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金藤英夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

金藤 英夫[1][2](かねとう ひでお、旧姓・石橋[3]1886年明治19年)2月6日[2][4] - 1977年昭和52年)10月27日[5])は、日本実業家政治家。金藤家第12代当主[5]

経歴

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島根県簸川郡平田町(のちの平田市、現・出雲市)生まれ[4][6]石橋孫八の五男[2][4][6]、あるいは八男[5]。石橋正彦の弟[1][7][8]。金藤秀四郎の養子[4]、あるいは金藤米太郎の養子[8]となる。また金藤シミの入夫となる[7]

松江中学校第五高等学校を経て[5]1913年東京帝国大学法科大学独法科を卒業[1][2][3]米子製鋼所支配人、米子銀行常務取締役[2][4]、赤江村長[5]などをつとめる。

人物

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金藤英夫ついて、『商工資産信用録 第28回』には「職業・雑、調査年月・1927年8月、正身身代・O、信用程度・B」とある[9]

『商工資産信用録 第33回 中国四国版』には「職業・雑、調査年月・1932年7月、正身身代・P、信用程度・B」とある[10]

『商工資産信用録 第38回 中国・四国版』には「職業・銀行重役、調査年月・1937年7月、正身身代・N、信用程度・A」とある[11]

宗教は真宗[4]仏教[8]書画骨董に親しむ[8]。趣味は運動、政治[4]。住所は島根県能義郡赤江村東赤江[4](現・安来市)。

家族・親族

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金藤家
  • 初代・市兵衛茂基1557年 - 1654年) - 生地は備中国阿哲郡金藤(のち岡山県阿哲郡大佐町金藤、現・新見市)で、代々たたら製鉄を業とした[5]。成長すると鍛冶連中を率いて諸国に商売をする[5]。タテ挽き鍛造し、木材を薄板として大量生産販売して成功[5]。松江白潟本町に店舗を構える[5]
  • 2代・五兵衛1616年 - 1677年[5]
  • 3代・市兵衛1633年 - 1699年) - 「小板屋」として成功して貯えた資本を水田開発に投資することを決心[5]。東赤江村才下に定住[5]
  • 4代・市兵衛1675年 - 1731年[5]
  • 5代・傳右衛門茂賀1714年 - 1784年) - 毎年のように氾濫する富田川の水を治め、寺下、武嶺の沼沢地に60町歩の美田を開拓し、100軒余の農家を養い、松江藩より下郡(したごうり)に任命される[5]。下郡(したごうり)とは各郡に1名あり、農民代表として殿様より任命されていた[5]。大庄屋ともいった[5]
  • 6代・友右衛門恒之1743年 - 1806年) - 下郡職をつとめる[5]
  • 7代・權左衛門茂富1764年 - 1821年) - 伯父倉敷善左衛門下郡職をつとめ、權左衛門は與頭職をつとめる[5]
  • 8代・唯三郎茂種1799年 - 1863年) - 下郡職上座をつとめる[5]
  • 9代・健蔵1820年 - 1874年) - 天野新三郎下郡職を明治までつとめ、健蔵は與頭職をつとめる[5]
  • 10代・秀四郎[4][6]1848年 - 1912年) - 『島根県管内耕宅地反別地価壱万円以上持丸長者一覧表』によると、「段別・29町1反5畝歩、地価・10009円余」である[12]
    • 同妻・キソ(平田町、石橋長衛の娘)[5]
  • 11代・米太郎1868年 - 1900年[5]
  • 妻・シミ1900年 - ?、島根、金藤米太郎の長女)[1][7][8]
  • 長男[4]
  • 二男[4]
  • 長女[4]
  • 二女[4]
  • 三女[4]
親戚

脚注

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  1. ^ a b c d 『帝国大学出身名鑑』カ61頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e 『島根県案内誌』494頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年12月7日閲覧。
  3. ^ a b 『東京帝国大学一覧 從大正3年 至大正4年』学士及卒業生姓名 法学士 法律学科98頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月10日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』島根4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月8日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『氏神と棟札 村づくりの原点をたずねて』19、35 - 39頁。
  6. ^ a b c 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』島根3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月8日閲覧。
  7. ^ a b c 『人事興信録 第9版』カ99頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月8日閲覧。
  8. ^ a b c d e 『人材・島根 県人名鑑』カ116頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月6日閲覧。
  9. ^ 『商工資産信用録 第28回』島根県か之部9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月15日閲覧。
  10. ^ 『商工資産信用録 第33回 中国四国版』島根県か之部11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月9日閲覧。
  11. ^ 『商工資産信用録 第38回 中国・四国版』島根県カ之部11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月9日閲覧。
  12. ^ 『島根県管内耕宅地反別地価壱万円以上持丸長者一覧表』島根県管内出雲国一円8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年1月8日閲覧。

参考文献

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  • 原亀太郎編『島根県管内耕宅地反別地価壱万円以上持丸長者一覧表』長廻源之助、1881年。
  • 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正3年 至大正4年』東京帝国大学、1913 - 1924年。
  • 商業興信所編『商工資産信用録 第28回』商業興信所、1927年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
  • 『商工資産信用録 第33回 中国四国版』商業興信所、1932年。
  • 『商工資産信用録 第38回 中国・四国版』商業興信所、1937年。
  • 『島根県案内誌』国粋新聞社、1937年。
  • 島洋之助編『人材・島根 県人名鑑』島根文化社、1938年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1938年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。