田村三郎
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たむら さぶろう 田村 三郎 | |
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日本学士院により 公表された肖像写真 | |
生誕 |
群馬県 1917年1月8日 |
死没 | 2015年12月4日(98歳没) |
居住 |
日本 満洲国 |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 農芸化学 |
研究機関 |
大陸科学院 東京帝国大学 東京大学 富山県立技術短期大学 東京農業大学 |
出身校 | 東京帝国大学農学部卒業 |
主な業績 |
微生物の生理活性物質から 化合物を単離し構造を決定 合成新幼若ホルモンを開発し 繭の大型化に成功 筍からジベレリンの一種の 単離に成功 |
主な受賞歴 | 日本学士院賞(1976年) |
プロジェクト:人物伝 |
田村 三郎(たむら さぶろう、1917年1月8日 - 2015年12月4日)は、日本の農芸化学者(生物有機化学)。位階は従三位。勲等は文化勲章。学位は農学博士(東京大学・1954年)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。
満州国大陸科学院での勤務を経て、東京帝国大学農学部副手、東京大学農学部教授、富山県立技術短期大学学長、東京農業大学教授などを歴任した。
来歴
[編集]生い立ち
[編集]1917年(大正6年)1月8日、群馬県生まれ。東京帝国大学農学部農芸化学科卒業。
農芸化学者として
[編集]農芸化学者として生物有機化学を専攻した。昆虫、高山植物、微生物の成長や性に関する生理活性物質の化学構造を決定した。東京大学より名誉教授の称号を贈られた[1]。1989年(平成元年)12月12日、日本学士院会員。1992年(平成4年)文化功労者。1999年(平成11年)文化勲章受章。2015年(平成27年)12月4日死去[2]。叙従三位[3]。
人物
[編集]1956年(昭和31年)に東京大学運動会ア式蹴球部の監督を務めたが、関東2部リーグへと降格させてしまっている[4]。
賞歴
[編集]栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ “故谷川寛三氏らに従三位”. 産経ニュース. (2015年12月25日) 2020年2月11日閲覧。
- ^ 日本学士院ホームページ 物故会員一覧 (50音順) タ行
- ^ 平成28年1月12日官報
- ^ 東京大学基金 寄付者インタビュー第四回:小山 冨士夫様