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友永義治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
友永義治 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム ともなが よしはる
ラテン文字 Yoshiharu Tomonaga
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技 (短距離走)
種目 200m, 400m
生年月日 (1950-02-18) 1950年2月18日(74歳)
出身地 広島県庄原市宮内町
身長 178cm
体重 70kg
成績
オリンピック 400m 2次予選4組6着 (1972年)
地域大会決勝 アジア大会
400m 優勝 (1970年)
4x400mR 優勝 (1970年)
国内大会決勝 日本選手権
200m 優勝 (4回)
400m 優勝 (6回)
自己ベスト
400m 46秒69 (1970年)
獲得メダル
陸上競技
日本の旗 日本
アジア大会
1970 バンコク 400m
1970 バンコク 4×400mR
1974 テヘラン 400m
アジア選手権
1973 マニラ 400m
1973 マニラ 4×100mR
1973 マニラ 4×400mR
1975 ソウル 4×400mR
1975 ソウル 400m
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友永 義治(ともなが よしはる、1950年2月18日 - )は、日本陸上競技選手。日本陸上競技連盟副会長、日本実業団陸上競技連合理事長。

経歴

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広島県庄原市宮内町出身。

1967年、広島県立三次工業高校(現・広島県立三次青陵高校)卒業後、日立に勤務。1969年 - 1974年日本選手権400m6連勝。1972年 - 1975年日本選手権200m4連勝。1970年、第6回アジア競技大会バンコク400mで46秒6の日本新記録で優勝。1972年ミュンヘンオリンピック400mに出場した。

日本実業団陸上競技連合理事長(2007年12月の五島哲会長の急死で一時会長代行兼務)を務め、企業チームの縮小問題や小林祐梨子の実業団大会出場問題などの折衝にあたる。

現在[いつ?]日本陸上競技連盟副会長を務める。

主要大会成績

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  • 備考欄の記録は当時のもの

国際大会

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大会 場所 種目 結果 記録 備考
1970 第6回アジア大会 (en タイ王国の旗 バンコク 400m 優勝 46秒6 日本記録
4x400mR 優勝 3分10秒0 (4走)
1972 第20回オリンピック ドイツの旗 ミュンヘン 400m 2次予選 46秒92
1973 第1回アジア選手権 (en フィリピンの旗 マリキナ 400m 優勝 46秒8
4x100mR 優勝 40秒0 (4走) 日本タイ記録
4x400mR 優勝 3分10秒2 (2走)
1974 第7回アジア大会 (en イランの旗 テヘラン 400m 3位 46秒77
4x400mR 4位 3分10秒5 (4走)
1975 第2回アジア選手権 (en 大韓民国の旗 ソウル 400m 3位 47秒30
4x400mR 2位 3分08秒9 (2走) 日本記録
『日本陸上競技連盟七十年史』参照[1]

日本選手権

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  • 6位以内の成績を収めた大会を記載
大会 種目 結果 記録 備考
1968 第52回日本選手権 400m 5位 49秒3
1969 第53回日本選手権 400m 優勝 47秒7
1970 第54回日本選手権 400m 優勝 47秒6
1971 第55回日本選手権 400m 優勝 47秒5
1972 第56回日本選手権 200m 優勝 21秒3 (+1.2)
400m 優勝 47秒8
1973 第57回日本選手権 200m 優勝 20秒9 (+3.0)
400m 優勝 47秒3
1974 第58回日本選手権 200m 優勝 21秒4 (+0.5)
400m 優勝 47秒1
1975 第59回日本選手権 200m 優勝 21秒36 日本記録
400m 3位 47秒76
1976 第60回日本選手権 400m 2位 47秒90
1979 第63回日本選手権 200m 6位 21秒71 (0.0)
『日本陸上競技連盟七十年史』参照[2]

関連項目

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脚注

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  1. ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「競技会記録 / 国際競技会」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、1061-1123頁。 
  2. ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「競技会記録 / 日本選手権大会」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、869-946頁。 

外部リンク

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