キャピュシーヌ大通り (モネ)
フランス語: Le Boulevard des Capucines | |
作者 | クロード・モネ |
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製作年 | 1873年 - 1874年 |
カタログ | W293 |
種類 | 油彩、キャンバス |
寸法 | 80.3 cm × 60.3 cm (31.6 in × 23.7 in) |
状態 | 非展示 |
所蔵 | ネルソン・アトキンス美術館[1]、 アメリカ合衆国 ミズーリ州カンザスシティ |
登録 | F72-35 |
フランス語: Le Boulevard des Capucines | |
作者 | クロード・モネ |
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製作年 | 1873年 |
カタログ | W292 |
種類 | 油彩、キャンバス |
寸法 | 61 cm × 80 cm (24 in × 31 in) |
所蔵 | プーシキン美術館[2]、 ロシア モスクワ |
登録 | Ж-3397 |
『キャピュシーヌ大通り』(キャピュシーヌおおどおり、Le Boulevard des Capucines)は、印象派の画家クロード・モネが1873年から1874年にかけて制作した油彩画。
現在ネルソン・アトキンス美術館に収蔵されているものと、プーシキン美術館に収蔵されているものの2つがある。
制作
[編集]モネは、1873年、パリのキャピュシーヌ大通り35番地にある写真家ナダールのスタジオの窓から、大通りの喧騒を観察した[3]。ナダールは、この年、キャピュシーヌ大通りからアンジュー街にスタジオを移しており、モネは、ナダールの許可を得て旧スタジオを借り受けて『キャピュシーヌ大通り』を制作した[4]。
大通りを行き交う群衆の姿は、黒い単純な筆触で描かれている。モネが表現しようとしたものは、個々の人物ではなく、無数の人々が行き交う大通りの活気であった。ラフな筆触を残すことによって、画家の手の動きも伝えられる[5]。
プーシキン美術館作品の右端には、通りを見下ろしている2人の男性の姿が描かれているが、画面右端で切り取られており、トリミングの手法が用いられている。これは、画面が、大通りを垣間見た「偶然的なもの」であることを意味する[6]。
発表
[編集]1874年4月15日から、モネを中心とする画家たちが設立した画家、彫刻家、版画家等の芸術家の共同出資会社が、同じキャピュシーヌ大通り35番地のアトリエで「第1回展覧会」を開催した。後に「第1回印象派展」と呼ばれることになる展覧会である[7]。
モネは、この第1回印象派展に、『印象・日の出』など他の作品とともに、『キャピュシーヌ大通り』を出品した。もっとも、2作の『キャピュシーヌ大通り』のうち、どちらの作品が展示されたかは論争がある。O. ReuterswärdとCh. Sterlingは、プーシキン美術館作品であるとするのに対し、ジョン・リウォルドは、ネルソン・アトキンス美術館作品であるとしている[8]。
展覧会に来た観客は、会場の窓から見えるキャピュシーヌ大通りの光景と、モネの絵とを見比べるように仕組まれていたといえる[9]。
評価
[編集]ルイ・ルロワは、『ル・シャリヴァリ』紙に掲載した「印象派の展覧会」[10]と題する風刺記事(1874年4月25日)で、『キャピュシーヌ大通り』について、登場人物に「画面の下の方の、まるで黒いよだれのような、無数の縦長のものは一体何なのだ」と酷評させている。ルイ・ルロワが依拠するアカデミズム絵画の立場からすれば、人体表現は絵画の基本であり、丁寧な仕上げがされていないラフな描き方は非難の対象であった[5]。
一方、エルネスト・シェノーは、『パリ・ジュルナル』紙(1874年5月7日)で、「これまでこの素晴らしい『キャピュシーヌ大通り』ほど、埃と光の中のおびただしい数の群衆の動き、道路の上の馬車と人々の雑踏、大通りの木々の揺れ、つまりとらえがたいもの、移ろいやすいもの、すなわち運動の瞬間なるものが、その流れ去る性質のままに描き留められたことはかつてなかった。」と、肯定的に評価した。これは、シャルル・ボードレールのモデルニテの考えに基づく評価と考えられる[5][11]。
来歴
[編集]プーシキン美術館作品
[編集]プーシキン美術館作品の来歴は次のとおり[8]。
- 1883年 - ジャン=バティスト・フォール蔵(パリ)
- 1907年 - ポール・デュラン=リュエル蔵(パリ)
- 同年、モロゾフ家蔵(モスクワ)
- 1918年 - 新西洋絵画第2美術館(モスクワ)
- 1928年 - 現代西洋美術館(モスクワ)
- 1948年 - プーシキン美術館(モスクワ)
脚注
[編集]- ^ “Boulevard des Capucines by Claude Monet.”. The Nelson-Atkins Museum of Art. 2017年2月19日閲覧。
- ^ “Бульвар Капуцинок в Париже”. Pushkin State Museum of Fine Arts. 2017年2月19日閲覧。
- ^ パタン (1997: 60)。
- ^ 吉川 (2010: 198)。
- ^ a b c 六人部 (2001: 44)。
- ^ 六人部 (2001: 44-45)。
- ^ 島田 (2009: 74-77)。
- ^ a b Brodskaya, Nathalia (2011). Claude Monet. Parkstone International. p. 62. ISBN 978-1-78042-297-8
- ^ 吉川 (2010: 199)。
- ^ ウィキソースには、印象派の展覧会の日本語訳があります。
- ^ パタン (1997: 61)。
参考文献
[編集]- 島田紀夫『印象派の挑戦――モネ、ルノワール、ドガたちの友情と闘い』小学館、2009年。ISBN 978-4-09-682021-6。
- シルヴィ・パタン『モネ――印象派の誕生』渡辺隆司・村上伸子訳、高階秀爾監修、創元社〈「知の再発見」双書〉、1997年(原著1991年)。ISBN 4-422-21127-7。
- 六人部昭典『モネ――《睡蓮》への歩み』六耀社〈RIKUYOSHA ART VIEW〉、2001年。ISBN 978-4-89737-389-8。
- 吉川節子『印象派の誕生――マネとモネ』中央公論新社〈中公新書〉、2010年。ISBN 978-4-12-102052-9。