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睡蓮 (モネ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『睡蓮』
: Les Nymphéas
睡蓮
作者クロード・モネ
製作年1915年-1926年
種類キャンバス油彩
寸法198 cm × 596.6 cm (78 in × 234.9 in)
所蔵カーネギー美術館ピッツバーグ[1]フランスパリ
『モネの庭の橋』(w.1419a)1895年 現所在不明 ジヴェルニーの池を題材にしたもっとも初期の作品の一つ
『睡蓮』(w.1501)1897 - 98年 ロサンゼルス・カウンティ美術館 この時期に制作された8点の『睡蓮』のうちの一つ
『睡蓮の池』(w.1516)1899年 ナショナル・ギャラリー (ロンドン) 1899年に制作された「日本風の橋」の連作の一つ
『睡蓮の池、バラ色のハーモニー』(w.1629)1900年 オルセー美術館 1900年に制作された「日本風の橋」の連作の一つ
『睡蓮』(w.1683)1906年 シカゴ美術館 1909年の「水の風景連作」展出品作の一つ
『睡蓮』(w.1706)1907年 DIC川村記念美術館 1907年に描かれた同構図の15点のうちの一つ

睡蓮』 (すいれん、フランス語: Les Nymphéas)は、フランスの画家クロード・モネが、水生植物睡蓮を題材に描いた一連の絵画の総称。モネの代表作の一つである。

『睡蓮』連作の始まり

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(※文中の作品名の後に付した「w.xxxx」の番号は、モネのカタログ・レゾネ(作品総目録)の番号(ウィルデンスタイン番号)である。)

クロード・モネは1870年代以降、アルジャントゥイユヴェトゥイユポワシー(いずれもパリ近郊のセーヌ川沿いに所在)と転居を繰り返した後、1883年からはジヴェルニー(パリから西へ直線距離で65キロ)に居を移し、ここが彼の終の棲家となる。モネがその後半生をかけて取り組んだ『睡蓮』の連作は、ジヴェルニーの自邸に造成した「水の庭」の池とそこに生育する睡蓮をモチーフに制作された[2]

モネは、1883年のある日、列車でジヴェルニーを通りかかった(この鉄道はその後廃止されている)。アクシデントで列車がたまたま停車した場所がジヴェルニーであったとされている。当時住んでいたポワシーで絵のモチーフ探しに苦労していたモネは、ジヴェルニーが気に入り、1883年5月に同地のリンゴ農園の中にある、壁がピンク色の家を借りて転居している。彼は1890年には、それまで借りていたこの家を正式に購入した。さらに1893年にはこの家から道路(前述の廃線になった鉄道の跡)を挟んだ南側の土地1,268平方メートルを買い増し、ここに「水の庭」を造ったのである。この土地の近くには、セーヌ川の支流のエプト川に流れ込むリュ川という小川が流れているが、1893年、モネはこの小川の水を庭へ引き込むための申請をウール県知事に提出している。彼は同年からこの南側の土地に池の造成を始め、1895年にはこの池に「日本風の橋」(太鼓橋)を架けている。なお、モネはこの橋を(日本で見られるような朱塗りではなく)緑色で塗装した。モネがこの池と睡蓮をモチーフにした作品を制作し始めるのは1895年になってからである。1893年に土地を買い増ししてから、池が完成し、睡蓮が根付くまでには2年程度の期間を要したものと考えられている。池畔にはモネの作品のモチーフになった枝垂れ柳や藤が植えられ、バラのアーチも作られた[3]

モネは1890年代に『積みわら』『ポプラ並木』『ルーアン大聖堂』などの連作を制作している。こうした連作は、同一のモチーフを反復して用いながら、季節、天候、時刻などによって微妙に移り変わる光の効果を捉えたものである。「野外制作の画家」のイメージが強いモネであるが、上記の作品群は野外で制作を開始しつつも、細かい仕上げはアトリエで行われた。『睡蓮』の制作は前述のように1895年に開始された。睡蓮をモチーフにした作品でこの年に制作されたものは3点が確認されている。このうちもっとも古い作品とみなされているのは『睡蓮の池、冬』(w.1392)だが、この作品を撮影した写真は白黒のものしか知られていない。1895年に制作された他の2点(w.1419, w.1419a)は池に架けられた日本風の橋を主モチーフとしたもので、2点の構図はほとんど同一である[4]

続いて、1897年から1899年にかけて描かれたとされる『睡蓮』8点がある(w.1501 - 1508)。これら8点の画面からは日本風の橋は姿を消し、池の岸の地面も描かれず、水面と睡蓮のみが描かれている。これら8点は、後に描かれた『睡蓮』の作品群に比べると、比較的写実的なタッチで描かれている。なお、8点のうちw.1503のみは画面のサイズが一回り大きいうえに、タッチも他の作品と異なっていて、制作年について異説もある[5]

