岩手県立盛岡商業高等学校
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岩手県立盛岡商業高等学校 | |
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北緯39度41分12.5秒 東経141度8分16.5秒 / 北緯39.686806度 東経141.137917度座標: 北緯39度41分12.5秒 東経141度8分16.5秒 / 北緯39.686806度 東経141.137917度 | |
過去の名称 |
私立盛岡商業學校 公立商業學校 盛岡市立商業学校 岩手県立盛岡商業学校 岩手県立盛岡高等学校商業部 岩手県立盛岡第三高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岩手県 |
学区 | 全県学区 |
校訓 | 至誠・協同・自立 |
設立年月日 | 1913年(大正2年)2月18日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
流通ビジネス科 会計ビジネス科 情報ビジネス科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D103210000129 |
高校コード | 03109H |
所在地 | 〒020-0866 |
岩手県盛岡市本宮2-35-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
岩手県立盛岡商業高等学校(いわてけんりつ もりおかしょうぎょう こうとうがっこう, Iwate Prefectural Morioka Commercial High School)は、岩手県盛岡市に所在する公立の商業高等学校。略称「盛商」(もりしょう)。
概要
[編集]- 同窓会
- 「盛商同窓会」と称している。
沿革
[編集]- 前史
- 1897年(明治30年)- 一戸隆次郎により夜間の「私立盛岡商業学校」が設立される。
- 1899年(明治32年)10月27日 - 移転。
- 1905年(明治38年)- 公立商業学校が設置される。
- 1906年(明治39年)- 廃止される。
- 1909年(明治42年)- 夜間商業学校が復活する。
- 旧制・商業学校時代
- 1913年(大正2年)2月18日 - 文部省により「盛岡市立商業学校」の開校が認可される。(創立年)
- 1922年(大正11年)3月25日 - 修業年限を5ヶ年に変更。
- 1924年(大正13年)2月15日 - 新庄鹿島下に新校舎が完成し移転。
- 1926年(大正15年)3月21日 - 県立移管により、「岩手県立盛岡商業学校」と改称。
- 1935年(昭和10年)3月13日 - 火災により校舎施設の大半を焼失。
- 1936年(昭和11年)1月23日 - 再建新校舎が完成。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
- 商業学校の生徒募集を停止。
- 新制中学校を併設し(名称:岩手県立盛岡商業学校併設中学校、以下・併設中学校)、商業学校1・2年修了者を新制中学2・3年として収容。
- 併設中学校はあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 商業学校3・4年修了者はそのまま商業学校4・5年生として在籍。
- 新制商業高等学校
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により商業学校は廃止され、新制高等学校「岩手県立盛岡商業高等学校」が発足。
- 商業学校卒業生(希望者)を新制高校3年生として、商業学校4年修了者を新制高校2年生として編入。
- 併設中学校卒業生を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は新制高校に継承され(名称:岩手県立盛岡商業高等学校併設中学校)、在校生は1946年(昭和21年)に商業学校へ入学した3年生のみとなる。
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
- 4月1日 - 高校三原則に基づく公立高等学校の再編。
- 県立盛岡第一高等学校(男子校)・盛岡第二高等学校(女子校)と統合され、総合制高等学校「岩手県立盛岡高等学校」が発足。
- 組織は統合されたものの、施設は旧3校の既存の校舎を使用。旧第一高校校舎を上田校舎、旧第二高校校舎を白梅校舎、旧商業高校校舎を商業部とした。
- 県立盛岡第一高等学校(男子校)・盛岡第二高等学校(女子校)と統合され、総合制高等学校「岩手県立盛岡高等学校」が発足。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 3校の統合を解消し、普通科を併設し「岩手県立盛岡第三高等学校」と改称、独立。(現在の岩手県立盛岡第三高等学校とは無関係。)
- 1952年(昭和27年)8月22日 - 普通科を廃止し、「岩手県立盛岡商業高等学校」(現校名)に復称。
