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立川志ら玉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
立川らく里から転送)

立川 志ら玉(たてかわ しらたま)は、落語家の名跡。


立川たてかわ たま
立川(たてかわ) 志(し)ら玉(たま)
丸に左三蓋松は、立川流定紋である
本名 村上むらかみ 大介だいすけ
生年月日 (1975-07-09) 1975年7月9日(49歳)
出身地 日本の旗 日本千葉県鎌ケ谷市
師匠 二代目快楽亭ブラック
立川志らく
名跡 1. 快楽亭ブラ汁
(2000年 - 2005年)
2. 立川らくB
(2005年 - 2007年)
3. 立川らく里
(2007年 - 2015年)
4. 立川志ら玉
(2015年 - )
出囃子 深川くずし
活動期間 2000年 -
活動内容 落語家
配偶者 あり
所属 落語立川流

立川 志ら玉(たてかわ しらたま、1975年7月9日 - )は落語家[1]落語立川流所属の真打。出囃子は「深川くずし」[1]。本名:村上 大介

来歴

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1975年7月9日生まれ[1]鎌ケ谷市立東部小学校鎌ケ谷市立第二中学校千葉県立薬園台高等学校を経て、茨城大学人文学部を卒業した[2]。大学では落語研究会に所属[1]

2000年2月、快楽亭ブラックに入門し、前座名は「ブラ汁」[1][2]2005年8月、快楽亭ブラックの落語立川流からの除名に伴い、立川志らく門下に移り、「立川らくB」に改名[1][2]

2007年7月に立川キウイ立川談大泉水亭錦魚立川平林立川吉幸立川談奈立川志らべ立川らく次と共に二ツ目に昇進し「らく里」と改める。

2015年10月、立川志らら二代目立川小談志立川左平次立川らく朝と共に真打に昇進し「志ら玉」と改名した[1][3]

芸歴

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 「立川志ら玉・新真打インタビュー」『東京かわら版』2015年10月号、16-17頁
  2. ^ a b c d e インタビュー・立川らく里さん(City かまがや)”. 2015年12月15日閲覧。
  3. ^ 落語立川流、志らら、小談志ら5人が真打昇進”. SANSPO.COM (2015年9月23日). 2015年12月15日閲覧。

参考文献

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  • 立川談志・落語立川流一門『談志が死んだ、立川流はだれが継ぐ』講談社、2003年、266P、414P
  • 「立川志ら玉・新真打インタビュー」『東京かわら版』2015年10月号、16-17P

外部リンク

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