磯部の御神田
磯部の御神田(いそべのおみた)は、三重県志摩市の伊雑宮に伝わる民俗芸能の田楽。保護団体は、磯部の御神田奉仕会。1973年12月4日に記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(選択無形民俗文化財)に選択[1]、1990年3月29日に重要無形民俗文化財に指定された。また東海農政局による「東海美の里百選」に選定されている[2]。
毎年6月24日に行われる伊雑宮御田植祭で披露される。祭りそのものも御神田と呼ばれる。開催日の6月24日は、倭姫命の巡幸の際に7匹のサメが野川を遡上(そじょう)し、命に伊雑宮の鎮座地を示したという「七本鮫」伝承に基づく[3]。毎年この日には7匹のサメが伊雑宮に参詣するとされ、近隣の漁師は休漁する習慣がある[3]。
歴史
[編集]起源は定かではないが、平安時代末期に現在の形が成立したという説が一般的である。
- 天保年間(1830年〜1843年) - 祭の時に笹にくるんで餅を振る舞う中で、恵利原早餅つきが誕生[4]。さわ餅も同時期の誕生とされる[5]。
- 1871年(明治 4年) - 神宮改革により中断。
- 1882年(明治15年) - 虫除祈念の名目で再興。
- 戦時中も途絶えることなく続けられた。
- 1971年(昭和46年) - 三重県の無形民俗文化財に指定。
- 1990年(平成重要無形民俗文化財に指定。 2年)3月29日 - 国の
- 2020年(令和新型コロナウイルス感染症の流行を受けて、役員による田植えのみ実施[6]。 2年) -
- 2021年(令和[6]。竹取神事は2年連続で中止[6]。 3年) - 感染症対策を施して、御田植神事・踊り込みを再開
奉仕区
[編集]明治時代以前に「磯部七郷」、後に「磯部九郷」と呼ばれた以下の9地区(いずれも志摩市磯部町内)が、以下の並び順に7年に1度祭りを担当する。2011年(平成23年)は下之郷区が務めた[7]。2020年(令和2年)は迫間区が担当する予定であったが、新型コロナウイルス感染症の影響で神事を中止したため、2021年(令和3年)にずれ込んだ[8]。おおむね旧磯部村の領域に一致するが、坂崎・飯浜は奉仕区に含まれない[9]。
*は2地区合同で行う。
上之郷に残る『年中行事覚書』には、江戸時代の奉仕区について以下のように記している[10]。
すなわち、下之郷と恵利原は4年ごと、五知・上之郷と沓掛・山田は8年ごと、築地、迫間、穴川は12年ごとに担当が回ってくるようになっており、地区により担当回数に大きな差があった[10]。
やくびと
[編集]御神田に奉仕する人を「やくびと」(役人)と言う。以前は衣装を自前で用意する必要があったため、地区の有力者から順に選ばれることが多かった。そのため、神事に出られることを名誉とする風潮があったが、少子化のため、そうした雰囲気は薄れてきている[8]。
以下に役とその役割を記す。
- 太鼓(太鼓打ち) - 1人。女装した男児が田舟に乗って太鼓を演奏する。
- 簓(ささら、簓摺り) - 2人。簓という楽器を演奏する。「さいとりさし」の舞も担当する。
- 早乙女 - 6人。御神田の花形[要曖昧さ回避]。やくびとの中で女性が担当するのはこれだけである。
- 大鼓(おど) - 太鼓とも表記する。1人。要所で掛け声の後、鼓を打つ。
- 小鼓(こど) - 1人。大鼓と交互に鼓を打つ。
- 謡(うたい)- 6人。田植え歌と踊り込み歌を担当。
- 笛 - 2人。田楽の曲を担当する。
- 立人・田道人(たちど) - 6人。早乙女とともに田植えを行う。
- 柄振(えぶり、柄振指し) - 2人。竹取り神事の後の田をならしたり、踊り込みの先導を務める。
- 警護 - 1人。長い歴史の中で本来の名前は不明となり、役割から「警護」と呼ばれる。他のやくびとを見守り、祭りの円滑な進行を支える。
やくびとのほかにも、忌竹(いみだけ)を奪い合う男衆、伊雑宮の神職、神事の指導をする師匠、奉仕区の区長、やくびとの身辺の世話人、神田のある上之郷の住民などが祭りの運営に携わっている。
