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相田 (広島市)

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相田町 (広島市)から転送)
日本 > 広島県 > 広島市 > 安佐南区 > 相田相田町
相田
相田の位置(広島県内)
相田
相田
北緯34度28分21.97秒 東経132度26分57.68秒 / 北緯34.4727694度 東経132.4493556度 / 34.4727694; 132.4493556
日本
都道府県 広島県
市町村 広島市
安佐南区
人口
平成25年7月末現在
 • 合計 9,979人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
731-0141(相田1-7丁目)
731-0100(相田町)
市外局番 082
ナンバープレート 広島
※座標は相田2丁目交差点付近

相田(あいた)とは広島県広島市安佐南区に存在する地名である。住居表示実施済みの相田一丁目から七丁目と未実施の相田町(あいたちょう)があり[1]、相田一丁目から七丁目は郵便番号731-0141(安佐南郵便局管区)で人口9,978人、相田町は731-0100(安佐南郵便局管区)で人口1人[2]

地理

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北部は荒谷山、野戸呂山、南は武田山に挟まれ、この南北の山の麓に流れている安川流域一帯で、古の伊福鄕、後の安の庄の一部。武田山の北斜面と安川の南側に位置する。

歴史

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相田は古くは愛田とも書き留められた。上安村の一部であったが天正年間に分村した。

相田村は、江戸期からの村名で、安芸国沼田郡(もと佐東郡)に属する広島藩領で、廃藩置県1888年(明治21年)まで、広島県沼田郡相田村。1889年(明治22年)大合併[3]時、沼田郡大町村、上安村、中須村、高取村、相田村、長楽寺村の6村が合併し沼田郡安村となる。

太平洋戦争後の1955年(昭和30年)に安佐郡古市町と合併し安佐郡安古市町となる。1973年(昭和48年)に、広島市と合併し広島市安古市町。1980年(昭和55年)広島市が政令指定都市に指定され広島市安佐南区相田となる。

文化財

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  • 正伝寺 - 金尾山愛光院と號す。もと佛護寺十二坊のひとつなり、寛和元年985年[4]恵心僧都の高弟の恵空が阿弥陀寺を建てたのが始まりと言われる。弘安元年、時宗に転じ、その後武田信宗菩提所となり光賢寺と號す。明應7年(1499年)に浄土真宗となり、中相田にて相田坊と称し、毛利輝元の代に金山城番衆の一人に数えられており、武田氏時代から武力を持つ勢力であったと推測される。慶長元年現在地に移り、正伝寺と改められた。
  • 正伝寺のクロガネモチ(しょうでんじのくろがねもち) - 県天然記念物1953年(昭和28年)指定。豊臣秀吉朝鮮出兵に従軍した福島正則が苗木を持ちかえって植えたものとされている。
  • 尾越(おごし)城跡 - 中世の山城跡。直下に正伝寺がある。[5]
  • 明休寺 - 浮願山と號す。天正5年正伝寺弟子浮願により開創される。文政5年、正伝寺持地に建立し明休寺と號す。浄土真宗
  • 萩尾山神社 - 1494年武田元綱からの下知状が下り建立されたと言われている。商業・漁業の守護神を祀る。[6]

交通

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バス

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道路

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出身人物

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脚注

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  1. ^ 広島市/住居表示の実施区域と未実施区域(FAQID-2246~2249・2289) 2013年7月29日閲覧。
  2. ^ 2013年7月末現在、住民基本台帳調査による。広島市調べ
  3. ^ 市町村数の変遷と明治・昭和の大合併の特徴
  4. ^ 『郷土資料 安芸武田氏』によると寛和2年986年。また、芸藩通史は武田氏に従って甲斐から来たとの記述もあり。
  5. ^ 財団法人広島市文化財団のホームページに依る。
  6. ^ 安佐南区役所ホームページに拠る。
  7. ^ 『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』129頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月21日閲覧。

参考文献

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  • 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
  • 『郡役所廃止記念 安佐郡誌 (復刻版)』芸備風土研究会、1975年(昭和50年)。
  • 『郷土資料 安芸武田氏』広島市祇園公民館、1980年(昭和55年)。

関連項目

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