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石沢隆夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石沢 隆夫 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム いしざわ たかお
ラテン文字 Takao Ishizawa
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技 (短距離走)
種目 100m, 200m
大学 早稲田大学
生年月日 1952年
出身地 千葉県[1]
没年月日 2017年7月16日
死没地 千葉県松戸市
身長 183cm[2]
成績
地域大会決勝 アジア大会
200m 2位(1974年
4x100mR 4位(1974年)
国内大会決勝 日本選手権
100m 優勝(1972年)
200m 優勝(1971年)
自己ベスト
100m 10秒1(1973年)
200m 21秒4(1971年)
獲得メダル
陸上競技
日本の旗 日本
アジア大会
1974 テヘラン 200m
アジア選手権
1973 マニラ 4x100mR
1973 マニラ 100m
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石沢 隆夫(いしざわ たかお、1952年[3] - 2017年7月16日)は、千葉県出身の元陸上競技選手。専門は短距離走。男子100mの元日本記録保持者。

経歴

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大学は早稲田大学に進学。1971年に日本選手権男子200mで優勝。翌年の1972年には日本選手権男子100mで優勝し、神野正英の5連覇を阻止した。1973年にはアジア選手権の男子100mで銅メダル、男子4×100mリレーで金メダルを獲得。この大会の男子100m準決勝では10秒1の日本タイ記録をマークしたが、大会事務局は当初「風速計を読み違えた」として追い風参考記録と発表した。しかし、後に正式記録と訂正した[4]。1974年にはアジア大会男子200mで銀メダルを獲得。

大学で競技生活を終え、卒業後は朝日新聞社に入社。陸上の取材のほか、福岡国際マラソン東京国際女子マラソン横浜国際女子マラソンのレースディレクターを務めた[2][5]

朝日新聞社を退社後は、2013年から2015年まで日本陸上競技連盟で理事を務め、総務委員長を歴任した[5][1]

盲腸癌のため、2017年7月16日に千葉県松戸市の病院で亡くなった。65歳没[1]

人物

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現役時代は長髪とヘアバンドがトレードマークだった[5]

主要大会成績

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  • 備考欄の記録は当時のもの

国際大会

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大会 場所 種目 結果 記録 備考
1973 第2回太平洋沿岸5カ国 カナダの旗 トロント 4x100mR 3位 40秒6 (2走)
第7回ユニバーシアード (en ソビエト連邦の旗 モスクワ 100m 8位 10秒68 (0.0)
4x100mR 予選 40秒91 (4走)
第1回アジア選手権 (en フィリピンの旗 マニラ 100m 3位 10秒6 準決勝10秒1:日本タイ記録
4x100mR 優勝 40秒0 (1走)
1974 第7回アジア大会 (en イランの旗 テヘラン 200m 2位 21秒60
4x100mR 4位 40秒53 (2走)
『日本陸上競技連盟七十年史』参照[6]

日本選手権

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  • 6位以内の成績を収めた大会を記載
大会 種目 結果 記録 備考
1969 第53回日本選手権 100m 5位 11秒0 (+0.2)
1970 第54回日本選手権 100m 4位 11秒2 (-1.73)
1971 第55回日本選手権 100m 2位 11秒0 (-1.45)
200m 優勝 21秒9 (+0.75)
1972 第56回日本選手権 100m 優勝 10秒7 (+1.6)
1973 第57回日本選手権 100m 2位 10秒5 (+3.7)
1974 第58回日本選手権 100m 5位 10秒7 (0.0)
『日本陸上競技連盟七十年史』参照[7]

日本記録

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屋外

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種目 記録 年月日 大会 場所 所属 備考
4x100mR 39秒9 1973年5月12日 アジア親善 大韓民国の旗 ソウル 日本代表 2走
4x100mR 39秒9 1973年7月7日 国際競技会 カナダの旗 ビクトリア 日本代表 2走
100m 10秒1 1973年11月21日 アジア選手権 フィリピンの旗 マニラ 早稲田大学
『日本陸上競技連盟八十年史』参照[8]

日本ランキング

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  • 10位以内に入った記録を記載
種目 ランク 記録 所属
1969 100m 4位 10秒6 国府台高等学校
走幅跳 7位 7m48
1970 100m 10位 10秒7 国府台高等学校
1971 100m 1位 10秒4 早稲田大学
200m 2位 21秒4
1972 100m 2位 10秒4 早稲田大学
200m 5位 21秒6
走幅跳 6位 7m61
1973 100m 1位 10秒1 早稲田大学
200m 4位 21秒5
1974 100m 10位 10秒6 早稲田大学
200m 4位 21秒5
走幅跳 5位 7m59
『日本陸上競技連盟七十年史』参照[9]

脚注

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  1. ^ a b c 石沢隆夫氏、盲腸がんのため死去 陸上男子100メートル元日本記録保持者”. サンケイスポーツ (2017年7月19日). 2018年2月10日閲覧。
  2. ^ a b 走る姿、一目で才能発掘 後輩記者が石沢隆夫さん悼む”. 朝日新聞 (2017年7月18日). 2018年2月10日閲覧。
  3. ^ 『現代物故者事典2015~2017』(日外アソシエーツ、2018年)p.44
  4. ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「アジア陸上競技選手権」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、270-273頁。 
  5. ^ a b c 「NEWSフラッシュ」『月刊陸上競技』第51巻第10号、講談社、2017年9月号、146頁。 
  6. ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「競技会記録 / 国際競技会」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、1061-1123頁。 
  7. ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「競技会記録 / 日本選手権大会」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、869-946頁。 
  8. ^ 日本陸上競技連盟八十年史編集委員会「日本記録の変遷」『日本陸上競技連盟八十年史』、ベースボール・マガジン社、2005年10月22日発行、41-60頁。 
  9. ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「年度別日本10傑」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、739-868頁。 
記録
先代
(10秒3)
男子100m
手動計時・日本記録保持者
(10秒1)

1973年11月21日 - 1993年
次代
1993年以降電動計時のみ公認