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皆川マス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

皆川 マス(みなかわ マス、別表記:マス女[1][2][3]1874年明治7年[4]4月10日[5] - 1960年昭和35年7月8日 [5][6])は、栃木県芳賀郡益子町益子焼の絵付け師:陶画工である[2][3][4][7][8][9]

その益子焼の「山水土瓶」の陶画[10][11][12][13]は、濱田庄司に「自分と益子の縁を結んだ」と言わしめ[14][15]、そして土瓶の絵付けを濱田庄司柳宗悦たち民藝運動家に称賛され[2][16][12]、「無名の工人」[8][12]の代表的人物として有名となった。

生涯

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生い立ち

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1874年明治7年[4]4月10日[5]栃木県真岡市西田井に生まれた[1][6][17]

1884年(明治17年)[4]、10歳の時に益子の「鳥羽絵師」皆川伝次郎の養女となり[6][17][4]、養父から土瓶の絵付けの描き方を文字通り仕込まれた[1][4][6][5]

与えられた手本をただその通りに原本通りに描き写して習得していくものであり、創意や創案といったものは一切無かった[1]

白色の無地の土瓶に墨の筆で何遍も描いては消し、筆順や筆を走らせる方向さえも身に付ける職人芸を身に付け[1]、15歳の頃から独り立ちをし、絵付けの仕事に従事し始めた[5][6]

1887年明治20年)前後の頃は、関東一円や信楽[要曖昧さ回避]の小学校や農家、そして各家庭の昼食時のお茶用に使われていた益子土瓶の全盛期であったため[6][12][18]、最も若い絵付け師として忙しく働いた[1]

絵付け1個につき5文から12-13文というとてつもなく安価な代金で[19] 1日に500から700[12]、簡単な図柄だと1,000から1,200もの土瓶に絵付けを描き上げ[1][5][17]、その生涯ではゆうに400万個もの絵付けを描いたのではないかと推察されている[19][12]

明治40年過ぎぐらいにはマスのような絵付け師が益子にも何人かいたのだが [20]大正に入ると益子の土瓶は下火となり、飴釉を掛ける手法が流行ったこともあり[20]、絵付け師も徐々に減っていったが、マスは最後の一人になるまで細々と絵付けの仕事を続けていった[1][2][6][17] [20]

「無名の工人」

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1924年大正13年)に濱田庄司が益子に移住すると[2][6]、濱田はマスが描く昔からの土瓶絵を、確かな美しさがある芸術であると賞賛し[17]「マスの絵付けの技術を大切にするべきだ」と推奨し紹介した[6][1][9][16][20]

その濱田の主張を聞いた人々は、マスの貴重な絵付けの技術に注目するようになる[1][20]

そして濱田の同志の民藝運動家であった柳宗悦河井寛次郎バーナード・リーチとの親交を深め[21][22]、全国に知られるようになっていった[5]

特に「民藝運動」の主唱者である柳宗悦[20]、皆川マスを「無名の工人」と呼び[注釈 1]、芸術家による個性の表現などではなく「無名の工人」によって描かれたありふれた安ものである益子焼の土瓶陶画にこそ、並々ならぬ美があるとして強く賞賛した[6][23]

1935年昭和10年)、62歳にして栃木県からの推薦により、東京の松坂屋で開催された「日本民窯展」で陶画の絵付けの実演をした[1][17]

栃木の田舎の益子生まれの「マス婆さん」が、東京のデパートという大舞台で大勢の人々の前で気後れもせず絵付けの実演をこなし、益子訛りでの解説も行ったという[1]

1938年昭和13年)にはドイツベルリンで開かれた第一回国際手工芸博覧会に皆川マスが絵付けを施した益子土瓶を出品し、ただ一人の特選となりヒトラー賞を受賞し[注釈 2][1][2][6][5][16][17][24][25]、世界中の手工芸家を驚かせ[19]、ますますに有名になっていった。

戦時中

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太平洋戦争の最中、日本政府の方針として、益子の陶器工場を一つにまとめて規模を縮小させ無駄を省かせようとする動きが起こった。1943年昭和18年[4]にはその政策を実行するために当時の商工大臣であった岸信介[4]が益子に視察にやってきた。

家内工業が多かった益子の陶器製作業者たちは日本政府による企業整備政策から逃れるために、濱田庄司を始めとして益子側の事情を良く説明し説得したことで企業整備から免れる事が出来た。

そしてこの時に岸は、皆川マスの絵付けの実演を見て感銘を受け[17]、「益子陶画」の伝統的を保つようマスを激励し[4]、後にこれを褒め称えた礼状を贈った。マスはこの礼状を生涯の自慢の1つとし、愛蔵したという[26]

