作業中を狙って高度1,000mから急降下して前部エレベーターに突入、零戦は飛行甲板を貫通し格納庫で爆発した。スワニーは沈没こそ逃れたが、アメリカ軍の被害状況報告書には「本艦設計の際に考慮されていなかった程の甚大な損傷である」と記述されている。[56] サンティー 護衛空母 フィリピン 16 27 機銃を撃ちながら前部飛行甲板に零戦が突入し、飛行甲板上に42㎡の大穴を開けた。殆ど同時に伊号第五十六潜水艦から発射された魚雷が命中したが沈没は免れた[57]。 キトカン・ベイ 護衛空母 フィリピン(合計2回) 18 56 1回目は神風特別攻撃隊敷島隊の零戦が命中したが爆弾が船体を貫通して海上に落下、2回目は陸軍特別攻撃隊精華隊の四式戦「疾風」が命中、爆弾は不発であったが大破。 ホワイト・プレインズ 護衛空母 フィリピン 1 20 カリニン・ベイ 護衛空母 フィリピン 5 55 サマール沖海戦で戦艦の14インチもしくは16インチ砲を含む、戦艦、重巡洋艦の砲撃を約20発被弾後に、神風特別攻撃隊敷島隊の特攻機1機命中、1機至近命中されたが沈没しなかった。甚大な損傷に関わらず、特攻で撃沈されたセント・ローの生存者の救助にあたっている[58]。 マーカス・アイランド 護衛空母 フィリピン 1 1 マニラ・ベイ 護衛空母 フィリピン 22 56 艦橋構造部基部に命中した零戦が甲板を貫通し無線室で爆発、艦載機にも引火して一時は大火災となったが、艦長が昨日特攻による火災で沈没したオマニー・ベイの事例をよく調べ対策を講じており、火災を速やかに消火し、24時間後には航空機の発着が可能になるまで復旧させた[59]。命中した特攻機は本艦水兵が保管していた遺品により 半世紀ぶりに第十八金剛隊丸山隆中尉機と判明した[60]。 サボ・アイランド 護衛空母 フィリピン 0 0 カダシャン・ベイ 護衛空母 フィリピン 29 22 陸軍特別攻撃隊の特攻機が命中、大破。 サラマウア 護衛空母 フィリピン 15 88 陸軍特別攻撃隊精華隊の四式戦「疾風」のうち1機が命中、機体と爆弾は次々と甲板を貫通し最下甲板まで達し、搭載爆弾は機関室で爆発。そのため、サラマウアは操舵、航行不能となり、発生した火災で格納庫も炎上し、甚大な損傷を被ったが沈没は逃れた[61]。 ルンガ・ポイント 護衛空母 硫黄島 0 11 ウェーク・アイランド 護衛空母 沖縄 0 0 ナトマ・ベイ 護衛空母 沖縄 1 4 カーティス 水上機母艦 沖縄 41 28 書籍によっては宇垣纏中将の玉音放送後の特攻の戦果[62] と記述されている事があるが、カーティスが大破したのは1945年6月21日であり、8月15日に出撃した宇垣隊の戦果ではあり得ない。カーティスを大破させたのは同日出撃した陸軍特攻第26振武隊の四式戦「疾風」と思われる[63]。カーティスは真珠湾攻撃の時も蒼龍所属の九九式艦上爆撃機の体当たりを受けている[64]。 セント・ジョージ 水上機母艦 沖縄 3 30 ケネス・ホィッティング 水上機母艦 沖縄 0 5 ルイビル 重巡洋艦 フィリピン・沖縄(合計3回) 45 152 フィリピン戦では第7艦隊・第77.2任務部隊旗艦であったが、特攻攻撃により司令のセオドア・チャンドラー少将が戦死した。また命中したのは神風特攻旭日隊吹野匡中尉と三好精策少尉搭乗の彗星であったことが、ルイビルの元乗組員が持ち帰った破片から判明した[65]。アメリカ本国での修理完了後、1945年5月28日に第3艦隊の幕僚を乗せて沖縄に到着し艦隊に復帰していたが、6月5日に再度特攻機が命中、ボフォース 40mm機関砲の機関砲座と水上機用カタパルトと煙突が破壊され、9名が戦死37名が負傷した。ルイビルは再び修理のために本国に後退し、終戦時も修理中であった[66]。 