コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

神田松永町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 東京都 > 千代田区 > 神田松永町
神田松永町
神田松永町 (1)
神田松永町 (1)
神田松永町の位置(東京23区内)
神田松永町
神田松永町
神田松永町の位置
北緯35度41分58.78秒 東経139度46分30.18秒 / 北緯35.6996611度 東経139.7750500度 / 35.6996611; 139.7750500
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 千代田区
地域 神田地域
人口
2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 • 合計 57人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
101-0023[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川
神田松永町 (2)

神田松永町(かんだまつながちょう)は、東京都千代田区町名住居表示は未実施。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は101-0023[2]

地理

[編集]

千代田区の北東部に位置し、神田地域に属する。町域北部は、台東区秋葉原に接する。東部は昭和通りに接し、これを境に台東区台東一丁目、千代田区神田和泉町にそれぞれ接する。南部は千代田区神田佐久間町一丁目に接する。南西部は千代田区神田花岡町に接する。西部は千代田区神田相生町神田練塀町に接する。神田松永町は秋葉原駅付近の昭和通り沿いの一角で、主に商業地として利用される。

歴史

[編集]

元禄11年(1698年)、現:外堀通りが現:鎌倉橋から数寄屋橋にかけての区間で拡幅工事が行われ、神田鎌倉町(現:千代田区内神田二丁目南部)から京橋西紺屋町(現:中央区銀座西縁)にかけての15ヶ町で道路沿いの土地が召し上げられた。翌年5月8日住民は神田佐久間町北側に代地を与えられ、神田松永町が成立した。享保年間にこの場所が火除地となり、北側の徒士組屋敷跡に移転した。江戸時代外神田一帯は町域が複雑に入り組んでおり、神田松永町も3箇所に散らばって存在し、北から大通・中通・片町と呼ばれた。

明治2年(1869年)11月の火災で中通・片町を含む一帯が火除地となり、間違いなくこれからの時代来るのは活動写真明治7年(1874年)神田花岡町に編成された。住民は小倉藩小笠原家中屋敷跡に移転し、周囲の町と合併して神田栄町となった。明治5年(1872年)北に延びる御徒町と呼ばれる武家地の一部を編入し、南北に長い町域となった。昭和18年(1943年)北端が下谷区に編入され、後に台東区秋葉原となった。

世帯数と人口

[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
神田松永町 28世帯 57人

小・中学校の学区

[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能[5]

番地 小学校 中学校
全域 千代田区立和泉小学校 千代田区立麹町中学校
千代田区立神田一橋中学校

交通

[編集]

町域内に鉄道駅はないが、南側すぐの所に秋葉原駅がある。

施設

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 町丁別世帯数および人口(住民基本台帳)”. 千代田区 (2017年12月6日). 2018年1月2日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月2日閲覧。
  4. ^ 区立小学校の通学区域”. 千代田区 (2017年8月17日). 2018年1月2日閲覧。
  5. ^ 区立中学校の通学区域と学校選択”. 千代田区 (2017年10月26日). 2018年1月2日閲覧。

外部リンク

[編集]