以上の初期作に続いて制作されたのは、日本風の橋を中心モチーフとした連作である。このグループに属する作品は「第一連作」と呼ばれ、1899年に12点、1900年に6点が制作されている。1899年作の12点(w.1509 - 1520)は、池の西岸から見た橋を中心に据え、池の水面と睡蓮、岸に生える陸生の植物とそれらの水面への反映などを克明に描いたものである。これら12点は、相互にわずかな違いはあるが、いずれもほぼ同じ、左右相称の構図をとっている。これに対し、1900年作の6点(w.1628 - 1633)は、ほぼ同じ地点から橋を見て描いたものではあるが、画家の視線はやや左方にシフトしており、画面左側に描かれた岸の部分の割合が大きくなっている。1899年の作品のうち9点と1900年の作品のうち3点は、1900年11月 - 12月にパリのデュラン=リュエル画廊で開催された「クロード・モネ近作展」で公開された(この展覧会には『睡蓮』以外の作品も展示された)[6]

「第二連作」

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その後しばらく『睡蓮』の制作は中断し、再開されるのは1903年である。この間、1901年にモネは池の拡張工事にとりかかっている。1903年から1908年にかけての時期に制作された『睡蓮』は80点が確認され、これらは「第二連作」と呼ばれる(w.1654 – 1691, 1694 - 1735)。モネはこの連作を1907年に発表するつもりでいたが、彼自身が作品の出来に納得できなかったため、展覧会の開催は1909年まで延期された。そして1909年5月 - 6月、9年前の展覧会と同じパリのデュラン=リュエル画廊で「睡蓮:水の風景連作」と題した展覧会が開かれ、1903年から1908年にかけて制作した『睡蓮』のうち48点が展示された。この時期の作品からは日本風の橋は姿を消し、水面とそこに映る虚像の樹木や空の反映、実像である睡蓮などが複雑に交錯した画面となっている。池の対岸の地面や、画面上方から垂れ下がる柳の枝などが描き込まれることもあるが、1906年以降は、ほとんどの作品において、画面のすべてを水面が占めるようになってくる。この時期に制作された80点のなかには、さらにいくつかの小シリーズがある。1907年に集中して描かれた縦長画面の連作もその一つである。これらの縦長構図の作品は15点が知られ(w.1703 - 1717)、いずれも日没直前の時間に描かれたと思われるもので、水面の右には柳、左にはポプラの樹影が映り込んでいる。15点の構図はほとんど同一だが、色調は微妙に異なっている[7]

1909年の『睡蓮』展を見た批評家のロジェ・マルクスは、『ガゼット・デ・ボザール』誌に寄稿し、次のようなモネの言葉を紹介している。「彼ら〔=昔の日本人〕のまれに見る趣味の良さはいつも私を魅了してきた。影によって存在を、断片によって全体を暗示するその美学に、私は共感をおぼえる」。モネは日本の浮世絵版画を愛好し、収集もしていた。日本の事物がモネの画面に直接現れることはまれだが(例外としては、着物姿のモネ夫人をモデルに描いた『ラ・ジャポネーズ』(1876年)がある)、構図のとり方、遠近法を排除した画面構成、固有色にとらわれない色使いなどには日本の版画の影響が指摘される。西洋絵画の伝統では、風景は人の視線の高さで眺められ、画中には水平線が設定されて、地上と空とを分けていた。ところが、モネの『睡蓮』連作では池の岸の地面は徐々に描かれなくなり、画面全体を水面が占めるようになる。このような作品は、描かれた画面の外にも水面が続いていることを暗示し、水面に映る虚像が、空や岸辺に生える樹木の存在を暗示する。モネの言う、「影によって存在を、断片によって全体を」暗示するという、西欧絵画の伝統とは一線を画した表現がここにはみられる[8][9]

制作中断と再開

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『花のアーチ、ジヴェルニー』(w.1779)1913年 フェニックス美術館 1913年に制作された同一構図の3点のうちの一つ

1909年から1912年にかけて、『睡蓮』の制作はまたも中断している。1909年には『睡蓮』のみならず、絵画制作自体がほとんど中断していた。これにはいくつかの要因が指摘されている。晩年のモネは白内障に悩まされ続けた。彼が初めて目の不調を感じたのは1908年とされ、1912年には白内障と診断されている。1911年には2番目の妻のアリスが死去し、モネは何事も手につかないほどのショックを受けていた。また1910年1月にはセーヌ川が氾濫して流域に洪水をもたらし、モネの「水の庭」も損害をこうむった。このことも『睡蓮』の制作が中断した要因の一つと考えられている[10]

モネは1913年に『睡蓮』連作の制作を再開するが、この年に描かれたのは、池畔にあるバラのアーチを主モチーフにしたもので、類似した構図の作品が3点知られている(w.1779 - 1781)。モネが『睡蓮』連作の制作を本格的に再開したのは翌1914年である。モネの、友人の美術評論家ギュスターヴ・ジェフロワ宛の1914年4月30日付けの書簡には、彼が自邸の地下室で旧作の『睡蓮』を「再発見」したと記されている。この「再発見」に加え、友人でフランス首相であったジョルジュ・クレマンソーから、モネの画家人生の集大成となる大作の制作を勧められたことによって、モネは『睡蓮』の制作を再開したとされている。ただし、モネは自分の人生について誇張して語る傾向があることが指摘されている。また、1913年11月に雑誌の取材のために撮影されたモネのアトリエの写真には、壁に掛けられた旧作の『睡蓮』(1897 - 1899年頃に描かれたw.1508)が写り込んでいることなどから、「制作意欲をなくしていた画家が、地下室での旧作の発見と、友人クレマンソーの励ましとによって、制作を再開した」という話には、やや誇張が含まれている可能性がある[11]

