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福本誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福本 誠
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都日野市
生年月日 (1976-07-14) 1976年7月14日(48歳)
身長
体重
179 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1998年 ドラフト4位
初出場 1999年10月13日
最終出場 2004年6月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

福本 誠(ふくもと まこと、1976年7月14日 - )は、東京都日野市出身の元プロ野球選手内野手)。

来歴

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プロ入り前

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東京都日野市を拠点とする『東京日野リトル・シニアリーグ』出身選手初のプロ野球選手。同リーグの監督の推薦もあり法政二高に進学。大学を通じての1年先輩に伊達昌司がいた。

法政大学では4年春に遊撃手のレギュラーとなり、7盗塁を記録し、ベストナインを受賞した[1]。リーグ通算42試合、74打数20安打1本塁打15打点、打率.270。

1998年度ドラフト会議にて横浜ベイスターズから4位指名を受け、入団。

横浜時代

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1999年(1年目)から一軍を経験し、2試合に出場した。

2002年は後半戦から若手起用の一環で積極的にスタメンで使われ、自己最多の36試合に出場し、打率.271を記録した。

2003年以降は二軍では安定した成績を残していたが一軍での出場機会がほとんどなかった。

2006年に戦力外通告を受け、現役を引退。

現役引退後

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横浜球団の職員に転身。野手出身でありながら、「チームサポーター」(打撃投手)を務めている。チーム名が横浜DeNAベイスターズに変更されてからは、査定担当補佐を兼務。本拠地の横浜スタジアムで大半の試合が開催された2021年の2020東京オリンピック・野球競技では、野球日本代表チームの打撃投手(背番号101)を務めることによって、正式競技としては初めての金メダル獲得に貢献した[2]

プレースタイル・人物

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内野から外野までほぼ全てを守れ、特にショートの守備には安定感があった。

尚、『東京日野リトル・シニアリーグ』の2学年上には、ねづっちがいた。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1999 横浜 2 4 3 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .333 .500 .333 .833
2001 2 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2002 36 88 70 9 19 1 0 0 20 8 2 3 9 1 6 0 2 12 1 .271 .342 .286 .627
2003 12 9 9 0 1 0 0 0 1 0 0 1 0 0 0 0 0 4 0 .111 .111 .111 .222
2004 3 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
通算:5年 55 103 84 10 21 1 0 0 22 8 2 4 9 1 7 0 2 19 1 .250 .319 .262 .581

記録

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背番号

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  • 45 (1999年 - 2006年)
  • 107 (2007年 - 2014年)
  • 117 (2015年 - )

脚注

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  1. ^ 1999プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
  2. ^ 侍の打撃投手、DeNA福本誠打撃投手チーム復帰 宝物となったユニホーム(『日刊スポーツ2021年8月14日

関連項目

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外部リンク

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