- 1962年(昭和37年)8月22日 - 本宮に鉄筋新校舎が完成し移転。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 定時制課程商業科を併設。
- 1966年(昭和41年)4月8日 - 寄宿舎を本宮の旧・岩手県立盛岡第四高等学校跡地を改造し、移転。
- 1968年(昭和43年)
- 1970年(昭和45年)
- 1月30日 - 旧住吉校舎を解体。
- 4月1日 - 事務科と経理科を新設。
- 1971年(昭和46年)3月31日 - 産業振興施設として簿記実習室、事務機械実習室、タイプライティング実習室を増築。定時制課程を廃止。
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 情報処理科を新設。
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)3月31日 - 体育館が完成。
- 1977年(昭和52年)3月31日 - 桜健寮が半焼したため、旧・岩手県立聾学校(現・岩手県立視覚特別支援学校)跡地へ移転。
- 1978年(昭和53年)
- 5月 - 桜健寮を新設。
- 7月1日 - 士魂寮が完成。
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)6月15日 - 合宿所を増設し、シャワー室と食堂が完成。
- 1986年(昭和61年)
- 4月1日 - 商業科を1学級減じ、国際経済科を新設。
- 12月31日 - 産業振興棟(国際経済科実習棟)を新設。
- 1988年(昭和63年)3月31日 - 格技場、新部室が完成。
- 1989年(平成元年)3月~1991年(平成3年)2月 - 校舎の大改修工事を実施。
- 1992年(平成4年)
- 2月 - 第一体育館の壁面を改修。
- 4月 - この時の入学生より男子の制服をブレザーに改定。
- 1993年(平成5年)10月 - 創立80周年を記念し、多目的ホール、ピッチング練習場、弓道場が完成。
- 1994年(平成6年)4月1日 - 経理科を会計科に改変。
- 1995年(平成7年)3月1日 - 下水道切替工事が完成。
- 1998年(平成10年)12月4日 - 給水管工事が完成。
- 1999年(平成11年)12月10日 - 第一体育館の大規模改造工事が完了。
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)11月2日 - グラウンド内に仕切りネットを設置。
- 2002年(平成14年)3月 - いわて教育情報ネットワーク[1] 整備が完了。
- 2004年(平成16年)
- 2006年(平成18年)3月31日 - 商業科、国際経済科、会計科、情報処理科を廃止。
- 2007年(平成19年)1月8日 - 第85回全国高等学校サッカー選手権大会においてサッカー部が岩手県勢としては初優勝。
- 2008年(平成20年)4月1日 - 学科改編を行い、流通ビジネス科(2)、会計ビジネス科(2)、情報ビジネス科(2)の3学科6学級とする。国際ビジネス科の募集を停止。
- 2010年(平成22年)3月31日 - 国際ビジネス科を廃止。
- 2011年(平成23年)
- 2013年(平成25年)2月14日 - 新校舎が完成。
部活動
[編集]- 運動部
- 陸上競技部
- サッカー部 - 県内強豪校であり、第85回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝した。
- 硬式野球部 - 春の選抜に1回・夏の選手権大会には統合時代を含め、甲子園大会に5回出場している。
- 柔道部
- 水泳部
- 卓球部
- 剣道部
- バスケットボール部
- ハンドボール部
- バドミントン部
- ソフトテニス部
- バレーボール部
- 軟式野球部
- ソフトボール部
- 弓道部
- 文化部
アクセス
[編集]- JR、IGRいわて銀河鉄道盛岡駅より岩手県交通バス利用。
- JR仙北町駅より
- 自転車で5分。
- 徒歩10分。
著名な出身者
[編集]- サッカー(卒業年度順)
- 斎藤重信(盛岡商業高等学校サッカー部監督)
- 瀬田竜彦(元日立製作所、元日本代表)
- 吉田暢(元ジェフユナイテッド市原)
- 藤原寿徳(サンフレッチェ広島GKコーチ)
- 平聡(元ベガルタ仙台)
- 岸根邦博(元ブランメル仙台)
- 藤原健恭(元ブランメル仙台)
- 斉藤秀一(元ブランメル仙台)
- 澤口恵二(元ブランメル仙台)
- 根子達也(元横浜FC)
- 中村学(元ベガルタ仙台)
- 松田賢太(元グルージャ盛岡)
- 山本脩斗(鹿島アントラーズ、元日本代表)
- 林勇介(元浦和レッドダイヤモンズ)
- 土井秀徒(元グルージャ盛岡)
- 藤村慶太(ツエーゲン金沢)
- 久保海都(元グルージャ盛岡)
- 谷村憲一(元グルージャ盛岡)
- 野球
- その他スポーツ
- 政治
- その他
脚注
[編集]- ^ いわて教育情報ネットワーク
- ^ アクセス岩手県立盛岡商業高等学校 2023年12月7日閲覧