碧南市立西端小学校
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碧南市立西端小学校 | |
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北緯34度54分57.1秒 東経137度0分40.1秒 / 北緯34.915861度 東経137.011139度座標: 北緯34度54分57.1秒 東経137度0分40.1秒 / 北緯34.915861度 東経137.011139度 | |
過去の名称 | 明治村立西端小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 碧南市 |
設立年月日 | 1872年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210005106 |
所在地 | 〒447-0074 |
愛知県碧南市上町3丁目1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
碧南市立西端小学校(へきなんしりつ にしばたしょうがっこう)は、愛知県碧南市上町にある公立小学校。
校区
[編集]- 校区は油渕町、荒居町、井口町、大久手町、大坪町、奥沢町、長田町、上町、神田町、雁道町、北町、湖西町、坂口町、三度山町、島池町、清水町、白沢町、白砂町、洲先町、宝町、竹原町、立山町、鳥追町、半崎町、平山町、広見町、吹上町、札木町、古川町、松原町、桃山町、屋敷町、若水町、用久町であり、公立中学校に進む場合は碧南市立西端中学校に進学する[1]。
- 旧・碧海郡明治村の小学校であった。明治村は昭和の大合併で分割され、安城市、碧南市、西尾市に編入されたが、西端小学校は碧南市に編入された地域(明治村大字西端)が校区であった。
沿革
[編集]- 1872年(明治5年)11月2日 - 碧海郡西端村に郷学校として西端郷学校が開校。
- 1873年(明治6年)
- 3月1日 - 西端義校に改称する。応仁寺[注釈 1]を仮校舎とする。後に応仁寺の隣接地に校舎を新築する。
- 9月1日 - 第7中学区第50番小学西端学校に改称する。
- 1880年(明治13年)1月1日 - 第7中学区第51番小学西端学校に改称する。
- 1882年(明治15年)11月1日 - 公立第51・52番小学西端学校に改称する。
- 1886年(明治19年)8月1日 - 碧海郡高取村に高取分教場を設置する。
- 1887年(明治20年)4月1日 - 尋常小学西端学校に改称する。
- 1890年(明治23年)3月3日 - 西端尋常小学校に改称する。
- 1892年(明治25年)9月26日 - 高取分教場が碧海郡尋常小学高取学校として独立する。
- 1901年(明治34年)5月2日 - 高等科を設置し、西端尋常高等小学校に改称する。
- 1906年(明治39年)
- 1907年(明治40年)1月1日 - 明治第三尋常高等小学校に改称する。
- 1910年(明治43年)4月1日 - 高等科を廃止し、明治第二尋常小学校に改称する。
- 1917年(大正6年)12月5日 - 農業補習学校を併設する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 碧海郡明治村第二国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 碧海郡明治村立第二小学校に改称する。
- 1948年(昭和23年)10月1日 - 碧海郡明治村立西端小学校に改称する。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 明治村が分割され、明治村大字西端は碧南市に編入される。同時に碧南市立西端小学校に改称する。進学先の明治村立明治中学校は安城市に移った(現・安城市立明祥中学校)ため、西端小学校の進学先は碧南市立新川中学校に変更される。
- 1965年(昭和40年)8月15日 - 現在地に校舎を新築し、移転する。
- 1967年(昭和42年)7月10日 - プールが完成する。
- 1973年(昭和48年)
- 2月28日 - 体育館が完成する。
- 3月9日 - 開校百年祭記念式典を行う。
- 1979年(昭和54年)3月28日 - 新校舎(現・北舎)が完成する。
- 1981年(昭和56年)4月 - 碧南市立西端中学校が開校し、進学先が西端中学校となる。
- 1986年(昭和61年)8月12日 - 新プールが完成する。
- 2002年(平成14年)10月30日 - 開校130周年記念式典を行う。
- 2005年(平成17年)1月 - 老朽化(耐震性不足)のため、本館(1965年建築)を取り壊す。
- 2006年(平成18年)3月27日 - 本館を新築する。
交通アクセス
[編集]周辺施設
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 現在の愛知県碧南市油渕町1-6にある寺院。