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板倉重冬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
板倉重冬
板倉重冬像
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文12年(1672年
死没 宝永6年3月23日1709年5月2日
改名 岩之助(幼名)→重冬
戒名 徳雲院殿利山源貞大居士
墓所 愛知県西尾市貝吹町入の長圓寺
官位 従五位下、周防
幕府 江戸幕府奏者番
主君 徳川綱吉家宣
伊勢亀山藩
氏族 板倉氏
父母 父:板倉重大、母:宇都宮義綱の娘
養父:板倉重常
正室:松浦鎮信の娘
重治勝元、娘(板倉勝音正室)、娘(板倉勝清正室)
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板倉 重冬(いたくら しげふゆ)は、伊勢亀山藩の第2代藩主。板倉家宗家5代。

生涯

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寛文12年(1672年)、板倉重大(藩祖・板倉勝重の三男)の長男として生まれる。延宝8年(1680年)10月に伊勢亀山藩主・板倉重常の養子となる。貞享3年(1686年)12月、従五位下、周防守に叙位・任官した。貞享5年(1688年)2月16日、重常の隠居により家督を継いだ。

板倉重冬の墓(西尾市長圓寺)

宝永5年(1708年)に奏者番となった。宝永6年(1709年)3月23日に死去。享年38。跡を長男の重治が継いだ。