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福岡県立東鷹高等学校

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福岡県立東鷹高等学校
地図北緯33度37分53.4秒 東経130度49分10.2秒 / 北緯33.631500度 東経130.819500度 / 33.631500; 130.819500座標: 北緯33度37分53.4秒 東経130度49分10.2秒 / 北緯33.631500度 東経130.819500度 / 33.631500; 130.819500
過去の名称 田川郡立田川農学校
田川郡町村立鷹羽学館
福岡県立田川農林学校(男子部)
福岡県田川実業女学校(女子部)
福岡県田川高等実業女学校
福岡県田川東高等女学校
福岡県立田川東高等学校
国公私立の別 公立学校(県立)
設置者 福岡県の旗 福岡県
学区 福岡県第十三学区
校訓 品位・責任・底力
設立年月日 1926年大正15年)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
総合生活科
学科内専門コース 普通科総合コース
学校コード D140220600010 ウィキデータを編集
高校コード 40179A
所在地 825-0002
福岡県田川市大字伊田2362-3
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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福岡県立東鷹高等学校の位置(福岡県内)
福岡県立東鷹高等学校

福岡県立東鷹高等学校(ふくおかけんりつ とうようこうとうがっこう)は、福岡県田川市大字伊田にある県立高等学校

概要

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歴史
1918年大正7年)に開校した「田川郡立田川農学校」(実業学校)を前身とする。当初は男子部・女子部を有していたものの、数回の改組を経て、1928年昭和3年)には男子部が廃止され、女子部のみとなる。1939年(昭和14年)には高等女学校に改組され、1948年(昭和23年)の学制改革では、女子高等学校となる。翌1949年(昭和24年)には男女共学を開始。以来、全日制課程普通科および家庭に関する学科を有してきた。校舎の移転を機に、1994年平成6年)に現校名へ改称した。
1955年昭和30年)に設置された定時制課程は2025年令和7年)3月末をもって廃止され、70年の歴史に幕を閉じる予定である。
福岡県へ移管された1926年(大正15年)を創立年としており、2026年(令和8年)には創立100周年を迎える。
設置学科
全日制課程 2学科
  • 普通科 総合コース
  • 総合生活科(家庭に関する学科)
定時制課程 1学科(2021年に生徒募集を停止、2025年3月末をもって廃止予定)
  • 普通科
校訓
「品位・責任・底力」
校章
が羽ばたく姿を背景にして、中央に「髙」の文字を配している。
校歌
作詞は田中常憲、作曲は吉岡一之による。
通学区
福岡県第十一学区(旧十三学区)(田川市および田川郡内の各町村)

沿革

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実業学校時代
  • 1918年(大正7年)6月21日 - 香春町田川郡役所で「田川郡立田川農学校」が創立。
  • 1923年(大正12年)3月31日 - 「田川郡町村立鷹羽学館」に改組。修業年限を3年、二種農学校、男女共学制となる。
  • 1925年(大正14年) - 香春町から伊田町へ移転を完了。
  • 1926年(大正15年) - 県立移管により、以下のように改組。
    • 男子部は「福岡県立田川農林学校」とする。
    • 女子部は実業女学校に改組し、「福岡県田川実業女学校」とする。
    • 尋常小学校修了を入学資格とする「一部」を4年制、高等小学校修了を入学資格とする「二部」を2年制とする。
    • 田川郡町村組合、同年度内に敷地3200坪、附属演習地2350坪および建物一切を県に寄贈。
  • 1928年(昭和3年)3月 - 福岡県立田川農林学校(男子部)が廃止される。
  • 1930年(昭和5年)3月1日 - 「福岡県田川高等実業女学校」に改称。
  • 1935年(昭和10年)4月1日 - 第一部を「本科第一部」、第二部を「本科第二部」と改称。女子実業教育振興のため家庭科を新設。
  • 1937年(昭和12年)- 家庭寮が完成。
  • 1939年(昭和14年)3月31日 - 福岡県田川高等実業女学校を廃止。
高等女学校時代
  • 1939年(昭和14年)4月1日 - 「福岡県田川東高等女学校」が発足。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 高等女学校としての生徒募集を停止。学制改革の経過措置により、新制中学校を併設(以下・併設中学校)し、高等女学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。高等女学校3・4年制修了者は新制高校1・2年生として収容。
新制高等学校
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、新制高等学校福岡県立田川東高等学校」(当初、女子校)が発足。
    • 全日制普通課程(普通科)を設置。
    • 併設中学校を継承し、1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
  • 1949年(昭和24年)
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 職業家庭科を増設。
  • 1954年(昭和29年)4月 - 体育館が完成。
  • 1955年(昭和30年)4月 - 福岡県立田川中央高等学校[1]から定時制課程が移管される。
  • 1957年(昭和32年)7月 - 最初の改築校舎が完成。
  • 1964年(昭和39年)12月 - 体育館が火災のため使用不能となる。
  • 1965年(昭和40年)
    • 3月 - 本館改築工事が完了。
    • 10月 - 家庭寮を解体の上、新体育館が完成。
  • 1966年(昭和41年)
  • 1969年(昭和44年)3月 - 3階建ての生徒会館が完成(1階:生徒会室・食堂、2階:柔剣道場、 3階:卓球場)。
  • 1975年(昭和50年)- 校舎移転期成会が発足。
  • 1976年(昭和51年)10月 - 創立50周年記念式典を挙行。
  • 1990年(平成2年)5月 - 新校舎建築用地が白鳥工業団地内に決定。
  • 1994年(平成6年)
    • 3月19日 - (校舎)閉校式を挙行。
    • 3月22日 - 現在地に新校舎が完成。
    • 3月31日 - 田川市番田町2番6号から田川市大字伊田2362番3(現在地)に移転を完了。
    • 4月1日 - 「福岡県立東鷹高等学校」(現校名)に改称。
    • 4月6日 - 開校式を挙行。
  • 1995年(平成7年)3月 - 定時棟が完成。
  • 1999年(平成11年)3月 - 東鷹会館が完成。
  • 2003年(平成15年)12月 - 空調設備が完成。
  • 2004年(平成16年)11月 - 大韓民国の旗 韓国馬山第一高等学校と姉妹校を締結。
  • 2005年(平成17年)11月 - グラウンドを改修。
  • 2012年(平成24年)7月 - キャッチフレーズ「がんばっ東鷹!」を採用。
  • 2016年(平成28年)10月 - 全日制創立90周年・定時制移管60周年記念式典を挙行。
  • 2021年(令和3年)3月 - 定時制課程を募集停止[2]
  • 2025年(令和7年)3月31日 - 定時制課程を廃止(予定)。
  • 2026年(令和8年)- 創立100周年を迎える(予定)。

著名な卒業生

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交通アクセス

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最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路

周辺

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  • 白鳥工業団地(周辺には多くの工場が隣接する)
  • 白鳥ふれあい自然公園
  • 田川中央公園
    • 総合グラウンド・市民テニスコート・総合体育館・市民会館・こがねが丘陸上競技場・トレーニングセンター・市民プール
  • 田川市母子支援センター(保健センター)

脚注

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  1. ^ 1963年昭和38年)4月に福岡県立田川工業高等学校福岡県立田川商業高等学校の2校に分離した。
  2. ^ 令和3年度県立高等学校等入学定員について”. 福岡県教委. 2020年12月24日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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