白根松介
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白根松介 しらね まつすけ | |
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生年月日 | 1886年10月30日 |
出生地 | 日本 東京府(現・東京都) |
没年月日 | 1983年7月28日(96歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法科大学政治学科卒業 |
前職 | 宮内次官 |
現職 | 日本赤十字社常任理事 |
所属政党 | 公正会 |
称号 | 勲一等瑞宝章 |
配偶者 | 白根喜美子 |
親族 |
叔父・河野忠三(奈良県知事) 父・白根専一(貴族院議員) 娘婿・桂広太郎(貴族院議員) 従兄弟・白根竹介(貴族院議員) |
在任期間 | 1945年10月27日 - 1947年5月2日 |
白根 松介(しらね まつすけ、1886年(明治19年)10月30日[1] - 1983年(昭和58年)7月28日[1])は、日本の宮内官僚、政治家、華族。貴族院男爵議員、宮内次官。
経歴
[編集]東京府で内務官僚・白根専一の二男として生まれる[1]。父の死去に伴い1898年(明治31年)7月18日に男爵を襲爵[1][2]。
東京高等師範学校附属中学校、第六高等学校を経て、1911年(明治44年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[1]。同年8月、内務省に入省し神奈川県属となるが、1912年(明治45年)2月、依願免本官[1]。1913年(大正2年)11月、文官高等試験行政科試験に合格[1][3]。
1913年12月、逓信省為替貯金局書記に任官し、1914年(大正3年)7月、宮内省に転じ帝室会計審査官補に就任[1]。以後、大臣官房庶務課長、兼秘書課長、大臣官房総務課長、内匠頭、内蔵頭などを歴任し、1936年(昭和11年)5月、宮内次官に就任し、1945年(昭和20年)6月まで在任した[1]。
1945年10月27日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[4]、公正会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[5]。この間、キリスト教系教育、養護施設等を運営する財団法人聖心愛子会の顧問を務め、1947年(昭和22年)8月13日、昭和天皇が秋田県に行幸(昭和天皇の戦後巡幸)した際に、翌日の行幸先である聖心愛子会秋田支部に関する打ち合わせとして天皇に拝謁している[6]。 その後、日本赤十字社常任理事を務めた[1]。
栄典
[編集]- 勲章
- 外国勲章佩用允許
- 1935年(昭和10年)9月21日 - 満洲帝国:満洲帝国皇帝訪日記念章[9]
親族
[編集]- 妻 白根喜美子(実業家・金塚仙四郎の長女)[2]
- 長女 桂富美子(桂広太郎の妻)[2]
- 次女 伊藤美穂子(伊藤文吉 (男爵)長男・俊夫の妻)[10]
- 叔父 河野忠三(内務官僚)
- 従兄弟 白根竹介(内務官僚)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『日本近現代人物履歴事典』274頁。
- ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成』上巻、765頁。
- ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』207頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、53頁。
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』74頁。
- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、412頁。ISBN 978-4-487-74410-7。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ 『官報』第5107号「叙任及辞令」1944年1月25日。
- ^ 『官報』第2725号「叙任及辞令」1936年2月4日。
- ^ 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇』竹内正浩、実業之日本社, 2017、「伊藤博文」の章
参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
日本の爵位 | ||
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先代 白根専一 |
男爵 白根(専一)家第2代 1898年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |