石井眞木
いしい まき 石井 眞木 | |
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生誕 |
1936年5月28日 日本・東京府 |
死没 |
2003年4月8日(66歳没) 日本・千葉県柏市 |
学歴 | 国立ベルリン音楽大学 |
ジャンル | クラシック |
職業 | 作曲家、指揮者 |
活動期間 | 1962年 - 2002年 |
石井 眞木(いしい まき、1936年5月28日 - 2003年4月8日)は、日本の作曲家、指揮者[1]。東京府出身。父は舞踊家の石井漠、同じく作曲家の石井歓は兄、石井五郎は叔父[1]。
略歴
[編集]幼少より、父の舞踊音楽を担当した縁で伊福部昭の薫陶を受ける。11歳よりヴァイオリンを学ぶ[2]。1952年国立音楽大学付属高等学校ピアノ科に入学、学外で作曲を池内友次郎に、ピアノをL.コハンスキに、指揮法を渡邉暁雄に師事する[2]。1955年に卒業後、伊福部昭に作曲を学ぶ[2]。1958年、ベルリンに留学し、国立ベルリン音楽大学作曲科でボリス・ブラッハー、ヨーゼフ・ルーファーらに師事、十二音技法など最先端の音楽技法を学ぶ[1]。1961年ダルムシュタット国際現代音楽祭で「9奏者のための前奏と変奏」が初演される[1]。年末に父危篤の報により帰国[3]。
1962年、十二音技法を使った作曲などで注目される[1]。1963年二十世紀音楽研究所の第5回現代音楽祭に参加し、ドイツ大使賞受賞[1]。1966年初めて声明を聴き、以来東洋と西洋の融合を図った作品を書くようになる[1]。1967年から入野義朗、諸井誠らと日独現代音楽祭の企画・運営に携わる[1][4]。1969年、西ベルリンのアーティスト・イン・レジデンスとして再渡独。以来、ベルリンと東京を拠点とし、活動を展開する[2]。
1971年入野と東京音楽企画研究所(TOKK)を設立[5]して副所長に就任し、1973年にはTOKKアンサンブルを結成、欧米や東南アジアに演奏旅行する[1][6]。インドネシアのガムランや和太鼓演奏グループ鬼太鼓座などとの出会いから、原始的リズムへの回帰、音響の集約化などを進め、「二つの音世界からの創造」をテーマに独自の音楽を展開していく[1]。1976年から日独現代音楽祭を発展させたパンムジーク・フェスティバル東京を主宰[1]。1977年和太鼓とオーケストラのための「モノプリズム」で尾高賞受賞[7]。
「パリの秋芸術祭」や「ベルリン芸術週間」などでも特集や作品演奏会が組まれるようになる[1]。1980年代には「反核・日本の音楽家たち」の活動に参加した[1]。1985年から船山隆、江戸京子と「東京の夏」音楽祭を企画・運営する[1]。1989年10月4日にはサントリーホールで「作曲家の個展・石井眞木」が開催され、東京都交響楽団を指揮して自作4作品を演奏した[8]。
1990年1月26日には東京都交響楽団の都響日本の作曲家シリーズ8として「石井眞木作品集」が、岩城宏之指揮、サントリーホールで開催された[9]。1991年と1992年には「現代の交響作品展」を新交響楽団と開催する[2][10]。また日本と中国やアジアへの関心を深め、1996年には日中友好合作音楽会実行委員会委員長として「東京の響きin北京」コンサートを開催し、北京で中国放送管弦楽団を指揮して自作他を演奏した[11]。1997年には北京で開催の「日中友好合作現代音楽祭」実行委員長を務めた[12]。同年には日独英3か国語併記の編著書『石井眞木の音楽 : 西の響き・東の響き : 二つの音世界からの創造』を出版する[13]。1999年、紫綬褒章を受章する[1]。
2003年4月8日、甲状腺癌のため66歳で急逝した[14]。交響詩『幻影と死』が遺作となった[1]。
没後
[編集]2003年7月5日、遺作『交響詩「幻影と死」』がゲルト・アルブレヒト指揮、読売日本交響楽団によりサントリーホールにて演奏された。演奏会プログラム冊子には、最期の日々の記録と、指揮者はじめ関係者からの追悼メッセージが掲載されている[15]。
2004年10月には、石井が生前に作成した企画原案に基づき「第2回日中友好合作現代音楽祭」が東京と北京で開催された[16]。
2013年7月14日には「没後10年石井眞木へのオマージュ」と題した演奏会が、野平一郎指揮、オーケストラ・ニッポニカにより紀尾井ホールにて開催された[17]。演奏会プログラム冊子には、一柳慧、菅原淳、高橋アキ、林英哲、船山隆ら親交のあった人々からの追悼メッセージが掲載されている[3]。
2016年1月30日には、横笛の赤尾三千子の委嘱作品『水炎伝説』(1990)が演奏会形式で再演された[18][19]。
代表作品
[編集]- オーケストラのための「響層」(1969年)
- 雅楽とオーケストラのための「遭遇 II番」(1971年)
- 日本太鼓のための「モノクローム」(1976年)
- 日本太鼓とオーケストラのための「モノプリズム」(指揮小澤征爾、和太鼓林英哲、ボストン交響楽団の演奏で1976年初演。第25回尾高賞受賞作品)
- 音響詩「熊野補陀落」(1980年)
- 打楽器とオーケストラのための「アフロコンチェルト」(1982年)
- オーケストラのための「半透明の幻影」(1982年)
- 交響詩「祇王」(1984年)
- 浮游する風(交響三連作:雅霊、風姿、砕動鬼)(1984-86年)[20]
- バレエ「輝夜姫」(1985年)[21]