「大装飾画」

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『睡蓮』(w.1788) 1914 - 17年 サン・フランシスコ、リージョン・オブ・オナー美術館 1914年の本格的制作再開後に制作された作品の一つ
ジヴェルニーのモネ邸の庭
モネ、自邸の「日本風の橋」の前で
モネ(右)とクレマンソー

モネは、19世紀末頃から、一つの部屋を『睡蓮』の巨大なキャンバスで埋めつくした「大装飾画」(Grande décoration)を制作する構想をもっていた。美術評論家モーリス・ギユモは、1897年8月にモネにインタビューを行い、それを翌年3月に発表しているが、このときギユモは、モネが当時制作していた、「大装飾画」の習作である大きなパネルを目にしている。このときギユモが目にしたのは、1897年頃に制作された『睡蓮』の初期作のなかでも、画面サイズの大きいw.1508のような作品であろうと推定されている。モネ自身が「大装飾画」という語を用いたことが確認できるのは、1915年にレーモン・ケクラン(当時のルーヴル友の会会長)に宛てた書簡が初出である[12]

モネは自邸に2つのアトリエをもっていたが、1915年7月には母家の東側に、「第三のアトリエ」と呼ばれる、大画面の制作に適したアトリエを造り始めた。この時期以降に制作された『睡蓮』は、それ以前のものにくらべて画面が大型化している。すでに70歳代になっていたモネであるが、1914年から1919年の間には、画面の長辺が2メートル近い『睡蓮』67点を制作し、同時期に描かれた『アイリス』3点を含めると、計70面もの大画面を制作している(w.1782 - 1830, 1848 - 1865)[12]

モネは『睡蓮』の大壁画を国家に寄贈しようと考え、クレマンソーに、1918年11月12日付けの書簡で、政府への仲介を依頼している。この書簡が書かれた日は、第一次世界大戦におけるドイツと連合国の休戦協定が締結された翌日であり、モネの78歳の誕生日の2日前でもあった。壁画は当初、パリのオテル・ビロン(彫刻家ロダンのアトリエ兼自邸)の敷地に新たなパビリオンを建設して、そこに展示される予定であった。しかし、建築家のルイ・ボニエが設計にあたったこの建物は結局実現することはなかった。財政難のため、1920年にフランスの議会は同パビリオン建設のための予算を否決したのである。計画倒れに終わったこのパビリオンは、直径18.5メートルの円形平面の建物で、その内壁に、横4.25メートルのパネル12枚からなる4つの壁画を飾る予定であった。壁画は円形の室内の西側・南側・東側・北側の順に『雲』(パネル3枚)、『緑の反映』(同2枚)、『アガパンサス』(同3枚)、『三本の柳』(同4枚)という題名が予定されていた。結局、壁画の設置場所は、チュイルリー公園内のオランジュリー館(現オランジュリー美術館)に変更されることとなる。1921年10月、モネはこの変更案を承諾し、1922年4月12日に国家への壁画寄贈の契約書に署名している。オランジュリー館の改修設計には建築家のカミーユ・ルフェーブルがあたった。契約当時81歳のモネは加齢に加え、視力の低下にも悩まされ、1922年9月には絵画制作が不可能なほど視力が低下していた。翌1923年には3度にわたって白内障治療のための手術を受け、同年秋には制作が再開できる程度には視力が回復した[13]

オテル・ビロンに建設が予定されていたパビリオンが円形平面であったのに対し、オランジュリー館の展示室は楕円形のものが2室であり、モネは大幅な計画の変更を迫られた。完成したオランジュリーの壁画は、22枚のパネルで構成される8点の作品で、これらの作品の横の長さは、つなげると91メートルに及ぶ(第1室が40メートル、第2室が51メートル)。モネは1926年12月5日に死去したが、オランジュリーの壁画は彼の生前には公開されず、1927年5月17日にオランジュリー美術館が開館したときに初めて公開された[14]

一つの固定した視点から眺められ、遠近法によって秩序づけられた風景はオランジュリーの壁画にはない。本作品の鑑賞には、展示室内を歩きながら、視点を移動させつつ見るという身体的体験が伴う。こうした、鑑賞者が絵に囲まれ、絵の中に入り込むという発想には、日本の襖絵の影響も指摘されている[15]

モネは、オランジュリーの壁画のために多くの習作を制作するとともに、最終的にはオランジュリーに収蔵されなかった、多くの壁画サイズの画面を制作していた。モネは生前にはこれらの「大装飾画」関連の作品群を決して手放さず、手元に置いていた。20世紀の美術界ではキュビスム、シュルレアリスム、抽象絵画などさまざまな動きがあり、モネは没後30年ほどは過去の巨匠として忘れられた存在であった。このため、「大装飾画」関連の作品群もなかなか買い手が付かず、モネ邸の第三アトリエに劣悪な環境下で保管されていた。例外的にモネの生前に手放されたのは、日本人コレクターの松方幸次郎に1921年から1922年にかけて売却された2点である。このうち、『睡蓮』は紆余曲折を経て、1959年、東京に開館した国立西洋美術館に収蔵・公開された。もう1点の『睡蓮、柳の反映』は、第二次大戦中に疎開先で大きな損傷をこうむり、長年行方不明になっていた。この作品は2016年にルーヴル美術館に保管されていたことが判明し、所有者の松方家から国立西洋美術館に寄贈された[16][17]

