石川総師
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 安永5年1月2日(1776年2月20日) |
死没 | 享和3年6月13日(1803年7月31日) |
改名 | 孝之助(幼名)→総師 |
戒名 | 総師院殿種徳日懐大居士 |
墓所 | 東京都北区田端の大久寺 |
官位 | 従五位下、主殿頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 伊勢亀山藩主 |
氏族 | 石川氏 |
父母 | 父:石川総博、母:安田氏 |
兄弟 | 総師、総予、総鎮 |
妻 | 正室:水野忠鼎の次女 |
子 |
総佐、 娘(石川総安正室)、娘(松平近訓正室) |
石川 総師(いしかわ ふさのり)は、伊勢亀山藩の第5代藩主。伊勢亀山藩石川家10代。
生涯
[編集]安永5年(1776年)1月2日、第4代藩主・石川総博の長男(なお、「鈴鹿郡野史」・「石川家譜難波録」では先々代総純の後見役であった石川総徳の子とする)として伊勢亀山で生まれる。寛政8年(1796年)5月6日、総博の隠居により家督を継ぐ。享和3年(1803年)6月13日、江戸で死去した。享年28。跡を長男の総佐が継いだ。
系譜
[編集]父母
- 石川総博(父)
- 安田氏 ー 側室(母)
正室
- 水野忠鼎の次女
子女
参考文献
[編集]- 『新訂 寛政重修諸家譜 第3』続群書類従完成会、1981年
- 『石川家譜難波録』
- 『鈴鹿郡野史』(柴田厚二郎 1947年)