石橋孫八
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石橋 孫八(いしばし まごはち、1847年(弘化4年)[1] - 1915年(大正4年)5月7日[2])は、日本の政治家(衆議院議員[1]、当選1回[3])、島根県の地主[4][5]。族籍は島根県平民[6][7]。
人物
[編集]島根県の人である[1][8]。家は代々農業を営む[1]。漢学を修める[3]。治水を以て大いに名がある[1]。1894年、第4回衆議院議員総選挙で島根県第3区より選ばれて衆議院議員となる[1]。国民協会[3]、大手倶楽部[9]に所属。第11議会解散後候補を伊藤啓一郎に譲る[1]。
『国民日用便覧 明治44年刊』によると、「出雲国地価10000円以上所有者」である[4]。『島根県管内耕宅地反別地価壱万円以上持丸長者一覧表』によると、「段別・37町1畝歩、地価・17146円」である[5]。住所は島根県簸川郡平田町[8](のちの平田市、現・出雲市)。
家族・親族
[編集]- 石橋家
- 長女・とみ(1876年 - ?、鳥取米子の実業家初代坂口平兵衛の弟・坂口豊蔵の妻[6]、2代坂口平兵衛の養母)
- 四男・正彦[8](1884年 - ?、島根県多額納税者、平田町長、農業)
- 息子・英夫(1886年 - 1977年、米子製鋼所支配人、米子銀行常務取締役、金藤秀四郎の養子)[10]
- 孫・ノブ(鳥取米子の呉服商で、中国貯蓄銀行頭取・野坂茂三郎の長男・野坂寛治の妻)[7]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『日本現今人名辞典』い87頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月11日閲覧。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』64頁。
- ^ a b c 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月20日閲覧。
- ^ a b 『国民日用便覧 明治44年刊』鳥取島根県財産家人名録 出雲国之部は37頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月10日閲覧。
- ^ a b 『島根県管内耕宅地反別地価壱万円以上持丸長者一覧表』島根県管内出雲国一円4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年1月5日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第3版』さ104頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月11日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第6版』の20 - 21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月11日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第10版 上』イ195頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月11日閲覧。
- ^ 『衆議院議員党籍録 第一囘議会乃至第四十囘議会』31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年1月12日閲覧。
- ^ 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』島根4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月8日閲覧。
参考文献
[編集]- 原亀太郎編『島根県管内耕宅地反別地価壱万円以上持丸長者一覧表』長廻源之助、1881年。
- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年。
- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
- 多納佐三郎編『国民日用便覧 明治44年刊』報光社、1910、1911年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員党籍録 第一囘議会乃至第四十囘議会』衆議院事務局、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。