また1944年(昭和19年)には、益子を訪れていた棟方志功佐久間藤太郎窯の庭先で、皆川マスの絵付けに観入った。その様子は写真に撮られ、佐久間藤太郎宅で保管された[27]

戦後

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昭和天皇と「御製の歌」

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1947年昭和22年9月2日戦後巡幸を行っていた昭和天皇が益子を訪問し、「栃木県窯業指導所」を訪れた時に濱田庄司による紹介解説のもと[28]、皆川マスによる絵付け実演を見学した[1][5][4][6][9][16][17][19][29][30]

この時に「益子の絵付け婆さん」の妙技に感嘆した昭和天皇は[6][17]予定時間を越えてマスの筆遣いを注視し[31]「その筆はどうやって作るの?」と問い、問われたマスが「手懐けた犬の毛をつまんで素早く切って作る」と答えるなど、様々な会話を交わしたという[32]。そして昭和天皇は後にマスの絵付け技術を賞賛する「御製の歌」を贈った[1][5][4][6][16][19][17][33][12][25]

さえもなき 嫗のゑがく すゑものを 人のめつるも おもしろきかな

この「御製の歌」は後に石碑に彫られ、「栃木県窯業指導所」(現在の「栃木県産業技術センター 窯業技術支援センター」)入り口[34]に建立された[1][17][25][35]

昭和天皇が皆川マスを賞賛し詠った「御製の歌」を刻んだ石碑。「栃木県窯業指導所」(現・「栃木県産業技術支援センター 窯業技術支援センター」)入り口付近に建立されている。
昭和天皇が皆川マスを賞賛し詠った「御製の歌」を刻んだ二つ目の石碑。こちらは濱田庄司揮毫によるもの。「陶芸メッセ・益子」にある旧・濱田庄司邸そばに建立されている[36]

1950年昭和25年5月15日に東京の日本民芸館を皇太后(後に貞明皇后と追号された)が訪問した時も、館長の柳宗悦に強く請われたマスが上京し、絵付け実演を披露し[1][4][16][19][33][37]1950年昭和25年)8月には益子を訪問した内親王(後の上皇明仁)の前でも絵付け実演を披露した[1]

また1954年昭和29年10月18日に益子を訪問した三笠宮崇仁親王が濱田の仕事場を訪れた後、皆川マスと交流し、労われたマスは「わしゃもう死んでもええ」と涙を流し[38]、濱田宅に宿泊した翌19日にも、皆川ヒロの絵付けを視察した後、皆川マス宅を訪れ、紋付き袴で出迎えたマスと歓談し「これでオレは思い残すことはねぇよ」と涙顔のマスに三笠宮は「御元気でね」と声を掛けた[24][39]

また1955年昭和30年11月11日には民芸探求のため益子町を訪れた雍仁親王妃勢津子が濱田を訪ねた後、孫の皆川ヒロの絵付け作業を視察し、皆川マス宅を訪れ歓談し、マスと記念写真を撮影した[24][40]

晩年

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1953年昭和28年11月3日に女性初の栃木県文化功労章を受章した[1][4][16][17][41][42][43]

丈夫な時から孫の皆川ヒロに12、3歳の頃から修行をさせ、山水陶画を伝授した[44]。まだ子どもだったヒロが怠けていると「怠けていると後で後悔するぞ。見ただけでは絵は描けない。後で考えたって絵は描けないからな」と随分叱られたという[44]

80歳になった頃には耳が遠くなり、81歳になると眼底出血で目が悪くなり片目となり[44]、神経痛も酷くなってしまったため、外出が出来なくなり絵付けの仕事もほとんど出来なくなった[1][19]

そして風邪を引くなどして寝たきりになることが多くなった。寝ている部屋には枕元に竹、岩牡丹、門菊、梅、四君子、そして山水画の、マスが習い覚えた陶画の文様が描かれた紙が貼られた屏風を立て[44]、そして部屋の板壁には昭和天皇が詠んだ歌を濱田庄司が揮毫し、その下にマスの山水土瓶の絵を描いた掛け物が掛かっていたという[44]。マスにとって「昭和天皇の御詠」は生涯最上の喜びだったと思われた[44]

1960年昭和35年7月8日、益子の自宅で老衰のため逝去した。享年87歳であった[1][5][6][9][19]

そしてその技法は孫娘の皆川ヒロに引き継がれた[44][1][6][8][17][9][19][45][46]

