福波荘次郎
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福波 荘次郎(1853年1月(嘉永5年12月)[1] - 没年不明)は、日本の政治家。鳥取県八頭郡大御門村長[2][3]。大御門信用組合理事[4][5]。
経歴
[編集]鳥取県出身。農業を営む。1902年4月、大御門村長に就任し1904年11月、辞任する[3]。1918年1月、大御門村長に就任し1920年3月、辞任する[3]。
人物
[編集]1912年に刊行された『五百円以上所有者地価表姓名録 因幡の巻』によると、福波の地価所有高は「750円60銭」である[6]。
第四回内国勧業博覧会に畳表を出品する[7]。第五回内国勧業博覧会に養蚕莚を出品する[8]。
住所は鳥取県八頭郡大御門村大字殿[5](のち郡家町殿、現・八頭町郡家殿)。
家族・親族
[編集]- 福波家
- 長男・観二(1881年 - ?、大御門村収入役[4]、大御門村会議員、篤農家[9]) - 小学校卒業後、家業の農業に従事する[1]。1906年に大御門村収入役に就任、1913年に辞任する[1]。1914年に大御門村収入役に復職し、1916年に辞任する[1]。趣味は山猟、河漁[1]。住所は鳥取県八頭郡大御門村殿[1](のち郡家町殿、現・八頭町郡家殿)。1922年に刊行された『八頭鳥取地価表 弐百円以上』によると、地価所有高は「577円」である[10]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『因幡人事興信録』ふ748頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月11日閲覧。
- ^ 『職員録 明治35年現在(乙)』345頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月12日閲覧。
- ^ a b c 『郡家町誌』432頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月11日閲覧。
- ^ a b 『大日本紳士名鑑』鳥取県八頭郡6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月11日閲覧。
- ^ a b 『官報 1903年08月20日』官報 第6041号303頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月11日閲覧。
- ^ 『五百円以上所有者地価表姓名録 因幡の巻』90頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月11日閲覧。
- ^ 『第四回内国勧業博覧会出品部類目録 第1部 工業 下』620頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月11日閲覧。
- ^ 『明治前期産業発達史資料 勧業博覧会資料 9』41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月12日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑 第2冊 明治43年8月』鳥取県170頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月11日閲覧。
- ^ 『八頭鳥取地価表 弐百円以上』40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 『第四回内国勧業博覧会出品部類目録 第1部 工業 下』第四回内国勧業博覧会事務局、1895年。
- 『職員録 明治35年現在(乙)』印刷局、1902年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1903年08月20日』日本マイクロ写真、1903年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑 第2冊 明治43年8月』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 武田寿正『五百円以上所有者地価表姓名録 因幡の巻』横山書店、1912年。
- 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
- 『八頭鳥取地価表 弐百円以上』横山書店、1922年。
- 荒木義雄編『因幡人事興信録』因幡人事興信録編纂所、1923年。
- 郡家町誌編集委員会編『郡家町誌』郡家町誌編集委員会、1969年。
- 『明治前期産業発達史資料 勧業博覧会資料 9』明治文献資料刊行会、1973年。