ミネアポリス 重巡洋艦 フィリピン 0 2 インディアナポリス 重巡洋艦 沖縄 9 20 陸軍特別攻撃隊誠第39飛行隊の一式戦「隼」が命中し大破航行不能、アメリカ本土での修理後に原爆輸送の特殊任務に従事したものの、任務後に回天作戦中の伊58により撃沈された(通常魚雷の雷撃による)。 サセックス イギリス軍重巡洋艦 プーケット 0 0 独立第107教育飛行団第3教育飛行隊の練習機九七式戦闘機3機(イギリス軍はソニアこと九九式襲撃機と誤認)で編成された陸軍特別攻撃隊七生昭道隊が攻撃[67]。対空砲火で撃墜された1機の破片が側面鋼板に衝突して飛行機型の傷を残したが、死傷者は出なかった[68]。他の1機は掃海艦ヴェステルに命中しこれを撃沈、残る1機は護衛空母アミールへの至近弾となった[69]。 オーストラリア オーストラリア軍重巡洋艦 フィリピン(合計5回) 87 120 軽微な損傷を含めると5回(6回という説もあり)の最多の特攻被害艦、一回目は神風特攻隊「ゼロ号」の男こと久納好孚中尉機とも言われている[70]。1回目の命中の際には エミール・デシャニュー艦長とジョン・レイメント副官が戦死している。修理のためにオーストラリア本国に帰還したが、オーストラリアの造船所はイギリス海軍艦艇の修理を優先的に行うこととなっていたので、イギリス本土の造船所に本格的な修理と改装のために回航されて、終戦まで復帰できなかった[71][72]。 デンバー 軽巡洋艦 フィリピン 0 4 モントピリア 軽巡洋艦 フィリピン 0 11 特攻機2機がMk 12 5インチ砲と56口径40mm機銃に命中したが、いずれも爆弾を搭載しておらず、火器を破壊しただけで、深刻な損傷は被らなかった。また爆弾を搭載した2機も突っ込んできたが、1機は空中で爆発、もう1機は附近海面に墜落し、特攻機と爆弾と特攻隊員の遺体を艦上に散乱させただけで終わった[73] ナッシュビル 軽巡洋艦 フィリピン 133 190 特攻攻撃された2か月前まではマッカーサーが旗艦として座乗していた。その後、第78任務部隊司令アーサー・D・ストラーブル少将の旗艦となったが、12月13日に神風特別攻撃隊第二金剛隊の零戦3機および陸軍特別攻撃隊一宇隊の一式戦「隼」1機の攻撃を受け、このうち1機がナッシュビルの後方から突入し、特攻機の航空燃料で大火災が生じた。ストラーブル少将は無事であったが、ナッシュビル艦長、第78任務部隊参謀長、ミンドロ島上陸部隊参謀長、爆撃部隊司令官が戦死している。[74] セントルイス 軽巡洋艦 フィリピン 16 43 陸軍特別攻撃隊八紘隊の一式戦「隼」が命中 コロンビア 軽巡洋艦 フィリピン 37 113 陸軍特別攻撃隊の九九襲または九九軍偵が命中。搭載していた爆弾の爆発による閃光火傷で100名以上が重傷を負った。この後、閃光火傷対策で、アメリカ海軍艦艇の対空砲手の水兵は、肘まで覆う防火手袋をはめ、顔にはグリースを塗って布でカバーするなどの火傷対策をとることとなった[75]。 ビロクシ 軽巡洋艦 沖縄 0 2 命中した特攻機の500kg爆弾が不発で損傷は軽微だった。 バーミングハム 軽巡洋艦 沖縄 51 81 レイテ沖海戦で軽空母プリンストンの爆発に巻き込まれて大破した復帰直後の損害、特攻機は第2砲塔に突入、爆弾は下甲板まで3層の甲板を貫通し炸裂、前部弾薬庫が浸水した[26]。 合計 2,621名 4,041名
駆逐艦以下
[編集]航空特攻
[編集]※修理のために長期離脱したか、人的損失を被った艦船のみ計上。