脚注

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注釈

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  1. ^ 「無名のおばあさん」[12]とも呼ばれた。
  2. ^ 文献や資料によっては表記が「ヒットラー」[4]や「ビットラー」になっているものもある。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『益子の窯と佐久間藤太郎』塚田泰三 著、P82 - 88 「皆川マス女」- 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年1月31日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『たくみ』(7)「全国窯めぐり (2) 益子山水土瓶 」佐久間藤太郞 P4 - 5 - 国立国会図書館デジタルコレクション 2023年5月17日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  3. ^ a b 『たくみ』(15)「益子燒のできるまで―浜田工房にて(6)」島岡達三 P9「益子 皆川マス女の繪つけ」キャプション付き写真掲載 - 国立国会図書館デジタルコレクション 2023年5月18日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『教育月報』4(42)「文化功労章に輝く人々」「皆川マス氏」栃木県教育委員会 P3 - 国立国会図書館デジタルコレクション 2024年4月12日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k 20世紀日本人名事典. “皆川マスとは”. コトバンク. 2022年1月9日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 芳賀,一番ヶ瀬,中嶌,祖田 1993, p. 998.
  7. ^ 『伝統芸術講座』第8巻、「絵付けをする皆川マスさん(栃木県益子)」キャプション付きの写真掲載- 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年2月1日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービス]にて閲覧。
  8. ^ a b c 『新女性』(46)「八十一才の益子燒のおばあさん」土橋畔人 P45 - 国立国会図書館デジタルコレクション 2023年5月18日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  9. ^ a b c d e 島岡達三 1976, p. 111.
  10. ^ 『民藝』 (535) 表紙- 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年2月13日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  11. ^ 『民藝』 (535) 今月号の図版/益子の土瓶と土瓶絵- 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年2月13日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  12. ^ a b c d e f g h 『民藝』 (485) 「民窯の土瓶・作家の土瓶」「16 益子山水土瓶」佐々木潤一、P18 - 国立国会図書館デジタルコレクション2023年4月12日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  13. ^ 『民藝』 (485) 「今月号の図版 民窯の土瓶・作家の土瓶」「16 益子山水土瓶」、P46 - 国立国会図書館デジタルコレクション2023年4月12日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  14. ^ 『浜田庄司作品集』柳宗悦編「解說にかへて」濱田庄司、P14 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年2月1日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  15. ^ 『生きる知恵』 (人生読本 ; 第1集) 「益子がま四十年」浜田庄司、P157 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年2月13日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  16. ^ a b c d e f g 『新・人物風土記』第2巻 P17 - 18 栃木県の巻「絵付の筆七十年の皆川婆さん」- 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年2月1日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  17. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『益子町史』第5巻 (窯業編)「第1編 窯場とその製品」第二章 近世・近現代/第二節 陶器製品と絵付/(二)益子の陶画師と製品/皆川マス、P285, 289 - 298 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年2月13日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  18. ^ 益子|昔の物 今の物|連載・手仕事レポート”. 手仕事フォーラム (2019年4月17日). 2023年4月7日閲覧。
  19. ^ a b c d e f g h i 『民藝』 (92) 「皆川マス女逝く」、P49 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年2月1日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  20. ^ a b c d e f 光芸出版,新装陶工陶談 1994, p. 209-210.
  21. ^ 『民藝』 (535) 「益子の土瓶と皆川マス女」 塚田泰三郎、P2 - 8 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年2月1日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  22. ^ 皆川マス女 バーナード・リーチ作”. 函館市中央図書館所蔵 デジタルアーカイブ. 2024年7月17日閲覧。
  23. ^ 柳宗悦「益子の絵土瓶」水尾比呂志編『柳宗悦民藝紀行』(岩波文庫)所収、岩波書店、1986 、pp.92 - 117(初出は『心』第7巻第1号、生成会、1954)柳宗悦 益子の絵土瓶|青空文庫”. 2023年2月1日閲覧。
  24. ^ a b c 『下野史学』(24)「(五)皆川マス女史」、P56 - 57 - 国立国会図書館デジタルコレクション2023年2月11日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  25. ^ a b c 『歌人・今上天皇』「御歌解説」「地方巡行の御歌」夜久正雄 P140-141 - 国立国会図書館デジタルコレクション 2023年5月19日、 国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  26. ^ 『益子の窯と佐久間藤太郎』塚田泰三 著、P119 - 120 「太平洋戦争中の益子」- 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年2月1日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  27. ^ (財)益子町,横堀聡,上田友美 1976, p. 74,79.
  28. ^ 坂井基樹,竹見洋一郎,則武優,株式会社美術出版社 2011, p. 147.
  29. ^ 『天皇』P124 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年2月1日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧
  30. ^ 天皇裕仁(後・昭和天皇、手前右) 全国巡幸 栃木 益子陶器窯業所で絵付を見学※「1億人の昭和史」(5)|毎日フォトバンク - 毎日新聞社、2023年2月1日閲覧。
  31. ^ 『栃木県警察史』下巻「第九 警衛と警察」昭和二十二年の県内御巡幸、P987 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年2月13日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  32. ^ 『新評 24』(10) 「秘話ドキュメント(第五回)天皇語録」小林吉弥、191 - 192、- 国立国会図書館デジタルコレクション2023年2月12日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  33. ^ a b 『自警』38(3)「二人の老人の話」(一)皆川マス女、斎藤弘、P72 - 75 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年2月1日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  34. ^ 地図 - Google マップ - 窯業技術支援センター
  35. ^ 『旅と郷土の文学碑 全日本文学碑大成』「栃木県」P 144 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年2月1日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  36. ^ 地図 - Google マップ - 昭和天皇御製の碑
  37. ^ 『民藝』 (167)「日本民芸館略年譜」P44 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2023年2月13日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  38. ^ 下野新聞 昭和29年10月19日付「益子焼などご見学 お気軽な三笠宮さま」
  39. ^ 下野新聞 昭和29年10月20日「熱心に陶藝談をメモ 皆川さんに優しいお言葉」
  40. ^ 下野新聞 昭和30年11月12日付「秩父宮妃殿下益子へ 民藝探求に三年前からのご計画」
  41. ^ 『栃木県の教育 昭和28年度版』「第四部 社会敎育」「一一 文化功労者」P231 - 国立国会図書館デジタルコレクション 2023年5月17日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  42. ^ 栃木県文化功労者表彰受章者一覧(昭和24年度~令和2年度)”. 栃木県. 2022年1月9日閲覧。
  43. ^ 栃木県文化協会 2007, p. 293.
  44. ^ a b c d e f g 近藤京嗣,栃木県の民藝 1987, p. 72-75.
  45. ^ 島岡達三 1976, p. 16,90.
  46. ^ 益子の窯元 山水の店 みなかわ|フィルムカメラの命運

