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上田中町 (下関市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 山口県 > 下関市 > 上田中町 (下関市)
上田中町
上田中町にある早鞆高等学校
上田中町の位置(山口県内)
上田中町
上田中町
北緯33度57分47秒 東経130度56分13秒 / 北緯33.96306度 東経130.93694度 / 33.96306; 130.93694
日本の旗 日本
都道府県 山口県
市町村 下関市
面積
 • 合計 0.698972 km2
人口
(2015年)[1]
 • 合計 4,823人
 • 密度 6,900人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
750-0009[2]
市外局番 083
ナンバープレート 下関

上田中町(かみたなかまち)は山口県下関市にある地名。郵便番号は750-0009[2]。当地域の人口は2015年の国勢調査によると4823人で、世帯数は2314[1]

地理

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下関市の南部付近に存在する。北東部は貴船町、北部は山の口町、西部は向洋町、南部は丸山町名池町田中町、南東部は幸町と隣接する。

歴史

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沿革

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  • 明治9年(1876年)西之端町出身の人玉江利兵衛が護国寺を開基。のち人玉江利兵衛は善斉院日成と改名し、2代目住職となる[4]
  • 明治13年(1880年)智玄院日諦上人が護国寺を開山[4]
  • 明治19年(1886年)宣教師のG・H・アップルトンが下関バプテスト教会を創始[5]
  • 大正13年(1924年)伊崎町出身の田中真了が願久寺を創建する[6]
  • 昭和7年(1932年)4月、文関尋常小学校開校[7]
  • 昭和22年(1947年)5月1日、下関市立第一中学校開校[8]
  • 昭和26年(1951年)1月1日、下関市立第一中学校が下関市立日新中学校に改称[9]
  • 昭和26年(1951年)早鞆高等学校を上田中町に新築・移転[10]
  • 昭和29年(1954年)上田中町として大字関後地村から分離し、制定される[3]
  • 昭和35年(1960年)家庭裁判所下関支部と簡易裁判所貴船町から移り、設置[3]
  • 昭和41年(1966年)
    上田中町を1~8丁目までに分割[3]
    田中町から市外電話局が、南部町から電報局が転入される[3]
  • 昭和44年(1969年)10月23日に下関図書館(下関市立図書館とは異なる)開館[11]

地域区分の変遷

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  • 昭和41年(1966年)大字関後地村、後田、大坪、田中町から一部を編入[3]

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12]

町丁 番地・号 小学校 中学校
上田中町一丁目 全域 下関市立文関小学校 下関市立日新中学校
上田中町二丁目 全域
上田中町三丁目 全域 下関市立名池小学校 下関市立名陵中学校
上田中町四丁目 全域 下関市立文関小学校 下関市立日新中学校
上田中町五丁目 1番、2番1~10号、6番31~38号、8番1~13号、9~15番、16番1~8号
2番11~21号、3~5番、6番1~30号、7番、8番14~20号、16番9号 下関市立名池小学校 下関市立名陵中学校
上田中町六丁目 全域
上田中町七丁目 1~3番、8~9番、11番16~31号
4~7番、10番、11番1~15号・32~37号、12~14番 下関市立文関小学校 下関市立日新中学校
上田中町八丁目 全域

被害

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1950年代、上田中町では比較的多く火災に見舞われた。1950年には8月だけで2件も起こっており、8月12日に電気通信関連の工事所で七棟が焼失、8月23日に文関小学校で火災が起きた。この2つだけで損害額は約1500万にもなっている[13]。さらにそれ以来も2年毎に、1952年、1954年、1956年、1958年に各1件見られる[14]

施設・史跡

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出身・ゆかりのある人物

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脚注

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  1. ^ a b c 人口統計ラボ 山口県下関市”. 2020年2月8日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号検索 山口県 > 下関市”. 日本郵政. 2020年2月2日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 角川日本地名大辞典編纂委員会、竹内理三『角川日本地名大辞典 35 山口県』角川春樹発行、1988年、281頁頁。 
  4. ^ a b c 下関市市史編集委員会 1989, pp. 691–692.
  5. ^ a b 下関市市史編集委員会 1989, p. 700.
  6. ^ a b 下関市市史編集委員会 1989, p. 683.
  7. ^ 下関市市史編集委員会 2011, p. 152.
  8. ^ 下関市市史編集委員会 2011, p. 169.
  9. ^ 下関市市史編集委員会 2011, p. 175.
  10. ^ 下関市市史編集委員会 2011, p. 172.
  11. ^ 下関市市史編集委員会 2011, p. 193.
  12. ^ 下関市立小・中学校の通学区域について(DL元) - PDF(2017年4月1日) 2020年2月8日閲覧。
  13. ^ 下関市市史編集委員会 1989, p. 907.
  14. ^ 下関市市史編集委員会 1989, pp. 907–910.
  15. ^ 『人事興信録 第38版』あ20頁。
  16. ^ 『大衆人事録 第二十三版 西日本編』な594頁。
  17. ^ a b 『人事興信録 第10版 下』フ44頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月21日閲覧。
  18. ^ 『松本清張研究』第二十一号(北九州市立松本清張記念館)85頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。 
  • 広瀬弘『大衆人事録 第二十三版 西日本編』帝国秘密探偵社、1963年。 
  • 下関市市史編集委員会『下関市史・終戦―現在』下関市発行、1989年。 
  • 下関市市史編集委員会『下関市の年表』下関市発行、2011年。