艦名 艦種 場所 戦死者 負傷者 リドル (輸送駆逐艦) 輸送駆逐艦 フィリピン 36 22 アメン (駆逐艦) 輸送駆逐艦 フィリピン 5 21 アンダーソン (駆逐艦) 駆逐艦 フィリピン 16 20 クラックトン (駆逐艦) 駆逐艦 フィリピン 5 23 コールドウェル (輸送駆逐艦) 輸送駆逐艦 フィリピン 33 40 オーリック 駆逐艦 フィリピン 32 64 ラムソン (DD-367) 駆逐艦 フィリピン 25 54 ヒューズ (駆逐艦) 駆逐艦 フィリピン 14 26 ドレイトン (駆逐艦) 駆逐艦 フィリピン 6 12 マグフォード (駆逐艦) 駆逐艦 フィリピン 8 16 ハラデン (駆逐艦) 駆逐艦 フィリピン 14 24 ガンズヴォート (駆逐艦) 駆逐艦 フィリピン 17 15 アレン・M・サムナー 駆逐艦 フィリピン 14 19 ウォーク 駆逐艦 フィリピン 13 33 ルレー・ウィルソン (護衛駆逐艦) 護衛駆逐艦 フィリピン 6 7 ギリガン (護衛駆逐艦) 護衛駆逐艦 フィリピン 12 13 スタフォード (掃海駆逐艦) 掃海駆逐艦 フィリピン 2 12 アランタ オーストラリア軍駆逐艦 フィリピン 2 4 マドックス 駆逐艦 台湾沖 10 30 ハルゼー・パウエル 駆逐艦 室戸沖 12 29 キンバリー 駆逐艦 沖縄 4 57 オブライエン (DD-725) 駆逐艦 沖縄 50 76 ハワース (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 9 14 マラニー 駆逐艦 沖縄 30 36 ハイマン (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 11 41 ヘインズワース (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 14 20 スタンリー 駆逐艦 沖縄 0 3 ロッドマン (掃海駆逐艦) 掃海駆逐艦 沖縄 16 20 ウエッソン (護衛駆逐艦) 護衛駆逐艦 沖縄 8 23 ベネット (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 7 14 ハンク (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 4 6 キッド 駆逐艦 沖縄 38 55 マンラブ (護衛駆逐艦) 護衛駆逐艦 沖縄 1 10 リドル (護衛駆逐艦) 護衛駆逐艦 沖縄 1 9 ベニオン (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 1 6 ロール (護衛駆逐艦) 護衛駆逐艦 沖縄 21 38 ホワイトハースト (輸送駆逐艦) 輸送駆逐艦 沖縄 37 37 リンゼー (掃海駆逐艦) 掃海駆逐艦 沖縄 52 60 シェイ (掃海駆逐艦) 掃海駆逐艦 沖縄 27 97 シグズピー (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 22 74 ウィルソン (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 5 3 ラフィー 駆逐艦 沖縄 32 71 ブライアント (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 34 33 マクダーマット (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 2 33 ホブソン (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 4 8 ボワーズ (輸送駆逐艦) 輸送駆逐艦 沖縄 48 59 イシャーウッド 駆逐艦 沖縄 42 41 ラルフ・タルボット (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 5 9 ダリー (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 3 33 ヘイゼルウッド 駆逐艦 沖縄 46 36 マコーム (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 