生島五三郎 (地家主)
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生島 五三郎(いくしま ごさぶろう、旧名・竹五郎[1]、1868年2月28日(明治元年2月6日)[1][2] - 没年不明)は、日本の資産家[1][2][3]、兵庫県多額納税者[4][5]、地主・家主[6]。族籍は兵庫県平民[1][3][7]。
経歴
[編集]大阪府人・辻元松五郎の弟[6][8]。生島五郎兵衛の養兄である[6][8]。先代生島みのの養子となり、家督を相続し前名・竹五郎を五三郎と改める[6]。
土地家屋経営、金融業[8]、金銭貸付業[9]を営む。「松屋」と称し、地家主である[6]。
人物
[編集]生島五三郎について、『商工資産信用録 第23回』には「職業・貸金、調査年月・1922年7月、正身身代・G、信用程度・Aa」とある[10]。
『商工資産信用録 第29回』には「職業・貸金、調査年月・1928年2月、正身身代・G、信用程度・Aa」とある[11]。
住所は神戸栄町通[1][2][4]、元町[7]、武庫郡西灘村[5]、灘区岩屋[6]。
家族・親族
[編集]- 生島家
生島家は神戸市草分けの旧家で[6]、俗に「生島金」と称される資産家の分家である[7][8]。
→詳細は「生島五郎兵衛 § 家族・親族」を参照
- 妻・きと(1875年 - ?、兵庫、安国幸右衛門の長女[3][8]、安国幸左衛門の姉[6])
- 長男・五三郎(1896年 - ?、前名・敏治[6]、検事[12])
- 男・軍治[6](1904年 - ?、地主[9])
- 二女(1902年 - ?、芝川栄助の長男栄一の妻)[6]
- 三女(1903年 - ?、生島健兒の妻)[12]
- 四女、五女、六女[3]
- 養子・健兒(1899年 - ?、三和銀行員)[12]
- 孫[6]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』い49頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月1日閲覧。
- ^ a b c 『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』い102頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月6日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第5版』い148頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月11日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第31版』付録 全国多額納税者 兵庫県13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月11日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第35版』付録 全国多額納税者 兵庫県13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第10版 上』イ119頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月11日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』い135頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月11日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第8版』イ92頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月11日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第32版』神戸イ、ヰの部13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月23日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第23回』兵庫県い之部5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月16日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第29回』兵庫県い之部6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月16日閲覧。
- ^ a b c 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第23回』商業興信所、1921 - 1926年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
- 交詢社編『日本紳士録 第32版』交詢社、1928年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第29回』商業興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。