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白雄山昇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

白雄山 昇(はくゆうざん のぼる、1928年1月5日 - 1997年2月18日[1])は、秋田県秋田市出身で錦島部屋伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は水澤 昇(みずさわ のぼる)。170cm、87kg。得意技は右四つ、下手投げ。最高位は西十両4枚目。

経歴

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1948年5月場所に初土俵。1度も負け越すことなく1951年9月場所に十両昇進。以後37場所連続で在位。幕下に陥落して初日から休場した1960年1月場所に廃業。廃業後は大阪で約18年間電器製品会社勤務の後、1984年5月から3年間、伊勢ノ海部屋のマネージャを務めた。腰の強さを生かした右四つからの下手投げを得意としたが、軽量なので立ち合いに押されたり突っ張られると残すことができずに土俵を割ることが多かった。

主な成績

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  • 通算成績:344勝339敗8休 勝率.504
  • 十両成績:262勝293敗 勝率.472
  • 現役在位:48場所
  • 十両在位:37場所
  • 各段優勝
    • 序二段優勝:1回(1949年1月場所)

場所別成績

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白雄山 昇
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1948年
(昭和23年)
x x 新序
4–1 
x 西序二段29枚目
5–1 
x
1949年
(昭和24年)
東序二段筆頭
優勝
10–2
x 東三段目5枚目
11–4 
x 西幕下16枚目
8–7 
x
1950年
(昭和25年)
東幕下15枚目
10–5 
x 西幕下4枚目
8–7 
x 東幕下4枚目
8–7 
x
1951年
(昭和26年)
東幕下3枚目
8–7 
x 西幕下筆頭
10–5 
x 西十両9枚目
6–9 
x
1952年
(昭和27年)
西十両12枚目
5–10 
x 西十両17枚目
8–7 
x 西十両14枚目
10–5 
x
1953年
(昭和28年)
東十両9枚目
8–7 
西十両9枚目
8–7 
東十両9枚目
8–7 
x 西十両7枚目
8–7 
x
1954年
(昭和29年)
西十両6枚目
6–9 
東十両9枚目
6–9 
東十両13枚目
10–5 
x 西十両7枚目
5–10 
x
1955年
(昭和30年)
東十両14枚目
9–6 
西十両9枚目
8–7 
東十両8枚目
6–9 
x 東十両11枚目
8–7 
x
1956年
(昭和31年)
東十両8枚目
8–7 
西十両4枚目
3–12 
東十両15枚目
10–5 
x 東十両10枚目
7–8 
x
1957年
(昭和32年)
東十両11枚目
6–9 
西十両13枚目
10–5 
西十両6枚目
8–7 
x 西十両5枚目
4–11 
東十両12枚目
7–8 
1958年
(昭和33年)
東十両14枚目
7–8 
西十両15枚目
8–7 
東十両14枚目
8–7 
西十両13枚目
7–8 
東十両15枚目
7–8 
西十両20枚目
9–6 
1959年
(昭和34年)
西十両11枚目
8–7 
東十両8枚目
5–10 
西十両13枚目
7–8 
東十両14枚目
8–7 
西十両11枚目
5–10 
東十両19枚目
1–14 
1960年
(昭和35年)
東幕下8枚目
引退
0–0–8
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

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  • 水澤 登(みずさわ のぼる)1948年5月場所 - 1951年1月場所
  • 白雄山 登(はくゆうざん のぼる)1951年5月場所 - 1960年1月場所

参考文献

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  • 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

出典

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関連項目

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外部リンク

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