稲葉的海
稲葉的海 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道旭川市 |
生年月日 | 1953年12月27日(70歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 |
栗東・日迫清(1974 - 1979) 栗東・吉田三郎(1979 - 1981) 栗東・フリー(1981 - 1985) 栗東・吉田三郎(1985 - 1987) 栗東・荻野光男(1987 - 1988) |
初免許年 | 1974年3月2日 |
免許区分 | 平地(初期には障害免許も保持) |
騎手引退日 | 1988年3月5日 |
重賞勝利 | 2勝 |
通算勝利 | 116勝 |
稲葉 的海(いなば まとみ、1953年12月27日 - )は、北海道旭川市出身[1]の元騎手・調教助手。
経歴
[編集]中学の途中から宝塚市立宝塚第一中学校に転校し、栗東・日迫清厩舎の門下生となる[1]。在学中は仕事と学業の両立が辛かったが、卒業後に馬事公苑で長期講習を受け、同期に安田隆行・伊藤稔がいる[1]。
1974年3月に日迫厩舎からデビューし、同期は伊藤のほか、岩元市三・佐々木晶三・西園正都・寺田雅之・出口隆義・池添兼雄・佐野清広・河内洋・秋山忠一がいた[1]。
同2日の中京第1競走4歳未勝利・キーホープ(10頭中4着)[2]で初騎乗を果たすと、同日の第5競走5歳以上200万下・ハリーファックスで初勝利を挙げる[3]。1年目の同年から2桁の10勝をマークし、3年目の1976年まで3年連続2桁勝利を記録[4]。
2年目の1975年には自己最多の自身唯一の20勝台となる23勝をマークし[4]、1977年と1978年には障害にも騎乗するが勝ち星を挙げられず、1979年からは平地の騎乗に専念。
1979年は吉田三郎厩舎に移籍し、シンザン産駒グレートタイタンで京都記念(秋)をレコード勝ちして人馬共に重賞初制覇[5]。
1980年には3年ぶりの2桁となる13勝を挙げ、フリーとなった1981年には2年連続で自身最後の2桁となる12勝をマーク[4]。
1982年からは年間勝利数1桁台が続くが[4]、1984年にはダイゴトツゲキで阪神3歳ステークスを制した[6]。同年の稲葉は8勝を挙げたが、このうち3勝はダイゴトツゲキによるものであった[7]。
1985年には桜花賞で人気のタカラスチールに代打騎乗するが、スタートの際に脚をゲートにぶつけ、何とか好位に付けてレースを進めたものの直線手前で手応えが無くなり、エルプスが逃げ切る中で15着と惨敗に終わった。ダイゴトツゲキでは初めて1番人気に推されたきさらぎ賞で3着、スプリングステークスではミホシンザンの4着に終わり[要出典]、迎えた皐月賞は18着に終わった[8]。
1985年には吉田厩舎に復帰し、1987年には荻野光男厩舎へ移籍。1987年12月6日の中京第6競走4歳以上400万下・プリンセスローラで最後の勝利を挙げ、[9]同馬に騎乗した1988年3月5日の中京第10競走瀬戸特別(14頭中6着)を最終に引退[10]。
引退後は松元省一厩舎の調教助手となり、2007年2月24日にノボリハウツーがレース中に落馬して脱走した際、競馬場へ向かうために付近を通りかかって捕獲している[11][12][13][14][15]。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 116 | 135 | 149 | 1315 | 1715 | .068 | .146 |
障害 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | .000 | .000 |
計 | 116 | 135 | 149 | 1317 | 1717 | .068 | .146 |
主な騎乗馬
[編集]※太字はGIレース。
- グレートタイタン(1979年京都記念 (秋))
- ダイゴトツゲキ(1984年阪神3歳ステークス)
- その他
脚注
[編集]- ^ a b c d 競馬ニホン歳時記 前夜通信社公式 on X: "左から佐々木(現調教師)、西園(現調教師)、寺田、稲葉、出口隆、池添(兼雄、現調教師)、佐野(のち田所清広、調教師)、河内(現調教師)、秋山、伊藤稔の当時デビューした騎手たち。 馬に乗って運動中だったのは岩元(現調教師)騎手でした。 https://t.co/3uTxou6gjM" / X
- ^ 4歳未勝利|1974年3月2日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ 稲葉的海のプロフィール | 騎手データ - netkeiba
- ^ a b c d 稲葉的海の年度別成績 | 騎手データ - netkeiba
- ^ グレートタイタン | 競走馬データ - netkeiba
- ^ “競走成績 1984年5回阪神6日( 12月 16日) 10R 第36回 農林水産省賞典阪神3歳ステークス(GI)”. 日本中央競馬会. 2024年9月30日閲覧。
- ^ 抽出[1984年度 1着レース]|稲葉的海の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ “競走成績 1985年3回中山8日( 4月 14日) 10R 第45回 皐月賞(GI)”. 日本中央競馬会. 2024年9月30日閲覧。
- ^ 抽出[通算 1着レース]|稲葉的海の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ 稲葉的海の近走成績 | 騎手データ - netkeiba
- ^ “News「24日(土)の阪神競馬第4競走における放馬について」”. 競馬実況web. 日経ラジオ社 (2007年2月26日). 2013年3月29日閲覧。
- ^ “大逃走劇!公道で“障害レース””. スポーツニッポン (2007年2月25日). 2007年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月29日閲覧。
- ^ “競走馬が競馬場から脱走、県道走る”. 日刊スポーツ (2007年2月25日). 2007年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月29日閲覧。
- ^ “阪神競馬場から競走馬が“脱走””. デイリースポーツ (2007年2月24日). 2007年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月29日閲覧。
- ^ “阪神競馬場から競走馬逃げる、レース中に落馬事故”. 朝日新聞 (2007年2月24日). 2007年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月29日閲覧。