1949年にスイスのバーゼルで開催された印象派展がきっかけとなり、1950年代に入ってからモネへの再評価が高まった。画家アンドレ・マッソンはオランジュリーの『睡蓮』を、「印象派のシスティーナ礼拝堂」と呼んだ。抽象表現主義やアンフォルメル、およびそれ以降の美術家たち、具体的にはジャクソン・ポロックマーク・ロスコサム・フランシスといった作家の作品にモネとの類似や影響が指摘されている。現実世界の再現から離れ、絵画を主観的な視覚体験の再現として、あるいは「色彩=光」の実現の場としてとらえる20世紀後半の絵画の潮流に、モネの作品は深い影響を与えた[18][19]

ギャラリー

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「睡蓮」大装飾画

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モネが最晩年に制作した「睡蓮」大装飾画は、テュイルリー公園内のオランジュリー美術館に収められている。

第1室
『日没』200 × 600 cm。
『雲』200 × 1,275 cm。
『緑の反映』200 × 850 cm。
『朝』200 × 1,275 cm。
第2室
『樹木の反映』200 × 850 cm。
『朝の柳』200 × 1,275 cm。
『2本の柳』200 × 1,700 cm。
『明るい朝の柳』200 × 1,275 cm。

市場の評価

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睡蓮の作品自体200点以上もあるため、個々の作品の市場評価は様々である。2014年5月に米国ニューヨークオークションに出品された作品は、2,400万ドル(手数料込み2,700万ドル)の値で落札された[22]

「モネの庭」と「モネの池」

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作品が描かれた池がある家はモネが1883年春から暮らし、フランス北部ジヴェルニーに保存されている。描かれた庭は自然の産物でなく、モネが庭師を雇って整備した。池はセーヌ川支流と水を行き来させて濁りを防ぎ、睡蓮は増えすぎないように鉢植えとした。

日本の高知県安芸郡北川村は、フランス側財団の許可と協力を得て睡蓮の池を再現し、2000年4月19日に「北川村モネの庭マルモッタン公園」を開設した。

豊橋総合動植物公園(愛知県豊橋市)の「モネコーナー」には、ジヴェルニーから譲り受けた睡蓮、しだれ柳、藤が植えられている。このほかにもジヴェルニーから直接・間接的に株分けされた睡蓮が大原美術館(岡山県倉敷市)、愛知大学(名古屋キャンパス)、町立湯河原美術館(神奈川県足柄下郡湯河原町)にある。

「睡蓮」は、それに触発された画家も多い。湯河原美術館に作品館が設けられている平松礼二は睡蓮をテーマとした作品も描き、一部はジヴェルニー印象派美術館にも所蔵されている。大原美術館には福田美蘭「モネの睡蓮」(2002年)がある[23]

日本画家の平松礼二は、オランジュリー美術館で見た『睡蓮』に感動して同じ題材を日本画で描くようになり、それを知ったモネ財団からジヴェルニーの苗を株分けされた。鎌倉の自宅にある鉢で増やした後、軽井沢に持つアトリエの庭に、ジヴェルニーを模して池を作って植えた[24]

また、岐阜県関市板取にある根道神社参道脇の池が、植えられた睡蓮によりモネの絵画のように見えることから「モネの池」と呼ばれるようになり、観光地化している[25]

『睡蓮』作品一覧

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本一覧掲載作品の特定、及び各作品のデータは、安井裕雄『図説モネ「睡蓮」の世界』(創元社、2020)pp.151 - 187による。ただし、1914年以降の作品のうち、「アイリス」「柳」「藤」を主モチーフとしたもの、並びに1918年以降に描かれた「日本の橋」をモチーフとした作品は割愛し、「睡蓮」「睡蓮の池」を主モチーフとした作品に限定した。

