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相原豊次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
相原 豊次 Portal:陸上競技
選手情報
ラテン文字 Toyoji AIHARA [1][2]
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技短距離走
種目 400m4×400mリレー
大学 中央大学
生年月日 (1914-01-07) 1914年1月7日
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相原 豊次(あいはら とよじ、1914年1月7日[3] - 生没不明)は、日本の陸上競技短距離走)選手。1936年ベルリンオリンピックに出場。

生涯

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中央大学在学中の1936年、ベルリンオリンピックに参加[注釈 1]。男子400m走と男子4×400mリレー(相原豊次・市原正雄窪田博芳張星賢)に出場した[3]

1937年には箱根駅伝第18回)にも出場した[5][6]

大学卒業後、簡易保険に就職。1937年の日本陸上競技選手権大会では、400m走(49秒3)[7]400mハードル(55秒7)[8]の2種目で優勝した。

第二次世界大戦後は、栃木県[注釈 2]から国民体育大会に出場しており、第10回大会(1955年)・第11回大会(1956年)では100m走(40歳以上の部)の2連覇を果たしている[注釈 3]

脚注

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注釈

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  1. ^ 1936年ベルリンオリンピックには、中央大学競走部(現在の中央大学陸上競技部)関係者(OB含む)として村社講平田中秀雄・相原豊次・阿部功が出場している[4]
  2. ^ 1963年に栃木県教育委員会事務局が発行した雑誌『教育月報』 15巻162号に「相原豊次(陸上)(第11回ベルリン大会選手) 」が寄稿している[9]
  3. ^ 第5回大会(1950年)では200m走(40歳以下の部)で5位[10]、第9回大会(1954年)では100m走(40歳以上の部)で2位[11]、第10回大会(1955年)では100m走(40歳以上の部)で優勝(12秒0)[12]、第11回大会(1956年)では100m走(40歳以上の部)で優勝(11秒4)[13]の記録が残っている。

出典

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  1. ^ Japanese Delegation of Athletics Team : Rio de Janeiro 2016」(PDF)、日本陸上競技連盟、2016年、2020年2月20日閲覧 
  2. ^ TOYOJI AIHARA”. IOC. 2020年2月20日閲覧。
  3. ^ a b Toyoyi Aihara Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月24日閲覧。
  4. ^ 中央大学オリンピック・パラリンピックスポーツ年表”. 中央大学. 2023年2月19日閲覧。
  5. ^ 過去の記録 箱根駅伝 1936年~1940年”. 中央大学駅伝応援サイト. 中央大学. 2020年2月20日閲覧。
  6. ^ 選手詳細 相原 豊次”. 箱根駅伝公式サイト. 過去の記録. 2023年2月19日閲覧。
  7. ^ 男子400m”. 過去の優勝者・記録. 日本陸上競技連盟. 2023年2月19日閲覧。
  8. ^ 男子400mH”. 過去の優勝者・記録. 日本陸上競技連盟. 2023年2月19日閲覧。
  9. ^ 教育月報 15(162)”. 国立国会図書館サーチ. 2023年2月19日閲覧。
  10. ^ 国民体育大会記録集, p. 18.
  11. ^ 国民体育大会記録集, p. 42.
  12. ^ 国民体育大会記録集, p. 48.
  13. ^ 国民体育大会記録集, p. 55.

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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