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神戸ゴルフ倶楽部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神戸ゴルフクラブから転送)
神戸ゴルフ倶楽部
神戸ゴルフ倶楽部
コースから海を見渡すことができる
所在地 日本の旗 日本
兵庫県神戸市灘区六甲山町一ヶ谷1−3
座標: 北緯34度45分30秒 東経135度14分17秒 / 北緯34.75833度 東経135.23806度 / 34.75833; 135.23806
概要
開業 1903年
運営 メンバーシップコース
設計 J.Adamson[1]
McMurtie
所有者 一般社団法人 神戸ゴルフ倶楽部
運営者 一般社団法人 神戸ゴルフ倶楽部
コース

OUT IN
HOLE PAR YARD HOLE PAR YARD
1 3 180 10 3 167
2 3 176 11 3 190
3 4 188 12 4 346
4 3 195 13 3 220
5 3 202 14 3 176
6 3 193 15 4 396
7 4 275 16 4 366
8 4 216 17 3 131
9 3 174 18 4 258
30 1799 31 2250

※ヤード表示はバックティー
その他
公式サイト 一般社団法人 神戸ゴルフ倶楽部
11月中旬から4月中旬は休業
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神戸ゴルフ倶楽部(こうべゴルフくらぶ)は、1903年5月24日にイギリス人貿易商A.H.グルームによって神戸市六甲山上に造られた、日本最古のゴルフ場である。

概要

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海抜850mにあり、11月中旬から4月中旬は雪のためクローズする。開場当時、六甲山には外国人の別荘が建ち並んでいた。彼らのレジャーと社交の場としての利用が造成の目的であった。開場当初は4ホールであったが、その後造成し18ホール。ただパーは61。グリーンは当初は芝が生えなかったためにアラブで行われてきたサンドグリーン。フェアウェーより低く作ってあったため、「ナイスオン」ではなく「ナイスイン」といっていた。戦前に高麗芝の植生に成功させ、現在ではヴェントのグリーンになっている。戦後米軍に接収された、企業家、実業家、政治家等も会員として多かったために早々に復活し現在に至る。関西の政財界ではここと「廣野ゴルフ倶楽部」「鳴尾ゴルフ倶楽部」を「御三家」と呼ぶ人もいる。

ここからは、日本人選手として初めて全英オープンに出場した宮本留吉や日本初のプロゴルファー・福井覚治らも輩出している。彼らの残した遺産として和製ゴルフ用語の「アゲンスト」「アゲる」がある。これは外国人が「今風は順風(フォロー)か?」「いいや逆だ!(No No It's against!)」と言う語をそのまま使うようになったためと言われている。現在でも神戸ゴルフ倶楽部用語として「暫定球」を「プロビジョナル」と呼んだりとイギリス語が多用されている。

一時ハウスキャディーを九州からの女子にしたことがあったが、それ以外は一貫してキャディーは場所が急でカートが入れないこともあり男性である。甲南大学神戸大学関西学院大学などの学生、留学生が行っていることが多い。特に中国からの留学生は優秀であり博士号などを取得後、高等研究機関や指導者で働く者も多い。

現在の瀟洒なクラブハウス(1932年竣工)は、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計。近代化産業遺産及び2014年の登録有形文化財に登録[2]。11番ホール横に併設されているチャンバーでも宿泊が可能。

交通アクセス

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友好クラブ

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相模カンツリー倶楽部古賀ゴルフ・クラブ鳴尾ゴルフ倶楽部神戸外国倶楽部

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ 1. 神戸ゴルフ倶楽部の誕生”. 神戸ゴルフ倶楽部. 2013年1月11日閲覧。
  2. ^ 文化遺産オンライン

外部リンク

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