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立体未来主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『自転車乗り』(1913年・ナタリア・ゴンチャロワ作)、油絵、 78×105 cm、ロシア美術館所蔵。

立体未来主義(りったいみらいしゅぎ、立体未来派)またはクボ=フトゥリズムロシア語表記:Кубо-Футуризмクボフトゥリーズム:Cubo-Futurism)とは、1910年代前半のロシア革命直前に、ロシアウクライナなどで展開された芸術運動である。ロシア・アヴァンギャルドに含まれる[1]

パブロ・ピカソジョルジュ・ブラックによる芸術(キュビスム)から派生し、機械化社会によるアナーキーな精神(未来派)を芸術に吹き込むというフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティの主張を基に、2つを融合したものを指す[2]。またこれにネオ・プリミティヴィズムが組み込まれ円筒形や幾何学的形態による絵画空間の総合が目指されたことで西洋モダニズムとは一線を画する芸術運動となった[3]

既存の方法を破壊することを訴えたグループ・ギレヤ派の活動が原因となり、それに第一次世界大戦による社会風潮や機械と都市の発展を背景、現代にふさわしい機械のスピード感や力強さを表現しようという考えから、立体未来主義は誕生した[3][4]

また、ロシア的に表現の仕方が変わっており、農民の生活や正教会などをテーマにした作品には、祖国への深い愛と国家の魂を信じる心が反映されているほか、ロシア的な要素が追加されていった(ルボークイコン画など)。これらのロシア人の精神から成るような要素は、立体未来主義の構想元である仏・伊の芸術運動には見られず、このロシア的要素は、純粋な抽象画を作成することに繋がった[2][3]

しかし1917年にロシア革命によりボリシェヴィキが勝利、社会主義国家であるソビエト連邦が成立すると構成主義の作品を作るようにロシア国内芸術の風潮は変化し、立体未来主義は短い期間でその歴史を終えることとなった[2]

立体未来派を代表する画家では、その創始者とも謳われるダヴィド・ブルリュークや、ミハイル・ラリオーノフナタリア・ゴンチャロワカジミール・マレーヴィチなどが著名である[5][6][7][8]

脚注

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  1. ^ クボ=フトゥリズム”. artscape. 2024年5月24日閲覧。
  2. ^ a b c キュビスムとは何か? その誕生から現代アートへと続く、美術史上の大変革を読み解く|ARTnews JAPAN”. ARTnews JAPAN. 2024年5月24日閲覧。
  3. ^ a b c クボ=フトゥリズム”. artscape. 2024年5月24日閲覧。
  4. ^ 「キュビスム」日本で約50年ぶりの展覧会、国立西洋美術館で - ピカソなど日本初出品50点以上”. www.fashion-press.net. 2024年5月24日閲覧。
  5. ^ 「詩人紹介 ブルリューク、ダヴィード」亀山郁夫・大石雅彦編『ロシア・アヴァンギャルド5 ポエジア―言葉の復活』国書刊行会、1995年 p.379
  6. ^ アレクサンドラ・グゼワ (7月 19, 2023). “ロシア詩に革命を起こした詩人:ウラジーミル・マヤコフスキー生誕130年”. Russia Beyond 日本語版. 2024年5月24日閲覧。
  7. ^ ピカソやブラックらの傑作でたどるキュビスムの誕生と展開。「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命」(国立西洋美術館)レポート”. Tokyo Art Beat. 2024年5月24日閲覧。
  8. ^ ゲオルギー・マナエフ (11月 18, 2022). “マレーヴィチの「黒の正方形」にまつわる7つの重要な事実”. Russia Beyond 日本語版. 2024年5月24日閲覧。

関連項目

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