板倉重冬
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板倉重冬像 | |
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
生誕 | 寛文12年(1672年) |
死没 | 宝永6年3月23日(1709年5月2日) |
改名 | 岩之助(幼名)→重冬 |
戒名 | 徳雲院殿利山源貞大居士 |
墓所 | 愛知県西尾市貝吹町入の長圓寺 |
官位 | 従五位下、周防守 |
幕府 | 江戸幕府奏者番 |
主君 | 徳川綱吉→家宣 |
藩 | 伊勢亀山藩主 |
氏族 | 板倉氏 |
父母 |
父:板倉重大、母:宇都宮義綱の娘 養父:板倉重常 |
妻 | 正室:松浦鎮信の娘 |
子 | 重治、勝元、娘(板倉勝音正室)、娘(板倉勝清正室) |
板倉 重冬(いたくら しげふゆ)は、伊勢亀山藩の第2代藩主。板倉家宗家5代。
生涯
[編集]寛文12年(1672年)、板倉重大(藩祖・板倉勝重の三男)の長男として生まれる。延宝8年(1680年)10月に伊勢亀山藩主・板倉重常の養子となる。貞享3年(1686年)12月、従五位下、周防守に叙位・任官した。貞享5年(1688年)2月16日、重常の隠居により家督を継いだ。