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秋田盛季

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
秋田 盛季
時代 江戸時代前期
生誕 元和6年(1620年
死没 延宝4年1月13日1676年2月26日
改名 久松、盛季
別名 左近
戒名 陽雲院殿竜天蒼松
墓所 福島県田村郡三春町荒町の高乾院、高野山
官位 従五位下安房守
幕府 江戸幕府 大坂城加番
主君 徳川家光家綱
陸奥国三春藩藩主
氏族 秋田氏
父母 父:秋田俊季、母:永寿院(松平信吉の娘)
兄弟 盛季、女子、季久、女子(新庄直長室)、女子(植村忠朝室)、男子、女子
正室:正寿院安藤重長の娘)
男子、女子(伊東祐実室)、女子、輝季、男子、女子、男子
養女佐治一成娘。小出重堅妻)
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秋田 盛季(あきた もりすえ)は、陸奥国三春藩の第2代藩主。秋田家第4代当主。

略歴

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元和6年(1620年)、秋田俊季の長男として宍戸城で生まれた[1][2][3]。母は、常陸国土浦城城主・松平信吉の娘[1][2][3]。童名は久松[1][2][3]。のち、左近と号す[1][2][3]元服して、先祖の名である盛季を名乗った[1]

寛永18年(1641年)12月29日、従五位下安房守に叙任された[2][1][3]

慶安元年(1648年)12月。父・俊季の看病のため、大坂へ赴く[3]。同2年(1649年)1月、父が大坂城で病没し、大坂城加番を引き継いだ[1]。同年5月14日[3]、遺領5万石を継ぎ、三春城城主となった[1][3]。弟・季久に、遺領のうち5000石を分知した[1][3]

慶安3年(1650年)から同4年(1651年)、駿府城加番を務めた際には由井正雪の乱が起こった[4]

家臣・秋田四郎兵衛や小野寺多左衛門を用い、藩制の整備と財政再建に努めた[4]。また、祖父・実季と書簡をやりとりした[4]。秋田氏ゆかりの古四王を勧請し、別当真照寺に多くの仏像や仏画を寄進した[4]

延宝3年(1675年)、大坂城番を務めた[2]

延宝4年(1676年)1月13日、大坂城中で病死した[2][5]。57歳[2][5]法名は陽雲院殿竜天蒼松[5][2]高野山に葬られた[5]

次男の輝季が跡を継いだ[5]

逸話

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病身で引っ込み思案の性格だったため、個人に関する逸話はほとんど伝わっていない。『秋之夜之夢噺』(個人蔵)に次のような逸話が収められている[6]

明暦3年(1657年)の大火の時、江戸にいた盛季は、すぐさま家来の秋田伝内を江戸城へ派遣した。その時、白川城主松平越中守(この年の白河藩主は本多能登守忠義なので史実としては誤り)は江戸城にいたが、盛季の家来が登城したことを聞き、「自分の屋敷より12里も遠いところに屋敷のある盛季に先を越されて悔しい」と立腹した。

それから数年後、盛季が大坂加番で上京する途中、伊勢国桑名に一泊した。この時の桑名藩主は、白河から桑名へ転封していた松平越中守その人であった。そして、その時、たまたま桑名で火事が起こり、越中守は、桑名城の櫓に登り、盛季やその家来達がうろたえるところを見てやろうと試みた。しかし、盛季の行列は少しも乱れず、煙の中を静々と通り、安全な場所で行列を止め、盛季は足軽二組を桑名城へ向かわせ、越中守に対し、「城下が火事です、風も激しく、お城が危うく見えますので家来を差し向けました」と伝えた。

越中守は、盛季は酒ばかり飲み、鷹狩りが好きなどうしようもない奴と思っていたが、秋田家は古い家なので、良い家来をもっていてうらやましいと語ったという。

系譜

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○出典:断りがない場合は『三春町史』に拠っている[7][8]

父母

兄弟姉妹

  • 盛季
  • 女子(於ツウ) - 早世
  • 季久 - 同母[3]
  • 女子(於ヒサ) - 新庄直長室。同母[3]
  • 女子(於ヨ子) - 植村忠朝室。同母[3]
  • 男子(右近) - 早世
  • 女子(於カメ)

正室

子女

  • 男子(東太郎) - 早世。生母は正寿院[3]
  • 女子(於子々) - 伊東祐実室。生母は正寿院[3]
  • 女子(於ツル) - 早世。生母は正寿院[3]
  • 輝季 - 生母は正寿院

○以下は出生順不詳

  • 男子(甚九郎) - 早世
  • 女子(於イハ) - 早世。母は某氏[9]
  • 男子(次郎八) - 早世

○以下、出典は『寛政重修諸家譜[9]

  • 養女:佐治一成の娘。小出重堅(甚太郎)に嫁いだ

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 三春町 1984, p. 89.
  2. ^ a b c d e f g h i 三春町 1978, p. 58.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 寛政譜 1923, p. 335.
  4. ^ a b c d 三春町 1984, p. 90.
  5. ^ a b c d e 三春町 1984, p. 91.
  6. ^ 秋田盛季と火事|Web資料館|三春町歴史民俗資料館 - 三春町ホームページ”. www.town.miharu.fukushima.jp. 2020年2月27日閲覧。
  7. ^ 三春町 1978, pp. 58–59.
  8. ^ 三春町 1984, p. 89,91.
  9. ^ a b 寛政譜 1923, p. 336.

参考文献

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  • 「巻第六百三十一」『寛政重修諸家譜』 第四輯、國民圖書、1923年5月23日。NDLJP:1082713/176 オープンアクセス
  • 三春町 編『三春町史』 第8巻《近世資料(資料編2)》、三春町、1978年12月25日。NDLJP:9641578/42 (要登録)
  • 三春町 編『三春町史』 第2巻《近世(通史編2)》、三春町、1984年10月30日。NDLJP:9643281 (要登録)

外部リンク

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