祖式就信
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 寛永2年(1625年) |
死没 | 寛文7年11月23日(1668年1月6日) |
別名 | 通称:久太郎 |
主君 | 毛利秀就→綱広 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 石見小笠原氏庶流 祖式氏 |
父母 | 父:祖式元家 母:牛尾安房守の娘 |
兄弟 | 就信、就好、義政、為春 |
妻 |
正室:宍道就兼の娘 継室:赤川就雅の娘 |
子 | 通治、林忠次室 |
祖式 就信(そしき なりのぶ)は、江戸時代の武士。毛利氏の家臣で、長州藩士。家格は大組、770石。父は祖式元家。
生涯
[編集]寛永2年(1625年)、毛利氏家臣である祖式元家の嫡男として生まれる。寛永9年(1632年)9月3日に元服し、秀就から「就」の偏諱を与えられて就信と名乗った。
以後、毛利秀就・綱広の二代に仕え、寛文7年(1668年)11月23日に死去。享年43。後を嫡男の通治が継いだ。
なお、就信の代に祖式氏の屋敷で火事が起こり、毛利氏から祖式氏へ与えられ代々所持していた判物などが焼失・紛失してしまったと、『閥閲録』巻55「祖式右衛門八」に記されている。