材質・技法はすべてキャンバス・油彩。

画像 タイトル カタログレゾネ番号 制作年 サイズ(縦x横cm) 所蔵先 備考
睡蓮の池、冬 w.1392 1895 81×92 スイス、個人蔵
日本の橋、ジヴェルニー w.1419 1895 78.7×97.8 フィラデルフィア美術館
モネの庭の橋 w.1419a 1895 89×92 不明
睡蓮 w.1501 1897 - 98 66×104.1 ロサンゼルス・カウンティ美術館
睡蓮 w.1502 1897 - 99 73×100 ニューヨーク、オハラ・ギャラリー
睡蓮 w.1503 1897 - 99 100×100 個人蔵
睡蓮、夕暮れの効果 w.1504 1897 - 99 73×100 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮 w.1505 1897 - 99 75×100 フランス、個人蔵
睡蓮 w.1506 1897 - 98頃 89×130 鹿児島市立美術館
バラ色の睡蓮 w.1507 1897 - 99 81×100 ローマ、国立近代美術館
睡蓮 w.1508 1897 - 99 130×152 個人蔵
睡蓮と日本の橋 w.1509 1899 90.5×89.7 プリンストン大学美術館
睡蓮の池 w.1510 1899 93×90 アメリカ、個人蔵
睡蓮の池 w.1511 1899 88.6×91.9 ポーラ美術館
睡蓮の池 w.1512 1899 89.2×93.3 フィラデルフィア美術館
白い睡蓮 w.1513 1899 89×93 モスクワ、プーシキン美術館
睡蓮の池 w.1514 1899 89×92 アメリカ、個人蔵
睡蓮の池、緑のハーモニー w.1515 1899 89.5×92.5 オルセー美術館
睡蓮の池 w.1516 1899 88.3×93.1 ナショナル・ギャラリー (ロンドン)
日本の橋 w.1517 1899 81.3×101.6 ナショナル・ギャラリー (ワシントン)
睡蓮の池の上の日本の橋 w.1518 1899 92.7×73.7 メトロポリタン美術館
睡蓮の池 w.1519 1899 不明 不明
睡蓮の橋 w.1520 1899 116×89 カイロ、モハメド・マームード・カリル夫妻美術館
睡蓮の池の上の橋 w.1628 1900 89.8×101 シカゴ美術館
睡蓮の池、バラ色のハーモニー w.1629 1900 90×100.5 オルセー美術館
日本の橋 w.1630 1900 90.2×92.7 ボストン美術館
睡蓮の池、アイリス w.1631 1900 89×92 不明
睡蓮の池、アイリス w.1632 1900 89×100 イギリス、個人蔵
睡蓮の池と池のほとりの小径 w.1633 1900 89×100 アメリカ、個人蔵
池の水面の樹木の反映 w.1654 1903 100×89 個人蔵
睡蓮の池 w.1655 1903 不明 不明
睡蓮の池、水の情景、雲 w.1656 1903 73×100 アメリカ、個人蔵
睡蓮 w.1657 1903 81×100 デイトン美術館
睡蓮 w.1658 1903 81.5×100.5 アーティゾン美術館
睡蓮の池 w.1659 1907 - 08頃 不明 不明
睡蓮 w.1660 1903 73×92 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮 w.1661 1903? 89×100 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮 w.1662 1904 81×100 不明
睡蓮の池 w.1663 1904 不明 不明
睡蓮 w.1664 1904 89.5×93.5 ル・アーヴル、マルロー美術館
睡蓮 w.1665 1904 90×92 個人蔵
睡蓮 w.1666 1904 88×91.4 デンバー美術館
睡蓮 w.1667 1904 90×92 個人蔵
睡蓮の池、橋 w.1668 1905 90×100 個人蔵
睡蓮の池、橋 w.1669 1905 95×100 不明
睡蓮の橋 w.1670 1905 86×100 アメリカ、個人蔵
睡蓮 w.1671 1905 89.5×100.3 ボストン美術館
睡蓮 w.1672 1905 90×100 不明(2012年クリスティーズ出品)
睡蓮 w.1673 1905 90×100 アメリカ、個人蔵
睡蓮 w.1674 1905 90×100 カラカス、個人蔵
睡蓮 w.1675 1905 89×92 アメリカ、個人蔵
睡蓮 w.1676 1905 89×100 不明
睡蓮 w.1677 1905 不明 不明
睡蓮 w.1678 1905 73×105 アメリカ、個人蔵
睡蓮 w.1679 1905 81×100 不明(2015年サザビーズ出品)
睡蓮 w.1680 1905 81.9×101 カーディフ、ウェールズ国立美術館
睡蓮 w.1681 1905 73×105 メキシコ、個人蔵
睡蓮 w.1682 1905 73×100 アメリカ、個人蔵
睡蓮 w.1683 1906 89.9×94.1 シカゴ美術館
睡蓮 w.1684 1906 90×100 不明(2014年サザビーズ出品)
睡蓮 w.1685 1906 81×92 スティーヴン・アンド・アレクサンドラ・コーエン・コレクション
睡蓮 w.1686 1906 90×103 不明(2002年サザビーズ出品)
睡蓮 w.1687 1906 81×100 イギリス、個人蔵
睡蓮 w.1688 1906 81.6×92.7 カーディフ、ウェールズ国立美術館
睡蓮 w.1689 1906頃 73×92.5 大原美術館
睡蓮 w.1690 1907 90×93 大山崎山荘美術館
睡蓮 w.1691 1906 81×92 吉野石膏コレクション(山形美術館寄託)
睡蓮 w.1694 1907 89×130 不明
睡蓮 w.1695 1907 81×100 カイロ、モハメド・マームード・カリル夫妻美術館
睡蓮 w.1696 1907 81×92 ハートフォード、ワズワース・アテネウム
睡蓮 w.1697 1907 96.8×98.4 ボストン美術館
睡蓮 w.1698 1907 93×89 アメリカ、個人蔵
睡蓮 w.1699 1907 93.3×89.2 ポーラ美術館
睡蓮 w.1700 1907 100×90 不明
睡蓮 w.1701 1907 径80.7 サン=テティエンヌ・メトロポール近現代美術館
睡蓮 w.1702 1907 径81 不明
睡蓮 w.1703 1907 92.1×81.2 ヒューストン美術館
睡蓮 w.1704 1907 92×73 不明
睡蓮 w.1705 1907 90.9×72.7 不明
睡蓮 w.1706 1907 92.5×73.5 DIC川村記念美術館
睡蓮 w.1707 1907 100×81 不明(2014年クリスティーズ出品)
睡蓮、曇天 w.1708 1907 100×73 不明
睡蓮 w.1709 1907 106×73 個人蔵
睡蓮の池 w.1710 1907 101.5×72 エルサレム、イスラエル博物館
睡蓮 w.1711 1907 93×82 不明
睡蓮 w.1712 1907 92×73 個人蔵
睡蓮 w.1713 1907 100×81 和泉市久保惣記念美術館
