福岡県立田川農林高等学校
表示
福岡県立田川農林高等学校 | |
---|---|
北緯33度38分58.8秒 東経130度50分23.2秒 / 北緯33.649667度 東経130.839778度座標: 北緯33度38分58.8秒 東経130度50分23.2秒 / 北緯33.649667度 東経130.839778度 | |
過去の名称 |
田川郡立田川農林学校 福岡県立田川農林学校 福岡県立田川農業高等学校 福岡県立田川南高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 福岡県 |
設立年月日 | 1909年(明治42年)4月19日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒822-1405 |
福岡県田川郡香春町中津原2357番地 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
福岡県立田川農林高等学校(ふくおかけんりつ たがわのうりんこうとうがっこう)は、福岡県田川郡香春町中津原にあった県立の農業高等学校。
福岡県立高校統廃合の実施に伴い2007年(平成19年)3月31日限りで閉校となった。
沿革
[編集]- 歴史
- 1909年(明治42年)「田川郡立田川農林学校」(実業学校)として創立。数回の改組・改称を経て、最終名になったのは1955年(昭和30年)。2007年(平成19年)3月末をもって閉校し、98年の歴史に幕を下ろした。閉校後は福岡県立田川科学技術高等学校に統合された。
沿革
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 実業学校時代
- 1909年(明治42年)
- 1910年(明治43年)3月 - 英彦山高巣原に演習林を設置。
- 1912年(明治45年)4月 - 1年制の甲種別科を設置。
- 1917年(大正6年)1月 - 県立移管により「福岡県立田川農林学校」に改称。
- 1919年(大正8年)4月 - 新寄宿舎が完成。
- 1931年(昭和6年)11月 - 校歌・校旗を制定。
- 1939年(昭和14年)10月 - 平原農場が完成。運動場を拡張。
- 1941年(昭和16年)4月 - 農林土木科を設置。定員を450名とする。
- 1944年(昭和19年)4月 - 入学資格・修業年限を以下のように改める。
- 農林科は国民学校初等科修了者を入学資格とし、修業年限を4年制とする。
- 土木科は国民学校高等科修了者を入学資格とし、修業年限を3年制とする。
- 1945年(昭和20年)6月 - 戦争激化のため、小倉陸軍病院に疎開。
- 1946年(昭和21年)4月 - 農業科の修業年限が5年に改められる。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、新制中学校を併設(以下・併設中学校)。経過措置のため、農林学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。農林学校としての生徒募集を停止。
- 新制高等学校
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
- 5月1日 -「福岡県立田川南高等学校」となる。
- 1951年(昭和26年)
- 3月 - 同窓会兼図書館が完成。
- 4月 - 農業科に女子学級を新設。川崎分校を福岡県立西田川高等学校に移管。
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)4月 - 農村家庭科を新設。
- 1955年(昭和30年)
- 4月1日 - 「福岡県立田川農林高等学校」(最終名)に改称。
- 6月 - 実習教室が完成。
- 1956年(昭和31年)4月 - 定時制課程農業科の生徒募集を停止。
- 1958年(昭和33年)4月 - 園芸科を新設。
- 1960年(昭和35年)
- 3月 - 川崎分校を福岡県立西田川高等学校に移管[1]。
- 12月 - 鉄筋コンクリート造2階建ての校舎改築(第一期工事)が完了。
- 1961年(昭和36年)8月 - 鉄筋コンクリート造2階建ての校舎改築(第二期工事)が完了。
- 1962年(昭和37年)4月 - 定時制課程農業土木科および農村家庭科の生徒募集を停止。
- 1963年(昭和38年)4月 - 農村家庭科を生活科に改称。
- 1965年(昭和40年)3月 - 新校門が完成。
- 2005年(平成17年)4月 - 田川農林高等学校としての生徒募集を停止。福岡県立田川科学技術高等学校が併設される。
- 2007年(平成19年)3月31日 - 統合により閉校。
各種証明書の発行先
[編集]- 〒825-0005 福岡県田川市糒1900番地 福岡県立田川科学技術高等学校 内
脚注
[編集]参考資料
[編集]- 「香春町誌」(1966年(昭和41年)9月30日発行, 香春町)