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磯部町迫間

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 三重県 > 志摩市 > 磯部町迫間
磯部町迫間
迫間(2020年3月)
迫間(2020年3月)
磯部町迫間の位置
磯部町迫間の位置
磯部町迫間の位置(三重県内)
磯部町迫間
磯部町迫間
磯部町迫間の位置
北緯34度22分31.9秒 東経136度47分48.9秒 / 北緯34.375528度 東経136.796917度 / 34.375528; 136.796917
日本の旗 日本
都道府県 三重県
市町村 志摩市
町名制定 2004年(平成16年)10月1日
面積
 • 合計 5.506452449 km2
標高
27 m
人口
2019年(令和元年)7月31日現在)[WEB 2]
 • 合計 984人
 • 密度 180人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
市外局番 0599(阿児MA[WEB 4]
ナンバープレート 三重
※座標・標高は志摩市役所磯部支所付近

磯部町迫間(いそべちょうはさま)は、三重県志摩市地名。志摩市北部の中心的な集落の1つである。

地理

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志摩市の北部、磯部町の中央に位置する。地区の概形は8の字(瓢箪[1])に似ており、8の字の接合部にあたる磯部トンネル以北に中心集落を形成する。地形的には磯部川(神路川)と池田川が成す沖積低地にある[2]。南部の梶坊集落は山に囲まれた谷間に位置する[3]。昭和中期頃まで迫間西部を上条、中部を中村、東部を下条と呼び、下条より更に東を木津(こうづ)と呼んでいた[4]。上条・下条の名は班田収授法の名残と考えられる[4]。上条・中村・下条の呼称は現在、上組・中組・下組に変わっている。

  • :高峠山(たかとこやま)
  • :磯部川(神路川)、野川、池田川
  • 伊雑ノ浦

北は磯部町恵利原(いそべちょうえりはら)、東は磯部町下之郷、南は磯部町穴川浜島町迫子(はまじまちょうはざこ)、西は磯部町檜山磯部町山原磯部町築地と接する。

川辺

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川辺(かわなべ)は、志摩市磯部町の地名。住所上は磯部町迫間(東部)・磯部町恵利原(南部)・磯部町下之郷(西部)に属する。住所上の大字を単位とする自治会とは別の自治会を有し、志摩市の行政上1つの地区として扱われることがある[注 1]が、独立した大字としては認められていない[注 2]明治時代 から開拓が行われた地域で、鉄道駅銀行商店官公署などが集まる磯部町の中心街を形成する。

歴史

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古伝によれば、猿田彦命が阡陌(南北方向の道路と東西方向の道路)を定め、迫間で2本の道路を交わらせたという[5]。交点には十王堂が置かれ、磯部の中心点としたとされる[5]。現在の十王堂は阡陌の交点にはなく[5]、玉泉庵の境内に移されている[6]小字木津では旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡があり、讃岐岩製の尖頭器石槍石鏃(矢じり)など約1,000点が出土している[7]。また、木津の名から古代に伊雑ノ浦の木材の集散地としての機能があったと考えられている[4]

磯部町下之郷の南氏が所蔵する天文23年12月19日ユリウス暦1556年1月20日)付の文書には「迫」と記されていた[5]。城の腰と呼ばれる地域には、伊雑宮守護に任じられた迫間五郎左ヱ門が居したと伝わる「城跡」の遺構がある[4]。ほかにも小字長岡や迫間 - 穴川間にも城があり、九鬼嘉隆と戦ったとされるが、古老の伝聞のみで史料には残されていない[4]中世には4家族が「ひやま」(現在の志摩市磯部町檜山)を開拓するために移住し、迫間村の出郷とした[8]

江戸時代には迫間村として鳥羽藩の配下にあり、志摩国答志郡磯部組に属した。村高は594石で[9]以外にワラビハギスギを産した[2]。村内に和歌山藩領の度会郡山原村と檜山村の商用薪置場が置かれ、それぞれから米5升を受け取った[2]。玉泉庵の「オンバサン」と呼ばれる仏像百日咳に効果があるとされ、信仰を集めた[9]

明治になり、町村制が施行されて以降は1大字として続いている。磯部の中心市街地の南下に伴い、磯部の中心地区として発展するようになる。磯部村役場及び磯部町役場は迫間に置かれていた。特に、1978年(昭和53年)12月27日磯部駅前土地区画整理事業が認可され、1987年(昭和62年)9月22日に土地区画の整理と都市下水路の整備が完了した[10]ことで、磯部の中心としての機能が増した。

2012年(平成24年)7月24日志摩市歴史民俗資料館が志摩市役所磯部支所を改装して開館した[WEB 5]

沿革

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地名の由来

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三方から山がり、そのに開けた土地であったことから名付けられた。

世帯数と人口

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2019年(令和元年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]

行政区 世帯数 人口
迫間一 179世帯 398人
梶坊 26世帯 53人
雇用促進 17世帯 42人
迫間二 251世帯 491人
(磯部町迫間)計 473世帯 984人

人口の変遷

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1880年以降の人口の推移。2005年以後は国勢調査による推移。

1880年(明治13年) 611人 [2]
1889年(明治22年) 938人 [9]
1960年(昭和35年) 1,285人 [11]
1980年(昭和55年) 1,474人 [12]
2005年(平成17年) 1,830人 [WEB 6]
2010年(平成22年) 1,720人 [WEB 7]
2015年(平成27年) 1,555人 [WEB 8]

