相原豊次
表示
| ||||
---|---|---|---|---|
選手情報 | ||||
ラテン文字 | Toyoji AIHARA [1][2] | |||
国籍 | 日本 | |||
競技 | 陸上競技(短距離走) | |||
種目 | 400m、4×400mリレー | |||
大学 | 中央大学 | |||
生年月日 | 1914年1月7日 | |||
編集 |
相原 豊次(あいはら とよじ、1914年1月7日[3] - 生没不明)は、日本の陸上競技(短距離走)選手。1936年ベルリンオリンピックに出場。
生涯
[編集]中央大学在学中の1936年、ベルリンオリンピックに参加[注釈 1]。男子400m走と男子4×400mリレー(相原豊次・市原正雄・窪田博芳・張星賢)に出場した[3]。
1937年には箱根駅伝(第18回)にも出場した[5][6]。
大学卒業後、簡易保険に就職。1937年の日本陸上競技選手権大会では、400m走(49秒3)[7]・400mハードル(55秒7)[8]の2種目で優勝した。
第二次世界大戦後は、栃木県[注釈 2]から国民体育大会に出場しており、第10回大会(1955年)・第11回大会(1956年)では100m走(40歳以上の部)の2連覇を果たしている[注釈 3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1936年ベルリンオリンピックには、中央大学競走部(現在の中央大学陸上競技部)関係者(OB含む)として村社講平・田中秀雄・相原豊次・阿部功が出場している[4]。
- ^ 1963年に栃木県教育委員会事務局が発行した雑誌『教育月報』 15巻162号に「相原豊次(陸上)(第11回ベルリン大会選手) 」が寄稿している[9]。
- ^ 第5回大会(1950年)では200m走(40歳以下の部)で5位[10]、第9回大会(1954年)では100m走(40歳以上の部)で2位[11]、第10回大会(1955年)では100m走(40歳以上の部)で優勝(12秒0)[12]、第11回大会(1956年)では100m走(40歳以上の部)で優勝(11秒4)[13]の記録が残っている。
出典
[編集]- ^ 「Japanese Delegation of Athletics Team : Rio de Janeiro 2016」(PDF)、日本陸上競技連盟、2016年、2020年2月20日閲覧。
- ^ “TOYOJI AIHARA”. IOC. 2020年2月20日閲覧。
- ^ a b “Toyoyi Aihara Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月24日閲覧。
- ^ “中央大学オリンピック・パラリンピックスポーツ年表”. 中央大学. 2023年2月19日閲覧。
- ^ “過去の記録 箱根駅伝 1936年~1940年”. 中央大学駅伝応援サイト. 中央大学. 2020年2月20日閲覧。
- ^ “選手詳細 相原 豊次”. 箱根駅伝公式サイト. 過去の記録. 2023年2月19日閲覧。
- ^ “男子400m”. 過去の優勝者・記録. 日本陸上競技連盟. 2023年2月19日閲覧。
- ^ “男子400mH”. 過去の優勝者・記録. 日本陸上競技連盟. 2023年2月19日閲覧。
- ^ “教育月報 15(162)”. 国立国会図書館サーチ. 2023年2月19日閲覧。
- ^ 国民体育大会記録集, p. 18.
- ^ 国民体育大会記録集, p. 42.
- ^ 国民体育大会記録集, p. 48.
- ^ 国民体育大会記録集, p. 55.
参考文献
[編集]- 『国民体育大会記録集』日本体育協会、2010? 。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 「相原、豊次」の検索結果 - JOC オリンピック日本代表選手団 記録検索