睡蓮 w.1714 1907 100×73 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮の池 w.1715 1907 100.6×73.5 アーティゾン美術館
睡蓮 w.1716 1907 105×73 イェーテボリ美術館
睡蓮、習作 w.1717 1907 105×73 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮、水面の反映 w.1718 1907頃 73×92 不明(1972年盗難)
睡蓮、日没 w.1719 1907頃 73×92 個人蔵
睡蓮の池、習作 w.1720 1907頃 73×107 個人蔵
睡蓮 w.1721 1908 90×92 不明
睡蓮 w.1722 1908 100×100 個人蔵
睡蓮 w.1723 1908 100×100 不明
睡蓮 w.1724 1908 径90 ヴェルノン、アルフォンス=ジョルジュ・プーラン美術館
睡蓮 w.1725 1908 92×81 カリマノビュロス・コレクション
睡蓮 w.1726 1908 100×81 日本、個人蔵
睡蓮 w.1727 1908 90×87 不明(2019年サザビーズ出品)
睡蓮 w.1728 1908 92×89 不明(2005年サザビーズ出品)
睡蓮 w.1729 1908 径80 ダラス美術館
睡蓮 w.1730 1908 100×100 不明
睡蓮 w.1731 1908 101×90 東京富士美術館
睡蓮 w.1732 1908 100.7×81.3 カーディフ、ウェールズ国立美術館
睡蓮 w.1733 1908 94.8×89.9 ウースター美術館
睡蓮 w.1734 1908 86×90 不明
睡蓮 w.1735 1908 100×81 不明(2015年サザビーズ出品)
花のアーチ、ジヴェルニー w.1779 1913 81×92 フェニックス美術館
バラのアーチ、ジヴェルニー w.1780 1913 81×92 不明(2017年サザビーズ出品)
睡蓮の池、バラの木 w.1781 1913 73×100 不明(2015年サザビーズ出品)
睡蓮、水草の反映 w.1782 1914 - 17 130×200 モナコ、ナーマッド・コレクション
睡蓮 w.1783 1914 - 17 130×150 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮 w.1784 1914 - 17 130×200 アメリカ、個人蔵
睡蓮 w.1785 1914 - 17 150×200 アメリカ、個人蔵
睡蓮 w.1786 1914 - 17 130×150 不明
睡蓮 w.1787 1914 - 17 135×145 フランス、個人蔵
睡蓮 w.1788 1914 - 17 166.1×142.2 サン・フランシスコ、リージョン・オブ・オナー美術館
睡蓮 w.1789 1914 - 17 175×135 スイス、個人蔵
花咲く睡蓮 w.1790 1914 - 17 160×180 不明(2018年クリスティーズ出品)
睡蓮 w.1791 1914 - 17 150×200 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮 w.1792 1914 - 17 150×200 不明(2004年サザビーズ出品)
睡蓮 w.1793 1914 - 17 150.5×200 大山崎山荘美術館
睡蓮 w.1794 1914 - 17 131×95 群馬県企業局(群馬県立近代美術館寄託)
睡蓮 w.1795 1914 - 15 160.7×180.7 ポートランド美術館
睡蓮 w.1796 1915 130×153 ノイエ・ピナコテーク
睡蓮 w.1797 1914 - 17 130×153 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮 w.1798 1914 - 17 132×84 不明
睡蓮 w.1799 1914 - 17 170×122 サン・フランシスコ、デデウィルジー・コレクション
睡蓮の池、冬 w.1800 1916 200.5×201 国立西洋美術館
白色と黄色の睡蓮 w.1801 1915 - 17 200×200 ヴィンタートゥール美術館
睡蓮 w.1802 1914 - 17 200×200 大山崎山荘美術館
睡蓮 w.1803 1914 - 17 200×200 個人蔵
黄色い睡蓮とリラ w.1804 1914 - 17 200.7×213.4 オハイオ州、トレド美術館
睡蓮 w.1805 1914 - 17 160×180 フランス、個人蔵
睡蓮 w.1806 1914 - 17 150×165 不明
睡蓮 w.1807 1914 - 17 181×201.6 オーストラリア国立美術館
睡蓮 w.1808 1914 - 17 130×152 大山崎山荘美術館
睡蓮 w.1809 1914 - 17 135×145 アメリカ、個人蔵
睡蓮 w.1810 1914 - 17 180×200 大山崎山荘美術館
睡蓮 w.1811 1914 - 17 200×200 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮 w.1812 1914 - 17 200×200 地中美術館
睡蓮 w.1813 1914 - 17 180×200 ニューヨーク近代美術館旧蔵 1958年焼失
睡蓮 w.1814 1914 - 17 150×200 リーエン(バーゼル近郊)、バイエラー財団
睡蓮 w.1815 1915 - 17 180×205 ケルン、ヴァルラフ・リヒャルツ美術館
睡蓮 w.1816 1914 - 17 180×200 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮 w.1817 1914 - 17 200×213 地中美術館
アガパンサス w.1820 1914 - 17 200×150 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮とアガパンサス w.1821 1914 - 17 140×120 マルモッタン・モネ美術館
アイリスと睡蓮 w.1823 1914 - 17 130×200 パリ、ラロック=グラノフ画廊
枝垂れ柳と睡蓮の池 w.1848 1916 - 19 200×180 マルモッタン・モネ美術館
枝垂れ柳と睡蓮の池 w.1849 1916 - 19 200×180 アメリカ、個人蔵
睡蓮 w.1850 1916 - 19 200×180 マルモッタン・モネ美術館
枝垂れ柳の枝と睡蓮の池 w.1851 1916 - 19 104×180 パリ、リセ・クロード
睡蓮 w.1852 1916 - 19 150×197 マルモッタン・モネ美術館
青い睡蓮 w.1853 1916 - 19 200×200 オルセー美術館
睡蓮 w.1854 1916 - 19 200×180 リーエン(バーゼル近郊)、バイエラー財団
睡蓮 w.1855 1916 - 19 200×180 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮 w.1856 1916 - 19 130×200 リーエン(バーゼル近郊)、バイエラー財団