- 打楽器ソロのための「サーティーン・ドラムス」(1985年)
- 尺八と二十絃箏のための「遙かなり、遭遇」(1993年)
- 聲明、龍笛とオーケストラのための「聲明交響 I〜一切共生」(1995年)
- オペラ「閉じられた舟」(1999年)
映画音楽
[編集]- 帝都物語 交響的組曲「帝都物語」※音楽監督(1987年)
- ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説(1990年)
著書
[編集]- 石井眞木の音楽 : 西の響き・東の響き:二つの音世界からの創造. 音楽之友社、1997.4、ISBN 4-276-13273-8[22]
受賞・栄誉
[編集]- ドイツ大使賞(1963年 第5回現代音楽祭 「アフォリスメン I 」)[23]
- ヴェネチア市賞(1973年 TV映像作品「玄」の音楽:イタリア賞コンクール・テレビ音楽部門)[2]
- 尾高賞(1977年 第25回) - 「モノプリズム」[7]
- 中島健蔵音楽賞(1985年度)[24]
- ドイツ批評家賞(1988年、音楽部門、1987年度第37回)[25]
- 京都音楽賞(1990年 大賞 第5回)
- レコード・アカデミー賞(1990年 第28回)(1993年 第31回)[26]
- 紫綬褒章(1999年)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『日本の作曲家:近現代音楽人名事典』日外アソシエーツ、2008年、50-51頁。ISBN 978-4-8169-2119-3。
- ^ a b c d e f “年譜(音楽歴) | 石井眞木”. ishii.de. 2023年2月18日閲覧。
- ^ a b 『「没後10年石井眞木へのオマージュ」プログラム』オーケストラ・ニッポニカ、2013年7月14日、4頁。
- ^ 『入野義朗 (人物書誌大系 ; 19)』日外アソシエーツ、1988年6月、244頁。ISBN 4-8169-0773-4。
- ^ 『入野義朗 (人物書誌大系 ; 19)』248頁
- ^ 『入野義朗 (人物書誌大系 ; 19)』252頁
- ^ a b “「尾高賞」受賞作品”. NHK交響楽団. 2023年2月18日閲覧。
- ^ “作曲家の個展 II 音楽事業 サントリー芸術財団”. サントリー. 2023年3月13日閲覧。
- ^ “創立50周年 コンサートアーカイブ|東京都交響楽団”. www.tmso.or.jp. 2023年3月13日閲覧。
- ^ “新交響楽団ホームページ: 1986~1995年の自主演奏会の記録”. www.shinkyo.com. 2023年2月19日閲覧。
- ^ 司東玲実 (1996-07). “ドキュメント・日中友好合作『東京の響きin北京』レポ-ト”. 音楽芸術 54 (7): 74-76. doi:10.11501/2293998.
- ^ 『オペラ「閉じられた舟」公演プログラム』ニッセイ文化振興財団、2000年11月13日、6頁。
- ^ “「西の響き・東の響き/石井眞木の音楽」 | 石井眞木”. ishii.de. 2023年2月19日閲覧。
- ^ “作曲家の石井眞木氏死去/ヨーロッパなどで活躍”. 四国新聞社. 2023年2月19日閲覧。
- ^ 『読売日本交響楽団第418回定期演奏会プログラム』読売日本交響楽団、2003年7月5日、11-27頁。
- ^ “日中友好合作現代音楽祭”. www.nipponica.jp. 2023年3月13日閲覧。
- ^ “オーケストラ・ニッポニカ (Orchestra Nipponica)”. www.nipponica.jp. 2023年3月13日閲覧。
- ^ “演奏会のお知らせ|横笛 赤尾三千子の世界 MICHIKO AKAO Official Site”. www2.gol.com. 2023年3月13日閲覧。
- ^ “水炎伝説 ~回想~|横笛 赤尾三千子の世界”. www2.gol.com. 2023年3月13日閲覧。
- ^ 富樫康 (1995-10). “世代論的戦後作曲家群像”. 音楽芸術 53 (10): 31. doi:10.11501/2293770.
- ^ 寺内直子 (2013-12). “現代バレエ「輝夜姫」をめぐる小論 : 日本の楽器を用いる音楽の認識について”. 国際文化学研究 : 神戸大学大学院国際文化学研究科紀要 41: 55*-85*. doi:10.24546/81005426 .
- ^ “国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online”. ndlonline.ndl.go.jp. 2023年2月19日閲覧。
- ^ 『戦後作曲家グループ・活動の軌跡:1945-1960』日本近代音楽館、1998年、23頁 。
- ^ “中島健蔵音楽賞”. music-kansai.net. 2023年2月19日閲覧。
- ^ “Verband der deutschen Kritiker e.V.”. web.archive.org (2009年3月7日). 2023年2月19日閲覧。
- ^ “音楽之友社 レコード・アカデミー賞歴代受賞盤② 1981~2000”. 音楽之友社. 2023年2月19日閲覧。
外部リンク
[編集]- 石井眞木オフィシャルサイト (日本語版)
- 石井眞木オフィシャルサイト (英語版)
- 石井眞木オフィシャルサイト (独語版)