世帯数の変遷

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1880年以降の世帯数の推移。2005年以後は国勢調査による推移。

1880年(明治13年) 111戸 [2]
1889年(明治22年) 134戸 [9]
1960年(昭和35年) 362世帯 [11]
1980年(昭和55年) 400世帯 [12]
2005年(平成17年) 684世帯 [WEB 6]
2010年(平成22年) 682世帯 [WEB 7]
2015年(平成27年) 648世帯 [WEB 8]

学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[WEB 9]

番・番地等 小学校 中学校
全域 志摩市立磯部小学校 志摩市立磯部中学校

観光

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木場公園

かつては志摩スペイン村や的矢行きの路線バスが迫間東部(川辺地区)にある志摩磯部駅から発着し、志摩市磯部観光案内所(旧・磯部町観光案内所)が置かれるなど観光地への玄関口として賑わった。

志摩市歴史民俗資料館
志摩市の考古資料・民俗文化財・民具・仕事・暮らしなどについて展示する施設[WEB 5]
川辺堤
約15本のサクラの木が磯部川沿いに並んでおり、地域住民の花見スポットとして知られる[WEB 10]
木場公園
志摩磯部駅前にある都市公園。いくつかの遊具が設置され、子ども高齢者電車の時間待ちをする高校生などの姿を見かける。
高峠山(たかとこやま)
池田川沿いにある、標高100m程度の山。地域の人が山頂付近に展望台を整備し、磯部中心街や伊雑ノ浦などを一望できる[WEB 11]。山腹を国道167号の磯部トンネルが貫く[WEB 11]

交通

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志摩磯部駅
磯部バスセンター
鉄道
路線バス
磯部バスセンターが中心となる。このバスセンターを始発・終着とする便も多い。
道路
3本の幹線道路が通っている。

施設

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志摩市役所磯部支所
磯部郵便局

史跡

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玉泉庵
左側の木が「玉泉庵のナギ」
玉泉庵
曹洞宗永平寺派常安寺末寺で無住寺[6]。開山・開基不明。明治30年(1897年)代には磯部高等小学校として利用されたことがある[6]1955年(昭和30年)、盗難により主要な仏具は失われた[6]。現在は区会所として利用する[6]。境内には志摩市指定天然記念物「玉泉庵のナギ」が、堂内には志摩市指定有形文化財「木造十王像、附脱衣婆像(残欠)、司命像、司録像」がある[WEB 12]。十王像のうち名前が分かっているのは閻魔王だけで、永正12年7月(1515年8月 - 9月)に制作された[13]。昭和初期までは十王像に若い衆が大念仏を捧げていた[13]

その他

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日本郵便

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関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 志摩市役所『通学区・区域外就学 志摩市』では「川辺地区」として扱われている。また、国土地理院発行の2万5千分の1地形図『磯部』にも「川辺」が掲載されている。
  2. ^ 志摩地域合併協議会(2003)"町名、字名の取扱いについて (PDF) "では、合併前の大字を引き継ぐこととしたため、川辺の大字昇格はならなかった。

WEB

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  1. ^ 三重県志摩市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年8月28日閲覧。
  2. ^ a b 志摩市の人口について”. 志摩市 (2019年7月31日). 2019年8月28日閲覧。
  3. ^ a b 磯部町迫間の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ a b 林一茂"志摩市歴史民俗資料館:開館 考古など5コーナー 海の恵みテーマ、きょうから企画展/三重"<ウェブ魚拓>毎日新聞、2012年7月25日(2012年8月22日閲覧。)
  6. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  7. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  8. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  9. ^ 学校通学区”. 志摩市. 2019年8月28日閲覧。
  10. ^ 伊勢志摩きらり千選実行グループ "伊勢志摩きらり千選/川辺の桜堤"(2010年6月24日閲覧。)
  11. ^ a b 伊勢志摩きらり千選実行グループ "伊勢志摩きらり千選/迫間の高峠山"(2010年6月24日閲覧。)
  12. ^ 志摩市企画政策課"第5章 教育・文化の志 (PDF) "志摩市総合計画前期基本計画.(2010年12月16日閲覧。)
  13. ^ 郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。

出典・文献 

[編集]
  1. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1419.
  2. ^ a b c d e 平凡社地方資料センター 1983, p. 713.
  3. ^ 平凡社地方資料センター 1983, p. 1420.
  4. ^ a b c d e 磯部郷土史刊行会 1963, p. 47.
  5. ^ a b c d 磯部郷土史刊行会 1963, p. 46.
  6. ^ a b c d e 磯部郷土史刊行会 1963, p. 170.
  7. ^ 磯部郷土史刊行会 1963, p. 418.
  8. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 917.
  9. ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 862.
  10. ^ 磯部駅前土地区画整理記念碑碑文
  11. ^ a b 磯部郷土史刊行会 1963, p. 11.
  12. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1164.
  13. ^ a b 林一茂"市指定文化財展 10体の「十王像」必見 志摩で来月まで"毎日新聞2018年3月12日付朝刊、三重版24ページ

参考文献

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  • 磯部郷土史刊行会 編『磯部郷土史』磯部郷土史刊行会、1963年5月10日。 NCID BN08788272 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 24 三重県』角川書店、1983年6月8日。ISBN 4-04-001240-2 
  • 平凡社地方資料センター 編『「三重県の地名」日本歴史地名大系24』平凡社、1983年5月20日。ISBN 4-58-249024-7