田中町 (下関市)
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南部町 | |
---|---|
田中町にある田中絹代ぶんか館。 | |
北緯33度57分36秒 東経130度56分28秒 / 北緯33.96000度 東経130.94111度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 山口県 |
市町村 | 下関市 |
面積 | |
• 合計 | 0.087378 km2 |
人口 (2015年)[1] | |
• 合計 | 589人 |
• 密度 | 6,700人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
750-0008 |
市外局番 | 083 |
ナンバープレート | 下関 |
田中町(たなかまち)は、山口県下関市にある地名。郵便番号は750-0008。当地域の人口は589人(平成27年国勢調査による。)。
地理
[編集]下関市の南部に位置する。北は上田中町、西は名池町、南は南部町、東は赤間町と幸町に隣接する。
歴史
[編集]地名の由来
[編集]広い田があったことから田中という地名になった[2]。
沿革
[編集]- 958年(天徳2年)空也が浄土宗名池山阿弥陀如来東蓮寺を開基[3]。
- 1769年(明和6年)升本善兵衛が九仙山本尊十一面観音法幢寺を開基[3]。
- 1879年(明治12年)
- 1945年(昭和20年)空襲で町はほぼ焼失[2]。
- 1954年(昭和29年)一部が赤間町、幸町となり、関後地村、西之端町、東南部町、唐戸町から一部を編入[2]。
- 1955年(昭和30年)7月30日 福田正義が長周新聞を創刊[4]。
- 1966年(昭和41年)一部が名池町、上田中町3丁目となる[2]。
- 2010年(平成22年)2月13日 田中絹代ぶんか館が開館[4]。
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
田中町 | 全域 | 下関市立名池小学校 | 下関市立名陵中学校 |
経済
[編集]産業
[編集]- 企業
施設
[編集]- 貴布禰神社(祭神は倉稲魂神と高龗神、五穀神社ともいう。)[3]
- 日本キリスト教団下関教会[3]
- 東蓮寺(浄土宗)[3]
- 法幢寺(黄檗宗)[3]
- 下関市立近代先人顕彰館(田中絹代ぶんか館[4])
- 下関市観光政策課・観光施設課・文化振興課[7]
出身・ゆかりのある人物
[編集]- 林芙美子(小説家) - 1903年(明治36年)、貴布禰神社入口の民家で生誕[2]。
- 松本清張(小説家)
- 藤井啓一(弁護士、衆議院議員) - 住所が田中町[8]。
- 藤井五一郎(弁護士、裁判官、公安調査庁初代長官) - 藤井啓一の長男[8]。
脚注
[編集]- ^ a b “人口統計ラボ 山口県下関市”. 2019年10月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g 角川日本地名大辞典編纂委員会、竹内理三『角川日本地名大辞典 35 山口県』角川春樹発行、1988年、530-531頁。
- ^ a b c d e f 下関市市史編集委員会『下関市史・終戦―現在』下関市発行、1989年、649, 675, 687, 698頁頁。
- ^ a b c 下関市市史編集委員会『下関市年表』下関市発行、2011年、180, 220頁頁。
- ^ 下関市立小・中学校の通学区域について(DL元) - PDF(2017年4月1日) 2019年10月6日閲覧。
- ^ “事業拠点”. 山口ヤクルト販売株式会社. 2019年10月6日閲覧。
- ^ “各課のご案内”. 下関市. 2019年10月6日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第6版』ふ6 - 7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月21日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。