参考文献

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  • 島岡達三『日本の陶芸7 益子』保育社〈カラーブックス 375〉、1976年11月5日、152頁。 
  • 近藤京嗣『栃木県の民藝』ふろんてぃあ出版文化事業部〈Namazu books〉、1987年11月20日、72-75頁。 NCID BN12936431国立国会図書館サーチR100000002-I000001932067 
  • 芳賀登,一番ヶ瀬康子,中嶌邦,祖田浩一『日本女性人名辞典』日本図書センター〈初版〉、1993年6月25日、998頁。ISBN 4820571281 
  • 光芸出版編集部 編『新装合本 陶工陶談』株式会社 光芸出版、1994年4月25日、209-210頁。ISBN 4769401035 
  • (財)益子町観光振興公社,横堀聡,上田友美『「益子の棟方志功展」図録』益子町、1999年4月17日、83頁。 
  • 文・青木宏,写真・乾剛『益子・笠間』〈窯別ガイド 日本のやきもの〉2003年12月6日、18頁。ISBN 4473019411 
  • 栃木県文化協会 著、栃木県文化協会栃木県芸術名鑑編集委員会 編『栃木県芸術名鑑 2007 平成十九年版』栃木県文化協会、2007年2月10日、293頁。国立国会図書館サーチR100000002-I000008485466 
  • 坂井基樹,竹見洋一郎,則武優『理想の暮らしを求めて 濱田庄司スタイル』株式会社美術出版社、2011年7月14日、162頁。ISBN 9784568103960 

皆川マス陶画の山水土瓶が記載されている文献

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  • 芸術新潮編集部 著、芸術新潮編集部 編『日本やきもの紀行』株式会社新潮社〈とんぼの本〉、1985年7月25日、106頁。ISBN 9784106019241 :益子焼と笠間焼の情報が混在しているので注意。
  • JTB『やきものの旅 東日本 訪ねてみたい20の窯里』JTB日本交通公社出版事業局〈JTBキャンブックス〉、1993年7月1日、6,99頁。ISBN 4533019862 
  • やきもの愛好会 編『よくわかる やきもの大事典』株式会社 ナツメ社、2008年12月11日、158頁。ISBN 9784816345838 
  • 『民藝の日本 柳宗悦と『手仕事の日本』を旅する』株式会社筑摩書房、2017年9月10日、47頁。ISBN 9784480876256 
  • 仁木正格『わかりやすく、くわしい やきもの入門』株式会社 主婦の友社、2018年12月31日、82頁。ISBN 9784074354658 
  • 陶工房編集部 編『やきものの教科書 基礎知識から陶芸技法・全国産地情報まで』誠文堂新光社〈陶工房BOOKS〉、2020年4月24日、125頁。ISBN 9784416620069 

栃木県大百科事典

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国会図書館デジタルコレクション 個人向けデジタル化資料送信サービス」で閲覧可。

関連項目

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外部リンク

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