睡蓮、柳の反映 w.1857 1916 - 19 100×200 地中美術館
睡蓮 w.1858 1916 - 19 130.2×200.7 メトロポリタン美術館
睡蓮、柳の反映 w.1859 1916 - 19 130×157 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮、柳の反映 w.1860 1916 - 19 130×200 不明
睡蓮、柳の反映 w.1861 1916 - 19 130×197.7 北九州市立美術館
睡蓮、柳の反映 w.1862 1915 - 19 200×200 マルモッタン・モネ美術館 
睡蓮 w.1863 1916 - 19 130×200 サン・アントニオ、トービン・シアター・アート財団
睡蓮 w.1864 1916 - 19 130×152 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮 w.1865 1916 - 19 89×130 個人蔵
柳と睡蓮の池の眺め w.1866 1916 - 19 140×150 不明
柳と睡蓮の池の眺め w.1867 1916 - 19 150×130 アメリカ、個人蔵
ジヴェルニーの池の片隅 w.1878 1917 117×83 グルノーブル美術館
睡蓮の池の片隅 w.1879 1918 119.5×88.5 ジュネーヴ、美術歴史博物館
睡蓮の池の片隅 w.1880 1918 - 19 130×88 個人蔵
睡蓮の池の片隅 w.1881 1918 - 19 129×89 不明(2010年クリスティーズ出品[26]
睡蓮の池 w.1882 1918 - 19 73×105 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮の池 w.1883 1917 - 19 131.2×201.3 エッセン、フォルクヴァンク美術館
睡蓮の池 w.1884 1917 - 19 130×200 不明(MOA美術館旧蔵)
睡蓮の池 w.1885 1917 - 19 130×200 個人蔵
ジヴェルニーの睡蓮 w.1886 1917 100.3×200.5 ナント美術館
睡蓮の池 w.1887 1917 - 19 100×200 不明(2018年クリスティーズ出品)
睡蓮の池 w.1888 1917 - 19 130×120 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮の池 w.1889 1917 - 19 130.2×201.9 シカゴ美術館
睡蓮の池 w.1890 1917 - 19 100×200 不明(2008年クリスティーズ出品)
睡蓮 w.1891 1919 101×200 メトロポリタン美術館
睡蓮の池 w.1892 1917 - 19 100×200 不明(2018年サザビーズ出品)
睡蓮の池 w.1893/1 1917 - 19 100×92 テルアビブ美術館
睡蓮の池 w.1893/2 1917 - 19 100×103 不明(2016年サザビーズ出品)
睡蓮の池 w.1894 1919 100×200 ポール・アレン・ファミリー・コレクション
睡蓮 w.1895 1917 - 19 99.7×201 ホノルル美術館
睡蓮の池 w.1896 1917 - 19 100×200 地中美術館
睡蓮の池 w.1897 1917 - 19 100×200 不明(2004年サザビーズ出品)
睡蓮の池 w.1898 1917 - 19 100×200 アメリカ、個人蔵
睡蓮の池 w.1899 1917 - 19 100×200 個人蔵
睡蓮の池 w.1900 1917 - 19 100×200 不明(2001年サザビーズ出品)
睡蓮 w.1901a 1917 - 19 46×56 不明(2015年サザビーズ出品)
明るい睡蓮 w.1901b 1917 - 19 86×90 不明
睡蓮の池 w.1901/2 1917 - 19 97×130 不明(2017年サザビーズ出品)
睡蓮の池 w.1902 1917 - 19 100×300 マルモッタン・モネ美術館
睡蓮の池、黄昏 w.1964, 1965 1916 - 22 2枚組各200×300 チューリッヒ美術館
睡蓮の池 w.1966, 1967 1915 - 26頃 2枚組各200×300 地中美術館