祭りの次第
[編集]- 拝礼 - やくびとが祭りの成功を祈願して参拝とお祓いをする。
- 苗取り - 田道人と早乙女が苗場を3周半回って苗を取る。
- 竹取神事 - 神田の中央に設置された、「太一」と書かれたうちわ(ゴンバウチワと称する)のついた忌竹(いみだけ)を男が奪い合う。この竹の一片を船に祀れば豊漁となると伝えられるため、男たちは荒々しい奪い合いを繰り広げる[11]。見物客の注目を集める場面であるが、古記録に現れるのは1882年(明治15年)頃であり、祭りの本質ではないとされる[8]。
- 御田植神事 - 笛や太鼓の演奏の中、早乙女と田道人(たちど)が横一列になって苗を植えて行く。半分ほど植え終えたところで、やくびとに酒が振る舞われる[注 1]。この後、簓によって、「刺鳥差の舞」(さいとりさしのまい)が舞われる[7]。曲調は各地区共通であるが、詞が若干異なる。また、下之郷区のみ太鼓による「岩戸開きの舞」が披露される[7]。
- 踊込み - 休憩を挟んだ後、「エイエイシャントセー」という踊り込み歌を歌いながら、神田から伊雑宮一の鳥居までの約200mを2時間かけて練り歩く。感染対策のため、2021年(令和3年)は30分に短縮された[8]。歌詞は地区ごとに異なる。一般にはこれにて祭りは終了と思われている。
- 千秋楽の仕舞 - 太鼓と簓によって舞われる、短い舞。
脚注
[編集]- 注釈
- ^ 未成年のやくびとは、飲む真似をするだけである。
- 出典
- ^ 三重県教育委員会事務局社会教育・文化財保護課"みんなで、守ろう!活かそう!三重の文化財/情報データベース/磯部の御神田 "(2013年12月18日閲覧。)
- ^ 東海農政局農村計画部農村振興課"[1]"(2011年12月1日閲覧。)
- ^ a b 海の博物館・石原(1996)16ページ
- ^ “伊勢志摩きらり千選/恵利原早餅搗”. 伊勢志摩きらり千選実行グループ. 2011年6月28日閲覧。
- ^ “さわもち”. 伊勢志摩きらり千選. 伊勢志摩きらり千選実行グループ. 2018年3月5日閲覧。
- ^ a b c 阿部竹虎 (2021年6月25日). “2年ぶりに早乙女ら苗植え 志摩・伊雑宮の「御田植祭」”. 中日新聞. 2021年6月25日閲覧。
- ^ a b c 飯田(2011):16ページ
- ^ a b c d 阿部竹虎"コロナ禍も 伝統守る 感染症対策徹底24日「御田植祭」"中日新聞2021年6月22日付朝刊、伊勢志摩版
- ^ 櫻井(1991):286ページ
- ^ a b 伊藤 編(1976):22ページ
- ^ 海の博物館・石原(1996)17ページ
参考文献
[編集]- 飯田竜司"小中生大役堂々と 磯部・伊雑宮で御田植祭 五月女やささら担う"2011年6月25日付中日新聞朝刊、伊勢志摩版16ページ
- 伊藤 保 編『磯部の御神田』磯部町教育委員会、昭和51年3月31日、121pp.
- 伊勢の神宮ホームページ内伊雑宮のページ
- 海の博物館・石原義剛『伊勢湾 海の祭りと港の歴史を歩く』風媒社、1996年7月20日、165pp. ISBN 4-8331-0045-2
- 櫻井勝之進『伊勢神宮の祖型と展開』国書刊行会、平成3年11月30日、318p. ISBN 4-336-03296-3
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 国の重要無形民俗文化財 磯部の御神田(御田植祭) 2010年密着レポート
- 磯部の御神田 - 三重県教育委員会事務局 社会教育・文化財保護室
- 御田植祭(志摩郡磯部村上之郷) - 三重県環境生活部文化振興課県史編さん班(明治時代の祭りの様子)
- 磯部の御神田 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
座標: 北緯34度22分50.02秒 東経136度48分31.72秒 / 北緯34.3805611度 東経136.8088111度