7 14 イングラハム (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 15 36 ロウリー (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 2 23 グウィン (掃海駆逐艦) 掃海駆逐艦 沖縄 2 11 ストームズ (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 21 15 オニール (護衛駆逐艦) 護衛駆逐艦 沖縄 2 17 パーディ (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 15 58 ゼラース (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 29 37 バッチ 駆逐艦 沖縄 57 32 ブレイン 駆逐艦 沖縄 66 78 レッドナー (輸送駆逐艦) 輸送駆逐艦 沖縄 3 13 ロイ (護衛駆逐艦) 護衛駆逐艦 沖縄 3 15 ダグラス・H・フォックス (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 9 35 ハロラン (護衛駆逐艦) 護衛駆逐艦 沖縄 3 24 エリソン 掃海駆逐艦 沖縄 1 4 カッシン・ヤング 駆逐艦 沖縄(合計2回) 23 104 ホラス・A・バス (輸送駆逐艦) 輸送駆逐艦 沖縄 1 15 ボリー (駆逐艦) 駆逐艦 沖縄 48 66 テラー (掃海艦) 掃海艦 沖縄 48 123 LSM-23 中型揚陸艦 フィリピン 8 7 LSM(R)-188 中型揚陸艦(ロケット) 沖縄 15 32 LST-700 戦車揚陸艦 フィリピン 4 10 LST-605 戦車揚陸艦 フィリピン 5 11 LST-477 戦車揚陸艦 フィリピン 9 5 LST-912 戦車揚陸艦 フィリピン 4 4 LST-884 戦車揚陸艦 沖縄 24 21 LST-534 戦車揚陸艦 沖縄 3 35 LCT-1075 戦車揚陸艇 フィリピン 2 9 LCS-116 上陸支援艇 沖縄 12 12 LCS-57 上陸支援艇 沖縄 2 6 LCS-88 上陸支援艇 沖縄 7 9 LCS-31 上陸支援艇 沖縄 9 12 LCS-25 上陸支援艇 沖縄 1 8 LCS-119 上陸支援艇 沖縄 26 24 LCS-122 上陸支援艇 沖縄 11 29 LCS-52 上陸支援艇 沖縄 1 10 LCI-70 歩兵揚陸艇 フィリピン 6 9 LCI-90 歩兵揚陸艇 沖縄 1 7 オレステス (魚雷艇補給艦) 魚雷艇補給艦 フィリピン 59 109 アキレス(ドッグ艦) ドッグ艦 フィリピン 33 28 キーオカック (防潜網輸送船) 防潜網輸送船 硫黄島 17 44 コンフォート(病院船) 病院船 沖縄 30 48 ピンクニー (傷病者輸送艦) 傷病者輸送艦 沖縄 35 12 ゼイリン (攻撃輸送艦) 攻撃輸送艦 フィリピン 10 30 ドゥ・ページ (攻撃輸送艦) 攻撃輸送艦 フィリピン 32 157 アケルナル (攻撃輸送艦) 攻撃輸送艦 沖縄 5 41 ヒンズデール (攻撃輸送艦) 攻撃輸送艦 沖縄 16 39 アルパイン (攻撃輸送艦) 攻撃輸送艦 フィリピン・沖縄(合計2回) 21 31 キャラウェイ (攻撃輸送艦) 攻撃輸送艦 沖縄 29 22 グッドヒュー (攻撃輸送艦) 攻撃輸送艦 沖縄 24 119 ヘンライコ (攻撃輸送艦) 攻撃輸送艦 沖縄 49 125 テルフェア (攻撃輸送艦) 攻撃輸送艦 沖縄 1 16 サンドバル (攻撃輸送艦) 攻撃輸送艦 沖縄 8 26 ラグランジ (攻撃輸送艦) 攻撃輸送艦 沖縄 21 89 レオニダス・メリット