睡蓮の池 w.1968, 1969, 1970 1917 - 20 200.6×300.7(左), 200.7×300.9(中), 200.7×301(右) リーエン(バーゼル近郊)、バイエラー財団 一番上の画像は3枚組の全体図。以下の画像は上から順にw.1968、w.1969、w.1970。
睡蓮、柳の反映 w.1971 1916 199.3×424.4 国立西洋美術館 旧松方コレクション。長年所在不明で、2016年に再発見された作品。第二次世界大戦中、疎開先で画面上半を大きく損傷。左の画像は損傷前のもの。


睡蓮 w.1972, 1973, 1974 1914 - 26 3枚組各200×424.8 ニューヨーク近代美術館 一番上の画像は3枚組の全体図。2番目の画像は展示状況。3番目の画像はw.1972。

睡蓮(アガパンサス) w.1975 1915 - 26 201.3×425.6 クリーヴランド美術館 上の画像はw.1975、w.1976、w.1977の3枚を並べて撮影。下の画像はw.1975。
睡蓮(アガパンサス) w.1976 1915 - 26 200×426.1 セントルイス美術館
睡蓮(アガパンサス) w.1977 1915 - 26 200.7×426.1 カンザス・シティ、ネルソン・アトキンス美術館
睡蓮 w.1978 1916 - 26 200.7×426.7 ナショナル・ギャラリー(ロンドン)
睡蓮の池、緑の反映 w.1979 1920 - 26 200×425 チューリッヒ、ビュールレ・コレクション
アイリスと睡蓮の池 w.1980 1914 - 22 200×600 チューリッヒ美術館
睡蓮 w.1981 1914 - 26 199.5×599 ニューヨーク近代美術館
睡蓮 w.1982 1914 - 26 200×562.6 ニューヨーク近代美術館旧蔵 1958年焼失
睡蓮 w.1983 1915 - 26 198×596.6 ピッツバーグ、カーネギー美術館
本文の画像参照 1915 - 26 3枚組200×1275 オランジュリー美術館 第一室北面
同 上 緑の反映 1915 - 26 2枚組200×850 オランジュリー美術館 第一室東面
同 上 1915 - 26 4枚組200×1275 オランジュリー美術館 第一室南面
同 上 日没 1915 - 26 200×600 オランジュリー美術館 第一室西面
同 上 朝の柳 1915 - 26 3枚組200×1275 オランジュリー美術館 第二室北面
同 上 二本の柳 1915 - 26 4枚組200×1700 オランジュリー美術館 第二室東面
同 上 明るい朝の柳 1915 - 26 3枚組200×1275 オランジュリー美術館 第二室南面
同 上 樹木の反映 1915 - 26 3枚組200×850 オランジュリー美術館 第二室西面

脚注

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注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ (安井、2020)、p.185
  2. ^ (安井、2020)pp.10, 13
  3. ^ (安井、2020)pp.13, 14, 15
  4. ^ (安井、2020)pp.16, 17
  5. ^ (安井、2020)pp.15, 18 - 21
  6. ^ (安井、2020)pp.27, 31
  7. ^ (安井、2020)pp.39 – 41, 54
  8. ^ (高階、2007)p.20
  9. ^ (馬渕、2007)p.26
  10. ^ (安井、2020)pp.61
  11. ^ (安井、2020)pp.61, 62, 77
  12. ^ a b (安井、2020)pp.77, 87
  13. ^ (安井、2020)pp.70, 88, 117
  14. ^ (安井、2020)pp.103
  15. ^ (馬渕、2007)p.32
  16. ^ モネ 幻の「睡蓮」発見 / ルーブル 半分欠損、修復中『読売新聞』朝刊2018年2月27日(社会面)
  17. ^ (安井、2020)pp.78, 88, 114
  18. ^ (安井、2020)pp.146
  19. ^ (南、2007)p.34 - 36
  20. ^ Water LiliesMuseum of Fine Arts, Boston
  21. ^ Water LiliesMuseum of Fine Arts, Boston
  22. ^ “中国人がモネの名画「睡蓮」を2700万ドルで落札、日本のバイヤーも注目 - 中国メディア”. レコードチャイナ (レコードチャイナ). (2014年5月10日). http://topics.jp.msn.com/world/china/article.aspx?articleid=4343166 2014年5月10日閲覧。 
  23. ^ 世界と日本・大図解シリーズ(No.1356)モネの庭東京新聞』朝刊2018年6月3日(別刷り)2018年6月14日閲覧。
  24. ^ 【こころの玉手箱】日本画家 平松礼二(1)/軽井沢に作った「睡蓮の池」モネの庭に日本の自然日本経済新聞』2018年8月20日(夕刊文化面)2019年6月23日閲覧。
  25. ^ モネの池岐阜県観光連盟・ぎふの旅(2018年3月17日閲覧)
  26. ^ モネの「睡蓮」が競売に、予想落札額は最高54億円」『Reuters』2010年6月4日。2022年11月14日閲覧。

参考文献

[編集]
  • セルジュ・ルモワンヌ他編『大回顧展 モネ』(展覧会図録)、読売新聞東京本社発行、2007
    • 高階秀爾「日本から見たモネ」
    • 馬渕明子「モネ=身体と感覚の発見」
    • 南雄介「「モネの遺産」についてのノート」
  • 安井裕雄『図説モネ「睡蓮」の世界』、創元社、2020
  • 東慶太郎「モネの絵画の空間について : 「ポプラ並木」「睡蓮」の連作を中心に,水をモティーフとした作品をめぐって」『愛媛大学教育学部紀要. 第II部、人文・社会科学』第31巻第1号、愛媛大学教育学部、1998年9月20日、51-66頁、NAID 110000116610 
  • 木村英憲「表現の探求を促す実技指導の試み : モネ《睡蓮》の変遷の鑑賞との連携」『美術教育学:美術科教育学会誌』第31巻第0号、美術科教育学会、2010年、199-210頁、doi:10.24455/aaej.31.0_199 

外部リンク

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