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稲川英雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いながわ ひでお
稲川 英雄
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 東京都中央区
生年月日 1924年12月31日
没年月日 2004年3月5日(満79歳没)
職歴TBSアナウンサー
台湾国際放送日本語アナウンサー
ラジオ韓国日本語班校閲委員・アナウンサー
活動期間 1951年 - 2004年
ジャンル 科学番組娯楽番組
配偶者 あり[1]
担当番組・活動

稲川 英雄(いながわ ひでお、1924年12月31日[2][3] - 2004年3月5日)は、日本アナウンサー

東京都中央区出身[4]

略歴

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人物

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日本橋生まれ[4]。『テレビ演芸会』『素人うた合戦』等を担当。更に、1953年12月、三原山大爆発リポートを担当[3]1966年1月にラジオ営業局JRN業務部、1967年2月にラジオ局放送部、1967年7月に第一制作部、1968年9月に第二制作部に所属[3]、ラジオ交通情報の初代ヘリリポーターを務める[2][3]1969年3月にはテレビ制作局第二制作部兼テレビ編成局放送部、1970年3月にはテレビ本部編成局放送部、1970年9月には開発室に在籍した後、1972年12月に審議室委員に[3]1973年11月には調査局審査部、1974年2月には人事室開発センターに在籍した後、1974年3月、福島テレビ[7]に出向し[3]FTVテレポートのキャスターを担当した[8]1976年4月、TBSに戻り、テレビ本部パッケージ事業室、1976年11月、テレビ本部編成局編成部に在籍後[3]1980年1月、TBSを定年退職[2][3]

TBSを定年退職後、中国広播公司の招聘を受けて台湾台北市に渡り自由中国の声(現・台湾国際放送)の日本語放送アナウンサー、初めて日本語による国慶節の実況放送を行う[9]1985年10月にはラジオ韓国日本語班の校閲委員・アナウンサーも担当した[4]。日本に帰国後は、台湾国際放送のリスナークラブ(玉山クラブ)の会長を務めるなど、リスナーの集いの開催や国際放送の発展に尽力していた[9]

出演番組

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脚注

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  1. ^ a b “稲川英雄氏死去 元TBSアナウンサー”. 共同通信社. (2004年3月5日). https://web.archive.org/web/20140518082323/http://www.47news.jp/CN/200403/CN2004030501004202.html 2014年5月18日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i 東京放送 編「III.放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、235頁。「稲川英雄[1980.1定年] R「科学の眼(1953)」「素人うた合戦(1956)」「初代交通情報ヘリリポーター(1967)」 TV「テレビ演芸会(1956)」「素人うた合戦(1957)」「これはなんでしょう(1962)」」 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、2頁。「稲川 英雄…[66.1R営業局JRN業務部][67.2 R局放送部][67.7 第一制作部][68.9 第二制作部][69.3TV制作局第二制作部兼TV編成局放送部][70.3TV本部編成局放送部][70.9 開発室][72.12 審議室委員][73.11 調査局審査部][74.2 人事室開発センター][74.3 福島テレビへ出向][76.4 本社復帰、TV本部パッケージ事業室][76.11 TV本部編成局編成部][80.1 定年] R「科学の眼(53)」「素人うた合戦(56)」「極楽演芸館」「科学への招待」 TV「テレビ演芸会(56)」「素人うた合戦(57)」「これはなんでしょう(62)」 ☆53.12 三原山大爆発リポート」 
  4. ^ a b c d e 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 2003〜2005』日外アソシエーツ、2006年3月27日、66頁。ISBN 4-8169-1969-4 
  5. ^ 東京放送 編「III.放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、235頁。「1951.10<1期生> 15人入社(男9・女6) 芥川隆行 池谷三郎 稲川英雄 市原信義 沢 弘三 財前和夫 高野啓二 永井資久 若林 漸 大野方子 玉井和子 楢木昭子 本田節子 武藤和子」 
  6. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、2-3頁。「51.10<1期生>15人入社(男9・女6) 芥川 隆行 池谷 三郎 稲川 英雄 市原 信義 沢 弘三 財前 和夫 高野 啓二 永井 資久 若林 漸 大野 方子 玉井 和子 楢木 昭子 本田 節子 武藤 和子」 
  7. ^ 当時TBS系列とフジテレビ系列のクロスネット局。現在同社はフジテレビ系列の単独ネット局であり、福島県におけるTBS系列のテレビ局はテレビユー福島
  8. ^ a b 福島テレビ株式会社社史編集委員会 編「第3部 部門編 第5章 報道活動 ローカルワイドニュース」『福島テレビ20年史』福島テレビ、1983年12月25日、143頁。「FTVテレポート歴代司会者 48年10月〜51年3月 稲川英雄(TBS) 49・10〜51・3」 
  9. ^ a b 台湾国際放送リスナーの集い 故人二人の遺徳を偲ぶ」『台湾週報』第2155号、中華民国(台湾)外交部、2004年8月12日、2015年1月26日閲覧 

参考文献

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  • 『福島テレビ20年史』福島テレビ、1983年12月25日。NDLJP:12276183 
  • TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館の所蔵情報
    • 本編
    • 資料編
    • 付属資料DVD-ROM『ハイブリッド検索編』
      • 『TBSアナウンサーの動き』(ラジオ東京→TBSの歴代アナウンサーの記録を、同社の歴史とともにまとめた文書。PDFファイル。全34ページ)
  • 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 2003〜2005』日外アソシエーツ、2006年3月27日。ISBN 4-8169-1969-4