矢橋浩吉
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やばし こうきち 矢橋 浩吉 | |
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生誕 |
亀山 浩吉 1919年3月15日 日本 |
死没 | 2016年10月6日(97歳没) |
死因 | 心不全 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 名古屋高等商業学校 |
活動期間 | 20世紀 |
活動拠点 | 日本 |
肩書き | 揖斐川電気工業社長 |
親 | 亀山恭平(父) |
親戚 | 相馬確郎(叔父) |
矢橋 浩吉(やばし こうきち、1919年3月15日[1] - 2016年10月6日[2])は、昭和期の実業家。元揖斐川電気工業(現・イビデン)社長[3]。愛知県名古屋市出身。旧制名古屋高等商業学校卒。
旧姓は亀山[4]。父・亀山恭平、母・正子の三男[5][6]。時期は不明だが、矢橋家(大垣市赤坂町の県内屈指の旧家[7][8])に婿入りしている。
在任中はプリント配線板、セラミックスといった事業を育て、今日のイビデンの主力事業の礎を築いた。その一方、オイルショック等の影響で業績が悪化したため、1976年に緊急合理化対策を発表し、大量の人員整理等を行った。さらに事業の分社化を行い、イビデン電子工業、イビデングラファイト、イビデン計算センター(現・タック)、イビデン興産)などを設立した。
経歴
[編集]- 1946年 - 揖斐川電気工業(現・イビデン)入社。
- 1951年 - 取締役就任。
- 1969年 - 常務取締役就任。
- 1973年 - 社長の須崎潔が在任中の8月15日に死去したことにより、9月12日に代表取締役社長に就任。
- 1981年6月 - 常務取締役会長に就任。
- 1991年6月 - 相談役就任。
- 1991年12月 - 大垣市固定資産評価審査委員会委員に選任される[9]。
- 2016年10月6日 - 心不全により死去。97歳没。
栄典
[編集](出典[10])
脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典2015~2017』(日外アソシエーツ、2018年)p.609
- ^ イビデン株式会社 PRESS RELEASE
- ^ “矢橋家 (岐阜県) : 閨閥学”. keibatugaku.seesaa.net. 2018年10月4日閲覧。
- ^ 『人事興信録』第37版、1993年2月発行
- ^ 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』岐阜7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。
- ^ 矢橋家(矢橋大理石社長・矢橋修太郎の家系図)
- ^ 岐阜財界人列伝さ 矢橋家の人々 岐阜新聞、2013年8月20日
- ^ 関ケ原の機器メーカー、敷地にアートな「人間村」 岐阜|朝日新聞 DIGITAL 2022年5月閲覧
- ^ 大垣市議会 1991-12-06 平成3年第4回定例会(第1日)本文 1991-12-06
- ^ イビデン株式会社 元社長 矢橋浩吉氏 死去|JPubb
参考文献
[編集]- 『イビデン70年史』イビデン株式会社社史編集室編、イビデン、1982年。
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