相馬哲平 (2代)
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2代相馬 哲平(そうま てっぺい、前名・堅彌[1]、1866年11月12日(慶応2年10月6日)[2] - 1943年(昭和18年)6月11日[3])は、日本の実業家、北海道多額納税者[4][5][6]。函館貯蓄銀行頭取[1][6][7][8]。相馬商店社長[1][5][7][8]。相馬合名会社代表社員[5][6][7][8]。北海道銀行取締役[6][7][8]。
人物
[編集]初代相馬哲平の長男[7][8]。相馬省三の兄[7][8]。先代・哲平は新潟県北蒲原郡乙村大字荒井浜出身で、早くから北海道に渡り、巨財を積み貴族院議員に互選された[5]。1921年、家督を相続し前名・堅彌を改め襲名した[7][8]。金融業を営んだ[6]。
貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[2]。宗教は曹洞宗[6][7][8]。趣味は旅行[6][7][8]。1931年に紺綬褒章を、1942年に同飾版を各賜う[6]。住所は北海道函館市大町[6][7]、同市元町[6]。
家族・親族
[編集]- 相馬家
- 父・初代哲平[1](1833年 - 1921年、北海道多額納税者、貴族院議員、相馬合名代表社員)
- 母・キノ(1834年 - ?、伊賀喜三郎の二女)[5]
- 姉・クワ(1863年 - ?、地家主、百十三銀行、相馬商店取締役各相馬市作の妻、分家)[5]
- 妻・チヨ(1874年 - ?、新潟、丹後直平の妹)[5]
- 養子・確郎[1](1890年 - ?、亀山恭平の弟[8]、地家主[9]、北海道銀行、函館貯蓄銀行各取締役)
- 二男・守之助(1895年 - 1953年 3代哲平)[5][10]
- 三男・元治[5](地家主[9])
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『財界物故傑物伝 上巻』677(ソ23) - 680(ソ26)頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月9日閲覧。
- ^ a b 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』143頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月1日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』昭和18年6月12日朝刊、第4面の葬儀広告より
- ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』附録 全国多額納税者 北海道1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第8版』ソ7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』北海道32頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第13版 上』ソ8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第12版 上』ソ9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月1日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第27版』函館タ、レ、ソ、ツ之部8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月11日閲覧。
- ^ 『47都道府県別日本の地方財閥』 31P 平凡社新書 菊地浩之 著
参考文献
[編集]- 交詢社編『日本紳士録 第27版』交詢社、1922年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 実業之世界社編輯局編『財界物故傑物伝 上巻』実業之世界社、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。