コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

生島五三郎 (地家主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

生島 五三郎(いくしま ごさぶろう、旧名・竹五郎[1]1868年2月28日明治元年2月6日[1][2] - 没年不明)は、日本資産家[1][2][3]、兵庫県多額納税[4][5]地主家主[6]。族籍は兵庫県平民[1][3][7]

経歴

[編集]

大阪府人・辻元松五郎の弟[6][8]。生島五郎兵衛の養兄である[6][8]。先代生島みのの養子となり、家督を相続し前名・竹五郎を五三郎と改める[6]

土地家屋経営、金融業[8]金銭貸付業[9]を営む。「松屋」と称し、地家主である[6]

人物

[編集]

生島五三郎について、『商工資産信用録 第23回』には「職業・貸金、調査年月・1922年7月、正身身代・G、信用程度・Aa」とある[10]

『商工資産信用録 第29回』には「職業・貸金、調査年月・1928年2月、正身身代・G、信用程度・Aa」とある[11]

住所は神戸栄町通[1][2][4]元町[7]、武庫郡西灘村[5]、灘区岩屋[6]

家族・親族

[編集]
生島家

生島家は神戸市草分け旧家[6]、俗に「生島金」と称される資産家の分家である[7][8]

親戚

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』い49頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月1日閲覧。
  2. ^ a b c 『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』い102頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月6日閲覧。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第5版』い148頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月11日閲覧。
  4. ^ a b 『日本紳士録 第31版』付録 全国多額納税者 兵庫県13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月11日閲覧。
  5. ^ a b 『日本紳士録 第35版』付録 全国多額納税者 兵庫県13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月23日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第10版 上』イ119頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月11日閲覧。
  7. ^ a b c 『人事興信録 第7版』い135頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月11日閲覧。
  8. ^ a b c d e f 『人事興信録 第8版』イ92頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月11日閲覧。
  9. ^ a b 『日本紳士録 第32版』神戸イ、ヰの部13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月23日閲覧。
  10. ^ 『商工資産信用録 第23回』兵庫県い之部5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月16日閲覧。
  11. ^ 『商工資産信用録 第29回』兵庫県い之部6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月16日閲覧。
  12. ^ a b c 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月23日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 商業興信所編『商工資産信用録 第23回』商業興信所、1921 - 1926年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第32版』交詢社、1928年。
  • 商業興信所編『商工資産信用録 第29回』商業興信所、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。