リバティ型輸送艦 フィリピン(合計2回) 58 33 アレキサンダー・メイジャーズ リバティ型輸送艦 フィリピン 2 15 ウィリアムAコルター リバティ型輸送艦 フィリピン 0 69 マシューPデェディ リバティ型輸送艦 フィリピン 61 104 モリソンRウェイト リバティ型輸送艦 フィリピン 21 43 ジェレミーMデイリー リバティ型輸送艦 フィリピン 106 43 トーマス・ネルソン リバティ型輸送艦 フィリピン 168 88 マーカス・デイリー リバティ型輸送艦 フィリピン 203 49 キールVジョンソン リバティ型輸送艦 フィリピン 130 9 ジルバート・スチュワート リバティ型輸送艦 フィリピン 11 11 アルコア・パイオニア リバティ型輸送艦 フィリピン 6 13 ジャン・デ・フカ リバティ型輸送艦 フィリピン 2 17 ウィリアム・シャロン リバティ型輸送艦 フィリピン 11 11 マリーAリバーモア リバティ型輸送艦 沖縄 11 6 ブラウン・ビクトリー ビクトリー型輸送艦 沖縄 4 16 ウォルター・コルトン リバティ型輸送艦 沖縄 0 76 M・S・チサダネ オランダ軍輸送艦 沖縄 4 9 合計 114隻 2,550名 4,028名
水中特攻(回天)
[編集]損傷日 艦名 艦種 場所 戦死者 負傷者 1945年1月21日 ポンタス・H・ロス[注 8]。 リバティ型輸送艦 ホーランディア 0 0 1945年1月21日 マザマ (弾薬輸送艦) [注 9]。 弾薬輸送艦 ウルシー 8 13 合計 2隻 8名 13名
水上特攻(震洋・マルレ)
[編集]損傷日 艦名 艦種 場所 戦死者 負傷者 1945年1月10日 ウォー・ホーク (攻撃輸送艦) 攻撃輸送艦 フィリピン 61 32 1945年1月9日 イートン 駆逐艦 フィリピン 1 14 1945年1月10日 LST-1028 戦車揚陸艦 フィリピン 0 14 1945年1月10日 LCI-365 歩兵揚陸艇 フィリピン 0 4 1945年2月16日 LCS-27 上陸支援艇 フィリピン 2 23 1945年4月9日 チャールズ・J・バジャー (駆逐艦) [注 10] 駆逐艦 沖縄 0 0 1945年4月9日 スター (攻撃輸送艦) 攻撃輸送艦 沖縄 0 4 1945年4月28日 ボウズメン・ビクトリー ビクトリー型輸送艦 沖縄 0 6 合計 8隻 64名 97名
外部リンク
[編集]- NavSource Naval History
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ジョン・バークの積載弾薬の誘爆による大爆発に巻き込まれ沈没、正式な艦名などの詳細不明
- ^ 5月25日の大破時の負傷者、沈没時には死傷者なし
- ^ 特攻によるイギリス軍唯一の沈没艦
- ^ 特攻によるソビエト連邦軍唯一の沈没艦
- ^ 同日沈んだ2隻の魚雷艇は特攻艇との戦闘中にアメリカ軍駆逐艦の誤射により沈没
- ^ 同日沈んだ3隻の上陸支援艇の合計
- ^ 同日沈んだ輸送駆逐艦バリー、LSM-59と共に練習機白菊による戦果
- ^ 回天が左舷3番船倉に衝突し、直径22cmほどの凹みができた。その後回天は海面上を滑って離れ、側面を回って船首前方右舷寄りに90m離れてから大爆発した。爆発は激しかったが、船体の損傷は軽微であった
- ^ 36m離れた所で回天が至近爆発、その衝撃で艦体に亀裂が入り危うく沈没するとこであったが、5,300トンも搭載していた弾薬が誘爆せず、また3番船倉から後ろが無事であったことにより浮力が残ったため沈没は免れた。修理に半年を要する深刻な損傷であった
- ^ 機関部を破壊され航行不能、曳航された後に座礁した
出典
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